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キャッシュフロー経営こそ狂気だ 文芸春秋2000年3月号(p170−179)より抜粋

キャッシュフロー経営こそ狂気だ

グローバリズムを無抵抗に受け入れれば、本当に恐い「破滅のシナリオ」が待っている

金子 勝(法政大学教授)


1.国際会計標準と『ハーメルンの笛吹き』

『キャッシュフロー経営』と名づけた本が、サラリーマンの間ベストセラーになっている。 これらの本は、今年度の決算期(つまり2000年3月末)に導入される連結決算と キャッシュフロ−計算書を解説したものだ。

後で詳しく見るが、キャッシュフロー計算書を黒字にするには 雇用リストラが最も手っ取り早い。しかも、このキャッシュフロ −(現金収支)が株価を左右する重要な経営指標となる。実際、 アメリカでは、一九八○年代以来、ダウンサイジングと呼ぱれる 人員整理が恒常的に続いている。そして人員整理を発表すると、 株価が上昇する。日本でも、すでに同じ現象が始まっている。

端的に言おう。いまや日本では、自分て自分の首切りを促す本 を、サラリーマンたちが夢中になって読んでいるのだ。自分で自 分の首を絞めてゆく『キャッシュフロー経営』の本を、我れ先に と読みあさる姿は、どこか『ハーメルンの笛吹き』の伝説に似て いる。

『ハーメルンの笛吹き』の話は、誰でも小さい頃に一度は聞いた ことがあるはずだ。話のあらましは、こうである。ある日、まだ ら服を着た男がハーメルンの町にやって来て、いくらかの金を支 払えば、この町の鼠を残らず退治してみせると誘う。市民たちは この男と契約を結び、高額の報酬を支払うことを約束した。この まだら服を着た男は、笛を取り出して吹きならす。すると、周り に鼠が群がってくる。一匹残らず出てきたところで、笛吹き男は 河に入ってゆき、鼠もこの男の後をついてゆき全部死んでいっ た。ところが、市民たちは約束を破って、この男に高額の報酬を 支払おうとしなかった。男は、狩人の姿になって、再びこの町に 現われた。笛を吹き出すと、今度は、この町の子供たちが男につ いていって山に消えてしまう。そして足の悪い子供が一人だけ残 されたというものである。

この話は、いまの日本の状況にそっくりである。ちょうどグロ ーバリズムと同じように、ハーメルンの町という「共同体」の外 部から、笛吹き男が突然やってきて鼠を「退治」してやろうと持 ちかけるところから話は始まる。このグローバリズムを象徴する 笛吹き男を、日産のゴーン氏やアメリカの格付け会社に置き換え てもよい。もちろん、この笛吹き男が奏でる笛のメロディーは 「キャッシュフロー経営」だ。つぎに、町にいるたくさんの鼠た ちを、さしずめ企業「共同体」を害する過剰な労働力(過剰雇 用)だとしよう。鼠たちは、笛吹き男の吹く「キャッシュフロー 経営」のメロディーにつられて、自ら河に突っ込んでいって溺れ 死ぬというわけだ。

しかも、いったん取引を受け入れてしまったハーメルンの住民 たちが、後になって報酬を値切ろうとしても、笛吹き男は交渉を 受け付けない。グローバリズムも、いったん受け入れてしまえば 後に引き返すことはできないのだ。その結果、ハーメルンの町 は、将来の働き手である子供たちまで笛吹き男に連れ去られてし まう。つまりグローバリズムという笛を吹く男は、儲からなけれ ば、この町の将来世代までをも吸い尽くす。そして、足の悪い孤 独な予供だけが、この町=「共同体」に残されるというのが結末 である。もちろん、これは、少子高齢化が進む日本の福祉社会の 行き着く先を暗示している。

自らの行き先もわからずについていった鼠や子供たちのよう に、どんな社会ても、歴史的危機に襲われる時には、知らず知らず のうちに人々の日常に狂気が忍び込んでくる。そしてハーメルン の住民たちがそうてあったように、目先の利益に追われているう ちに、誰もが自分自身が何をしているのか気づかなくなってゆく。

すでに、こうした日常に潜む狂気の兆候が、いろいろなところ に現われ始めている。たとえば、住専への公的資金投人に際し て、杓6800億円であれほど大騒ぎしたのに、長銀の損失補填 のために約4兆5000憶円が投入されることが決まっても、 人々は何も言わなくなった。その長銀はリップウッド・ホール ディングスにわずか10憶円て売却される。日本一不良債権から 身軽な銀行が、二束三文で外資に買い取られるのだ。おそらく日 債銀にも、ほぼ同額の公的資金が投入されることになるだろう。

