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大学を評価し変えようとする者の条件


Date: Mon, 29 May 2000 11:05:56 +0900
From: Yoshiomi KONDOH
Subject: [reform:02829] 大学を評価し変えようとする者の条件
To: reform@ed.niigata-u.ac.jp

群馬大工の近藤義臣です。

以下のメッセージを、世界の大学とはどのようなものか深く考えて頂く為に、
大学の関係者、「大学」に関心をお持ちの方々、各政党、NHK,各新聞社などへ
送ります。

「大学を評価する者は、大学とはどのようなものかを十分に深く理解し、大学を 超える能力を持つ大集団でなければなりません。」この事は、文部大臣、「文部省 と自称する」文部官僚集団、各政党の委員会集団、有識者集団、各大学の学長(個人) で作る国立大学長会議、国立大学協会、などの小集団にも当てはまります。 もし、この評価する者が「大学なるものを超える能力を持つ大集団」でなければ、 丁度、剣道の師匠を、その弟子が、自分の腕の未熟さを気付かずに、自分の師匠を 批判して評価したつもりになり、「自分が偉くなったと錯覚している状態」と変わ りません。「その未熟な弟子が自分の師匠の処遇を決めようとする」事が、どの ような事なのか容易に想像して頂けるでしょう。 学長経験者が大学とは何かを全て理解していると想像しがちですが、それは大変な 錯覚です。学長個人も「大学なる師匠に学んでいる一人の弟子」に過ぎません。 未熟なものほど自分を省みずに、人を評価したがるものです。この様な人々が 行った評価結果は、「逆立ちをして、地球を持ち上げた」という表面的で愚かな 主張と等価な、初めから価値を持ち得ぬ作業結果であると、私達は気付くべきです。 「文部大臣」や「文部省」が「大学なるもののあり方」を「決める権利がある」と 言う、その「権力集団の持つ思考構造」が「その国のあり方を戦前のように危うく して来たのであり、これからも危うくしつづける」のです。「扱う対象によって、 対処する思考構造を再構築し続けなければなりません。」 「大学」は正に「権力 集団の持つ思考構造」をもって扱うべき対象ではないことに気づいて頂きたいと 考えます。私自身もまだ「大学という巨像」の尻尾を触っている程度に過ぎません。 人間の脳は、それ程賢明な物として作られてはいません。人類の歴史を振り返れば、 数え切れない戦争の歴史が見え、少数の権力者により苦しめられつづけた大多数の 人々のうめき声が聞こえてくるでしょう。是非、権力集団の中に居られる方たちに、 今現在と利己的な自分という視点や近未来を見た視野だけでなく、歴史を時間空間的 に遠い過去から未来まで高い視点と広い視野から眺め、対象を深く深く考えて、事に あたって頂けるように願ってやみません。
(再送信部) 昨今、産業界や国会議員や内閣や更に一般の多くの方々が、「大学改革」を叫び、 「大学」に対して「成果」を要求し、「大学を評価」しようとております。 この考え方に基づく「大学改革なるもの」が、長長期的に見て各地域や国家にとって どの様な結果をもたらすか、もう少し広く長い目で、深く考えてみませんか? 例えば、「アメリカの大学に比べて、”生産品と生産量”が不満である」、 「アメリカの大学のように金を稼げ」と「損得勘定」に立脚した「企業の論理」を 持ち込んで「大学を変形」すると長長期的に何が起こるでしょうか? < 恐らく短期的目標に縛られて、大学が本来持つべき「何故、どうして、どの様に」 と「疑問を発し続けて深く広く探求する精神的基盤」は、やがて影を潜めていく でしょう。その結果、「教育への投資が最も有益である」と考えて「大学を設立 した人々、地域、国家」は、その期待とは逆に、「大学を道具にした自分達の 行為は、結果的に環境破壊をもたらした」と気付くことになるでしょう。 > < 短期的な利益追求の産物であるフロンやPCBなどの多くの化学製品や農薬が、 現在の環境破壊をもたらしたことは、周知の歴史的事実ではありませんか? > 自らの考えを深めるよう努力し続けながら、確かなものを基礎にして、世の中を より良くしようと努力し続ける人の姿を、美しいと考える人々の一人として 私はこのメッセージを送っています。 ---- Yoshiomi KONDOH kondohy@el.gunma-u.ac.jp