2000.12.7

 

教育を市民の手に

ー新学習指導要領の実施を中止し、21世紀にふさわしい教育を作ろうー

上野 健爾

 はじめに

 学習指導要領がかかえる構造的問題
 我が国の「教科教育」が抱える構造的問題
 教科書検定がかかえる構造的問題
 「ゆとり」を奪った「ゆとり教育」
 教育を放棄した新指導要領
 経済大国日本の責務
 教育を市民の手に
   1. 新指導要領の実施を中止しよう
   2. 指導要領にとらわれない教科書、参考書を作ろう

はじめに

 昨年9月に起きた東海村の臨界事故や相次ぐロケットの打ち上げ失敗、さらにH2Aロ ケットの燃焼試験の相次ぐ失敗は我が国の科学技術が驚くほど弱体化している現実を 示した。8月3日の朝日新聞は福島原発で震度4の地震によって配管の破断が起こって いたことを小さく報じていた。震度6の地震に耐えると説明されてきた原発が老朽化 のために、危険な状態にあることを示した記事であるが、記事はそれ以上のことを追 求しない。大地震にも大丈夫と説明してきた電力会社は真っ先にことの重大さに気づ かなければならないのに、何の説明もない。東海村の臨界事故が決して偶発的なもの ではなく、我が国の社会全体が恐るべき「学力低下」のなかにあることを物語ってい る。

 こうしたことは、ここ10年ほど、自分で考えることのできない大学生が増え続けて いることを考えるとうなづける現象である。マニュアルがないとできない、どのよう に考えたらよいか教えてもらわなければ考えられない、自分が理解しているかどうか 分からないという現在の大学生の驚くべき「学力低下」は我が国の将来を危うくして いる。最近の教育崩壊も子ども達の変化以上に、教師の「学力低下」による部分が大 きい。教科書や指導書に書かれたことしか教えられない教師が増加している。教師も 世間も受験合格のみを目標とし、子ども達が本当に理解することに無関心になってい る。

 これに拍車をかけているのが文部省の教育政策である。教育の内容を薄め、学力低 下が一段と進む方向へと突き進んでいる。人口問題、エネルギー問題、食糧問題、環 境問題と難問が待ちかまえている21世紀を生き抜くための基礎学力を保証することが これからの教育の基本であるはずなのに、2002年から実施予定の新学習指導要領はこ れと逆行する内容である。

 今回の学習指導要領の改訂では週5日制実施のため各教科の授業時間を2割削減し、 さらに教科内容の厳選ということで機械的に教科内容の3割削減が実行された。その 結果、たとえば算数・数学教育では、1万円札を使って買い物をするにも電卓がなか ったらお釣りの計算もできない大人を大量に作り出す内容となっている。新たな科学 技術の創造どころか、科学技術が全く理解できなくなる教育が新指導要領のもとでは 現実のものとなる。ことは理科教育だけではない。国際化時代で外国語教育が必要で あると主張されながら、中学の英語の時間は削減され必須語数はわずか100語(現在 500語)という時代錯誤の英語教育が行われようとしている。

 筆者は代表幹事の一人として、2002年より実施予定の新学習指導要領の実施中止を 求める署名運動をインターネット上で実施している。(http://www.naee2002.gr.jp/) 学習指導要領と教科書検定によって規制され続けてきた教育を、市民の手に取り戻し 、21世紀に活躍する子ども達にできる限り優れた教育環境を提供する運動を早急に立 ち上げる必要があると考える。

学習指導要領がかかえる構造的問題

これまで、学習指導要領は機械的に十年毎に改訂されてきた。改訂の際、前の指導要 領のどの点に問題があり、どの点はよかったのかが全く議論がされない。そのために 、真に改良すべき点が見落とされ、どの単元を採用し、単元をどのように配列するか にのみ焦点が当てられてきた。今回の改訂では内容を厳選するという中教審の方針が いつの間にか内容の3割削減となった。この3割という数値をどこで誰が決めたのかさ えはっきりしない。内容を厳選することは必要であろうが、それは初等・中等教育に おいて生徒が学ばなければならない内容は何かという議論から決まることであって、 最初から3割削減という数値がでてくること自体が、指導要領の改訂がきわめて非科 学的、政治的なものであることを意味している。

