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高等教育の変貌と財政」玉川大学出版2000.3 ISBN 00180-7-26665

「大学評価と資源配分」より抜粋

市川昭午


p124

コスト意識に欠ける

さらに,大学評価論には費用・効果の視点が欠けている.大学評価は大学教育にとって,はたしてプラスか,マイナスか.大学評価にはさまざまな問題題点が含まれており,大学の教育や研究にとってプラスの効果だけでなく,マイナスの効果も及ぼすことはこれまでも指摘されている。むろん,一般的にはなにがしかの効果があるのが普通だが,それだけでは不十分であり,その効果は費用と関係させながら評価する必要がある.

大学評価には莫大な経費と時間とエネルギーが必要とされるから,大学評価の是非,その作成や利用方法などもそうしたコストと関連させて判断されるべきである.ところが,これまでわが国の大学評価はそれに要する費用との関係で論じられることがほとんどなかった.わが国でも自己点検・評価の形式化・形骸化が指摘されているが,その原因の1つはコストのかかりすぎにあると考えられる.

専門分野や研究者個人によっても違うが,研究には動的なサイクルとかりズムというものがある.あまり頻繁に評価を行うことは,それらを壊してしまうことになりかねない.大学評価のマイナス面の顕在化はわが国だけの現象ではないようで,OECD諸国でも評価疲れ(evaluation fatigue),評価のしすぎ(over‐evaluation)の弊害が指摘されている.

大学評価に同僚評価はつきものだが,それは第一級の科学の専門家の時間と才能を著しく浪費する.評価をする人はされる人よりも高い能力を有しなければならないが,当然のことながらそうした人の数は限られる.研究・教育の第一線に立つ人々が大学評価に専念するようになれば,信頼のおける評価結果が得られるかもしれないが,数年にして学術研究は壊滅してしまうだろう.かといって第一線から退いた人々やもともと第一線に立ったことがない人々が評価に当たったのでは,評価結果も信頼は得られないであろう.

ところで,大学評価が世間で利用されないのは,長年にわたってアクレディテーションを実施してきたアメリカでも基本的に同じようである.大学教育のクライアントやスポンサーはアクレディテーションの報告書を読むよりは,マスメディアのランキングに頼っている.これは時間や費用などを考慮すればむしろ賢明な行動といえよう.

しかも,アクレディテーションはあれほどの労力を費やしているにもかかわらず,少なくとも相対評価に関してはほとんど効果を及ぼしていない.『ウィナー・テイク・オール』でわが国でも名が知られるようになったロバート・フランクとフィリップ・クックが調査したところによれば,ガイドブックや新聞・雑誌などに毎年発表される大学のランキングはほとんど変わらない.それは評価者や時代の違いを超え数十年間にわたって驚くほどの一貫性と継続性がみられるという.

むろん年毎に多少の変動がある.6年間,U.S.News & World Reportの編集者だった人の回顧によれぱ,同誌が行うランキング(America’s Best Colleges)は大学の経営者や管理者を一喜一憂させている.しかし,それは学生の応募に1割程度の影響は与えるが,あくまでも一要因であるにすぎない.他に経費,立地,教育の質なども学生の応募を左右する.にもかかわらず,考え方や方法に対する苦情が絶えず,アメリカの大学を悪くする元凶のようにいわれるのは,それが奨学寄付金等も左右する場合があるからだという.

模範的な大学評価が行われているはずのアメリカでさえこのような状況にあるとすれば,作成や利用に高いコストを必要とするアクレディテーションをなぜ続けているのか,不可解である.まして日本がなぜそれを真似しなければならないのか甚だ疑問である.