==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
Date: Thu, 10 Feb 2000 14:43:38 +0900 From: "蔵原清人" Reply-To: reform@ed.niigata-u.ac.jp Subject: 独立行政法人化=国営大学化 国立大学の独立行政法人化問題ではすでに様々な角度から批判がされています が、独立行政法人化は国営大学化であるといっていいのではと思います。これ では国(文部省)が、「直営」するということになるのではないでしょうか。 あるいはコンビニのようなフランチャイズシステムということでしょうか。 国立大学とは、National University ということでしょう。国の直営にする必 要はないのではないでしょうか。しかし日本では、国立=国の所有という観念 が強く(行政では、というべきでしょうが)、そのことが国が勝手に運営でき るかのような政策になり、大学としての独立性を無視するようになっていま す。たんなる政府や本省の出先機関のように考えているのです。 しかし、大学は教育研究機関であって、自治や学問の自由が保障されるという ことは、独立的に運営されなければならないことを示しているのです。しかも 「移管」ということが現に行われ、また論じられていることは、独立性を事実 として認めていることと考えます。「移管」が可能だということは、それまで の所轄省から離れても、運営可能だということですから。たとえば、文部省の 出張所を建設省に移すということが可能でしょうか。このようなものとは大学 は違うのです。 国立ということを現在の時点でどう考えるかは非常に大事だと考えます。その 際、高等教育全体に対して国の財政的支援が必要という見地にたって、その上 で、国立大学のあり方を考えてみてほしいと思います。これは私学の立場から も期待しています。 「自由」だけならば、独立行政法人になるより「民営化」、すなわち私立大学 になった方が、よっぽど保障されることでしょう。しかし、その場合、それに よって大学全体の運営がどうなるかをみておく必要があります。 まず、現在の土地・建物などは無償で譲渡されることになるのでしょうか。こ れが負債となったらとてもじゃないが大変です。土地などの切り売りが必要に なるでしょう。 それがクリアできたとして、現在の国立と私立を比べれば、教員あたりの学生 数が少ないことが次の問題です。授業料を私大程度にするとして(私大との競 争がありますからあまり高くすることはできないでしょう)、教員を減らさな ければ学生を増やすほかはありません。そのためには建物の増築が必要です が、それよりも地域的に学生定員を増やしたからといって学生が入学するかの 問題があります。これは多くのところで難しいでしょうから、結果的に選択で きるのは教員の削減ということになるでしょう。 次に問題となるのはどの学部が維持可能かということです。私大で少ないのは 理学部ではないでしょうか。医学部もそうです。病院があるから独立採算が可 能ともいえますが、立地によって大きく条件が異なるでしょう。少なくとも今 のような人員は維持できないのでは、と推測します。 しかし、一般論として、基礎研究ができなくなるということは、私学の立場と してはいただけません。なぜなら私学も基礎研究を続けているのですから。 いずれにせよ、私立大学化は国立大学全体を救う切り札にはならないのではな いかと思うのです。だとすれば、国立として、国の財政から支援を受け続け る、そしてあれこれと口を出させないための制度的な保障を実現して行くこと が必要になるでしょう。そのためには国立大学のはたしている役割、これから 果たしうる役割について、わかりやすく一般の人々につたえることが大切にな るでしょう。いわば公共性ですが、そのためには国がそのような公共的なもの をサポートする必要性や義務についてもっと主張すべきです。今の国の政策は そうした公共的なものをできるだけ減らし、「小さな政府」になることを目指 しているのですから。 それにつけても、この10年の大学改革は、たとえはよくないですが、かつて の中国の文革とにています。文部省の進める「文革」、失礼、大学改革は、産 学協同やインターンシップなどの推進が大きな柱ですが、さながら大学教員や 学生の「下放」運動です。大学教員や学生は企業の厳しい現実を、緊張感を知 らないというのです。役立たずのごくつぶしということです。TLOなどがい われ、大学が特許をとるべきだといいますが、そんなにネタが大学にあるので しょうか。大学の機能、役割はそのような点にあるのではないのではないで しょうか。 もう少しこうした「改革」をやってみると、大学にはなにもない(企業にとっ てのおいしい話は)ということになって、今度は大学廃止論がでてくるのでは ないでしょうか。これは冗談ですが、しかし、役に立つ大学は少なくていいと いうのはすでに文部省などの基本政策となっています。役に立たない大学は廃 止するとはいいませんが、競争に負けたときには、廃止も視野に入れるといっ ています。もう少し柔らかいいいかたでは、教養大学にするというのです。勉 強もできない大学生が多くなっているから、適当に大学の雰囲気にふれさせて 大学に行ったという自己満足感を持たせる、ということです。こうした見解 は、これほどラフな表現ではないですが、大学審の答申などにでていることで す。そしてユネスコの高等教育宣言などとは全く違った方向です。 中国の文革は、現在その後遺症で、大きな困難を抱えているといいます。 5,60代の教員、研究者が非常に少ないのです。日本でも今のような「大学 改革」を続けていると、同じようになっていくでしょう。北大の学生さんが書 いていることは事実だと思います。(手元に資料がないのですが、俺の目は節 穴だ! と題する連続論説です。) これでは産業界も困るのではないでしょうか。それとも、どこかの国の総理大 臣のように、今さえよければいくら借金しても後の人たちが後始末をしてくれ るのだから、好きなだけ使うという論で、今役に立つだけ大学を搾り取るとい うのでしょうか。これでは、大学は、文革以前に、江戸時代の農民のような立 場に置かれているということになります。 十分な議論のフォローもなく、乱暴な議論をしてしまいましたが、現在の率直 な感想です。多くの方のご批判をお願いします。 2月10日 蔵原清人(工学院大学)