==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
国大協特別委専連 0521文書

国立大学法人化の1つのありうる枠組へのコメント

以下は逐語的なコメント。未定稿。2001.5.25。御意見はtujisita@geocities.co.jpへ。
>平成13年5月21日
>国立大学協会・設置形態検討特別委員会
>専門委員会連絡会議
>
>
>国立大学協会は、独立行政法人通則法を国立大学にそのままの形で適用するこ
>とに強く反対するという従来からの一貫した姿勢を変更する必要があるとは考
>えない。しかし、同時に、国立大学の法人化は、国が高等教育と学術研究にお
>ける財政的責任を堅持しながら、国立大学の自主性を拡大し個性化をすすめる
>ことによって、教育・研究の質を高め、この国の知的基盤の拡大強化をもたら
>す契機となりうるものとして、これに真摯に対応すべきであると認識する。


♯1この文書における「法人化」は(修正版)「独立行政法人化」と同義語。
故意に曖昧な言葉を使い読者を煙に巻く官僚文書と誤解されないためにも「独
立行政法人化」と書くべきであろう。


♯2「国が高等教育と学術研究における財政的責任を堅持しながら、国立大学の
自主性を拡大し個性化をすすめることによって、教育・研究の質を高め、この
国の知的基盤の拡大強化をもたらす契機となりうる」は政府の主張そのもの。

♯3「自主性」の中身が問題。

>国立大学協会では設置形態検討特別委員会を設けて、このような観点から検討
>し、国立大学法人化について以下のような基本的考え方に至った。
>
>l.法人化が高等教育・学術研究に対する国の責務の放棄を意味するものであっ
>てはならず、とくに高等教育に対する国の財政的責任は堅持され拡大されなけ
>ればならないこと。これに対応して、国立大学は、社会の期待に応え理解を深
>めるよう、最大限の努力をすべきこと。

#4「法人化が国の責務の放棄となり、高等教育に対する国の財政的責任が縮
小される」ことを明確に認識していることを示した文。

#5 国の財政的責任が堅持され可能性がある法人化は現実的には独立行政法人
化だけである。この項目により、この文書中の「法人化」は独立行政法人化の
ことを意味することが明確になっている。

>2.法人化は、従来の国立大学が国の行政機関の一部とされていたことに伴う
>さまざまな制約を解除し、教育研究の発展のための大学の自主性・自律性を拡
>大するものでなければならないこと。この自主性・自律性の拡大は、当然に自
>己責任の拡大を伴うものであること。

#6「制約」と「自治の度合い」の内容がどのように変化するかが重要

#7「自己責任の拡大」の「自己」という修飾語の意味が不明。単に「責任の拡
大」ではなぜいけないか。いままでは大学の諸問題について教育行政にも責任
があったが、これからは大学だけの責任になる、ということでしかない。要す
るに、責任を転嫁するための「些細な権限の大学への委譲」が、自主性の拡大
の本性であろう。

>3.他方、自主性・自律性を拡大した国立大学は、その活力を源泉に、切磋琢
>磨して個性化をすすめ、高等教育・学術研究の質の向上と発展をもたらさなけ
>ればならないと同時に、社会に対する一層の説明責任(アカウンタビリティ)
>を果たさなければならず、社会に対してより一層開かれた存在となる必要があ
>ること。

#8 「切磋琢磨の目的が個性化をすすめること」?他と歩調を合わせなければ
個性化は自然に起こるものではないのか。

#9 社会に対する説明責任(アカウンタビリティー)を強調しながら、独立
行政法人化のように日本社会の多くの人に多大な長期的影響があることを、黙っ
て当事者だけで決めるようなことは自己矛盾ではないか。今は、説明責任を果
たす積もりはなく、独立行政法人化したら突然改心して説明責任を果たす、と
いうことだろうか。誰もそんなことを信じまい。それとも単に分厚い報告書を
毎年発行して、それが説明責任を果たしたことになると考えているのだろうか。

>1 高等教育・学術研究に対する国の責務
>
>高等教育および学術研究の進展は、国や社会の発展に不可欠である。逆にいえ
>ば、高等教育・学術研究が衰退するなら、社会の発展は阻害され、ひいては
>「国が滅びる」ことにもつながる。

#10異論はない。

>その意味で、高等教育・学術研究の成果の受益者は、国・社会の全体である。
>高等教育・学術研究には、広くて長期にわたる外部効果がある。したがって、
>高等教育・学術研究に要する費用は、基本的には、国や社会が当然に負担すべ
>きコストであるとしなければならない。

