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能力給の問題に関して


Subject: [he-forum 1332] 能力給の問題に関して
Date: Fri, 13 Oct 2000 13:09:18 +0900

高等教育フォーラム各位              10/13/00

                   山形大学理学部 品川敦紀

 先程来、大学教員への能力給導入についてのアンケートやらそれへの回答やらが飛び交
っていますが、この問題に関して、若干の私見を述べたいと思います。

 近年民間企業では、「成績主義賃金」と称した賃金体系が導入されて来ていますが、そ
の美名とは裏腹に実態は労働者の管理強化による賃金切り下げの手段でしかなかったこと
は、この間明らかになってきているところです。
 そもそもなぜ、こうした「成績主義賃金」がもてはやされ、それが、「労働組合」によ
って受け入れられてきたのか?それは、企業側からは、ごく僅かの労働者の賃金の引き上
げを引き替えとした大半の労働者の賃金の引き下げと労働強化を、自らの手を汚さずに、
「労働者」自身の「自発的」行動によっていとも容易に成し遂げられるからです。一方、
「労働者」の側からは、特に若手を中心に、「同じ労働をしながら」、あるいは、「より
ハードな仕事をして成果を上げながら」、「仕事をしない」「出来ない」「高齢者よりず
っと少ない賃金しか得られないのは不合理である」との不満があったからです。
 実際、自分自身の過去を振りかえって、こうした「若手労働者」の気分はよく理解でき
ます。
 わたしが、初めて山形大学の助手として赴任してきた当時の所属講座の教授は、よくも
まあ教授はおろか大学教員になれたものだと感心するくらい能力のない人物でした。研究
はおろか学生の教育もまともに出来ないくて、学生実習など着任早々の私のすることを物
まねしてごまかすという状況でした。実態がその様であっても、給与はというと、博士課
程の2年終了時点で助手となった若干26才の私の給与の3倍は、その「教授」は受け取って
いました。この理不尽さには実に腹立たしい思いをした覚えがあります。さらに、私が、
腹立たしかったのは、当時、助手に大学院生がついて、修士論文の研究指導をはじめとす
る実質的指導していたとしても、修士講座助手には、院生手当は一切付かず、何もしてい
ない、一切関与していないその「教授」に、院生手当まで与えられるという理不尽な実態
でした。
 現在でも、大したこともしてないのに同じ給料をもらっているものもいるという気持ち
も一方であるのは事実です。しかし、それではその「能力」はどうやれば公正かつ客観的
に量れるのかというと、実は、それは不可能ではないかということです。数値で評価しや
すい能力(例えば、車の営業セールスマンで何台車を売ったとか)なら、「能力」の評価
は出来るとしても、大学教員の「能力」とは、その様な単純な物差しで測れるものでない
ことは明らかでしょう。
 もちろん、研究「能力」として、どれだけ有名な雑誌にいくつ論文を書いたかなどは数
値化しようと思えば可能でしょう。しかし、これとて、真の「研究能力」を反映したもの
とは言いきれません。実際、「一流」と言われている雑誌に載っている論文でも、時流に
乗っていて最新の機械と技術を使った研究である、というだけの、実に無内容な(そうい
う設備さえあればだれでもできる)論文も多々あります。
 さらに複雑なのは、大学教員の「能力」を云々する場合、「教育能力」「管理運営能力
」もまた、評価の対象とされるべき重要な「能力」であることです。ところが、こうした
能力を正当に評価する方法は無いと言っても過言ではありません。こうした能力を強引に
評価しようとするならば、結局は、管理者による恣意的、個人的評価にしかならなくなり
ます。例え、複数による「多面的」評価を試みたとしても、やはり、その限られた人数の
集団による恣意的評価でしかありません。
 こと大学教員に限らず、はっきりと数値化など出来ない、単純な物差しでは量れない仕
事の従事者の「客観的、かつ公平公正な評価」等というものは、不可能と断言できます。
 たとえて言うなら、りんごとみかんの果物としての価値の評価のようなものです。たと
え、様々な栄養素の含有量やらの数値比較をしたとしても、リンゴの方がみかんより価値
ある果物であるとか、その逆であるとか誰が断定できるでしょうか?リンゴはリンゴとし
ても魅力、価値があり、みかんはみかんとしての価値、魅力があることは明らかです。結
局、その評価は、リンゴが好きか、ミカンが好きかという嗜好の問題になります。もちろ
ん一個当たりの労働価値は算出できますから、それを反映した価格としての価値は評価付
け可能でしょうが。
 さらに、仮に、こうした本来不可能な「能力評価」を強引にでも行うとしたらどの様な
事態になるかでしょうか。いま、「自分は仕事をしてない連中よりずっと成果を挙げてい
る」と思っている労働者も、その「連中」が成果を上げ出せば、さらにもっと成果を上げ
なければならなくなることを肝に銘じておかなければなりません。さらに、「能力がない
」として「低い評価」を受けた「連中」が、その評価を受けることによって能力が高まる
ことなど絶対にあり得ません。これで職場(大学)の活力が高まることはあり得ません。
結局の所、四六時中教競争の渦におかれて絞り上げられる中、そうした「低い評価」のも
のと比べて「あなたは高く評価されています」というプライドを少しくすぐられるという
だけでしかないことを理解しておかなければならないでしょう。
 問題は、「年功序列」の賃金体系の中で、その労働に対して正当な賃金の支払われてい
ない「若手労働者」の賃金水準の低さにあるのではないでしょうか?こうした若手労働者
、若手研究者の賃金水準の引き上げとその能力を十分発揮できる場が与えられることこそ
が、活力ある職場(=大学)づくりにとって最も肝要なことではないかと思います。

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品川敦紀
山形大学理学部生物学科生体機構講座
〒990-8560 山形市小白川町一丁目4-12
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