白井厚 編「大学とアジア太平洋戦争ーー戦争史研究と体験の歴史化」(*1)
日本経済評論社 1996.12.8 ISBN 4-8188-0903-9 p2-33
抜粋
「大学ーー風にそよぐ葦の歴史」白井 厚1994年8月15日、飯田橋の家の光会館ホールで開かれた日本戦没学生記 念会〔わだつみ会〕主催の講演会記録。「きみと語りたい、私の8・15−−日本人それぞれの戦争責任−ー」という共通テーマの中で、大学の責任を論した。同年2月発行の『わだつみのこえ』No99に録音記録を掲載。)国家権力と大学自治 風にそよぐ教授たち 教授と発言と論文 五十年目の大学評価 大学の責任と反省 国家権力と大学自治大学というものを全般的に考えたときに、次のような点を考慮する必要がある と思います。大学は言うまでもなく高等教育機関です。そしてまた研究機関で す。そこにおいては、高度な教育を行う、それから高度な研究を行う。そして 大学は、国際的な性格をもっています。ヨーロッパではボローニャ大学がいち ばん古いと言われてますが、そこにはヨーロッパの各地から、学者について学 間を学びたいという青年たちが集まってくる。今日の地名で言えば、ドイツか らも来ればフランス、イギリス、スペインからも来る。方々から集まってくる。 そこでは国籍の如何は問題にならない。言葉はラテン語という国際語がちやん とありました。学問する人間は必ずラテン語をやる。ですからカルチェ・ラタ ンというような言葉が今でも残ってます。学問というもの、真理というもの、 それは国籍を持たないと考えられました。大学の目的は、こういった教育・研究を通じて、長期的に人類の将来の幸福に 貢献するものであると考えられます。このへんが国の政府の目的とは違うわけ です。国の政府ですと、関心は個人の権力やナショナル・インタレストであり ます。今の政権がいつまで続くか、次の議会をどうやって乗り切るか、今度の 戦争をどうやって勝かというような問題でありまして、常に短期的な利害とい うものを考えなければならない。しかし大学はそういう目的に奉仕するのでは なく、長い将来にわたって人類の幸福ということを考えなければならない。大 学の目的と国家の目的は違う。基本的に矛盾します。ですから大学の目的をで きるだけ貫徹しようとすれば、国家から相対的に独立しなければならないとい うことが言われて、これはドイツの啓蒙哲学のなかにおいてできあがって大学 の理念として伝統になっております。大学は自治権を持つ。裁判権までもって いたという例もありますし、大学は警察権から独立しているということも言わ れていました。 それから、大学の教授会は自治をもつ。教授は神々のように−−ゲットリッヒ・ イデーですね−−優れた将来に対する理念をもって努力をする。それが大学の 教授の役割である。したがって教授会というのは完全な自治権をもたなければ ならないというような、古典的な大学観が形成されたわけです。そういう議論 に貢献した人たちとしては、フィヒテやフンボルトやシュライエルマッハーが いました。 そういう大学観、国家から相対的に独立するという大学観ができあがったドィッ ですけれども、これがこの前の戦争のときには、ナチスが政権をとったとたん にガタガタと崩れてきてしまった。伝統のある大学が、程度の差はありますが、 雪崩をうってナチスに協力していった。またナチスのやり方もかなり強引で、 たとえば焚書というようなセレモニーを頻繁に行う。ナチスに対して非協力的 な教授を追放するということもしばしば行われました。ナチスの国家目的に対 して大学に全面的に協力することを要求しました。ユダヤ人教授の追放という 運動もどんどん進んでいった。その間いろんな問題はありましたけれども、し かしあれほど大学自治の理念を確立したドイッにおいて、ドイツ啓蒙思想の成 果は簡単にナチスによってもぎとられてしまった。大学は唯々諾々としてナチ スの侍女となりさがってしまいました。 風にそよぐ教授たちp22 「風にそよぐ章の歴史」と題しました。もちろん葦はパスカルの言葉からです が、石川達三が戦後に「風にそよぐ葦」という長編小説を『毎日新聞』に連載 して、なかなか評判になったものです。