#11 「高等教育・学術研究に要する費用を国や社会が当然に負担すること」
は選択肢の一つでしかなく、社会を説得すべきことであって「当然すべきこと」
などと言うことはできない。こういったところの不用意な傲慢さが、大学批判の
原因となる。

>そして、大学が、高等教育・学術研究の中枢機関として位置づけられる以上、
>そのような大学の相当部分をみずから設置し維持していくことは、まさしく国
>の責務に属することである。
>
>「国立大学」(あるいは「国が責任を持つべき高等教育機関」)という存在の
>必然性は、この点にある。イギリス・フランス・ドイツなどヨーロッパの主要
>国において、ほぼすべての大学が国立(州立)大学であり、フランス・ドイツ
>では授業料も基本的に無償とされているのは、こうした認識に基づくものとい
>えよう(なお、大学数では私立大学が7割以上を占めているアメリカにおいて
>も、在学生数では州立大学が7割近くを占めている)。

#12 この議論も、進学率がまだ低いドイツの状況を考えると説得力がない。

>のみならず、高等教育・学術研究は、人類全体の福祉の向上にとっても不可欠
>である。とりわけ、21世紀の人類社会は、文字どおり地球規模の、さまざまな
>困難に直面しており、この解決のためには、高等教育・学術研究が決定的に重
>要な役割を担わざるを得ない。

#13 それが科学技術の進歩だけによって解決されるかのような議論が多いこと
が問題なのではないか。

>こうした時代にあって、国として高等教育・学術研究をどの程度重視するかは、
>ただちに、その国の人類社会全体への貢献度の指標となる。21世紀の国際社会
>において、日本が、主導的な役割を果たし、尊敬される国となるためには、高
>等教育・学術研究の推進を最重要政策とすべきである。そのことがまた、政治・
>経済面でも、日本の国際的地位を向上させることにつながっていくはずである。

#14 国際的な地位向上や尊敬だけを求めるのではなく、信頼される国となるこ
との必要性を白川博士は総合科学技術会議での短い発言時間を割いて説いてい
る。 

>ひるがえって、日本の現状は、すでに多くの指摘がなされているように、決し
>て十分なものではない。日本の場合、大学数でも学生数でも、私立大学が7割
>以上を占めており、また、高等教育に対する公的支出も、対GDP比0.5%程度と、
>欧米主要国の半分程度でしかない。本来国や社会全体が負担すべき高等教育コ
>ストの多くの部分が、私学設置者や学生等に負わされる形で、いわば外部化さ
>れているのが,日本の現状である。こうした現状を改善し、少なくとも、高等
>教育に対する公的支出を、欧米主要国並みに対GDP比1%程度にまで拡充するこ
>とが、緊急に求められる。

#15 高等教育への公的支出の増大の主張は正しい。しかし、次期科学技術基本
計画の24兆円のように、競争的資金をいくら積み上げられても、大学の基本
的な活動に不可欠な光熱費まで競争的資金なしには確保できないとすれば、意
味はない。とにかく金をくれ、という主張は、百害あって一利なし。

>そうではなく、かりにも、国立大学の法人化が、もっぱら国家財政上ないし行
>政改革の観点から、高等教育・学術研究コストをさらに外部化するための方策
>として進められるようなことがあれば、それは、国力の低下、国の衰退をもた
>らすもの以外のなにものでもありえず、とうてい容認できない。

#16 高等教育費さえ増えれば、法人化がどういうものでも法人化は良い、と
いう主張にならないか。

>他方、国立大学の現状にもさまざまの批判があることは事実である。国立大学
>は、これらの批判を社会の期待のあらわれとして真摯に受け止め、その期待に
>応え社会の理解を深めるよう、最大限の努力を惜しんではならない。その努力
>なくしては、公的支出の拡大も期待できないであろう。

