==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
visits since 2002.3.20

団藤保晴氏の論説に対する竹田保正氏のコメント

2002.3.2

to dando@dandoweb.com

「高等教育フォーラム」に出された以下の貴殿の言論(4145 2月21日)
に批判的なコメントをする。あわせて、私立大学の教員のサイドから、辻下さ
んの反論(4147 2月22日)をサポートする(全面的にではないが、、、)

筆者の批判とコメントは、以下の本文中に番号順に*印を打って、書きました。
以下、貴殿の「国立大学の構造改革プラン、、」にたいする批判は、すでに毎
日新聞の社説(2001年7月29日)に掲載された批判のいわば、二番煎じ
であり、とくに評価できるものではない。むしろ、貴殿をふくめ、マスコミが
世論醸成をしてきた、「依然として内部改革を怠り、大学の自治、学問の自由
を唱えるばかり、、」という大学批判のみが、強く印象づけられる。    

                       私立大学より  竹田保正

――――――――――――――― * ―――――――――――――――――

>「大学と小泉改革:担い手不在の不幸」
>  団藤保晴(記者コラム「インターネットで読み解く!」) dando@dandoweb.com
>  2002年02月21日
>
>    ------------------------------------------------------------------
>  第114回「大学と小泉改革:担い手不在の不幸」------
>
> 「 小泉改革は底割れしてしまったかに見える。内閣支持率の急落だけ捉えて、
>  したり顔で言うつもりはない。田中真紀子外相の更迭にまで至った外務省改革
>  の挫折は、小泉純一郎首相が一本釣りで選んだ閣僚に能力がなかったばかりか、
>  改革さるべき現場にも改革の担い手が不在という二重の不幸を明らかにした。
>  農水相、厚生労働相、文部科学相……いずれも同じに見える。改革の「抵抗勢
>  力」とは自民党橋本派を中心にした政治家たちと決めつけられがちだが、実は
>  現場も「抵抗勢力」だらけ。連帯して行動する同志を準備せずに改革を始めて
>  しまった首相は、「民間でできることは民間に」など唱えるスローガンは上手
>  に響くものの、個別中身の専門的な吟味は出来ていない。その典型例を独立行
>  政法人化に向けて動いている国立大学改革で考察したい。反対にしか道を見い
>  だせない大学人と、かつては拒んでいた独立行政法人化が今や万能のように言
>  い立てる文部科学省。この二つしか行く道は無いのだろうか。
>
>   ┗┗┗┗ 「学問の自由」しか訴えられない大学人 ┛┛┛┛
>
>   独立行政法人化を巡っては当初の公務員身分案から、非公務員身分での移行
>  が検討されていて、大学人の間に危機感が募っている。東大など28大学の教職
>  員組合は委員長連名で2月20日、文部科学省調査検討会議あてに「国立大学職
>  員の『非公務員化』に反対する」要請
>  http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/020202monkayousei.htm
>  を出した。その中の「公務員身分は『学問の自由』を保障するためにも必要で
>  ある」には唖然とさせられた。」
 
*1)この個所は黙過できない。下でいっしょに反論する。
   
>  私の連載第74回「大学の混迷は深まるばかり」
>  http://dandoweb.com/backno/990826.htm
>  の結びで、大学は世間に対して自己主張しなければならない時期に来ており
>  「問題は、何を言えるかだ。研究の自由、学問の自由を唱えていればよい時代
>  はとうに終わっている」と指摘した。もう3年前のことである。 

*2)大学は政治権力や、日本のように著しく政治化された社会と支配体制
(官公庁、財界、マスコミの一部も含む)から基本的に独立していなければな
らない。大学は学問を継承し、創造していくために、時には政治や社会の動向
に鋭い批判を加える社会的責任を負っているからである。  だから、いつの
時代でも、大学は研究の自由、学問の自由を唱え、それを侵したり、体制に組
み込むような一切の動きにたいして、敏感に反応しなければならないのである。