これは横浜事件を題材にして、インテ リ、知識人というものの役割は非常に大きい、にもかかわらずまことに脆いと、 そういうことを描いたわけです。パスカルは、人間というのは、「考える葦」 (roseau pensant)であると申しました。葦というのば本当に弱い。鳥がとまっ ただけで析れてしまうほど弱い。パスカルは、無限と微小の中間に人間が存在 すると考えておりまして、その人間の役割は、ある面でいえば非常に大きい。 しかしある面で言えば非常に弱い。しかし「考える葦」であるというふうに申 すわけです。大学というのは、まざにその意味で申しますと、風にそよぐ葦であったと思い ます。これは大学として考えるかあるいは大学の構成員である教授たちとして 考えるかによってもまた違ってくるでしょう。大学の責任者となりますと、大 学というのはとにかく、帝国大学も私立大学も大学令によって規制されている わけですし、国が戦争をやっているというのに協力しないわけにはまいりませ ん。少なくとも協力するポーズはとらなければならない。「学徒出陣」に反対 することなどもちろんできない。したがって「皇国の興廃はまさに諸君の双肩 にかかっている」というようなことを学生にいわなければならないのは、当時 としては当然でありましょう。しかし個人としての教授はどうなのか。もう少 し自由な立場でありうるわけです。 ドイツでも日本でもそうなんですが、国家権力は最初は共産主義、マルクス主 義、それから治安維持法ではアナキズムも、実際には力はないけれども、自の 敵にしておりました。それから社会主義、労働運動、ディモクラスィ、自由主 義、それから英米文化一般、日本の場合ですとキリスト教、さらには真理を追 求しようとする学問自体、そういうものに次々と弾圧の手が及んでくる。そこ における大学の教授たちをみてまいりますと、いろいろありまして、率先協力 する者もかなりおります。先ほど宗教とまつりごとと教学が三位一体だと申し ましたけれども、それでみると、日本の大学の中には、おまつり部分のウェイ トが小さかった。これはけしからん。つまり国体明徴、日本の国体はいかに神 聖なものであるかを明らかにしなければならないというような形で、国体講座、 大日本史というような講座が次々と置かれる。東京大学では平泉清澄とか、そ ういう国学者の神がかった人たちが「随神(かんながら)の道を説くという講 座が設置される。あるいは憲法論、もちろん旧憲法を説くわけですから、これ を使って「随神の道」を説くことも可能でした。そういう右翼的な講座が増え たということがあります。もちろんそういう担当者たちは、率先戦争協力とい うことになわけです。 ナチス礼讃という教授たちもかなり多かった。経済学としてもナチス経済学、 統制経済学が全盛時を迎える。ナチスのみならず全体主義、これがすばらしい という形を説くのが非常に多かった。ゴットルや難波田春夫の経済学などです。 ディモクラスィというのは、大正デモクラシーという歴史が日本にありますけ れども、その後はご法度でありまして、大正デモクラシーも民本主義というふ うに水で割られていた。その後、日本は全体主義国家、しかもそれは国家有機 体説的な神秘的な全体主義国家と、そういう形が強く意識される。天皇を頂点 としてわれわれは天皇の手足であり天皇の赤子であるというような説が非常に 強くなりました。そして日本人は特別な、優秀な天孫民族であって、その民族 は従わぬ者たちを征服し、従う者たちを指導する、そういう責任をもつという 考え方が、大学のなかで堂々と説かれるということになりました。 ただこういう講座は大学の中ではそんなに多くはないのですが、国学を中心と した大学が幾つかあって、そういうところでは、もちろん非常に盛んでありま す。大きな大学では「随神の道」というのはついでに説くという形が比較的多 かったのかもわかりません。慶応義塾などでは、国防論という講座が率先して つくられました。これは何をやるのかというと、伊藤正徳という、世界的な軍 事ジャーナリストといってもよろしいでしょう。