#17 さまざまな批判の中で、無意味なものもたくさんある。どの批判を真摯
に受け止めているかを書くべきであろう。


>2 大学の自主性・自律性
>
> 大学は、なによりもまず、高等教育機関であり、大学における教育の質の向
>上は研究の質の向上があってはじめて期待できるものである。その意味で、大
>学における研究と教育は密接に関連しているといえる。ところで、学術研究は、
>ときの政治社会状況に左右されない自由な発想や、これまで真理・常識とされ
>てきたことを疑うところから出発する。いわば、既成の価値体系・価値観から
>自由であることが、学術研究の本質である。憲法が保障する学問の自由は、直
>接的には、国家から自由であることを意味するが、その背後には、こうした学
>術研究の本質がある。そして、大学は、学術研究の中枢機関でもある。したがっ
>て、大学は、既成の価値体系・価値観に拘束される存在であってはならない。
>いわゆる大学の自治が要請される実質的根拠は、この点にある。

#18 上の一節は輝いているが、次の文で台なしになる。

> 以上のように、大学の自主性・自律性が必要とされるのは、高等教育および
>学術研究の本質に基づく。

#19 なぜ、自治が突然「自主性・自律性」に退化してしまうのだろうか。奴
隷にも自主性や自律性は有りうる。

>したがって、国立大学の法人化は、この、大学の自主性・自律性を保障し、拡
>大するものであってはじめて、議論に値する。

#20 この文では、「自主性・自律性」は自治の言い換えとして使われている。

>とりわけ、従来、国立大学が国の行政機関の一部とされていたことに伴う種々
>の制約(たとえば、予算上の規制、給与・服務など人事面の規制、組織の設置
>改廃や定員管理など組織編成面での規制など)は、高等教育・学術研究の本質
>から要請される大学の自主性・自律性に、必ずしもそぐわない部分があったこ
>とは否定できない。

#21 「予算上の規制、給与・服務など人事面の規制、組織の設置改廃や定員
管理など組織編成面での規制など」は、身分保障という自治の保障と比べれば
些細な項目である。


>国立大学の法人化は、こうした制約を根本的に見直し、高等教育・学術研究の
>本質に沿って、大学の自主性・自律性を拡大するものでなければならない。

#22 結局、自治の些細な障害を過大視し、それを取り除くために、自治の根
源となっているテニュア性の放棄の重大性に気付いていない。
 (任期制が次第に全大学に広がりつつある今、任期制法案を容認したことを
当時の学長達は、今どう考えているのだろうか。)


>自主性・自律性の拡大は、当然に、大学の自己責任の拡大を意味する。したがっ
>て、法人化後の国立大学の運営組織は、大学が自主的で責任ある管理運営を行
>うことを可能とするよう、制度設計されなければならない。

#23 「予算上の規制、給与・服務など人事面の規制、組織の設置改廃や定員
管理など組織編成面での規制など」がなくなることは自治の拡大ではない。身
分保障という自治の基盤を失った上に「自己責任」とは、泣きっ面に蜂という
ところだろう。

>その基本は、大学が内部に自律的かつ効率的な意思決定と執行の体制を持つこ
>とである。そのことによって、国立大学は、期待される役割を果たし、世界的
>に評価されるものとなることを、みずからの責任として課していかなければな
>らない。

#24 これは、国立大学の覚悟を述べたものだろうか。しかし、内容は、中教
審などの答申そのものではないか。単に、お上に言われたことを、ちゃんとや
ります、と言っているだけではないか。


>3 社会に開かれた大学
>
>国立大学は、かりに法人化されても、公の負担において運営されるものである
>ことには変わりはない。

#25 民営化・地方移管化されても、同じ。

>したがって、国の財政負担増を伴う組織の新設・改編等について国ないし国民
>の同意を必要とすることは、当然である。

#26 当然ではない。大学が国民の負託を受けていることは、箸の上げ下ろしま
で、国民の意見を聞くことではない。そこは委ねられているというべきだろう。
 また、今後、寄付金が増えるとした場合には、それは国の同意より、寄付者
の意思を尊重すべきだろう。
  なお「国ないし国民の同意」というような官僚用語を大学が使うのは止める
べきだ。それが「主務省の同意」に過ぎないことは自明だ。

>また、教育研究目的以外に公金を使うなどの不正を防止し監視する仕組みも、
>当然に必要である。このかぎりで、国立大学に対する国の関与は否定しえない。
>しかし、それ以上に、大学で行われる教育研究活動やそれと密接不可分の大学
>運営に、外部からの規制を持ちこむことは、高等教育研究のシステムを歪める
>危険性が強い。大学が、既成の価値体系を前提に成り立っている国や社会に縛
>られないということは、高等教育および学術研究の本質から要請される基本線
>である。

