北海道大学大学院理学研究科サイエンストピックス
 

自然数概念の多様性

辻下 徹

目次..数学的帰納法超準数学複雑系の科学確実性と不定性参考ペ−ジ
  
自然数概念の多様性を認める立場を紹介し、その意義を考えて見たいと思います。

数学的帰納法

最初に、数学的帰納法について考えてみましょう。

将棋倒しのアナロジー等で説明されて納得し、正当性に何か問題があると思う人は余りいないかも知れません。しかし、このアナロジーで登場し得る「自然数」は、回数として数えられタイプの数だけである、という点に少し焦点を当てて考えてみましょう。

数を表す強力な道具である十進法を使うと、10000000000000000000000のような大きな数を書くことができますが、これが回数を表すという考えには眩暈を起す人もいると思います。数学的帰納法がこの数と関係があるということには心情的な裏打ちはない、と言うこともできるでしょう。

数学的帰納法は、自然数概念の多様性を消し去ります。実際、自然数とは異なる数概念は存在しないことが次のように「証明」されます。M数と呼ばれる数概念があったとします。M数が数であるためには、最低の性質として、次の2点は、成り立たなければなりません。

1はM数である。
M数の次の数もM数である。

しかし、数学的帰納法を使うと、すべての数はM数であるという結論が出てしまいます。

逆に自然数の概念がただ一つしかないとすると、数学的帰納法が「証明」できます。つまり、数学的帰納法と数概念の唯一性とは「同じ主張」なのです。従って、数学的帰納法の使用に制限を加えれば、複数の自然数概念を持つ数学が出現することがわかります。


超準数学

その典型例が、超準数学(Nonstandard Mathematics)です。この数学には、普通の数と普通ではない数の二種類の数があり、普通ではない数は、有限と無限の両方の性質を持ちます。

数の通常の代数的演算(加減乗除)と法則(可換性・分配則等々)は、この数学でもなりたっています。さらに、1は普通の数であり、普通の数を加減乗除した結果も普通の数です。したがって、1,2,3,など、日常的に出会う数はすべて普通の数です。

しかし、この数学では厄介なことも生じます。通常の議論を安易に流用すると矛盾が生じてしまうのです。

例えば、こういう矛盾が生じます:いくつか数があると、その中には最小の数が必ずあります(最小数原理)。そうすると、最小の異常な数 w があることになります。しかし、w−1は普通の数で、1は普通の数ですから w=(w−1)+1も普通の数となり、wが普通の数ではなかったことに矛盾してしまいます。

とは言え心配には及びません。この矛盾は簡単に回避できます。例えば、内包性公理(どんな性質Pについても、Pを満たす数の全体は集合をなす)に制限を付け、異常な数全体は集合にはならない、とすることで回避できます。

以上のように「論理部分」に若干の修正を加えることにより、普通ではない数を備えた数学が誕生します。この数学では、有限の場合の初等的議論を無限の場合の精密な議論とすることが、しばしば簡単にできます。数概念の不定性を利用して数学的理論の論理的複雑性を軽減できることは、不定性の積極的意義の一つです。

なお、自然数概念は不定とする立場に立つとき、形式言語や「証明可能性」など、数理論理学の基礎概念も多様性を持つようになります。こうして、数学の形式化そのものが消し去ることができない不定性を持つことが持つことがわかります。


複雑系の科学

複雑系の科学の文脈でも、不定性は大きな意義を持ちます。

自然科学は、一見複雑な自然現象に対して、意外な情報圧縮の仕方を発見してきましたし、今後も発見し続けていくと思います。しかし、ヒトの大脳・免疫系のような、情報圧縮が可能とは思えないものが少なくありません。これらに対して、新たな理解の仕方を模索することが、今後の科学の主要な課題である、と考えるのは自然なことです。その考えが、複雑系研究の出発点となっているように思います。

この考えは、自然科学者全体で共有されているものではありません。簡約化不能な「複雑性」は科学の対象ではない、あるいは、簡約化不能と思われるものを簡約化することが科学研究の使命だ、という意見の方が多いようですが、この不一致は、どちらが正しいかと問うべきものではなく、研究戦略において研究者のタイプの違いが表れたもの、と考えるべきことではないかと思っています。

さて、複雑系研究者の中で、「内部観測」と呼ばれる問題意識の重要性が認識されるようになってきています。内部観測という言葉は誤解されやすいですが、「基盤の不定性」に関心を持つ問題意識であると言えるでしょう。これは数学とは調和しがたいように思われますが、数の不定性を認める立場からは、むしろ自然なものであると言うことができます。

数概念が不定になると、無限小数の位を表す数が不定となりますから実数・複素数・ベクトル空間・関数空間等々も不定になります。これらを基盤とする数学的枠組みを自然科学では使いますから、自然を数学的枠内に写すときに数学自身の不定性に由来する不定性が付け加わります。数式で具体的に書ける数学的なモデルにすら不定性が残っていることは、数学に、生命科学において技術的な役割を越えた活動への道を開くものと考えることができます。


むすび:確実性と不定性

最後になりますが、この時代に、数学の不定性を強調することには、一抹の不安があります。数学(に限らず理系の諸分野)では、まずデカルト的確実性を学ぶことが先決です。その確実性が自明になった上での「不定性」にしか意味がないのです。理系離れに象徴されるように、デカルト的確実性への無関心が社会を覆っている今、不定性を強調することは危険ではないか、と懸念されるのです。

しかし、より深く現実を見るとき、自然法則という基盤が、法則が内包する不定性を剥奪され、宿命や必然性として、人々の奥深く潜入し、希望を内部から切り崩していることの方が問題は深刻であると思われるのです。確実性と不定性とが不可分であることを、研究者自身が強く意識するようになることは、確実性と不定性とがバラバラに影響力を及ぼすことから生じている思想の混迷を正し、規律と自由との緊張あるバランスを回復する契機となるのではないか、という思いを抱いています。

(2001年1月30日)

関連する情報は不定性のペ−ジをご覧ください。