『帝国海軍の最後』とかいろ いろ書いています。彼が軍事情勢の解説をした。いろいろ調査してみますと、 非常に人気があったようです。ジャーナリストの話というのは面白い。それか ら新聞などには出てこない裏話がたくさんあります。日本の軍事科学というの は、レヴェルは低かった。極端にいえば、日露戦争からあまり発達してなかっ た。だからノモンハンでソ連軍と戦ったときに、惨敗するわけです。そういう 状況に対して、伊藤正徳さんは、世界の軍事学の大勢をよく知っていたのでは ないかと思います。もちろん戦争反対ではかいんですが、必ずしも戦争賛美で ばない。むしろチクチクと、このままでいけば日本は危ないということも言っ てみたり、日本の軍事戦略はどこがおかしいということまで言ってみたり、学 生にはたいへんに人気があったようですが、そんな講義も戦争協力の一種であ りましょう。 教授と発言と論文この当時書かれた教授の論文テーマを、こういうことをやっては気の毒ですけ れども、戦争中にどの教授がどういう論文を書いたのか、私のゼミでずっとリ ストアップしてみました。それでみますと唖然とするようなものがたくさんあ る。ただ、これもなかなかわかりませんで、『植民地経営論』といっても、実 は非常に科学的な植民地の実態分析であったり、日本の植民地政策に対する鋭 い批判であったりとか、そういうのがありますから、題名だけではわかりませ ん。しかし、こういうものをみますと、今なら絶対書かれないようなタイトル が次々と現われているということは事実です。戦争に対して中立あるいは無関心というような人もかなりあります。慶大には わりあいこれが多かったようです。たとえば十二月八日、日本軍は真珠湾を攻 撃して大戦果という、これはみんな大喜びで、興奮するわけです。学校の中で も、勝った勝った、日本はやっばりすごい、隠忍自重遂に堪忍袋の緒が切れて、 アメリカを叩いた。やっばり日本は強いということで学生は踊りあがって喜ぶ。 そのときに、たとえば高橋誠一郎さんは、たんたんと経済学史を講じて、戦争 のセの字も言わない。学生のほうが、あの先生、今日のラジオを聞いたんだろ うかといぶかるのですが、全く触れない。重商主義経済学を説いて今日はこれ でお仕舞いと、本を伏せて、和服の着流しで悠々と出ていってしまう。戦争の 末期にいたるまで和服の着流しで通しました。最後には国民服というのを着ざ るを得なくなるんですけれども、そういうスタイルの方、もちろん自由主義者 でありました。広くいえば厭戦なんでしょうね。少なくとも戦争に積極的に協 力するという姿勢は全く見せない。そういう学者も多かったようです。 戦争に対して、皮肉を言う学者も結構多かった。軍隊というものはどういうも のであるか。特に日本の陸軍とはどんなものであるのかはだいたいわかってお りました。陸軍が、ただの武力集団ではなくて、政治の実権を握ってくるとい うことになると、これは日本はえらいことになるということは、おそらくモノ を知る人間は誰でも考えたことでありましょう。そこで陸軍に対する批判もち らちら出てくる。 それから戦争に対して非協力的あるいは批判的なことも出てきます。戦争はや がて負けるということを言う人もいたようです。開戦の頃に、アメリカでドク ターをとった英語の先生に対して、学生がからかいまして、先生はいつもアメ リカは立派な国だと言っているけれども、日本に簡単に負けたじやないですか と言うと、先生は静かに、君たちはアメリカの底力を知らない。アメリカは一 回や二回叩かれたといって簡単に負けるような国ではないというふうに言う。 学生は、へえ、そんなもんですかということになります。やがて、へえ、そん なもんですかでは済まなくなって、それは、戦争に対する批判ではないかとい う形で弾劾するような状況が出てくる。したがって教師のほうも、初めのうち は余裕がありますから、相当皮肉を言ったり、この戦争は負けるとか、日本と アメリカとの経済力の差は一対二○とか、そういうことをちらほら言うんです けれども、やがてそういうことも言えなくなってくる。そして「学徒出陣」へ……。 