#27 ここはまっとうな内容だ。

>もとより、このことがいえるためには、大学白身が、切磋琢磨して個性化をす
>すめ、つねに教育研究の質の向上と発展に最大限の努力を注ぐとともに、社会
>の要請を不断にとりいれうる体制をそなえていなければならない。


#28 右顧左眄しなければ、何もしなくてもしなくても個性化してしまうのが
生き物の特徴である。人真似を止め、スタッフが切磋琢磨して自分の信じると
ころをあゆむよう環境を整える、と言うべきであろう。
  また、社会の要請に耳を傾ける必要はあるが、不断に取り入れることは、大
学の在り方として誤っている。


>とりわけ、国立大学が公の負担で運営されるものである以上、大学の側には、
>その教育・研究成果を正しく社会に還元し、それが社会に役立つものであるこ
>とを説明すべき義務がある。

#29 「教育・研究成果を正しく社会に還元」するのは、単に、学生を育て、
普遍的な価値のある知識を産みだすことに尽きる。大学はシンクタンクとは異
なる。

>ここで、社会に役立つとは、日本の現実においてときとして受け止められがち
>な現状の社会に直接的・即応的に役立つという意味においてのみ理解されるペ
>きではない。それのみを追求するならば、高等教育研究は退廃するし、社会の
>発展にもつながらない。社会に役立つかどうかは、グローバルな視点、長期的
>な視点、あるいは現状変革的な視点など、幅広い視点で複眼的に観察されなけ
>ればならない。いずれにしても、大学の側が、それをきちんと社会に説明でき
>るのでなければ、その存在意義を問われることとなるのは必至である。大学の
>自治は、もはや「閉じこもり」の自治ではありえない。国民に対する説明責任
>や社会との連携などを明確に視野に入れた自治でなければならない。

#30 ここは適切である。

>以上の観点からすれば、高等教育および学術研究の本質を阻害しないで、かつ、
>従来以上に社会に対して開かれた大学をいかに創り出すかが、こんにちの重要
>課題として提示されるであろう。

#31 ここも適切。

>これに答えるためには、大学人自身の意識変革が必要であるとともに、制度上
>の仕組みとしても、高等教育・学術研究に深い理解と高い識見を有する学外有
>識者を、一定の範囲で大学運営に参画させるなどのことが、構想されてよいで
>あろう。

#32 ここは、納得しがたい。欧米と比較したときの、大学スタッフの研究・
教育環境の劣悪さ改善なしに「意識変革」など上っ面なものにしかならない。
また、「有識者」といえば、国立大学協会OB・官僚OB・財界や大企業の重
役・ジャーナリストばかりになり、意味は余りないのではないか。国民参審制
と同様、一般市民の意見を聞くことこそ重要ではないのか。


> この場合、どのような学外者をどのような形・範囲で参画させるかは、大学
>運営に学外者を参画させる意義をどこに求めるかによって、自ずと異なってく
>るはずである。したがって、大学運営への学外者の参画は、それが何のための
>ものであるのかを明確にしたうえで、それに適した形で制度設計されることが
>肝要である。

#33 これは正論。

>国立大学協会では設置形態検討特別委員会を設け、このような基本的な考え方
>にたって、国立大学の法人化にあたって1つの枠組案(別紙)を構想した。

#34 「国立大学の法人化にあたって」とは不思議な物言いである。「国立大
学の法人化」の是非はまだこれから論じるのではなかったか。国立大学協会が
多くのことを国立大学教職員に秘匿していることがこういった表現から伺える。


>この枠組案は、一方で、国立大学側の改善改革への強い意欲を反映したもので
>あると同時に、他方では、時として聞かれる国立大学に対する批判を重く受け
>止め、改善策を含めて検討した結果である。

#35 独立行政法人化への危惧になぜ言及しないのだろうか。また、「国立大
学に対する批判」は無数にある。言いがかりに過ぎないものも沢山ある。どれ
を重く受けるのかを明確に言わない限り、すべてが正しい批判であることを認
めたことになる。

>なお、この基本的枠組み試案は、
>(1)法律に定めるべきもの、(2)政令または文部科学省令に定めるべきもの、
>(3)各大学で定めるべきものを、今のところ十分には区別しないで制度の大綱
>を示している。今後、この三者の十分な振り分けと法令面の検討を行うことに
>している。

#36「今後」とはどういうことか。どれが(1)かは決定的に重要なことではないか。

ーー以上−−