 さらに、事態を悪化させているのは、各教科の指導要領が他の教科との関連を全く 無視した形で決められることである。今回の改訂で、たとえば算数・数学の新指導要 領は理科教育を全く無視する形で作成された。この指導要領によって我が国の理科教 育は致命的な打撃を受けるであろう。

我が国の「教科教育」が抱える構造的問題

 この指導要領の形式的改訂を支えているのが、我が国独特の「教科教育」のあり方 である。各「教科教育」は一種の独立王国として君臨し、互いに内政不干渉の立場を とる。今回の改訂のように、授業時間数の削減が迫られるときに、この考え方は威力 を発し、全ての教科の授業時間が一律に削られるということになる。それは、各教科 の先生の数を減らされたら困るという政治的な背景がある。教育改革は子供のために ではなく、大人の都合のためにあるといわれても、仕方がない現状がある。

 さらに、学校教育でも教科の壁は高い。それぞれの教科で単なる知識の詰め込みの みが行われ、各教科の知識を有機的に結びつけて考える授業が行われていない。知育 偏重教育といわれるが、実は知育がきちんと行われていないのが現実である。新指導 要領では新しい試みとして「総合的な学習の時間」が創設されることになっている。 私たちは日本総合学習学会を創設し(http://www.kusm.kyoto-u.ac.jp/‾jaise/)、現 場の先生がたの支援を行っているが、教科の壁を壊して真の知育を行おうとする試み は少ない。現状では、「総合的な学習の時間」が単なる体験学習やお祭りに終わる危 険性が極めて高いことを指摘しておきたい。

教科書検定がかかえる構造的問題

 学習指導要領の問題を深刻にしているものに、教科書検定がある。学習指導要領は 事細かに、教授すべき内容を規定している。教科書はこの規定に従い、この内容を越 えてはならない。現在学んでいることがどのように発展していくかを教科書に簡単に 記せば、学習することの意義が生徒にも分かるようになる。そのようなことは、授業 で先生が本来行うべきことであるが、現実には教科書に書いてある通りにしか教える ことのできない教師が大量に存在しているのである。

 今回の指導要領の改訂では、教科の内容が3割削減されたので、教科書のページ数 を3割削減せよという文部省の強い指導があると噂されている。教科内容を削減した のであれば、現在のページ数は最低限確保して、説明を詳しくし、また進んだ内容を 付け加えるべきである。教科書に進んだ内容を記すことを禁止する文部省の説明は「 教科書に書いてあることを教師はすべて教えようとするから」と説明するが、その一 方で、「学習指導要領の理念が今回から変更されて、学校や生徒の実情に応じて進ん だ内容を教えてもよい」としている。その際、進んだ内容に関しては教師がプリント 等を自ら用意すべきであると文部省は説明する。しかし、これでは、意欲のある生徒 がいても、先生に意欲がなければ生徒は進んだ内容を勉強する機会を逸する。生徒が 自習できるように、教科書に工夫をすることこそが、こうした問題を解決する方法で ある。

「ゆとり」を奪った「ゆとり教育」

 学習指導要領の内容が希薄になっていくもう一つの原因は、文部省の進めている「 ゆとり教育」にある。教育における「ゆとり」というのは、生徒がじっくり考え、理 解を確実にするためにある。生徒がどこでつまづいているかを先生が授業できちんと 把握し、先生の手助けのもとで生徒自らがつまづきを克服することが大切である。そ のためには、授業時間数を増やす必要がある。それが「ゆとりの時間」である。とこ ろが、文部省の「ゆとり」は授業内容を減らすだけでなく、授業時間をも減らすこと にすり替えられてしまっている。減った授業時間が文部省の「ゆとりの時間」である が、この「ゆとりの時間」はテレビを見る時間に使われているという調査結果がでて いる。「ゆとり教育」には誰もが賛成する。しかし、実際には文部省の「ゆとり教育 」の結果、授業時間数が減り、生徒は駆け足で学習しなければならなくなり、理解が 一段と不確実なものとなってしまっている。その結果、塾が繁盛し、子ども達はます ますゆとりを失っているのである。

