技術政策研究会(事務局TEL:03-3418-9569/FAX:03-3418-9127)編『技術政研究(学術版)』第2号(2000年9月)

「国立大学の独法狙いと現実」

岩佐 茂(一橋大学 社会学部)


はじめに
一国立大学の独法化の狙い
 1 行財政改革と独法化
 2 大学の再編・選別の梃子としての独法化
 3 背景としての科学技術政策

二 大学のグローバルスタンダードとミニマムスタンダード
 1 グローバルスタンダードとしてのユネスコ「勧告」・「宣言」
 2 大学の存立条件としてのミニマムスタンダード

三 国立大学と国立大学法人
 1 <第三の道>としての国立大学法人
 2 「国立大学イコール国立大学法人」のスキーム
 3 東大の国立大学制度研究会の「中間報告」
 4 国立大学法人をめぐる二つの道

三 国立大学と国立大学法人

 

1 <第三の道>としての国立大学法人

 国立大学の独法化をめぐる弟三ラウンドのなかで、にわかに注目を集めはじめてい るのが、国立大学法人である。
 これは、昨年9月の国大協第一常置委員会の「中間報告」のなかで、もし国立大学 の独法化が避けられないとすれば、「特例法(仮称)」にもとづくべきであると提言 されたさいに、それと並んで、「形式的にも実質的にも通則法による独立行政法人で はなく、したがって同法の適用もないが、私立学校法による学校法人でもない特別の 法人の制度を創設する」方向も提起された。この方向は、独法化とは異なる<第三の 道>としての国立大学法人ということになるであろうが、「中間報告」は、それにつ いては立ち入った考察はまったくおこなっていない。
 自民党の「提言」においても、大学には独立行政法人という名称はなじまないとい う理由で、呼称にかんしては、「国立大学法人」という名称を用いることを提起して いる。国大協会長でもある東大の蓮見総長も、今後の議論で国立大学法人が一つの焦 点になることを睨んで、総長の諮問機関として国立大学制度研究会を立ち上げた。
 しかし、同じ「国立大学法人」という名称が用いられていても、国大協第一常置委 員会が提起したものと、自民党が提起したものとは意味が根本的に異なる。前者の場 合は、具体的展開はないが、独立行政法人とは異なる別の法人として提起されたもの であるのにたいして、後者の場合は、名称がそうなっているとしても、独立行政法人 であることには変わりがないからである。
 独立行政法人のスキームを前提にしたうえで、国立大学法人を立ち上げても無意味 である。それは、呼称をそうしただけで、独立行政法人であることには変わりがない からである。それにたいして、国大協第一常置委員会が示唆したように、独立行政法 人とは異なる<第三の道>として、国立大学法人を立ち上げることは、十分検討に値 するであろう。
 そのような方向を明確にしたものとして、石井紫郎国際日本文化研究センター教授 による「学術公法人」構想がある。石井氏は、「学術公法人」を、独立行政法人が高 等教育と学術研究を担う大学の制度的仕組みとしては「不適切である」ということを 前提にして、「別類型の法人」として構想するのである。石井氏のこの構想は、国立 大学法人をめぐる今後の議論のたたき台として重要な提案となるように思われる。
 

2 「国立大学イコール国立大学法人」のスキーム

 国立大学を独法化することは、大学の設置形態を変えることを意味する。昨年9月 の国立大学学長等会議で、当時の有馬文部大臣は、独法化によって法人格が与えられ ることは大学にとって意義あることであると強調したが、それは、特定の目的をもっ た独立行政法人と法人格一般を意図的に混同させた議論であった。国立大学が法人格 をもつことの意義を語るのであれば、あえて独法化しなくとも、国立大学のままで法 人格をもつことは可能である。国立大学であることと法人格をもつこととはべつに矛 盾しないからである。ドイツの場合は、州立大学でありながら、法人格をもっている し、アメリカの場合でも、法人格をもった州立大学は存立している。したがって、独 法化しなければ、法人格をもつことができないように主張する根拠はまったく存在し ない。
 日本の場合、国立大学に法人格をもたせる場合に考慮しておかなければならないこ とは、私立大学の法人格との関係である。私立大学の場合は、個々の私立大学がその まま法人格を与えられているのではない。経営の主体である学校法人(管理運営の主 体は理事会)と学校法人によって設置される大学(管理運営の主体は教授会)とは区 別されている。理事会と教授会との緊張関係のなかで、私立大学は運営されているの である。
 国立大学の場合は、設置者は国家であるが、国家は法人ではないので、国立大学が それ自身として法人格をもち、「国立大学イコール国立大学法人」ということになる であろう。そのことは、すでに述べたように、可能なことではある。

