==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
岩波「科学」2000.1月号 p39--41

独立行政法人化に対応は可能か

丸山正樹(京都大学大学院理学研究科)


私は行政学,大学論の専門家ではなく,数学の 教官として理学部に属するものであるが,故あっ て“国立大学の独立行政法人化”という魔物にと りつかれて10カ月ほどが経つ.独立行政法人化 が避けられそうもない状勢にあることを考え,以 下で,少し現実的に私なりの考えを述べようと思 う.

最初に断っておかねばならないことは,国立大 学がその責任を自覚して任務を遂行し,納税者に 対する説明責任を果たしてきたとはとてもいえな いということである.国立大学が(欧米先進国に 比べて極端に少ないとはいえ)多額の国費を投入 されている限り,国民の批判に耳を傾け,透明性 の高い組織に転換していくよう,改革を進めなけ ればいけないことは,論を待たない.

現在の争点

大学の主たる任務は教育と研究であり,それは 人類,国民から受けた付託に応えるものであるか ら,時の政治情勢などに左右されるものであって はならない.この意味で大学が文部科学省から独 立して法人格をもつことは自然である.しかし, この法人格が‘独立行政法人通則法’(以下,通則 法)による独立行政法人であることには,問題が 多すぎる.

ここで確認しておかなければならないことは, 通則法と個別法との関係である.すでに藤田宙靖 氏の論文(ジュリスト,No.1156,109(1999))でも, (1)通則法は個別法の確固たる外枠を定めるもの であって,個別法は,その枠内で,通則法で詳細 に定めきれない事項について,各分野ごとに捕足 的に定めるに過ぎないもの,(2)通則法は,一応 の基準を定めるものであるに過ぎず、個別法では、 その分野の特殊性に鑑み,通則法に定められた内 容と異なる定めをすることもありうる,の二つの 解釈を挙げ,“仮に国立大学を独立行政法人化し ようとするのであるならば,それが通則法がおこ なっている制度設計が本来狙いとした領域とは異 なる領域である以上,(2)の道を採ることは不可 欠である”とし,さらに“仮にこの前提条件が充 たされないのであるとするならば,独立行政法人 という制度は,国立大学には,その性質上ふさわ しくない制度である”としている.

ところで,藤田氏が述べているように,通則法 には国立大学の法人化に馴染まない点が多々ある. しかし,これらは独立行政法人化することによる 利点に対する担保である.したがって,それらは 中央省庁等改革推進本部からみれば,“独立行政 法人の制度設計の根幹をなすものであり,いささ かも損なわれることがあってはならない”という ことになる.すなわち,上記の(1〉の立場しか取 れないということである.

文部省が1999年9月20日に出した‘国立大学 独立行政法人化の検討の方向’における検討の方 向は,国立大学の多くの教職員にしてみれば,す べての事項を“法令に規定する”ことが,国立大 学を独立行政法人化する際のぎりぎりの条件であ る.“(2)の道を採ることは不可欠である”とした 藤田氏の思いと同じであろう,この文部省の検討 の方向は,上に述べた中央省庁等改革推進本部の 視点とは相容れないものであり,個別法に規定す る道は非常に険しいといわざるをえない.

定員削滅という脅し

国立大学の独立行政法人化ということの原点に 行政改革,財政改革があることは自明であろう. このことの端的な表現が,国立大学に留まるのも よいが,10年で10%の定員削減は当然として, 場合によっては25%以上の定員削減もありうる, といわれることであろう.独立行政法人化すれば, この定員削減は免れるとされるが,通則法をみる 限り,独立行政法人化したところで,最初の5年 はともかく,それ以降に運営費交付金のうちの人 件費相当分の大幅削減がないという保障はまった くないといってよいであろう.