教育を放棄した新指導要領
ー算数・数学の新指導要領の致命的な欠陥を例としてー

小学校算数の新指導要領は古代エジプトの数学のレベルにも達しないお粗末な内容で ある。その問題点のいくつかを理科教育との関連も含めて記す。

1. 四則演算の取り扱いが不完全である。足し算は3桁の数まで、掛け算は3桁と1桁 及び2桁と2桁の場合しか学習しない。

 2桁と2桁の掛け算しか学習しないと、多くの生徒は、計算の仕組みを理解すること なく結果を暗記するだけとなる。これまでの研究で、3桁と3桁の掛け算をきちんと理 解できれば一般の場合の計算の仕組みが理解できることが知られている。もちろん、 むやみに計算練習をさせる必要はない。計算の合理的な教授法、勉強法は既に確立さ れていて、子ども達は無理なく計算の仕組みを理解することが可能である。このよう な研究成果を無視した内容である。

  自然科学や社会科学の言葉としての役割を持つ数学の基本は整数の四則演算にあ る。文字式の計算も整数の四則演算をもとに作られている。さらに、計算を自ら手で 行うことによって数値の把握能力が高められる。それは、自然科学や社会科学の多く で必要とされる数値的な把握を確実なものするために必要不可欠なものである。大学 や企業に勤める友人から、コンピュータの出した結果が理論的にあり得ない数値であ っても何の疑問を持たない若い人が増えていると言う話をよく聞く。これは小学校時 代の基礎訓練が、現在でも不足していることを物語っている。この数値を把握する能 力は電卓による計算によっては養成できないことを喚起する必要がある。

2. 分数、小数の取り扱いが不完全であり、数の概念を正しく把握することができな い。比の値は扱わない。小数の計算は小数点以下1位しか扱わない。したがって、た とえば5%の食塩水中に含まれる食塩の量が正しく計算できなくなる。

 分数の計算や小数の計算は難しい。分数では分割数としての役割と割合数としての 役割とがあり、それを数として把握するためには、一つ高い立場に立つ必要があるか らである。このように、意識されることはあまりないが、分数の学習は抽象的な思考 の訓練を含んでいる。そして、その基本は分数の計算である。新指導要領ではこうし た、分数の持つ大切な役割を忘れ、分数の足し算さえも真分数だけに限定しており、 仮分数や帯分数の計算は完全に消えてしまっている。これでは、分数のもつ意味や役 割が理解できないことになる。また、小数点以下1桁しか取り扱わないことは、3桁の 数のかけ算を取り扱わないことから来る制約である。円周率は3.14としながら実際の 計算では3としてしか取り扱えないのもそのためである。3.14のかわりに22/7を使う ことも考えられるが、仮分数のかけ算はいっさい扱わないから、これもできないこと になる。

3. 単位の取り扱いが不完全であり、単位の換算が取り扱われない。

 これも、3桁の数の掛け算を取り扱わないことからくる基本的な欠陥である。一番 詳しく扱われる長さの単位でさえ、kmに関しては軽く取り扱う程度である。たくさん の単位が飛び交う現在の科学技術文明では、生活していくためにも単位の換算はきわ めて重要である。

4. 一般の多角形の面積の取り扱いがなく、面積の概念を把握することがきわめて困 難である。体積の取り扱いが不十分であり、容積は全く取り扱われない。

 体積や容積をきちんと扱えないことは、理科教育がきちんと行えないことにもなる。  そして、極め付きは

5. 以上の欠陥は中学数学で補われることはない。

このように、算数・数学の新指導要領は数学的に見て欠陥があるだけでなく、理科教 育を全く無視して作られており、中学、高校の理科教育が基本的に機能しなくなる危 険性をもたらす。

