==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
日本数学会 理事会 声明書 日本数学会 理事会 声明書

国立大学の「独立行政法人通則法」による法人化は
日本の研究・教育を改革するか?

日本数学会 理事長 松本 幸夫


声   明   書

国立大学の「独立行政法人通則法」による法人化は 日本の研究・教育を改革するか?

2000年2月1日 社団法人 日本数学会 理事長 松本 幸夫  現在国立大学の独立行政法人化が問題となっています.本会は,数学の研究推進を 主要な目的とする学会でありますが,今回の国立大学独立行政法人化問題が,日本の これからの学問研究にきわめて深い関わりを持ち,また多くの本会会員が国立大学に おいて数学の研究教育に携わっていることに鑑み,学会としての立場からこの問題に ついて以下の見解を表明します. 1.「独立行政法人通則法」による法人化は,「学問の自由」に抵触する  現在考えられている国立大学の独立行政法人化は,「独立行政法人通則法」による もので,その原点は行政改革,財政改革であり,研究教育自身の内在的理由に基づく 改革ではありません.  独立行政法人は,組織,運営,財政等について高い自律性を付与されると共に,運 営費交付金等により財政的な保証もされるなどの利点があると言われます.  しかし,それらの自律性・財政保証はあくまでも実施機関としてのそれであり,主 務大臣による中期目標の設定と,それに沿っての中期計画,中期目標期間の終了後に 業務についての評価,評価の結果によって事業の改廃も含んで次期中期目標の設定を 行うなどを担保としています.これらは自主的な研究と教育を主たる任務とする大学 の取るべきあり方ではなく,また憲法に保障されている学問の自由の原則とは相容れ ないものです.学問の自由の持つ基本的な重要性を考えれば,上記利点を取るにはあ まりにも高い代償を払うことになりかねないと危惧するものです. 2.中期目標による運営業務効率化は,大学の研究,特に基礎研究に相応しくない  独立行政法人は3〜5年の中期計画を前もって定め,それに従って運営されます. しかし大学における研究は,5年を単位とする中期という概念に合わないものが多 く,一方時代を画するような独創的研究で,確たる目標を前もって定めた結果生まれ たというものは殆ど皆無です.特に基礎的な研究,例えば数学の研究では,専門の中 でもその意義が明らかになるまでに年月を要するものが少なくなく,ましてやそれが 社会的にどのような具体的利益をもたらすかといった見通しはほとんど立たないこと が普通です.この結果数学・哲学といった基礎部門がともすれば軽視されるのではな いかと懸念されます。  さらに,中期目標において定められる「業務の効率化」が研究・教育と相容れない ことは明らかです.効率化とは「経済的効率化」に限らず,「本来の目的に照らし, より良い成果を挙げる」ことであるとも言われますが,5年程度では「より良い」か 否かの判定は難しく,しかも「独立行政法人通則法」による法人化において現在この 様な解釈は一般に確立していないと伝えられています.これは,独立行政法人の制度 設計が行財政改革を原点として考えられたものであることを考えれば,むしろ自然な ことです.効率性という物差しで計ることの出来ない,あるいは計るべきでない研究 と教育を,効率を旨とする独立行政法人の組織下におくことは適当ではありません. 5年毎にくるくる変わる中期目標による研究では真に奥深い成果が生まれないこと は,明らかです. 3.研究の自由を奪う独立行政法人化は,独創的研究への障害となる  現在日本の産業界・学術研究の場において最も必要なものは「独創性」であると言 われています.しかし独創的なアイデアが生まれるためには研究者が自らの研究への 自由を持つことが決定的に重要です.「学問の自由」の必然性の一つの根拠はここに あります.  なお日本人の研究に独創性がないとよく言われますが,これは俗説に過ぎません. 多くの分野で日本の研究は世界一流のレベルにあり,日本人による独創的なアイデア が学問の進歩に大きな役割を果たしています. 4.基礎科学の代表的分野としての数学研究は,上記の主張を裏付けている  数学は科学・科学技術の基本言語です.数学は(人文・社会科学も含む)他の科学 から豊かな発想を取り込み,モデル化と抽象化を行う普遍的な科学の言葉として発展 してきました.  他方,数学の多くの分野は自律的に発展し,それによって数学自身の内容を豊かに してきましたが,それらが単に数学の内部に留まるものでないことを幾多の例が教え てくれます.アインシュタインは一般相対性理論を記述する言葉としてリーマン幾何 学を使いましたが,リーマンが空間と距離についての深い考察を重ねたとき,物理学 の言葉を用意することを主眼としたわけではありません.しかし歴史は、数学の深い 研究が必ず物理等他の分野に著しい応用を持つことを示しています。  ただしこの応用が生まれるまでにはかなりの年月のかかるのが普通です。上記の例 では、リーマンの理論から半世紀以上の後にアインシュタインの理論が現れていま す。  また私達は,日本の数学が世界に冠たる実績を挙げてきたことを誇りとしていま す.高木の類体論,岡の多変数複素関数論、代数解析学(佐藤の超関数),代数幾何 学の森理論,伊藤の確率微分方程式等々,日本生まれの世界的数学理論は数多く存在 しています.これらの高峰が生まれるのに,日本の国立大学の自由な研究・教育環境 が大きく寄与したことは確かです. 5.我々は自主的な大学改革・教育改革を積極的に押し進める  現在日本の大学における研究あるいは教育システム全体が様々の深刻な問題を抱 え,組織・体制改革にまで至る根本的改革を必要としていることは事実です.しかし 現在進められようとしている国立大学の独立行政法人化がこれらの問題を解決し、さ らに日本の学問文化の発展を押し進める改革であるとは考えられません.  数学は,専門分野それ自身としての重要性だけでなく,科学・科学技術の発展に伴 い,ますますその言葉,道具としてのそれをも高めており,大学での数学教育はこれ に比例してより重要になっています.また初等中等教育においても算数・数学教育 は,単なる日常的な計算力だけでなく,論理的なものの考え方,システム的な思考法 の訓練を通して,物事の本質を見抜く思考力を養うことを基本的な目的としていま す.まやかしのレトリック,根拠の乏しい数値データなどに騙されない,高い知性を 育てるのに最適な科目の一つです.  同時に数学教育には,現在の教育が抱える諸問題が最も顕著な形で現れており,そ れに対する一日も早い適切な対策が求められています.数学教育に従事している私達 はこうした数学の重要性に由来する責任と任務を自覚し,現在学会,各大学それぞれ の場でこれらの問題に取り組んで,解決のため様々の活動を行っています.  その進展が不十分であるとの批判は甘んじて受けますが,少なくとも大学改革はこ うした現場での具体的努力を尊重し,これと両立するものでなければなりません. 6.政府・文部省は研究教育の根本を踏まえた長期的展望に立つ政策立案を  日本における数学の研究者,教育者を主な構成員とする日本数学会は,他の教育改 革,特に初等中等教育についても機会あるごとに意見を表明してきました.その中 で,実施されようとする幾多の「改革」が,教育以外のところから発想され,それを 糊塗しようとするために,結局は学力の低下をもたらし,逆に若者から思考力を奪う 危険があるとの警鐘を鳴らしてきました.「独立行政法人通則法」による国立大学の 法人化は,発想の原点とその手法においてこうした「改革」と同根であるように思わ れます.  本会は、政府文部省が周囲の圧力の下にではなく,研究と教育の本来あるべき姿を 見据え,21世紀に大学が果たすべき社会的役割を考える形で,大学改革政策の立案 を進めるよう要望します.