==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
大阪大学の設置形態に関する見解 [he-forum 699] より転載

大阪大学の設置形態に関する見解


              平成12年3月13日

  大阪大学の設置形態に関する見解
                                      
                              
         大阪大学の設置形態に関する検討委員会
 
 大阪大学においては、平成11年9月、大阪大学の設置形態について総合的な検討を
行うため、部局長から成る「大阪大学の設置形態に関する検討委員会」(以下、本検
討委員会)が設置された。続いて、本検討委員会の下に、同問題に係る専門的事項に
ついて調査分析するための専門委員会が設置された。以来、本検討委員会においても
専門委員会においても、大阪大学の設置形態に関し真剣な討議・検討が行われてき
た。

 本検討委員会は、この3月から4月にかけて国立大学の独立行政法人化問題について
文部省が更なる提案を行うと予想されるのにかんがみ、専門委員会による調査分析結
果を参考にしつつ、大阪大学の現時点での立場を示す見解表明書を作成することに決
めた。これが、その最初のものである。これを本学構成員(教職員及び学生)に提示す
ることにより、広く大学全体の意見を取り入れ、さらに見解表明書の修正という作業
を継続的に行おうと考えている。このようにして、この変革期において大阪大学が歴
史に照らして誤りなき選択を行うことを期するものである。

 もとより独立行政法人化問題の行方は、ひとり大阪大学あるいは国立大学協会に
よって決められるものではなく、文部省や政府・与党の行政改革関係部署ひいては世
論などに大きく依存する。そして、最終決着は、こうした多様な当事者間の力関係に
よるところが大きいと考えられる。しかしながら、最終的にどのような決着を見るに
せよ、その時々において、大学人及び大学当局が自己の良心に従い、その立場を明確
に表明しておくことは歴史に対する責任であると、本検討委員会は考える。

 本検討委員会は、何にもまして、大阪大学を含む国立大学が広汎な改革を、自主的
に、かつ、できるだけ速やかに行うべきであると考える。従って、本検討委員会は、
その基本的立場として、国立大学の独立行政法人化が我々の考える大学改革の方向に
合致しているならば、積極的に独立行政法人化を推進すべきであるし、逆にそうでな
いならば、独立行政法人化に反対、ないしはそれに批判を加えることにより、できる
かぎり我々の意図する大学改革の方向に持っていくよう務めるべきであると考える。

 本検討委員会は上述のような立場から、その時点時点において、憶測をまじえるこ
となく、明白な事実のみに基づき、大阪大学にとって最善の対応策を提言しようとす
るものである。現在、国立大学の独立行政法人化を考えるに当たって考慮しなければ
ならない事実は次ぎの2点である。第1は、平成11年7月16日に独立行政法人通則法(以
下、通則法)
が公布されたことである。第2は、平成11年9月20日、文部大臣が国立大学を独立行政
法人化する場合の措置を検討すると述べ、それに引き続き同高等教育局長が「検討の
方向」を説明したことである。今回の見解表明書は、この2つの事実に基づいて作成
した。もちろん、文部省が更なる提言を行い、また通則法のほかに特例法等の内容が
明確になるにつれ、必要な修正を加えていくつもりである。その際も、我々は現在の
見解表明書を作成した精神を守っていく所存である。

 先にも述べたとおり、
国立大学の独立行政法人化を考えるに当たって、文部省からは上述の「検討の方向」
以上の詳しい説明はなされておらず、現時点で明確な資料は通則法のみである。結論
からいえば、本検討委員会は、通則法の下での国立大学の独立行政法人化には極めて
問題が多いと考える。本見解表明書の課題の第1は、国立大学の使命と大学改革の方
向に照らして、通則法の下で国立大学が独立行政法人化された場合、どのような問題
があるか、第2は、個別法なり特別措置によって、そうした問題点をどのように修正
すべきか、この2点である。そのために、まず、我々の考える国立大学の使命及び大
学改革の方向について論じておかなければならない。
 
 
A. 国立大学の使命および大学改革の方向
 
 大学はいうまでもなく高等教育の府であり、学術研究の府である。そこでの教育研
究の成果は人類一般に還元されるべきものであり、ひとり直接教育を受けた個人や研
究者、あるいは一企業ないしは一地域のみの利益に供されるものであってはならな
い。さらに、大学における教育研究は、現存の人類の福利の増進に寄与すべきである
だけでなく、将来世代に対しても責任を負うものである。従って、大学には公共性と
ともに先見性が要求される。その結果、時には社会、とりわけ時の政府との間に一定
の距離を保つことが必要であり、そのことは戦前、戦中、戦後の日本の歴史を見ると
き歴然としている。