もちろん、私が昨年出版した著書*に書いたように、大学が付与されている特
権をよいことにして、内部改革を怠ってはならない。大学人が主体的に、学問、
研究の場にふさわしい緊張感のある雰囲気をつくりだす努力を続けること、外
部からの批判が届きにくい日本的な縦割りの組織、学部の(あるいは学科の)
“内輪”をとりさり、社会に開かれたものにする困難だが、長年にわたるたた
かいが必要である。 そして、国立、公立、私立の選ばれた大学が、長年の努
力の結果、自然体で選別能力を磨き、高等教育機関として緊張感のある雰囲気
をそなえ、研究、教育の両面で、欧米の一流大学に引けをとらない「選良大学」
の構築をめざして競争のなか、頑張ることが必要である。

*「内なる大学改革―理系大学人の発言」(学会出版センター)

しかし、前途に大きな困難が横たわっている。よく知られているように、旧制
の帝大を母体とする東大、京大を初めとする国立大学のトップクラスの七つの
大学の教官の構成をみると、明らかに同族、内輪で固められている。学部によっ
て違いがあるが、平均として教官(教員)の約7割が同じ大学の出身である。
 大部分が内部の卒業生で占められている。 他の国立大学、、それも上位と
言われるところほど、この傾向が強い。これが“内輪的”な組織の実態である
から、内部改革が困難なわけである。私が昨年の11月ごろ、「高等教育フォー
ラム」に出した通信で、

「、、、残念ながら、戦後半世紀たっていまや収拾のつかない、混迷の真った
だ中にある日本の高等教育をどのように再構築するか?といった大きな問題を
まともに論じた言論がほとんど見られない。「高等教育フォーラム」に出され
ている多くの通信を通覧しても、また、「国立大学独立行政法人化」の問題に
関するホームページを見ても、、どのような展望を持って、大学人が主体的に
高等教育を再構築していくべきか、国民の科学水準を引き上げるために理科教
育を改革していくべきかという言論がほとんど見当たらない。」

と書いた。 

**ウオルフレンの「人間を幸福にしない日本というシステム」(新潮社OH!
文庫)


団藤氏の本文にもどり、、

> 「大学の皆さんは「文部科学省の意向ばかり報道して、マスメディアは自分た
> ちの意見は取り上げてくれない」と被害妄想に陥っているように拝見するし
> かし、「学問の自由」を唱えて世間に訴える記事になると真剣に考えているの
> なら、考え違いだと申し上げるしかない。「学問の自由」の名の下に、国立大
> ではさして効率的な研究も教育もされず、自己チェックもなく、国際水準から
> 遠い存在と化してしまったと、世間一般の人たちは感じているのだから。]

*3)ここも、到底黙過できない! 確かに現下の日本では、 国立大学を独
立行政法人化して、教官の身分を非公務員化することは「学問の自由」を侵す
危険があると世間に訴える記事を書いても、あまり一般の読者にアッピールし
ないかもしれない。しかし、これはこれまでの国立大学(のみならず公立、私
立大学も含めて)の社会における位置付け、一般社会との関係が、本来あるべ
き姿ではなかったことから生じていることであって、一方的に大学側の責に帰
せられることではない。

“「学問の自由」の名の下に、国立大ではさして効率的な研究も教育もされず、
自己チェックもなく、国際水準から遠い存在と化してしまった”というような
ことを、団藤記者はどういう根拠にもとづいて言っているのか? (グラフな
ど、数値的データを持ってきて示してほしい!) 研究のピークのところを言
うと、一昨年は白川先生、昨年は名古屋大学の野依先生、それから1981年
には、同じ化学の分野で京大の福井謙一先生がノーベル賞を受賞されている。
それだけではなく、とりわけ自然科学の分野では、論文の引用度はまだ低いが、
貧困なる研究条件を克服しながら、国立大学の教員は日夜努力して、相当な数
のすぐれた研究論文を発表している。 団藤氏は、長年文部省により管理、規
制され、巨大科学(技術)の陰で冷遇されてきた国立大学の過去の歴史、現在
の研究現場の全貌を本当に把握されているのか?