もちろん、熱病のように広がる雇用リストラも同じだ。この日 本社会では、雇用リストラが進めば進むほど、自殺者の人数も増 える。いまやその数は年間三万人を超えた。しかも恐ろしいこと に、失業率と自殺率のグラフはピッタリと符合している。つまり 失業率が増えると、それだけ自殺率も増加するのだ。しかし、ほ とんどの人々は、自殺者によるJR通勤線の停止にも慣れ、いつ のまにか「会社に遅れることしだけを心配するようになってい る。そして、リストラ自殺のせいで遅れ気味となった電車の中 で、サラリーマンたちは雇用リストラをすすめる『キャッシュフ ロー経営』の本に読み耽っている。人々の間で、確実にリスク感 覚の麻痺が進行している。改めて、その秘密を突き止めておかね ばならない。

2.「笛の音」に刻まれたアメリカニズム

「キャッシュフロー経営」という笛の音が、なぜ熱病にかかった ように人々を雇用リストラに駆り立てるのか。その秘密は、笛吹 き男が鳴らす「キャッシュフロー経営」というメロディーのバッ クに、常に「クローバルスタンダード」という名のアメリカニズ ムが刻まれている点にある。笛吹き男は、この島国の人々の弱点 を知り尽くしている。それは、外国とりわけアメリカのことなら 何でも「先進的」と受け止めてしまうという弱点だ。

だが、実際に「グローバルスタンダード」と名のつくものほど 怪しいものはない。一年先送りにされ2002年に実施される ペイオフ制度が典型的である。導入を推進する本人たちが、その 制度の運用実態さえ知らずに、これからはペイオフ制度によって 1000万円を超える預金は保証されなくなるので、全て「自己 責任」で金融機関を選ぶべきだと声高に叫んできたからだ。とこ ろが、そのうち、アメリカでも実際にペイオフが適用されるのは 小さな銀行の破綻のケースだけであり、多くは営業譲渡(P& A)方式であることがわかってきた。推進論者は、「実は営業譲渡 方式を目指していたのだ」と主張し始める。ところが、この営 業譲渡方式でも、預金者への優先弁済が義務づけられていること を推進論者は知らない。要するに、アメリカにおけるペイオフ制 度は、金融パニックを防ぐための制度として預金者保護の論理で 貫かれており、市場原理主義者が振りまくイデオロギッシュな 「自己責任」論とは正反対のものなのだ。

ここでは「グローバルスタンダード」が単にアメリカンスタン ダードにすぎないというだけではない。アメリカンスタンダード の意味そのものがすり替えられているのだ。もちろん他の多くの 国々では、ペイオフ制度など重視されていない。

「キャッシュフロー経営」も同じだ。それは、「グローバルスタ ンダード」の名の下に、日本的な企業経営方式を「解体」して、 毎年の現金収支を重視するアメリカ型の短期的経営方式を導入さ せる。実際に、キャッシュフロー計算書を重視して経営を行って ゆくと、短期的に現金収支を黒字にしなければならない。そのた めには、人件費や在庫をできるだけ少なくして、無駄な設備投資 を整理し、採算部門だけに重点化する必要性が出てくる。

それはキャッシュブロー計算書の構成要素から必然的に生ず る。キャッシュフロー表を概念的に簡略化して表わせば、

税引後営業利益十減価償却−設備投資−運転資本純増加額

となる。これを短期で常に黒字にしておく必要が生ずる。

まず図が示すように、第一項目の「税引後営業利益」を増やす には、人件費の削減つまり雇用リストラが最も手っ取り早い手段 だ。しかも連結キャッシュフロー計算書が実施されれば、系列企 業に出向させても、リストラとしては無意味になる。やがてアメ リカのように恒常的にダウンサイジングが続けられてゆくだろ う。すでに電機・自動車・銀行・証券などを中心にして、大幅な 雇用リストラが発表されている。事態は動き始めている。

他方、キャッシュフロー計算書にしたがえぱ、第三項目の「設 備投資」の抑制を強いられる。「過剰設備」の整理だけではない。 短期的に収益が上がることが見通せない設備投資は抑制される傾 向を生む。

こうして見ればわかるように、連結キャッシュフロー計算書に 基づいて、短期的現金収支を重視するアメリカ型経営が急速に持 ち込まれれぱ、雇用リストラと設備投資の抑制傾向がもたらされ る。いくら公共事業・公共投資を続けても、なかなか民間需要が 盛り上がらないのは当然であろう。明らかに国際会計標準(わけ てもキャッシュフロー計算書)の導入が、バブル破綻で苦しむ日 本の不況をさらに長引かせているのだ。