 日本の歴史における国立大学を私立大学と比べてみよう。多くの私立大学は、もと
もと創立者や篤志家たちの無私な寄付によって創設・運営されたものであった。(現
在もアメリカの有名私立大学の財政的基盤はここにある。)しかしながら、組織が大
きくなるにつれ、篤志家の自発的寄付だけでは経営が難しくなり、組織として収益活
動を行わざるを得なくなった。これに対して、国立大学は国家によって財政基盤を支
えられていた分、経営努力において遅れを取った反面、学問の自由と大学の自治を主
張しやすい立場にあった。そうした環境の中で、日本の国立大学は、時の政府の政策
に対して学問的な立場から毅然とした態度で異議をとなえ、また政府もそれをある程
度受け入れてきたという歴史的経緯がある。こうしたところに、国立大学の存在意義
があるといえよう。

 さらに、今後、日本が国際社会で生きていくためには独創的な研究を一層推し進め
ていかなければならない。そのなかには、たとえば地球環境問題のように多様な分野
にまたがる総合的な研究プロジェクトもあるであろう。こうしたプロジェクトにおい
ては、広い分野にわたる多くの優秀な研究者を抱えている国立大学が強みを持ってい
る。また、研究分野によっては、その成果がいつ現れるのか、果たして何らかの成果
が得られるのかどうかさえ判然としないものもある。こうした研究は、市場の原理か
らある程度自由である国立大学において、はじめて可能であるといえよう。今後、ま
すます激化する国際競争の中で、こうした研究分野でリ−ダーシップを発揮すること
が、日本の国際貢献の重要な核であることを考えれば、日本全体の立場から見て、国
立大学の持つ強みを是非とも確保しておかなければならない。

 一方、戦後、大学制度が改革されて以来半世紀経った現在、国立大学が種々の問題
を抱えていることも間違いない。そのいくつかを挙げるならば、まず組織の巨大化に
伴い硬直性を来しているところがあるし、また、ある時代には先進的であった学部自
治の原則のため、大学全体の意思決定並びにその執行に時間を取り過ぎ、社会の早い
変化に追いつかない場合がある。また、国の会計原則に縛られていることもあって、
予算の執行において合理性や機動性に欠ける。さらに、多くの国立大学において、研
究に比べて教育に対する意識が十分でなかったといえよう。大学は教官だけでなく、
学生によっても支えられていることに、もう一度、思いを致すべきである。このよう
な反省に立って、これまで自己点検が行われ、それに基づく改革が行われてきたが、
その改革は緒についたばかりである。こうしたことを考えると、国立大学に対してな
されている批判の多くが的を射ていることについて我々は深く反省しなければならな
い。

 このように問題は多々あるものの、大阪大学について考えれば、昭和6年に開学し
て以来70年の歴史の中で、大阪という地域に根ざしつつ、ひたすら教育研究に邁進し
てきた。そうしたなかで、理論を究めながら応用をおろそかにしない学風と自由闊達
な気風を培ってきたことは、我々の誇るべき伝統である。また、大阪大学の教育研究
水準の高いことは、社会の各層で活躍している卒業生によって、あるいは学内の層の
厚い教育研究者群によって証明されている。このような伝統に基づいた、一つの文化
ともいえる大阪大学の存在が、経済的効率に偏った改革によって失われてならないこ
とは当然である。過去の大阪大学人が深め広げようと努力した教育研究の伝統と、そ
れにより蓄積された知的資産を、正当な評価を経たのち次世代に継承し発展させてい
くこと、及び、今次の大学改革をその方向で考えること、これが現在の大阪大学人の
責務であろう。大阪大学の設置形態を検討するに当り、大阪大学の全構成員は、ま
ず、このことに心しなければならない。
 
 
B. 通則法の下での独立行政法人化について
 
 今回、国立大学の独立行政法人化問題が出てきた直接の契機は行財政改革である。
従って、そうした改革が果たして学問の自由と大学の自治の保障をより確実にし、学
問の成果を実り豊かにするものであるかを十分かつ慎重に検討すべきものである。と
くに、通則法の下における独立行政法人としての国立大学の制度については留意すべ
き問題点が多く、その具体的実施を急いではならない。

