==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
visits since 2002.4.2

「新しい国立大学法人」と大学進化の方向

国立大学独立行政法人化問題を考える北大ネットワーク

2002.4.2

文部科学省の「国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議」が最終報 告案をまとめた。これは、独立行政法人通則法を大学に適したものに調整する ことが可能かどうかを、文部科学省が協力者60名余と共に4分科会に分かれ 2000年8月以来、1年半をかけ「調査検討」した成果という位置づけになっ ている。しかし、報告案は、現在の政治的・経済的・社会的状況から一方的な 影響を受けており、世紀に一度とも言われる大改革の基盤とすることに耐える 設計図とはなっていない。社会の混乱をとりつくろうために大学改革の青写真 を描いてみても、そこから時代を超えた醒めた普遍的視座は生まれない。調査 検討会議の設計作業が産み落としたものは、まさにそうした、混乱を忠実に反 映したものにほかならない。

大学の内外に、「独立行政法人化という挑戦を受けて立とう」あるいは「受け て立て」、と勇ましく言う人達も少なくない。だが、受けて立つのにふさわし い足場が最終報告の描く「国立大学法人」に果たしてあるのだろうか。“設計 図の歪み”をそのままにして、建築物を立派に仕上げようとする努力は空しい。 私たちが今すべきことは、虚心に、設計図の歪みを点検し、引きなおしていく ことだろう。

最終報告案の特徴

(1)「箸の上げ下ろし」に限定された自主性・自律性

官が「箸の上げ下ろし」まで口を挟む現状を改め、事前管理から事後管理へ重 点を移すことが、独立行政法人制度のメリットの一つとして強調されている。 今の国立大学では、新しい計画実現には概算要求という形式に伴う煩雑なプロ セスと長い時間が必要である。予算執行にも煩雑な事務処理があり大学の活動 の効率を殺いでいる。独立行政法人化後は、運営費交付金が一括して大学に交 付され使用時の裁量が大きくなると言われている。そのかわり、運営費交付金 は、文部科学省が策定する中期目標に対して大学が立てる中期計画に応じて交 付されると共に、事後評価に基づき、改廃および次期運営交付金の増減の審査 を受ける。

簡単に言えば、「箸の上げ下ろし」の自主性・自律性(運営上の裁量)は高ま るが、何を食べるか(教育・研究の活動・組織の内容)については自主性・自 律性を失うことになる。これは「隷属状態中の自主性・自律性」であり、独立 行政法人通則法は大学には適さない、と言われた理由の中で主要なものである。

最終報告における「調整」は、「中期目標については、・・・・あらかじめ各 大学 が文部科学大臣に原案を提出するとともに、文部科学大臣が、この原案 を十分に尊重 し、また、大学の教育研究等の特性に配慮して定める。」となっ ている。国立大学協会が10月29日総会で採択した意見書で強く批判した 「中期目標の大臣策定」と実質的な違いはない。

(2)学術的多様性を損なうトップダウン経営体制

 最終報告案は、独立行政法人通則法にはない、大学の運営組織についての詳 細な規制を設けている。簡単に概要を説明しよう。

「国立大学法人」の主な運営組織は、評議会・運営協議会・役員会である。評 議会は「学内の代表者」から成り、運営協議会は「大学の経営に関する学外の 有識者」(非常勤)を含むとあるが、いずれも、選出方法は明記していない。 評議会は教学について審議し、運営協議会は経営面について審議し、学長は、 その審議を踏まえて最終的な意思決定を行う。重要事項については、役員会で 議決する。

役員会は、原則として学長と副学長から構成される。副学長は、大学運営の重 要テーマ(総括、学術研究、教育・学生、財務会計、人事管理、施設管理、学 術情報、環境・医療、産学官連携、国際交流など)に応じて配置され、学長が、 教員、学外者、事務職員から選んで任命する。監事以外に学外者の役員(非常 勤可)を置くことが義務付けられている。

上記のように学長は強い権限を持つが、その選考は、「運営協議会及び評議会 双方のメンバーの代表から構成される学長選考委員会において、学長の選考基 準、手続きを定め、候補者を選考する。」と規定されている。運営協議会は学 外者を含むことになっていて、学長選考に学外者の意見が反映されることにな る。

教員人事については、教員等の人事に関する方針及び基準・手続きは、評議会 の審議を経て、大学内部の規則として定められる。教員の実際の任免について は、学長及び部局長がより大きな役割を果たす、とするが、学部長等の部局長 は学長が任免する、とする。学長が教員任免に直接的関与可能な設計となる。

以上は、大学経営者の権限が強い米国大学の組織に類似している。だが、大学 運営の専門家が米国のようには育っていない日本で、短期間にこのような組織 を強制的に導入すれば、「大学運営の有識者」(文部科学省官僚が大半を占め ることになるのではないだろうか)が、運営協議会委員や 役員に非常勤とし て複数の大学経営に関与し、大学が画一化する原因となる恐れが大きい。

問題はそれだけではない。大学の研究・教育の諸活動は多くの学術的テーマに 分かれており、各テーマの最前線の様相は各分野の者しか判明には認識できな い。独立行政法人化のように大学間競争が強いられる環境で、トップダウンな 経営体制下で少数の分野を重点化する改革を現場の声に耳を傾けることなく断 行するとき、学術的多様性が急速に失われる危惧は大きい。それは日本社会の 知的基盤の衰弱をもたらしかねない。