それにしても,当面の定員削減を振りかざして 決断を迫るという手法はいかがなものであろうか. 大学改革を迫るショック療法であるともいわれる が,国家百年の計といわれる教育と研究を考える には,あまりに乱暴な論であろう.最初に述べた ように,国立大学がいまのままであってよいとは 思わないが,行政改革会議の最終報告にある通り “独立行政法人化は,大学改革方策の一つの選択 肢となりうる可能性を有しているが,これについ ては,大学の自主性を尊重しつつ,研究・教育の 質的向上を図るという長期的な視野に立った検討 をおこなうべきである”を検討の出発点にすべき である.十分とはいえないまでも金の卵を産んで きた鶏を上手に育てて,もっと大きな金の卵を産 むように育てたらいかがだろうか.虐めて殺して は何にもならない.通則法をそのまま適用しての 国立大学の独立行政法人化は日本の文化と基礎科 学に壊滅的打撃を与えることになり,10〜20年 後には技術,産業の衰退が日本を襲うことは必然 であろう.

多元的評価システムの必要性

通則法の下で国立大学を法人化した場合の最大 の問題点は,財政に係わるものと,中期目標,中 期計画とそれに沿っての評価という考え方であろ う.通則法は中期目標で定めるべきものとして, (1)業務運営の効率化に関する事項,(2)国民に対 して提供するサービスその他の業務の質の向上に 関する事項,(3)財務内容の改善に関する事項, を掲げている.

大学における研究は,短期的な集中投資が有効 な先端技術開発,中期的目標に沿ったプロジェク ト研究,中期的な目標は立てられず漠然とした目 的,あるいは理念をもった長期的研究,およそ目 標というものはたてられない文化としての学問, 基礎科学分野についての研究など,研究に対する 考え方,埋念などが一律には捉えられない多様性 をもっている.上に挙げた中期目標が定めるべき 事項をそのまま大学の研究に適用した場合,大学 における研究の多様性を殺すことになり,大学で しかできない学術研究、例えば文化としての学問、 基礎科学分野の研究の相当部分が衰退することに ならないだろうか.通則法の枠からは,はみだす が,各大学が大学としての長期展望,長期方針と いったものを立て,文部科学省は中期目標を定め るとき,これらを尊重するとともに,各大学から の意見聴取をおこなうことを法令に規定すること は不可欠であろう.これは国立大学協会の第一常 置委員会の中間報告における柱の一つである.

また教育についての中期目標は,各大学の長期 展望を尊重するとともに,国の教育の基本政策に よる定量的なものに限るべきである.各大学の教 育の内容にまで立ち入ることは,各大学の自主性, 個性を殺すことになりかねず,高等教育の多様性 を目指すことにはならない.教育の内容について は,各大学の自己点検評価,大学評価機構による 中長期的な評価による事後チェックを基本としつ つ,種々の機関による固有の評価を導入して多様 な評価を保障するシステムを確立する必要があろ う.

大学の教育と研究についての評価にはとくに慎 重であらねばならない.独立行政法人が効率性と いうことを主眼においていることは上記の中期目 標の定めるべき事項をみるだけでも明らかである. この効率性が必ずしも経済的効率性でなく,大学 においては“学問の研究・教育という事業を効率 的におこなうことができる制度のあり方:はなに か”という間題として捉えるべきこととする藤田 氏の言を待つまでもなく,文部科学省内におかれ る評価委員会は,行政評価だけにとどめるべきで あろう.この評価委員会が,教育と研究について 中期目標期問という短期問の実績によって定量的 評価をおこなえば,それは費用対効果といった経 済的効率性の評価に傾くことになるであろう.し かも,それが資源配分,場合によっては事業の改 廃につながるだけに受け入れられるものではない. 研究と教育についての評価は設置が予定されてい る大学評価機構における評価を工夫するとともに, 各大学の自己点検評価と併せて公表することで評 価委員会の評価に代えることが考えられる.文部 省による検討事項にある“大学評価機構が独自に おこなう評価の結果を踏まえて、評価委員会が評 価をおこなう”のでは,危倶の念を抱かざるをえ ない.