 
(1)中期目標及び中期計画について
 通則法29条及び30条には、主務大臣が独立行政法人、すなわち本論の場合は国立大
学の業務運営に関する目標を定め、これを国立大学に指示し、国立大学はその指示に
従い中期計画を作成し、主務大臣の認可を受けなければならないとある。

 これに対して、大学は憲法23条が保障する「学問の自由」の享有主体である。これ
は大学が学術の中心として深く専門の学芸を教授研究する学問の府であることによる
(学校教育法52条)。学問の自由には研究の自由とともに、その結果の発表の自由、
教授の自由も含まれる。さらに、これらの自由を担保するために人事、財源配分につ
いても相応の自治権が認められている。このことから、文部省設置法には、文部省が
大学に指導と助言を与えるに当たって、行政上及び運営上の監督を行わないものとし
ている。(文部省設置法6条)

 以上を勘案すると、通則法29条及び30条における「業務運営」に関して、主務大臣
が、国立大学における教育研究に関することに、立ち入って指示し認可を与えること
は、日本国憲法23条と文部省設置法6条に抵触する可能性があると考えられる。

 従って、中期目標の指示と中期計画の認可事項から、教育研究に関する事項を除外
して、行政的・財務的事項に限定すべきであろう。また、法律問題を別にしても、学
問が内発的かつ多様なものであることを考えれば、事前に目標を設定したり計画を立
てたりすることになじまない学問分野が多く存在することも承知しておくべきであろ
う。

 これらの点について、「検討の方向」では「大学の教育研究の自主性・自立性を担
保するため特例措置を検討する」としているが、具体的にどのような形で担保しよう
としているのか言及していない。

 
(2)学長の任免について
 通則法14条及び20条には主務大臣が法人の長(すなわち、国立大学の場合は学長)
を任命するとあり、さらに23条には主務大臣が法人の長を解任し得るとある。学長の
任免については、昭和23年の大学法試案要綱のときも昭和37年の大学管理制度法案の
ときも一大争点であり、学問の自由及び大学の自治の観点から、大学人が挙って反対
し一歩も譲らなかったところである。状況は今も変わっておらず、主務大臣による学
長の任免は大学人として到底受け入れられない。この点を慮って、「検討の方向」で
は「学長人事における大学の自主性・自立性を担保するため、学長の任免は、大学か
らの申し出に基づき、文部科学大臣が行うこととし、そのための特例措置を法令に規
定する」とある。その特例措置の実現を見守りたい。

 
(3)評価について
 通則法32条には各事業年度毎に、さらに同34条には中期目標の期間における業務の
実績について、独立行政法人は評価委員会の評価を受けなければならないとある。さ
らに、29条には主務大臣が中期目標を定めるに当たり、30条には中期計画を認可する
に当たり、評価委員会の意見を聴かなければならないとある。そして、同35条には、
評価の結果如何では、組織の改廃もあり得るとあり、評価が個別大学の組織としての
死命を制することもできる。このように、もし、その評価の対象に教育研究が含まれ
るのであるならば、評価のあり方こそが日本の教育研究の方向と水準を決定すること
になるであろう。それほど、評価の問題は日本の高等教育の行く末に重大な意味合い
を持っている。

 一方、同2条に独立行政法人は「・・・効率的かつ効果的に行わせることを目的と
して・・・設立される・・・」とあることを想起されたい。もし、上に述べたよう
に、評価の対象に教育研究が含まれるのであるならば、教育研究が効率の観点から評
価されることになる。教育研究における効率とは、一体何であろうか。

 国立大学は公的機関として、現在及び将来にわたる学問の進歩、あるいは人類全体
の福利の向上に資することを目的としている。従って、そうした目的を十全に果たす
ことこそが効率化であると考えるべきである。とりわけ、教育研究においてはその成
果が広汎に及ぶべきものであり、かつ、その実現には時間がかかる。それと同時に、
学問研究には、芸術と同じく、その評価の根本を客観的基準に置くことが困難な分野
もある。こうした教育研究評価の本源的困難さの故に、ただ論文の本数であるとか、
指導した学生の学位取得数などの分かりやすい数量評価に力点を置くならば、本質を
見失うことになりかねない。