経済大国日本の責務

 エネルギー消費大国である我が国は将来に大きなつけを残している。それは、単に 我が国の将来に対してだけでなく、世界全体に対する大きなつけである。アジアの熱 帯雨林の破壊の元凶は我が国である。大量の石油を消費し、大量のC02を排出し続け ているのも我が国である。原子力発電で生じた高濃度の放射性廃棄物は千年以上の厳 重な保管が必要とされている。平安時代の負の遺産を現在でも厳重に管理しなければ ならないとしたらどうであろうか。私たちは、現在の快適な生活を送るために、未来 の人たちに莫大な負の遺産を残そうとしている。21世紀を担う子供たちに、こうした 負の遺産を除去する科学技術を期待しなければならない。また、私たちの現在の生活 は、我が国の将来に影響を与えるだけでなく、これから地球上で生活する人たち全て に関わる問題でもある。私たちは、地球の将来に対して大きな責任を負っている。そ の責任の一環として、21世紀の主役である子ども達に、できうる限りの優れた教育と 教育環境を与える義務がある。我が国では、あと2兆円毎年教育に投資すれば、少人 数学級を実現して優れた教育環境を作ることが可能であるといわれている。世界で活 躍する人材の育成に寄与することは、公共事業で景気の建て直しを行うよりはるかに 大切で価値のあることではなかろうか。  

教育を市民の手に

1. 新指導要領の実施を中止しよう

 以上のように欠陥だらけの新指導要領を2002年から実施することを中止し、指導要 領について幅広い国民的議論を起こす必要がある。すでに述べたように、新指導要領 実施中止の署名運動がインターネット上で行われている。(http://www.naee2002.gr.jp/) 読者の方々の積極的な支援をお願いしたい。2002年より公立学校の週5日制 が実施される。そのための授業時間数の削減を含めた学習指導要領改訂であったが、 当面は現行の指導要領に準拠した授業を行い、不足する先生は定年退職された方々に 支援を要請するなどして対処することが可能である。

2. 指導要領にとらわれない教科書、参考書を作ろう

 教育を市民の手に取り戻すためにも、学習指導要領にとらわれない教科書作りを提 唱したい。各教科間の連絡を密にして、相互に学習できる教科書が必要である。たと えば、対数を数学で独立して取り扱うのではなく、化学で使うPHについて数学の教科 書で触れるべきであり、また、地震のマグニチュードも対数を利用した単位であるこ とを数学の教科書に記すべきである。また、化学や地学の教科書にも、逆に簡単でい いから対数の原理を記しておくべきである。こうした無駄に見える重複した記述が、 生徒たちの理解を確実にし、単位の持つ意味を把握することに大きく寄与する。こう した配慮こそ求められているのである。その際、大切なことは、大人も興味をもって 読める教科書であるともに、基礎基本に徹することである。今日の科学技術文明を全 て理解し尽くすことは不可能である。しかし、後に必要になったときに自分で勉強す ることのできる基礎を与える教科書であることが重要である。

 また、現代の高度に発達した科学技術を、科学者はもっと分かりやすい形で世の中 に伝えることを真剣に考える必要がある。とくに、小・中・高校の先生方が読んで授 業の参考になる本の出版、教科書の記述を拡げ学問の広がりが分かる形の解説の出版 が強く望まれる。これは、今すぐにでも実行することが可能である。本の形で出版す ることが難しい場合でも、電子的に資料を提供することはいつでも可能である。    子ども達に質の高い勉強のできる環境を整えることは私たちの義務である。文部省 に期待できない以上、私たちの手で実質的な教育改革を行う必要がある。我が国が生 き残ることができるために残された時間はわずかしかないが、叡智を出し合って問題 を解決していくことは可能であると思う。

                         うえの けんじ
                        京都大学理学研究科