団藤氏の本文にもどり、、

>「この国のホワイトカラーの能力が欧米企業から大きく劣っている現実だけと
>  っても、大学教育に大きな責任があると言うしかない。日本企業がこれまで本
>  物の実力主義で出来ていなかったために、大学は従順な人材さえ送り続ければ
>  良かった点を差し引いても、ひどい。また、研究テーマの選択で世界に例が無
>  い独創を狙うより、流行に流され続けている傾向はずっと改まらない。多数の
>  ベンチャー企業群を生み出すような科学技術面の活性度が低い点も、米国と比
>  べたら、あるいはアジアまで含めた諸国と比べても相当な「重症」と、科学技
>  術分野で取材経験が長い私は考えている。」

*4)ここも、到底黙過できない! これはこれまでの国立大学(のみならず
公立、私立大学も含めて)の社会における位置付け、戦後の教育制度の欠陥、
大学と一般社会との関係が、本来あるべき姿ではなかったことから生じている
ことであって、一方的に大学側の責に帰せられることではない。それを一方的
に大学の責任、改革を怠った云々で非難するのはあたらない。とんでもない誤
解である。

団藤氏は、「、、、米国の大学と比較して日本の国立大学は、多数のベンチャー
企業を生み出すような科学技術面の活性度が低い、、、」と言っているが、彼
がこのような評価をしているだけで、3)で批判したように、一見まことしや
かな団藤氏の大学批判が、財界や旧通産省官僚、世論の醸成に一役買っている
マスコミの誤った大学批判(大学の国家管理を強め、産学協同路線の下に置こ
うとする政治勢力、官公庁の意向に沿った政治的なもの)と、同類項であるこ
とがわかる。 貧困なる研究、教育の条件のなかで苦闘してきた大学人からみ
て、上記の団藤氏の言を強く批判しなければならない。

団藤氏は長年文部省により管理、規制され、巨大科学(技術)の陰で冷遇され
てきた国立大学の過去の歴史、現在の研究現場の全貌を本当に把握されている
のか?
   
団藤氏の本文にもどり、、

>「ここで「学問の自由」だけを唱えるのは、「自分たちは変わりたくない」と
>  言っているのに等しい。「自分たちはこう変わるのだ」と具体的な主張で裏打
>  ちされずにいて、冷たい目を向ける社会の理解が得られようか。
>
>  、、、中略
>   
>     他人がしていないことを研究することに価値観を見いだしている欧米研究者
>  の多くに比べて、国内がなんと安易な研究態度なのか。その実情を示すデータ
>  を、連載第80回「ヒトゲノム研究での異邦人・日本」
>  http://dandoweb.com/backno/20000203.htm
>  で西塚泰美さんの仕事に触れながら具体的に書いた。狂牛病研究ひとつで免責
>  されようか。この安易さから脱却する筋道をつけないで、きれい事だけ並べて
>  賛同できるはずがない。大学人の皆さんは、マスメディアの人間は学問の現
>  場について良く知らないと勝手に思いこまれているようだが……。
>
>      ┗┗┗┗ 大学改革の処方箋は2項目で書けるのに ┛┛┛┛      」

* 5)コメント 以下の言論は、同じ人の言論とは思えないほど、適切に今
の文部科学省の官僚的な施策を批判している。しかし、ここで団藤氏が書いて
いることは、すでに毎日新聞の社説(2001年7月29日)に掲載された遠
山プランに対する批判「大学の視点から練り直せ」で指摘されていることであ
り、二番煎じ(三番煎じ?)である。
 そもそも、大新聞、マスコミがこのような唐突、かつ露骨な行政主導の大学
改革プランにたいし、適切な批判的言論を出したのも、我々大学人の著書によ
る主張#や、いろんなところでの批判的言論が反映してのことであろう。