 国立大学が現状のまま残るにせよ、あるいは独立行政法人化されるにせよ、その経
済基盤を公的資金に依存する以上は、厳しい自己評価を行うとともに、外部評価を受
け、それを公表すべきであろう。そして、外部評価が大学内部からの改革を誘発する
ようなものであれば、我々はむしろこの機会を捉え、進んで外部評価を受けるべきで
あろう。そうした積み重ねの中から、教育研究の特性と日本の実情に見合った評価方
法を編み出していくことが肝要である。しかし、議論がそのような方向に向かってい
るかは疑わしい。踏み込んでいえば、画一的で定量的な評価は極力避けるべきである
し、評価結果を資源配分と直接的に関連づけることには慎重であるべきである。さら
に、たとえ、公的機関が評価と資源配分を結び付けてきたとしても、大学内部の配分
は大学独自の判断で行うべきである。研究評価においては、同じ分野の研究者による
評価、いわゆるピアレビューに徹すべきことはいうまでもない。自主的な評価方法を
どう育てるかという視点を欠いた外部評価が、教育研究の真の効率化につながるとは
考えられない。

 評価については、「検討の方向」では、「大学の教育研究の自主性・自立性を担保
するため、評価委員会は、教育研究に係る事項については、『大学評価・学位授与機
構』(仮称)の専門的な判断を踏まえて主務大臣に意見を表明することとし、そのた
めの特例措置について検討する」とし、さらに「大学の教育研究が非定量的な性格を
有し、また、経済的な効率性に必ずしも馴染まない点を考慮する」あるいは「教育研
究に相応しい評価基準、評価方法について検討する」としている。一方、2月21日に
大学評価機関(仮称)創設準備委員会から大学評価機関の創設についての報告が発表
され、今後、評価問題が大いに議論されるものと思われる。我々としては、真に教育
研究に相応しい評価基準、評価方法の実現に努めるべきであろう。

 
C. 全般的留意事項
 
(1)あるべき設置形態
 以上見てきた通り、独立行政法人通則法の下での国立大学の独立行政法人化には問
題が多い。その中でも大きい問題点として、
 (a)主務大臣による中期目標の指示と中期計画の認可
 (b)主務大臣による学長の任免
 (c)教育研究に対する評価
の3点をあげた。
 それでは、こうした問題を解決するために如何なる設置形態が、国立大学に適合す
るであろうか。一般的には、
 (a)現状のままの国立大学 
 (b)上のような問題の解決を含むような独立行政法人特例法の制定
 (c)独立行政法人とは発想を異にする大学法人の制定
の3つの形態が考えられる。これに対しては、3月から4月にかけての文部省提案を見
ながら、検討を進めることにしたい。
 
(2)将来の保障問題
 今回の国立大学の独立行政法人化問題が、国立大学が如何にあるべきかという議論
なしに、ただ行財政改革との関連で突如出てきたことは極めて不幸なことである。さ
らに、具体的には、国立大学が独立行政法人になれば、公務員の定員削減の枠から外
れるということで、独立行政法人やむなしの趨勢に立ち至ったといえる。しかし、独
立行政法人になったとして、そうした保障がどこまで確実であるかについては、議論
の余地が大きい。すなわち、

 第1に、当面は、確かに定員削減の枠から外れても、将来にわたってそうであると
いう保障はない。数年後に、独立行政法人化された国立大学に定員削減が適用される
ことは大いに考えられる。

 第2に、日本の学術研究及び高等教育全体に対する公財政支出が先進諸外国に比べ
て低いことはよく知られたところである。これを先進諸外国並みに引き上げること
は、国立大学の設置形態にかかわらず必要である。しかしながら、上の定員問題と同
じように、行財政改革の進行状況如何では、引き上げどころか削減の可能性さえも考
えられる。

 設置形態の如何にかかわらず、こうした事態を避けるための何らかの歯止めを工夫
しておくことが必要であると考える。
 
 以上、現時点で明確な事実のみに基づいて大阪大学の設置形態を考えてきた。結論
は、独立行政法人通則法の下での国立大学の独立行政法人化には極めて問題が多いと
考える。従って、我々は独立行政法人を既定のものと捉えることなく、純粋に学問的
かつ教育的見地から、国立大学の設置形態に検討を加えていかなければならない。そ
して、文部省や政府・与党の行政改革関係部署の今後の動きを注意深く見守りなが
ら、それに賢明に対応しつつ、大阪大学をして理想の大学にすべく格段の努力を払う
べきである。それこそが、この変革期における大学人の歴史的使命であろう。