「学徒出陣」の時に教師たちが何を言ったのかということもいろいろあって、 ここにリストがありますが、たとえば一橋大学(当時は東京産業大)の高島善 哉さん、早稲田大学の煙山専太郎さん、慶応義塾でいえば板倉卓造さん。それ から意外に右翼的な人たちも、いよいよ「学徒出陣」というときに、「君ら命 を大事にしろ。決して血気にはやって命を粗末にしてはならん」「必ず生きて 帰ってこい」というようなことを言った。このようなことがいろいろ伝えられ ております。 戦争中にどんな発言があったのか。いろいろなことを言っているでしょう。そ れが五○年後の卒業生たちにどういう形で記億されているかということもリス トしてみました。いちばん多いのは、慶応で申しますと、小泉塾長に対する記 憶です。これは記億でありますから、実際にあったかどうか、今のようにテー プレコーダもビデオもない時代なので、速記ノートとか、小泉信三さん自身の 演説原稿がないとわかりませんが、たとえば日米開戦当時の小泉はどうであっ たか。小泉が「お国のために」というときはどういう調子で言ったのか。小泉 は慶応をどういうふうに守ろうとしたのか。小泉はアメリカをどういうふうに 見ていたのか。小泉の天皇観、軍隊観、軍人観、戦争観、あるいは小泉の講義 内容はどんなであったのか。「学徒出陣」のときに小泉はどんなことを言った のか。それから長男信吉が戦死したときの小泉の様子はどうであったのか。火 傷を負ったときの小泉はどんな様子であったのか。戦後の小泉はどういうふう に語っていたのか。テーマ別にかなりのデータが出てきましたので整理してあ ります。小泉のみならず、当時の高等部、各学部の教授たちの言動をみますと、 なるほどこんなことを言われたのかと感ずる。記億がすべて正しいということ ではありませんけれども。また、自分がもしこのとき大学で教えていたならな んて言えただろうか。よくここまで言ったなというふうに感動することもあり ますし、戦後偉そうなこと言っているけれども、なんだ当時は、というふうに 思うこともありますし、万感尽きることなしというところです。 五十年目の大学評価大学というのは高等教育機関ですね。去年のわだつみ会の八・一五の集まりの 時だったかと思いますが、当時の日本人がみんなお国のために夢中になって戦 争に協力をしていた。小学校以来、あるいは幼椎園、家庭教育の時からとにか く教育によって、日本は神の国である、これは聖戦である、天皇陛下は神様で ある、八紘一宇の理想を実現するんだ、東洋平和のためならばなんで命が惜し かろう、天皇陛下のために死ぬ、それが親に対する最高の孝行であるというこ とをさんざ教えられてきた。そしてその通り死んでいった人がたくさんいる。 それに対する疑問をもった人は非常に少ない。それは教育の効果である、とい う話があった。しかしそのときにどなたかが、しかし大学の教育としては失敗 ではないかと発言されて、私はなるほどなと思いました。大学だけを特別視するのはおかしいけれども、もっとも批判的な精神を涵養す るところが大学であろうと思います。その大学の学生も教授たちも、戦争目的 に対する批判的な見解というものはほとんどもたなかった。もったごく少数の 人は牢獄に入れられた。しかしそれ以外の人はほとんどもたなかった。あるい はもとうとしなかったという、その精神状況というものは、大学としては自滅 ではなかったんだろうか。だから大学ははたして大学だったのだろうかという ことです。小学校なら国定教科書で教えるわけですから、やむをえないと思い ます。しかし大学には国定教科書はありませんし、まがりなりにも学問の自由 とか言えるような時代に、しかも意外に敗戦の間際までけっこう自由にしやべっ ていた人もいる。学生などもけっこう自由に動きまわっていた例も幾つもあり ました。そういうときに積極的にこの戦争目的に対する疑問がほとんどどこか らも提起されなかったということは、大学としての自滅ではないだろうか。そ こで、記億に残る大学教員の発言リストをつくったのは、五○年目の大学評価 ではないかというふうに思っています。 