==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
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文部科学省へ送付した個人的意見書

的外れの大学改革の潮流

萩原 亮(京都工芸繊維大学)

2001.8.20

昨今の政治・行政主導の大学改革の流れは、高度に発達した科学技術が日常生活にまで関わってくる今そしてこれからの時代の教育の意味・役割をまるで無視(無理解というべきか)しています。

遠山プランなどに示される改革の方向は、要するに、大学を先端研究のスペシャリストを効率的に生む組織に変えようとすることでしょう。しかし、21世紀に人類が直面する問題は、生殖操作や地球環境や人口問題などがその典型例であるように、特定のスペシャリストが「これが答えです」などとと言って解決法を与えられるような生易しいものではないはずです。広い分野の見識と、聡明な洞察力を具えた多くの市民が、解決してしていかなければならないのです。今世紀の大学は、このような知的市民を育て、支援する重責を担っていると考えます。

能率良く研究の先端に到達しようとすると、既にでき上がっているものはブラックボックスとしてできるだけ利用する、目的達成のためにはよけいな疑問を抱かない、成果だけが大事でその内容を分かりやすく一般人に説明することに関心をもたない、というような気風がどうしても蔓延します。これを大学におしなべて持ち込むことは、上に述べた今世紀の大学の役割を果たすことと真っ向に対立します。

先端技術追求型の研究や産業戦略的な研究もある程度は必要でしょうが、それは、国がプロジェクトを提起し参加者(機関)を任意募集すればいいのです。それに応募し、結果を生むことで、応募した大学等に資金を与えるのは一つのやり方でしょう。しかし、全大学(ひいては全教官)をこういう狭い見方による尺度で計り、トップ30を育成するなどというのは、知的市民の国家である日本の高等教育機関についての政策として決定的に間違っています。

各大学は、研究や発言に関する着眼点の独自性と、教育技術の質に関して、市民や卒業生から批判・評価を受けるべきでしょう。もし、高所から特定の価値観の物差しで量り比べてスクラップアンドビルドなどということをしてしまうと、新しい価値観、発想を転換したものの見方、一方向への推進に潜む落とし穴、等々を見出すといった、今世紀の大学に求めるべき本質的役割は殆ど期待できなくなるでしょう。将来、この失敗が取り返しのつかない事態を生んでしまったとき、政治家や行政府のいったい誰が、その責任をとり得るのでしょうか。