以下はラジオジャパンの英語番組(NHK World Radio Japan:2010.12.23)の紹介です。録音がNHKサイトに公開されていましたので是非直接お聞きください。
なお、同じ番組で12月22日にはサリームさんが小学校を訪問した様子が放送されました。
来日したサリームさんが何より望んだことは、2004年にイラクの武装グループの人質となり殺された当時24歳の香田証生さんの家族に会うことだった。香田さんの映像は全世界に流れイラクの人々にも衝撃を与えた。香田さんは、隣国のヨルダンのホテルに世界の人々に見せてほしいと言って、戦争で傷ついたイラクの子供達の写真14枚を残していった。
「香田さんは、子供達を救いたいという高貴な目的でイラクに入国されたと確信しています。私はご家族に会って、香田さんの思い出がイラクの人々の心に生き続けていることを伝えたかったのです。」
日本のメディアは、その時、香田さんが日本政府から退避勧告を無視して一人でイラクに入国したことを非難した。それ以来、香田家はメディアとの接触を一切謝絶してきたが、サリームさんの訪問については、面会を記録しないという条件付きで、合意した。
香田家が住む福岡県まで、東京から飛行機で約2時間。香田さんの両親はイラクからの初めての客を笑顔で迎え、穏やかに話し始めた。
「香田さんのお母さんは善意に溢れる方で、隣に座り子供の頃の香田さんの写真を見せてくれました。小学校での写真や家族で外出したときの写真もありました。香田さんが残していった、戦争で傷付いたイラクの子供達の写真も見せてくれました。イラクにはもっと悲惨な写真や動画がありますが、そのことは言いませんでした、優しいご家族の心の痛みを深めたくなかったのです。」
戦争で亡くなったイラクの人たちの数は少なくとも15万人多ければ50万人だという推計がある。犠牲者の中にはたくさんの子供たちもいる。香田さんの両親は最近のイラクの子供たちの状況について尋ねた。息子さんが亡くなられたあと、ご両親がイラクの子供たちを支援するNGOに加わられたことは今回の訪問で一番驚いたことだとサリームさんは言う。
「息子さんは亡くなられたが、息子さん自身が生前に言っておられた目的を、ご両親は諦めておられません。そのために息子さんがあのように高価な代償を支払ったにもかかわらず、です。このようなことを聞いたことがありません。」
懇談は3時間ほど続いた。その後、香田さんの両親と妹と友達はバス停までサリームさんを見送った。
「見送りにきた方々はバスが見えなくなるまで手を振り続けました。また会いたいという思いを伝えたいかのようでした。あの方々が希望と幸せを再び見出されることを私は祈りました。」
サリームさんの帰国後、ラジオジャパンに写真が届いた。香田さんの父親の手作りの竹トンボで遊ぶイラクの子供達の写真だった。イラクと日本の間のこの新しい友好関係を広げて行きたいとサリームさんは言っている。