(3)研究・教育の外部化を指向する国立大学法人制度

 最終報告案は非公務員型を提言した。利点として挙げている「柔軟で弾力的 な雇用形態及・給与体系・勤務時間、外国人の学長・管理職・教員への登用、 兼業・兼職の弾力的運用、人事戦略に基く職員採用」の大半は、経営者の視点 からのものでしかない。しかも、連絡調整委員会でも指摘されているように、 外国人登用以外は、公務員型で応対可能なものばかりである。

裁量制・年俸制・ワークシェアリングなど「多様な勤務形態」の導入理由も、 専ら経営の視点からのものとなっている。現在でも、高等教育教員の半数は本 務校を持たない非常勤雇用にあり、専任教員との大きな経済的格差・労働条件 の格差に苦しんでいる。この捩れを専任スタッフの中にも拡大する最終報告案 の行き着く先に見えるものは、労働者・研究労働者をロボットのように効率良 く働かせることにより、研究や高等教育ではなく、利潤追求を主要な関心事と する大学株式会社の姿である。最終報告案が描いた「国立大学法人像」は、非 営利法人化としての私学化を飛び越え、大学の営利法人化を準備するものとなっ ている。

(4)非公務員型によるハードランディング

 2月21日の連絡調整委員会でハードランディング(法人化時職員入替)で なければ、独立行政法人化の意義はないと発言する委員が居る が、効率性の 観点だけで人を雇用するという人心無視の経営で大学が活性化するとは思えな い。これは大学に限ることではない。日本社会は人心を凍てつかせて平然とし ている人々によって閉塞状態にある。そういう 人々の価値観が大学を支配す ることを許すことが社会に与える悪影響は決して小さくはあるまい。

           ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 以上のような「新しい国立大学法人」の設計図で大学を建て直すとき、学問 の自由は「決められたテーマを研究する時の発想と手段の自由」に退化し学術 的多様性は蝕まれ、研究・教育を単なる一つの事業としか見做さない経営者が、 教職員を効率的に働かせることに専念する営利大学に向けて大学は変質してい く。そこには、大学関係者が勇ましく「挑戦を受けて立つ」などと嘯く足場な どどこにもないことを冷静に見極める必要がある。

なお、最終報告の上記問題点の一部が大学側の強い反発によって今後若干修正 されることもあるかも知れない。しかし、独立行政法人制度の骨格を国立大学 法人制度が踏襲するならば、政府の大学への関与の仕方は格段に強まることに は変りはない。特に、6年周期の改廃審査を骨格とする制度であることは、多 様なタイムスパンを持つ諸活動からなる大学の性格に根本的にそぐわないもの と考える。

「痛みを伴う」改革が進行しリスクを回避し生き残りに走る行動が日本社会全 体を覆ったことが、経済的低迷の大きな要因となっていることがしばしば指摘 されている。独立行政法人化により、リスクをとれない環境に国立大学が置か れることになれば、大学全体もまた、長期的な低迷に追いやられるであろうこ とを警告したい。

大学進化の方向

 独立行政法人化を含む「大学構造改革プラン」により、国立大学だけでなく、 日本の大学全体が大きな危機を迎えている。研究・教育を受注する下請け会社 になり、自立した精神活動の場としての大学のアイデンティティを失う危機で ある。しかし、同時に大きな好機も到来している。日本社会が必要としている 水路を見いだし呈示することが出来れば、独立行政法人化に向かう大きな流れ を、大学進化への流れに導くことができる可能性はある。

日本の大学はどこに向けて進化することが望ましいのだろうか?それは、大学 自身が困っている問題群の核心ーー各世代の過半数が大学に進む時代において 大学教育の伝統的制度が十分に機能しなくなっていること、初等中等教育への 大学入試の影響の歪みが許容限度を超えつつあること、行政指導が大学の手足 を縛り自由な活動を阻んでいること、高等教育学費の高騰が日本社会の大きな 負担となっていて少子化の原因ともなっていること、等々ーーに向き合っては じめてわかることであろう。

これらの問題の真の解決に向かって大学が進化し始めるための鍵は、多くの関 係者の共通認識となっているように、高等教育予算の充実、予算配分作業を政 府から独立させること、そして、高等教育の形態・内容への夥しい規制の緩和、 にある。これらの困難な課題を回避する改革は、大学を疲弊するだけでなく、 問題を悪化させることになるだろう。

おわりに

 「国立大学法人」は、硬直した官の論理と利潤追求を旨とする営利企業の合 体物―フランケンシュタイン―にほかならない。フランケンシュタインは、自 身を創り出した者に襲いかかり、これを滅ぼした。「国立大学法人」がそうな らないという保障はない。この巨大なフランケンシュタインの出現により滅び るのは、日本の学術・高等教育、そしてほかならぬ私たちの社会そのものであ る。そうならないために、私たちは、真の進化を可能にする方向を社会に呈示 し、一歩でも歩み出さなければならない。危機を予知し、これを防ぐために国 立大学教職員に、日本社会が私たちに望んでいるのは何かを考え行動するよう 訴えたい。