もちろん国際会計標準の導入は、雇用リストラや設備投資の抑 制ばかりではない。困際会計標準を入れてゆけぱ、そのままの形 で系列企業関係も推持することはできない。2001年3月期に は、企業の所有する金融商品(株式や証券など)に対して、取得 原価(簿価)主義に代わって時価会計主義が適用され、2002 年3月期には系列企業間の持ち合い株式にも適用されるからだ。 株式に関するかぎり「含み益」経営は維持できない。系列企業間 の持ち合い株は長期間所有されてきたために、この時価会計主義 が運用されると、「含み益」が一気に表に出てしまうからである。 そのために自己資本額は急激に膨張して、株式投資の指標の一つ となる自己資本利益率(利益十自己資本)を引き下げる。それが株 価下落の引き金になりかねない。日本の系列企業関係は真綿て首 をしめられてゆく。中小企業の経営環境は一層厳しくなるだろう。

実は、日産のリストラ計画は、国際会計標準の適用によるリス トラのあり方を典型的に示している。日産は、第一に、興銀との 間にあったメインバンク関係を解消して、持ち株を所有する子会 社を4つに限定し、完全に外資系会社になる。第二に、「過剰設 備」の廃棄として村山工場等の開鎖を決め、第三に、約2万1千 人の雇用リ導入を先取りしたリストラであると言ってよい。

3.2025年には憂鬱な未来が待っている

(略)

4.裸で冬の海に飛びこむな

では、どうすればよいのか。『ハーメルンの笛吹き』伝説が教 えているのほ、危機の時代には現実的に聞こえる「笛の音」が実 は非現実的で、非現実的と思われていたものが最も現実的だとい う逆説である。確かに、笛吹き男の呪縄から解き放たれることは 難しい。しかし、てきないことではない。笛の音に惑わされるこ となく、冷静に音色を聞き分け、したたかに行動することてある。

笛吹き男が言う「グローバルスタンダード」と呼ばれるものに ついては、まず疑ってかかることである。確かに、そこには受け 入れるべきものも含まれている。バブル経済の教訓を踏まえれ ば、企業会計の透明性を高めることが必要だからだ。子会社を使 った「含み益」経営をなくすには、連結決算や時価会計主義への 移行は行わなければならない。年金債務の開示義務も同じであ る。しかし、それに対応する、きちんとした制度改革を行いなが ら、自分のペースでそれを行うことが必要だ。準備運動もなく、 慌てて裸で冬の海に飛び込む必要などない。

一方、ただのアメリカンスタンダードにすぎないものまで、 「グローバルスタンダードしとして受け入れる必要は全くない。 「キャッシュフロー経営」がそれに当たる。前にも述べたように、 それはアメリカ型の短期経営を導入することてあり、恒常的な雇用 リストラと設備投資の抑制を生み、絶えざるデフレ圧力を作り 出す。やがて、日本の製造業を衰退に導いてゆくだろう。

それは、アメリカ金融業に都合のよい投資環境を作ってやるだ けのことである。日産のリストラがいい例だ。2万1000人も のリストラを発表したのに、まだ不足だと外資証券系アナリスト が「判断」して、日産の株価は思ったほど上昇しなかった。これ からも日本企業は外資から絶えずリストラ圧力を加え続けられる だろう。しかも彼らは逃げ足が速い。リストラを要求しておい て、儲からないと判断すれば見捨てる。自分で自分の首を絞める 「キャッシュフロー計算書」など入れる必要はない。これは、あ くまでも国際的ルールをめぐる争いなのである。安易な導入は禁 物だ。粘り強く正当化を主張することが必要なのである。

他方、麻酔薬を打って病気の原困を隠すこともいけない。介護 保険料凍桔のために投ずる一兆円が典型的である。間題を先送り にしてもツケがひどくなるだけのことだ。もちろん、麻酔薬が効 かなけれぱ大麻も吸い、コカインも打つというように、ただひた すら公共事業攻策を続けても決して出口は見えてこない。

明らかに、大規模公共事業の景気拡大効果は落ちている。大量 の不良債権を抱えるゼネコンは、単価を切下げたうえて、下請企業 に丸投げしてピンハネに努めているだけだからだ。下請け企業は 苦しくなるぱかりである。そればかりてはない。大規模な箱物 は、後に影大な借金と推持費を残す。すでに国と地方で借金は600 兆円に上っている。このような無理は絶対に続かない。