今日、アメリカの影響で大学の授業に対する評価というのは盛んになっており まして、これはある面では大変結構なことで、あの教授は講義が下手だとかう いとか、まとまっていないとか休講が多いとか、いろいろあります。教授とい うのは一人よがりが多いですから、言われてみて初めて反省するということが ありますので、反省の機会を与えられることはたいへんありがたいことですが、 しかし、これまた危険な点がある。ビートたけしみたいなのが人気があると、 あれに似てくるのが人気の獲得の秘密であるというふうに錯覚を起こす教師ま で現れまして、タレントまがいのものが横行する。それ自体が大学の自滅であ ります。そういう風潮が生まれる危険性もあります。授業を聞いて面白かった というのもありますが、面白い話なら寄席へ行って漫才でも聞けばよろしい。 そういうことによって評価し、大学の教師もそれにおもねるというようなこと があるとすれば、大学評価というのは危険な一面があると思います。しかし大 学を出たあとで、なにかクリティカルな状況のもとにおいて、大学で教わった こと、大学で考えたこと、歴史を見る眼、世界を見る眼、事実を確かめる眼、 批判的精神を思い出し、それが自分の人生の指針になるような、そういうこと を大学で学ぶことができたということになれば、非常に大きな意味があるので はないかと思います。 その一つは、まさに戦争であったと思います。戦場に出たときに、敵と闘う時 に、捕虜を扱う時に、現地の住民と接する時に、戦争に負けた時に、大学で学 んだことが、教師の一言一言がどういう形でもって生きてくるのか、ものを考 える場合にどういう意味をもってくるのか。授業を聴いたことによって戦場で も生命の尊厳を知り真理の探求を忘れないならば、その教師や大学に対しては 高い評価を与えられうるであろう。大学の教師としては、そういうことを一つ の目標とすべきではないかと思っております。 そうしますと、アンケートをとってみますと、いろいろ面白いんですね。福沢 諭吉は今日批判にさらされる時があるのですが、「天は人の上に人を造らず」 という、これはトマス・ジェファスンの言葉を福沢が翻訳したのですが、あれ はかなり意味をもっていたのではないか。『学問のすゝめ』が売れに売れて、 あれが福沢と結びついていくわけです。そして軍隊に入ったときに、軍隊とい うのは絶対服従の厳然たる階級制度であって、初めはこれは立派だと思ってい たが、そのばかばかしさというのは、やがてみんな痛感する。そのときの批判 の武器は、「天は人の上に人を造らず」という言葉です。それが天皇制や軍隊 に対する批判を胸のうちに秘めながら行動するということを可能ならしめてい る、というケースが幾つかあります。また「独立自尊」という言葉がありまし た。これも福沢がつくった言葉ではないんですが、福沢が承認した言葉です。 「独立自尊」は西欧流の個人主義思想でありまして、日本の軍隊にとっては許 しがたいことです。たとえば「不戦兵士の会」の小島清文さんは慶応の出身で すが、彼は敗戦でフィリピンの山の中をさまよう。そのときに日本の軍隊は、 上官の命今によって動くことしか訓練されておりませんから、上官が逃げてし まう、殺されてしまうと、兵隊は何をやっていいかわからん。自分は一介の少 尉であって、上の命今は何もこない。部下と共に何をやったら生き残るのか。 そのときに小島さんは「独立自尊、独立自尊」と念仏のように唱えて歩いたと いうんです。たしかに「独立自尊」という言葉はふしぎな力をもっていて、人 間がさらに生き続けよう、獣のように死ぬのではない道を、自分で最後の最後 まで努力して追求していこうという意志を力づける糧になったということはあ り得ると思います。 そういう言葉は、時間がないのでご紹介できませんけれども、それ以外の大学 教授たちの口からしばしば洩れておりまして、大学でいい教師に巡り合って、 そういう言葉を頼りにして苦難の道をなんとか生き残る、あるいは生き残れな かったかもわかりませんが、しかしとにかく人間として最後の最後まで、真理 を求め、誇りを捨てずに生きる努力を続けていったとすれば、大学教育という ものの一つの恩恵であるのかもわかりません。