 3.東大の国立大学制度研究会の「中間報告」

 国立大学法人をめぐる今後の議論のなかで、かなりの影響を与えると思われるの が、東大の国立大学制度研究会の「中間報告」である。この研究会そのものが、蓮見 東大総長が独法化問題の今後のスケジュールをも見据えて、今年3月に発足させたも のだからである。
 「最終報告」は「本年秋頃には」出される予定になっているが、7月10日に「中 間報告」が出された。そのなかで、「法人化が即当然に自由の拡大につながるわけで はな」く、「制度設計いかんによっては、一層の規制の強化に終わってしまう可能性 もなくはない」と指摘していることは重要である。
 そのうえで、「教学と経営を一致させ」て「国立大学イコール法人」とする、私学 の場合とは異なる制度設計を提案している。従来の国立大学は、「設置者、管理者、 経費負担者が国」であったが、国立大学法人においては、「設置者、経費負担者は 国、管理(経営)者は法人たる大学自体」である。それゆえ、「文部省と国立大学法 人との関係は、従来のような国の内部での行政庁とその直轄機関たる関係――いわば 指示監督関係――から、国の行政庁と国から独立した法主体との関係――いわば協議 契約関係――に変わるべきものである」と、されている。
 このかぎりでは、「中間報告」は積極的に評価できうるし、第一常置委員会が示唆 した<第三の道>としての国立大学法人を具体化したものであるともいえる。それゆ え、国立大学を法人化する法律は、「通則法と別の法律として位置づけることがむし ろ自然である」と述べているのも、十分納得できることである。しかし、その直後に 「通則法のスキームが一切合切国立大学に当てはまらないといっているのではない」 と言われ、また「通則法のスキームの骨格部分」は「その限りで国立大学法人にも応 用できる」とも言われているのは、「通則法のスキーム」と何らかの折衷を模索して いるからであろう。
 このように、「中間報告」は、国立大学の独法化とは別の国立大学法人を構想しな がらも、自民党の「提言」や文部省を意識するあまり、「通則法のスキーム」にひき ずられて、それにこだわり続けている。しかし、<第三の道>としての国立大学法人 と「通則法のスキーム」とはそもそも両立しないはずである。なぜなら、「通則法の スキーム」の最大のポイントは、主務省が設定した中期目標の達成度合いを評価する という事後チェックにあるからである。大学が社会にたいしてアカウンタビリティを もたなければならないことは当然のことであるとしても、事後チェックという「通則 法のスキーム」と大学の自治とは両立することはできないのである。
 その点では、「中間報告」は、同じ東大が昨年12月に出した東京大学の設置形態 に関する検討会の「理想形態WG報告」よりも後退したものとなっている。後者の場 合は、国立大学法人は、「独立行政法人通則法なるものの枠組みの下で国立大学の設 置形態を変更するという文脈を離れていうならば、検討するに値するものである」と いうこと、つまり、独法化とは異なる<第三の道>としての国立大学法人は制度設計 されるべきであることが明確に提案されているからである。
 「中間報告」が「通則法のスキーム」にこだわり続けている結果、学長選出におい ても、それは大学自治の観点を貫けないでいる。学長の選出方法には、「現行の全学 投票と、通則法のような主務大臣による一方的な任命」との両極のあいだには、様々 な方法があると言いながらも、4つ提示した具体案の3つまでもが、留保をつけなが らではあるが、何らかのかたちでの学外者の関与を認めるものとなっている。
 また、教職員の身分にかんしては、「事務官等については、国家公務員としての身 分を維持」することが妥当としているが、教官にかんしては、現行の教特法の基本原 則は維持されるべきとしながらも、公務員であることの「メリット・デメリット」に 言及し、「国家公務員とする選択肢をとることは、必ずしも必然的ではない」として いる。さらに、任期制の活用についても言及している。しかし、教官を非公務員化す ることは、非公務員の学長や部所長や評議員によって国立大学が管理運営されること になり(それとも、在職期間の短期間だけ公務員になるのであろうか)、「国立大学 イコール法人」という「中間報告」の大前提を崩してしまうことになるであろう。  

4.国立大学法人をめぐる二つの道

 問われているのは国立大学法人という設置形態そのものではなく、どのような形態 の国立大学法人であるのかということである。端的に言えば、「通則法のスキーム」 にもとづく国立大学法人か、それとは異なる<第三の道>としての国立大学法人か、 ということにほかならない。
 前者の場合は、国立大学法人といっても、名称の問題にすぎなく、大学の自治を確 保することはできないであろう。後者の場合は、東大の「理想形態WG報告」が指摘 しているように、「一般的行政機構の一部として管理・運営され、そこに『大学の自 治』が接木されるという構造になって」いる現存の国立大学が孕む問題性を克服する 可能性がある。だが、そのために必要なことは、国立大学法人を、大学の自治に抵触 する「通則法のスキーム」にもとづかないかたちで制度設計することである。
 それゆえ、国立大学法人にすれば問題が解決されるというのは、幻想でしかない。 国立大学が法人格をもとうと、もつまいと、確保されなければならないのは学問の自 由に基づく大学の自治であり、それを保障する安定した財政基盤の確保である。文部 省が「大学の自主性・自律性」といっても、大学の自治ということをけっして口にし ないのは、自らの大学への統制・管理の意思を捨てていないからである。
  「日の丸」問題に象徴されるように、文部省による大学の自治への介入が、概算 要求時の「窓口指導」等によっておこなわれている以上、文部省の姿勢が変わらない かぎり、たとえ国立大学法人になったとしても、今日の事態が根本的に転換されるこ とはありえない。問われているのは、文部省の姿勢なのである。