==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
国立大学を行革の数合わせに利用するなど天下の愚策。 [he-forum 600] より転載

国立大学を行革の数合わせに利用するなど天下の愚策。
蓮實重彦(東京大学総長・国立大学協会会長)

『文藝春秋』2000年3月号より抜粋

国立大学独立行政法人化への反論
東京大学は「私立」でもいい

国立大学を行革の数合わせに利用するなど天下の愚策。 大学に国費を投じなければ21世紀の日本はない。 蓮實重彦(東京大学総長・国立大学協会会長) (前略) ―昨今の国立大学の独立行政法人化の動きについて伺います。昨年四月に 「(国立大学の独立行政法人化を)大学改革の一環として検討し、二〇〇三年度 までに結論を得る」という閣議決定がなされ、タイムリミットが設定されまし た。また当初反対していた文部省も、独立行政法人化やむなしとの立場に転換 しているようです。趨勢としては方向がまとまりつつあるように見えるのです が、国大協(国立大学協会)だけは反対の立場を貫いていますね。 蓮實 独立行政法人化の問題は、大学改革の論議とはまったく別に、行政改 革の流れの中で突如、国立大学も行政の一環だからというくくり方でその対象 に組み入れられてしまったものです。 平成九年、政府の行政改革会議や自民党の行政改革推進本部などで、省庁再 編を含め日本の行政をどう小さくしていくか、という検討がなされました。そ の中で省庁を政策立案と業務実施の部門に分け、業務実施部門のうちサービス 性の強いものを「独立行政法人」なる法人格を与えて切り離す、という方針が 打ち出されたのです。独立行政法人はイギリスの「エージェンシー」に範を求 めたもので、イギリスでは行政本体が抱えるまでもないが完全に民営化するの も難しい部分、例えば造幣局、旅券局、公文書館などが新たにエージェンシー の形で設立されました。以後十年余り、行政改革の柱として一定の評価を得て きたようですが、これは法人格を持っていません。 我が国でもこの発想が、行革論議の中でやや粗雑なかたちで「独立行政法人」 という名で浮上してきた。そのこと自体の是非はさておき、対象として社会保 険庁、特許庁、自動車の車検などとともに国立大学が俎上にのってきたのは、 決して長期展望に基づく教育政策の裏付けがあってのことではなく、単に行政 改革推進の数合わせに利用されたからに過ぎません。 政府は昨年、「今後十年間で国家公務員の数を二五パーセント削減」を決定 しましたが、それは行政サービス部門の独立行政法人化による人員の移動分も 含んでの数字だった。郵政公社化で減る分を除いた現在の国家公務員五十五万 人のうち、十二万五千人と二割以上を占める国立大学の教職員の存在が、公約 実現に向け数合わせに四苦八苦する人々の目には何やら甘い果実がぶら下がっ ているように映っていたというわけです。