# 前掲の「内なる大学改革―理系大学人の発言」(学会出版センター刊)

団藤氏の本文にもどり、、

>  「文部科学省は1月末に「大学(国立大学)の構造改革の方針について」
>  http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/14/01/020199b.htm
>  という解説を出した。「1.国立大学の再編・統合を大胆に進める」「2.国
>  立大学に民間的発想の経営手法を導入する」「3.大学に第三者評価による競
>  争原理を導入する」――の3施策は、これまでの経緯をウオッチしていれば分
>  かることだが、実は場当たり的に提示されてきた。この解説で何とか体系的に
>  見せようとする意図が感じられる。
>
>   おまけとして「大学(国立大学)の構造改革の方針に関するQ&A」
>  http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/14/01/020199c.htm
>  を設け「国立大学が法人化すると、授業料を各国立大学で決めることになり、
>  結果として授業料が上がるのではないでしょうか」など、予想される批判にあ
>  らかじめ回答を用意しておく手回しの良さ。
>  しかしながら、書かれている文章は官僚的作文の見本と言うべきだろう。何が
>  核心なのか、読み直しても見えにくい。なら、NHKインターネット・ディベ
>  ート「“構造改革”で大学はどうなる?〜遠山文部科学大臣に問う〜」
>  http://www.nhk.or.jp/debate/th/e/05/onair/e05_3rd.htm
>  の遠山発言を拾う方が話が早い。「再編・統合について」の項にある発言「自
>  主性を尊重するという趣旨でこれまで改革を進めてきている。大学設置基準を
>  大幅に緩和し、自分たちでカリキュラム作成、流動性を促してきた。しかし、
>  それが実際に実行に移されない」なかに、文部官僚としてキャリアを重ねてき
>  た、この人の本音が見える。
>
>   大学人の自主性に任せては、結局のところどうやっても動かないのだから、
>  今度という今度は首に縄を付けてでも文部科学省が引きずり回すしかない――
>  小泉首相から、どやしつけられて、遠山文部科学相はそう観念した――現在、
>  進行している事態はそう理解して良いだろう。とすれば、「学問の自由」を掲
>  げて何も変えないつもりの大学人の態度は、文部科学省からはサボタージュに
>  しか見えないはずである。
>
>   では、文部科学省はベストを尽くしてきたのか。「解説」にある第三者評価
>  の仕組みが「科学研究費補助金の審査方式に準じて」とあるのを見ただけで、
>  現実を少し知っている人には答えが出せる。科研費審査のいい加減さ、恣意性
>  が日本における科学技術の発展をどれほど阻んできたことか。科研費審査を米
>  国並のレベルに高めるだけで、大学改革は大きな一歩を踏み出せる。それを怠
>  ってきた文部科学省が、遅れている責任を大学だけに押しつけるのは失笑を買
>  う怠慢である。
>
>  科研費審査の現水準が第三者評価の公平さを担保すると考える官僚たちに、
>  改革すべき本質が見えているとは到底思えない。第74回「大学の混迷は深まる
>  ばかり」で述べたように、もともと独立行政法人化は行政機関の合理化要求か
>  ら発しており、大学改革とは異質なのだ。」

*竹田のコメント、ここで、書かれている旧文部省、現在の文部科学省の科学
行政に対する批判は、研究現場の大学人から見ておおむね正当だが、団藤氏の
意見というより、所詮上に書いたように、すでに大学人や、マスコミからの行
政批判が流布したあとの、二番煎じに過ぎない。 

団藤氏の本文にもどり、、


> 「 では、どうしたらよいのか。改革の担い手が存在しない以上、現場にいる多
>  数を担い手に変えるしか方法はない。その現場にある、当の大学社会に内在す
>  る仕組みを利用するのが一番だ。連載の第13回「大学改革は成功するか」
>  http://dandoweb.com/backno/970731.htm
>  と読者共作2「ポスドク1万人計画と科学技術立国」
>  http://dandoweb.com/backno/20010927.htm
>  での検討をベースに、私なら2項目の処方箋を書く。
>
>     1.助手や助教授に対する教授の人事権を廃止、教官選考は公開、
>     公募制とし、選考委が学部にどういう専門分野の人材が必要かを
>     検討して選ぶ。
>
>     2.その大学の出身者は学外機関での勤務経験を経ていなければ
>     給与を70%しか与えない。この規定は現職の全教官に対しても5
>     年後から適用する。 」