大胆に分権化して、中小企業が受注できる人々の二−ズにあっ た小さな公共事業に転換すべきだ。たとえば高齢者の二−ズが高 い特別養護老人ホームやデイケアセンターなどを、もっと作るこ とが必要である。それを、一定水準の質をもったサービスが提供 てきる民間企業にリースしてもよい。あるいは少子化で不要にな った学校や幼稚園を、高齢者向け施設に転換する方法もある。そ の補修工事は大企業以外でも十分に対応できるはずだ。

さらに必要な手術も、はっきりしている。社会保降制度と改府 体系を大胆に改革するしかない。前にも述べたように、年金債務 の開示義務を含めて国際会計標準を実施しながら、激しい雇用り ストラを続けてゆけば、2025年まで日本の社会保証制度がも つはずはないからてある。

すでに神野直彦氏との共編著『「福祉改府」ヘの提言』(岩波書 店)で、そのヴィジョンは提出した。まず第一に、年金制度を、 現行の保険料から拠出税(社会保障税)方式に転換して一元化し なければならない。第二に、一人一保険証体制と実現する必要が ある。たとえ短期雇用者であっても雇用保険への加入を義務づけ る一方、短期雇用者を雇う雇月主に対しては保険料を高くして雇 用保険へのただ乗りをふせぐ。医療保険制度も公的扶助受給者・ 専業主婦・児童も含めて、全ての個人が被保倹者となる一人一保 倹証体制にしなければならない(もちろん低所得者や無収入者は 公的負担でカバーする必要があるが)。そして第三に、税源移譲を 含めた大胆な地方分権化を実現しなけれぱならない。このままで は、確実に介護保険制度は機能不全に陥るからである。地方税の 充実が必要だ。

だが、現在の日本では「グローバルスタンダード」に名を借り た市場原理主義が一人歩きをしている。たとえば、今年度の『経 済白書』は、約1200兆円あると言われる個人の貯蓄をリスク マネーして、ベンチャー市場を育てるのだと主張する。銀行に膨 大な公的資金を投入する一方で、高齢者には超低金利を強いてい る状況の下では、『経済白書』の主張には何の説得力もない。そ もそも金融市場がひどく不安定になっているのに、個人の「自己 責任」だけで金融機関を選ぶことなど実際にはできるはずがな い。人間は、それほど強くはない。問題の立て方が逆なのだ。む しろ一人ひとりでは負えないリスクを、社会全体でシェアする (分かち合う)仕組みを早急に立て直さなければならない。つま り一人ひとりの人間の弱さを立脚点にしたセーフティネットの再 建こそが求められているのだ。

最後に、もう一度『ハーメルンの笛吹き』伝説に戻って本稿を 閉じよう。実は、この物語には二つの結末がある。一つはロバー ト・ブラウニングの詩になったものだ。この中でほ、最後に足の 悪い子供だけが一人だけ取り残され、笛吹き男が言った「すばらしい 不思議な国」に皆と一緒に行けなかったことを寂しがり嘆く。そ して約束は守らなければならない、つまり(今日風に言えば)国 際公約は守らなければならないという教訓で終わる。

しかし、この結末はもとの伝説とは違っている。童話のもとに なったグリムの『ドイツ伝説集』の結末ては、童話の語り部とさ れた足の不自由な子供一人だけではなく、盲目や,聾唖の子供、ある いはシャッを着替えに戻った子供たちが取り残されたとされてい る(阿部謹也『ハーメルンの管吹き男』ちくま文庫)。実は、笛吹 き男についていった元気な子供たちは、ついに帰らぬ人となった が、ついてゆけなかった弱い子供たちだけが生き残ったのであ る。つまり取り残された弱い者だけが真実を見ることができた が、ご元気て無邪気な子供たちには真実は何も見えなくなっていた のである。話の結末は、まったく逆なのだ。ブラウニングの詩の 方は、14世紀に入って作り変えられた話に基づいており、我々 はこの作り話の方を小さい頃からずっと聞かされてきたのであ る。笛吹き男の呪縛は、今も続いているのだ。

冷静に立ち止まってみよう。もとの伝説が暗示しているのは、 グローバリズムという笛の音につられて、行き先もわからずに笛 吹き男について行く無邪気な子供たちではなく、雇用リストラや 年金・介護などの社会保降制度の同様に脅える弱い人々が抱えて いる気持ちから出発することが大切なのだということである。そ して最後に、我々はつぎのことに気づかされる。それは、町の全 ての元気な子供たちは連れ去られたにもかかわらず、弱い子供た ちから再出発したハーメルンの町は決して減びなかったという事 実だ。そこにこそ、この物語の本当の「逆説」がある。