通則法での法人化は論外

―しかし、独立行政法人は省庁本体から離れ、法人格をもつわけです。今の 行政のくびきで自由を発揮し得ない国立大学よりは独立性が高まり、それぞれ の個性をより出せるようになるのではありませんか。 蓮實 当初はそういった観測もありましたが、幻想に過ぎません。国立大学 にとっては現在よりはるかに不自由になることが予想されるのです。それは昨 年七月に公布された「独立行政法人通則法」を見ても明らかです。この法律は 国立大学、美術館、博物館、果ては青年の家まで、独立行政法人化の対象とな る公的機関に、十把ひとからげに適用させてしまおうというはなはだ乱暴なも のです。「通則法」を国立大学に当てはめることの問題点は、以下の三点が挙 げられます。 (1)学長の任免権を主務大臣、すなわち文部大臣がもつこと (2)文部大臣が三〜五年の期間ごとに大学が達成すべき中期目標を定め、その 達成の度合いによっては大学の改廃措置を取れること (3)中期目標の達成の度合いを、文部省のもとに置かれる評価委員会や総務省 が判断すること 一点目は、大学の自治の根幹に関わる問題です。昔ながらの大学の自治論は 私も大きらいですが、学長はこれまで通り、大学内部の意志によって決定され たほうが、経営的な視点から無理がなく効率的です。二点目については、大学 の教育、研究とは大学自らが企画立案して行っていくべきものだし、またそれ 以外の形があるはずもない。でもこの規定は、教育、研究の立案は行政がする から大学はそれを効率的に実施し、目標を達成せよと言っているのと同じです。 その滑稽さは明らかでしょう。それに大学は長期的視点をもって個性的な教育 と自由闊達な研究とを展開していく存在です。三年から五年という短いスパン で評価してはなりません。 そして三点目ですが、まず評価委員会がどんな人々によって構成されるのか、 官僚出身者なのか学識経験者なのか、まったく触れられていません。そしてど ういう人たちがなるにしろ、それぞれの学問領域が広範にわたり、かつ高度に 専門化している現在、彼らがすべての国立大学の業績を適切に評価することが できるとは、私には到底思えない。しかもその上に、総務省の審査があるので す。 ―文部省もさすがにこれが望ましい形とは考えていないようで、通則法の不 備は国立大学に対する個別法で穴埋めをしていく方針のようですが。 蓮實 個別法は通則法の大枠からはみ出すわけにはいきません。大学が確保 しなけれはならないのは自治であり、自立性です。それが通則法で否定されて いる以上、個別法は問題の解決にはならない。大学の特性に照らして通則法の 特例を定める、つまり特例法の形なら大いに検討の余地はありますが、おそら くそれは独立行政法人とは呼ばれないものになるでしょう。 そもそも、先に申し上げたように、今、東大をはじめとして日本の国立大学 は相当良くなってきているのです。研究面で国際的な競争力をつけ、諸外国か らの評価も高まってきている。その、勝っているチームに、なぜ独立行政法人 化という教育政策不在の方策で手を付けなければいけないのか、という無力感 があるのですよ。これではモラルの低下を招きかねません。 ―現在の通則法の下で国立大学を独立行政法人化してしまえ、という議論が 乱暴に過ぎるのはわかります。しかし未曾有の不景気の中で民間企業がリスト ラに血の出るような努力をしている今、国立大学だけが聖域として守られ、こ のまま親方日の丸がかえていいのか、国家公務員法の庇護の下でほとんど何も せずに給料を貰っている先生の存在は許されるのか、という疑問も当然出てく ると思うのですけれども。 蓮實 いや、日本の国立大学のほとんどは、すでに十年前から国際的な外部 評価を受け、厳しい自己点検もしていますから、「何もせずに給料を貰ってい る」教師などとても生きられる環境ではなくなっています。今回の行政改革で 聖域化されたのは、むしろ官庁で、事実文部省も科学技術庁と一緒になり、巨 大な組織として生きのびている。しかも、省に昇格する総務省がその上でにら みをきかせているのですから、国立大学の独立行政法人化は、官僚の一人勝ち に終わった行政改革から人目をそらす口実でしかないのです。 現通則法下での独立行政法人化には絶対反対、というのは一歩たりともゆず れない線であり、国大協の総意でもあるのですが、私個人としては現在の国立 大学の形にこだわるつもりはありません。行政の一環に組み込まれてしまって いるからうまくいかないことが国立大学にはたくさんある。教職員の身分にし ても、自分の経験を顧みるに国家公務員であることで守られたことも確かにあっ たが不自由のほうが多かった、という実感をもっています。原理として、大学 教師が国家公務員である理由はまったくないと思います。ただそれを変えると なると、現在公務員宿舎に入っている人の生活とか、年金はどうなるんだとか、 時間をかけて詰めなければならない細かい問題がたくさん出てきますが。 ―しかし国立大学に属し、国家公務員として教壇に立てることに自らのアイ デンティティを見出している人も少なからずいる気がします。そういう人たち の反発が出そうですね。 蓮實 うーん、少なくとも私の周囲にそんな人は見かけませんね。それにそ んなことに恍惚感を抱いているようでは、国際的な競争力ゼロでしょう。 個々の国立大学が独立した法人格をもつということにも、私はまったく反対 しません。もちろん独立行政法人とは呼ばれない形のものでなければなりませ んが。私は日本の大学をつまらなくしているものが三つあって、それは性別、 年齢、国籍だと思っています。教授は大多数が男性で、東大だと女子学生は約 二〇パーセントいるのですが女性教授は三パーセントにも満たない。それから 年齢。だいたいみな同じくらいの年齢で講師になり、助教授になり、教授にな り、六十歳で定年を迎えて辞める。いきおい教授の年齢が似通ってきます。そ して国籍。これほど外国人の教授が少ない大学は日本くらいのものでしょう。 もし、国立大学が行政からの独立性が高まる形で、ある種の法人格をもてば、 かなりの部分は解消できるはずです。六十歳定年に縛られる必要はなくなるだ ろうし、例えば諸外国で最先端の研究をしている超一流の学者を、相応の年俸 を用意して呼ぶことも可能でしょう。現在は外国人といえども国家公務員の給 与体系から外れた扱いはできないので、それが難しいのです。もちろん外国人 に限らず、教官の賃金も彼らの実績、あるいは属する大学自体の実績によって 多様化してくることは大いにあり得ると思います。それなくしては、教官の流 動性など起こり得ません。