以上,国立大学を通則法の下で独立行政法人化 するとして,“個別法では,その分野の特殊性に 鑑み,通則法に定められた内容と異なる定めをす ることもありうる”というはじめにあげた(2)の 立場をとるものして,中期目標と評価について少 なくともこれだけは担保すべきこととして考えら れることを述べた.しかし,私は本音として,国 立大学の活性化のための方策は,独立行政法人化 などではなく,大幅な規制綬和と次項で説明する ような財政的保障を大胆におこなうとともに,多 元的かつ多様な評価システムを工夫して,大学の 透明性を高めることにあると考えている.

社会的背景に即した財政基盤の整備を

わが国は高等教育への潤沢な投資を怠ってきた とされている.これは多額な基金を運用して安定 的な財務体質をもつべき私立大学のほとんどが, きわめて貧弱な基金しかもたず,財政的には学生 納付金,国庫助成金などに全面的に頼っている現 実に端的に現われている.アメリカの有力大学の 大部分が私立であり,高い実績を上げていること を踏まえ,日本の国立大学も民営化することによ って自由度と自律性を高め,社会的貢献の質を上 げることがいわれる.しかし,アメリカの有カ大 学がその運用益だけで経常経費を賄えるほどの資 産をもっていることに比して,日本の私立大学の 財政基盤の弱さが,たんに大学の努力不足だけで はなく,むしろわが国の文化,社会体制に起因す るものであることを考慮すると,民営化が教育と 研究に高い実績を誇ってきた国立大学を機能不全 に陥らせることになるといわざるをえない.

アメリカの大学は研究費の大部分を外部資金に 依っているが,第一に挙げられることは,個人, 団体が宗教団体,慈善団体,公共機関に寄付をす ることを義務と考える社会的背景がある.また, 外部資金の多くの部分は国庫がNSF(全米科学財 団),DOE(エネルギー省),NIH(国立保健機関), Air Force(空軍)などのいろいろな経路を通して 資金源となっている.このように成熟したアメリ カの資源配分システムの一部を切り取って,わが 国に導入することをよしとする議論が横行してい るが,独立行政法人化した大学の財政問題を考え るとき,資源配分のシステムが全体としてどのよ うに機能するか,税制も含めて国家財政の中でど のような位置を占めるべきかを検討しなければな らない.大学問題に限らずシステムの改革につい て議論をするとき,多くの場合に外国の事例が, しかも都合のよい一面だけを取って,引かれて, それを主張の論拠にする論がまかり通る.社会に おけるシステムは,その社会の歴史の中で育まれ, その文化的,社会的環境の中で機能しているもの である.そのような背景を無視して,一部だけを 切り取ってくれぱ,木に竹を接いだようなことに なるのは自明であろう.

上に述べたような少ない投資の割には,国立大 学の多くが世界的な学問的業績を挙げ,有能な人 材を育て,社会,文化に貢献してきたことは,事 情を知る人は誰しも認めるところであろう.国立 大学の教職員の必死の努力の賜である,といって しまえば,それまでであるが,日本のシステムの どこかに仕掛けがあるのではないか.理学者とし て思い当たることは,当たり校費制度による基盤 的経費の保障がうまく機能したことである.十分 とはとてもいえないが,研究を殺さないでよいぐ らいの資金が保障されている.何とか生き延びて, 研究が実り出せば,競争的経責による研究に転換 して,研究の花が開く.これが通常のパターンで あったのではないかと思う。

国立大学を独立行政法人化するならば,まず上 記の基盤的経費を保障した上で,GDP比で欧米 先進国なみに教育・研究費を増やし,その資金を 文部科学省から一元的に配分するのではなく,多 くの資源配分機関を確立して,多元的な資源配分 を考えるべきである.それは取りも直さず,評価 の多元化,多様化につながる.また,これらの資 源の配分先は国立大学に限る必要はまったくなく, 私立大学,あるいは種々の研究機関も,それぞれ の評価に応じて資源を獲得するシステムに育てて いけばよい.

(Masaki MARUYAMA 京都大学大学院理学研究科)