* 6)コメント。上の処方箋は、オリジナリテイのない、二番煎じを書いた、
もとジャーナリストの個人的意見だが、外部の意見として参考にすべきだろう。
しかし、日本の大学の内部の組織上の問題、すなわち縦割り構造、学閥や講座
制、人事の非流動性は、歴史的に発生してきたものであり、大変根が深い。何
よりも今後大学人が中心になって、困難だが主体的に解決しなければならない
ことである。 

*2)の批判の「、、、大きな困難が横たわっている、、、」を参照してくだ
さい。

団藤氏の本文にもどり、、

>「澱んでいる学閥人事を一掃し、若手教官を縛る制約から解き放とう。早期に
>  何らかの成果を得たいなら、多くを期待すべきは彼らしかない。教官を選考す
>  るたびに、大学内部で学部の進む方向まで含めて真剣な検討があれば、しかも
>  選考対象に情実が加わりやすい学内持ち上がり者は給与制限で参加していない
>  のだから、社会の要請と大筋でかけ離れるはずがない。」

*7)団藤氏が提案された上の二項目の処方箋と、ここに書かれた若手教官を
中心とする学内人事の改革に対する期待は、外部の人の意見として、真面目に
受け止める必要があるが、現在の国立大学の実態(公立、私立大学も含め)や、
「国立大学は、上からの施策には抵抗できない、また内なる改革は至難である、
しかたがない、、、」という大学内部の沈滞した意識、精神状況を理解されて
いると思えない。外から見ては、理解できないだろうが、ここには大きな困難
がいくつも横たわっているからなのである。

団藤氏の本文にもどり、、


> 「さらに、給与70%では現職に居座ることは不可能だから5年のうちには大半
>  の教官が、どこか別の大学で選考委審査の洗礼を浴びる。積もり積もった悪弊
>  はこうでもしなければ除去できまい。科研費審査は仕組み自体を変える必要が
>  あるが、審査する人間自身が経験を欠いている点が実は致命的なのだ。狭い研
>  究分野に閉じこもりがちな教官に一回り広い学問分野全体のことを考える機会
>  を持たせ、公開で公平な審査を数多く経験させることにしか、本質的な改善に
>  導く方法はないと考える。大学の自治とは本来はこうした営みだろう。
>
>   もう一度言いたい。国立大学はこうして変わるのだ、と大学人自ら立案しア
>  ピールせず「学問の自由」を唱え続けて、社会を説得できる可能性は零である。
>  ひょっとして若い教官たちは思っていても、後が怖くて言い出せないのかも知
>  れない。老成した教授陣はそんな目に遭うくらいなら独立行政法人にして、文
>  部科学官僚につつかれながら、自らの殻に籠もる方が良いと考えるかも知れな
>  い。果たして、それで大学は「知」を追求する人たちの集まりなのだろうか。
>  大学改革をめぐる在京メディアの知的レベルも確かにひどいが、今の大学人に
>  笑う資格があるとは思わない。」

*8)コメント。 上の団藤氏の言:「もう一度言いたい。国立大学はこうし
て変わるのだ、と大学人自ら立案しアピールせず「学問の自由」を唱え続けて、
社会を説得できる可能性は零である。」は、いま文部科学省の未来展望なき、
対症療法的施策に“しかたがなく”従わされんとしている国立大学の教官が大
いに傾聴すべき意見である。

昨年11月ごろ、私が「高等教育フォーラム」に投稿した意見「文部科学省の打
ち出した大学(国立大学)の構造改革の方針を批判する」を参照してください。

                               以上です。 

  貴殿はもとジャーナリストとして、善意でもっていろいろ発言され、国立
大学を批判されているのだと思いますが、上記は私立大学(理工系)の研究、
教育の困難な現場にいる者の国立大の弁護論、いわゆる「世論」にたいする反
論であります。                            

                                                     Thanks!