==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
[he-forum 802]より転載
国立大学の独立行政法人化について
富山大学人文学部
大学制度の改革は、わが国の学術研究及び高等教育の今後のあるべき姿につ
いての明確なヴィジョンと、制度改革がわが国の学術研究と高等教育に及ぼす
影響についての十分な見通しとを持って行うべきである。その際、大学がこれ
まで行ってきた教育研究の特性とその社会的意義・使命についての的確な理解
が不可欠の要件をなすことは言うまでもない。この点、『独立行政法人通則法』
(以下『通則法』と言う)に基づく独立行政法人制度には大きな問題があり、
大幅な修正を加えない限り、国立大学への適用は差し控えるべきだと言わざる
をえない。
独立行政法人制度はもともと行政機構のスリム化、業務運営の効率化という
行財政改革の一環として構想されたものであり、実施機能を担う部門を外部化
することによって行政機構をスリム化し、併せてその部門に組織運営上の自主
性・自律性を附与することによってその弾力的な運営を可能にし、これによっ
て業務運営の効率性を高めようという意図のもとに設計されている。このよう
に、独立行政法人制度の目的は、『通則法』第2条第1項に明記されているよ
うに、業務運営の効率化にあり、しかも「効率化」の名のもとに、基本的に経
営の効率化が目指されている。しかし、この意味での効率化を教育や、一般に
文化に求めることがいかに危険であるかは言うまでもない。確かに、大学にお
ける教育研究についても、その成果を数値化できる場合には経営効率を算出し、
これの改善を図ることができる。しかし教育成果の多く、研究の中でも基礎研
究の成果の多くは、こういう仕方で数値化できるものではないし、こういう数
値化できない成果の方が大学における教育研究の成果としては遙かに大切であ
る。このことは、人文系の学術研究と教育の意義について考えるとき特に重要
である。人文系の学術研究と教育を通して、人は人類の社会・歴史・文化の多
様性と人間精神の深みに触れ、更には人間を広く深く理解する眼や社会の行く
末について沈思する心をも養うことができるであろう。こういう数値化できな
い、しかし真に人間や社会を豊かにする果実こそ、人文系の学術研究・教育の
生命線であり、そこにこそその最大の社会的意義・使命がある。人文系に限ら
ず、数値化できない教育研究の成果を適正に評価し、その振興・充実を図るこ
とが大切である。こういう視点が『通則法』には希薄であり、それをそのまま
大学に適用すれば、わが国の学術研究・高等教育は潰滅的な打撃を蒙るであろ
う。
組織運営の面でも『通則法』の適用は危険である。大学における教育研究は
大学人の自主性、創意工夫の自由、自律性が最大限に保障されてこそ創造的に
展開することができる。現行法においても、大学には教育公務員特例法によっ
て教員人事の面で自治が保障されているだけでなく、運営の面でも大学は、
『文部省設置法』に明記されているように、法律に別段の定めがある場合を除
いて、文部省からの指揮・監督を受けず、単に指導・助言を受けるとされてい
る。もちろん大学の自主性・自律性は教育研究の創造的展開という目的のため
に社会的に認められているものであって、この目的に向かった大学人の絶えざ
る努力と社会の期待や批判に真摯に応えるという開放的姿勢なしには、その存
立の基盤を失うであろう。しかし、この前提の上にではあるが、人事を含む組
織運営における大学の自主性・自律性がその教育研究の創造的展開にとって不
可欠の条件であることに変わりはない。この点に対する配慮もまた『通則法』
には希薄である。「独立行政法人の業務運営における自主性は、十分配慮され
なければならない」という一般的規定は置かれているが、組織運営の具体面に
おいて『通則法』は主務大臣に、法人の長及び監事の任命、業務方法書の認可、
中期目標の指示、中期計画の認可、計画の達成度のチェック、更には評価に基
づく法人の長の更迭、目標・計画の変更命令、業務・事業・組織の改廃等の措
置といった、指導・助言の枠を超えて指揮・監督にまで踏み込む虞れのある権
限を認めている。『通則法』をそのまま適用すれば大学の自主性・自律性は崩
壊し、大学における教育研究の創造的展開は息の根を止められるであろう。
このように、大学における教育研究の創造的展開のためには『通則法』、従っ
てまたそれを基本設計とする限り、独立行政法人制度は、大学に適用してはな
らない。大学へのその安易な適用は、わが国の学術研究と高等教育の取り返し
のつかない衰退をもたらすであろう。