国は大学に金を出せ

―独立した法人格をもつ、ということは当然財政基盤も国から独立したとこ ろに置かなければなりませんね。 蓮實 いや、それはまったく別の話です。今、日本は高等教育をあまりに安 上がりにやりすぎている。国はもっと高等教育に対しお金を使うべきです。G NPに占める割合は〇・七パーセントにすぎません。アメリカはGNP比で日 本の一・五倍、イギリスにいたっては二倍以上のお金をかけているのに、です。 これは、日本に戦後ずっと高等教育に対する場当たり的な行政だけがあって、 じゃあ将来高等教育をどうしていくのか、国がどれだけお金を出していくべき なのか、それが国力の向上にどれだけつながっているか、という理念が不在の まま今に至ったことの帰結だと思いますね。私が独立行政法人化をめぐる議論 に不信感を抱く理由のひとつも、ではその財政をどうするか、という問題が何 ら語られていないことにあります。 大学の数にしても、今、国立大学が九十九ありますが、これは少ない。ある いは六百近くある私立大学の優れたものに国家が充分な資金を導入して、国立 と同じような力を持たせるということも必要だと思います。 ―国立、私立を問わず国家が金を出していくべきだと。 蓮實 私学助成はどうも憲法違反らしいんですけれども。 ―一番明白な憲法違反らしいですね(笑) 蓮實 それは憲法が悪いんだから、改正すべきだとさえ言いたいところです が、東大総長の口からそんな言葉がもれると物議をかもしますから、口が裂け ても言わずにおきます(笑)。しかし国公私立を含めた新たな高等教育政策を 確立しない限り、日本の教育問題はまったく解決できないですね。私立学校振 興助成法という法律で私学援助していますけれども、今のようなばらまき型で はないやり方を考えなければいけない。 ―国からの財政補助なくして、国立大学が法人として一本立ちするのは本当 に無理なのですか。他はともかく、東大なら不動産をはじめとする資産を多く 抱えているし、それらの適切な運用をしていけば充分可能な気がしますが。実 際アメリカのハーバード、プリンストン、スタンフォードといった名門私立校 はそうしていると聞きます。 蓮實 まず、アメリカの私立大学には膨大な額の国費が投下されています。 例えばスタンフォードには毎年三億ドル以上出て、それが基礎科学を支えてい る。国から出るお金の多寡でいうなら、私はアメリカの私立大学は日本の国立 大学以上に国立大学だと思っています。次に、それらの大学が持っている資産 は数十億から百億ドル、日本とはスケールがまるで違います。その資産を専門 の委員たちによって組織されたチームが運営し、利益をあげているのです。 そしてアメリカの名門校は、授業料として年間三万ドル近く取っている。か たや日本の国立大学は五十万円以下。私は仮に東大が私立大学になると授業料 をいくらに設定すればやっていけるか試算したことがありますが、結果は三百 万円でした。この三百万円を、国の補助でどれくらい下げられるかという問題 だと思うのです。 ―もし国から私立大学に厚い補助金が出る仕組みができ、東大の授業料を五 十万円くらいまで下げられるとしたら、東大は私立大学になってもいいとお考 えですか。 蓮實 いや、国が大学に出すべきは「補助金」ではないのです。業績に応じ て分配される競争的な研究費が必要なのであり、その一部を運営費にあててよ いという条件や、税制を変えて、個人の寄付が容易になり、アメリカの大学並 みの資産が確保されるなら、私個人としてはそれに越したことはないと思って いますよ。 ―しかし先生、行政からの独立性が高まる形でなら国立大学が法人化される のはいい、私立大学でもいい、しかし国からはより手厚い財政支援が必要だ、 というのは、民間の人間には相当ムシのいい話に聞こえます。そもそも今回、 独立行政法人化という無体な話を突きつけられたのも、これまで国立大学が自 己改革を怠ってきたことに対するツケがまわってきたのだとは言えませんか。 例えば平成三年に、大学審議会による大学設置基準の大綱化(緩和)の提言があ りましたが、あの時などは国立大学が行政の先手を打って自己改革する大きな チャンスだったのではないですか。 蓮實 ハーバードが巨額の資金を国からもらい、しかも三百万円以上の授業 料を取っても、アメリカ国民は「ムシのいい話」とはいいませんよ。それは高 等教育は官民を問わず国家政策の問題だからなのです。残念ながら、アメリカ にはこれがあって日本にはない。教育政策がなく教育行政しかなかったことが 日本の不幸なのです。設置基準の大綱化も政策ではなく、行政の問題だったの です。しかし、東大は「何でもあり」の時代の到来とこれをうけとり、教養学 部の大改革を全学的に行い、さまざまな成果をあげてきたと思っています。例 えば大教室でのいわゆるマスプロ授業だけじゃなく、少人数のゼミでパーソナ ルな教育もしっかりやるとか、英語の授業にしても、英文学か英会話かといっ た対立の次元を超えた面白い授業を今はやっています。 ただ国立大学全体としては、大綱化でするべきは自由で個性的なカリキュラ ムを作ることだ、との認識のもと、諸悪の根源は一、二年次の一般教育課程、 という妙な受け取り方をしてしまった大学が多かった。そして一部の有力大学 が教養部を廃止したことを皮切りに、改革イコール一般教育課程の廃止、とい うムード一色に塗りつぶされてしまったのです。そのムード作りの背後には文 部省によるシグナルというか、示唆めいたものがあったのですが、大学側がそ れに対し突き詰めて考えることをせずに右へならえで行ってしまった。私はこ れは二度とあってはいけないことだと思いますが、もし独立行政法人化となっ たら、同じことが起こる危険性はあります。つまり企画立案者たる文部省の送 る効率化というシグナルに反応して、どんどん、どんどんそちらに突き進んで しまうというような。 (後略)