大学だけが教育ではありません けれども、私は五十年目の大学評価として、今日そういうことも考えてみたい と思っております。 大学の責任と反省その他、大学としては、「学徒出陣」で学生を送り出したその責任、責任といっ ても大学が好き好んで送りだしたわけではありませんので、徴兵猶予が停止さ れればしようがないのでしょうが、やはり激励して送りだした責任はある。あ るいは政治に対する批判とか、真理の探求とか国際情勢の分析とか、そういう 本来大学がやるべき使命を完全に放棄してしまった責任、そういうものをいっ たいどう考えるのであろうか。このことが戦後行うべき大学の一つの仕事では なかったかと思います。しかし戦後には、教職員適格審査とか公職追放とか、そういうことがGHQの 手によって行われました。今日それについての研究もいろいろあるのですけれ ども(たとえば山本礼子『占領下における教職追放−−GHQ・SCAP文書 による研究−−』明星大学出版部、一九九四年)、それをみると、かなりいい 加減にやられている。もちろんはっきり、右翼団体に属していたとか軍籍にあっ たとか……、意外に大学の学長には軍人がなっている、あるいは学部長に軍人 がなっている、将軍がなっているというケースがありました。慶応でも工学部 長は海軍造兵中将でありました。これは立派な人だったという評価ですけれど も、そういう人たちはもちろん戦争が負けたら自分から学校を退くわけです。 その他、何人か有名な右翼教授たちがいて、そういう人間も自分から身を退い ている例が多い。残っている教員には教職員の適格審査がありました。これは 占領軍の命令で、戦争中なにを書いたか、それから放送やなにかで何を言った か、それを事細かく出しています。慶応義塾では古い箱の中から審査資料が出 てきて、それをみると、よくまあ事細かに書かせたものだと思います。審査委 員会の委員長自体が実はあやしげな人間、つまりかつての権力者ですね。そう いう人間がやるケースがかなり多い。そして実際にそれによって追放された人 間はせいぜい3%ぐらいであって、学校によってまたまちまちです。こういう 戦争中の行動によって審査し追放するというのは、あまり愉快なことではあり ませんがやらなければならんことだと思います。しかしその効果は、実に怪し い。不平等が非常に多い。つまらんことで追放される人もいれば、相当なこと をやっていながら追放されない人もいます。ドイツにおいてはナチスへの協力 度を全部リストアップしたというようなことがありますが、その場合でも、占 領地区によって、ソ連の占領地区か、イギリスかフランスか、それによって相 当に差があったので、客観的な戦争責任追及はなかなか難しいところがあるよ うです。 したがって、そういう追及も大事ではありますが、戦後二、三十年ぐらいで、 落ち着いたところで大学は大学としての戦争責任というものを自分で整理をす る作業をやるべきではなかったか。今となっては若千遅きに失した。しかし今 からでも、やらないよりはましかもしれません。大学によっては、かつては右 翼の大学として有名だった大学が、非常に反省して、がらりと内容を入れ替え て、平和のために、戦争を二度と起こさないために努力している大学もありま す。全然そういうことを考えない大学もあります。大学の評価というのは、い ろんな点でなしうることだと思いますけれども、過去を正確に調査して、誤り を二度とくり返さない、そういう決意をもつ、そのための手段をもつ、そうい う大学が、将来ともに生き残るべき優れた大学ではないだろうか。逆に言いま すと、そういうことを一切行うつもりがない大学は、世の名声にも関わらず、 学生の偏差値にもかかわらず、大学としては、真理を追求すべき社会的責任を もつ大学としては失格ではないかと思います。戦争責任の前に社会的責任があ ります。これらの言葉は、すべて大学教員である私の方に返ってくる言葉であ りますので、あまり強い声で言えないのは残念ですけれども、なんとか私もそ のために努力をしていきたいと思います。長時間ご静聴いただきまして、あり がとうございました。 |