Date: Mon, 29 Apr 2002 23:00:00 +0900 To: kagkeik@mext.go.jp From: tujisita Subject: 「研究及び開発に関する評価指針(草案)」に対する意見 「文部科学省における研究及び開発に関する評価指針(草案)」に対する意見 (1)「共通事項」2.2.2は、大学に適用すべきではない。 (説明) 第2章共通事項 2.2評価者 2.2.2評価の観点に応じた評価者の選任 に「科学的・技術的観点からの評価においては、評価対象の研究開発分野及び それに関連する分野の研究者を評価者とする。社会的・経済的観点からの評価 においては、評価対象と異なる研究開発分野の研究者、成果を享受する産業界、 一般の立場で意見を述べられる者や波及効果、費用対効果等の分析の専門家等 の外部有識者を加えることが適当である。」とある。 「成果を享受する産業界、一般の立場で意見を述べられる者や波及効果、費用 対効果等の分析の専門家等の外部有識者」も評価者に加える指針を国立大学に 適用することは、3月26日に公表された国立大学等の独立行政法人化に関す る調査検討会議の報告書「新しい「国立大学法人」像について」との関連で大 きな問題を孕む。すなわち、同報告書では、大学運営の諸レベルに学外者を参 加させることを義務付けているので、両者を組合わせるとき、「産業界・学外 有識者」が、大学の企画立案から評価までのすべてに亙って参画することにな り、大学の自主性・自立性は形骸化される。 大学は社会に過度に従属することによっても存在理由を失う危険性がある( 資料[1-1])。この意味で「国立大学法人」の報告と、今回の指針とを両立させ ることは、大学の活性を急速に奪う懸念が強い。従って「共通事項」2.2.2 か、国立大学法人化政策の下では、大学に適用すべきではない。 ---------------------------------------------------------------------- (2)「数値データ」利用への歯止めが必要 (説明) 2.3 評価時期及び評価方法 2.3.4評価に当たり留意すべき事項 2.3.4.3客観的な情報・データ等の活用 において、「評価実施主体は、評価者の見識に基づく判断を基本とするが、評 価の客観性を確保する観点から、研究開発分野毎の特性等に配慮しつつ、可能 な限り、論文被引用度、特許の活用状況等の客観的な情報・データ等を評価の 参考資料として活用する。」と記されている。しかし、「数値データ」へ安易 に走る評価の現場の実情を考えると、力点を逆転して次のように書くことが望 ましい。 「評価の客観性を確保する観点から、論文被引用度、特許の活用状況等の客観 的な情報・データ等を評価の主な資料とする傾向が強いが、研究開発分野毎の 特性等に配慮しつつ、評価実施主体は、評価者の見識に基づいて総合的に判断 することを評価の根幹とすることを忘れてはならない。」 --------------------------------------------------------------------- (3)基礎研究の評価における「社会的・経済的観点」とは何か? (説明) 2.3 評価時期及び評価方法 2.3.4評価に当たり留意すべき事項 2.3.4.6基礎研究等の評価 において「基礎研究については、その成果は必ずしも短期間のうちに目に見え るような形で現れてくるとは限らず、長い年月を経て予想外の発展を導くもの も少なからずある。このため、評価実施主体は、画一的・短期的な観点から性 急に成果を期待するような評価に陥ることのないよう留意する。その際、科学 的・技術的観点からの評価が基本となるが、社会的・経済的観点からの評価を 考慮すべきものがあることに配慮する。」とある。 「その際、科学的・技術的観点からの評価が基本となるが、社会的・経済的観 点からの評価を考慮すべきものがあることに配慮する。」の後半が、この項に おけ基礎研究の評価についての留意すべきことの趣旨とは相反するものであり、 異様な印象を受ける。基礎研究も特別視はしない、ということを強調している としか聞こえない。言葉を補うか、最後の文を削るか、いずれかが必要ではな いか。 ---------------------------------------------------------------------- (4)評価の資源配分への反映は、場合によっては評価の意義が台なしになる 点も「指針」の中で警告して置くべきではないか。 (説明) 2.4評価結果の取扱い 2.4.1評価結果の公表、資源配分等への反映プロセス において「・・・・それらの部門は、評価結果を受け、研究開発施策や機関運 営等の改善や、資源配分等への反映について検討する。」とあるが、反映のさ せかた次第では評価はネガティブな役割を果たすようになる[1-2]という点に も触れるべきではないか。 ---------------------------------------------------------------------- (5)大学の評価の特性への配慮のための具体的方法は記されておらず「精神 論」に留まっている。 (説明) 第4章 研究開発や機関の特性に応じた配慮事項 4.1大学等における学術研究の評価における配慮事項 4.1.1基本的考え方 4.1.1.4評価の際の留意点 4.1.1.4.2評価の方法 において「定量的指標による評価方法には限界があり、ピア・レビューによる 研究内容の質の面での評価を基本とするが、評価の客観性を高める観点から、 論文被引用回数、特許の取得状況等の客観的データを収集・蓄積し、これを適 宜参考資料として活用する。 人文・社会科学の研究は、人類の精神文化や、人類に生起する諸々の現象や問 題を対象とし、これを解釈し、意味付けていくという特性を持った学問であり、 個人の価値観が評価に反映される部分が大きいという点に配慮する。」 ここでも上の(2)と同様に、力点を逆にし、次のような書き方が望ましい。 「評価の客観性を高める観点から、論文被引用回数、特許の取得状況等の客観 的データを収集・蓄積し、これらの資料に基づいて安易に評価する傾向が強ま ることが予想されるが、定量的指標による評価方法には限界があることをふま え、ピア・レビューによる研究内容の質の面での評価を定性的に記述すること を重視することが重要である。 特に、人文・社会科学の研究は、人類の精神文化や、人類に生起する諸々の 現象や問題を対象とし、これを解釈し、意味付けていくという特性を持った学 問であり、個人の価値観が評価に反映される部分が大きいという点に配慮し、 評価者と被評価者との公開される議論が可能なように配慮することが不可欠で ある。」 ---------------------------------------------------------------------- (6)評価結果の情報開示を評価主体に義務付けるべき。 (説明) 2.4 評価結果の取扱い 2.4.3被評価者からの意見の提出 において「評価実施主体は、評価実施後、研究開発の規模等を考慮しつつ、被 評価者からの求めに応じた評価結果(理由を含む)の開示、被評価者が説明を 受け、意見を述べることができる仕組みの整備に努める。被評価者からの意見 を受け、必要に応じ評価方法等を検証する。」とあるが、「努める」では弱い。 情報開示は不可欠な事項とすべきである。 ---------------------------------------------------------------------- 参考文献 [1]喜多村 和之「大学は生まれ変われるか―国際化する大学評価のなかで」 中公新書1631 (2002/03/01) ISBN: 4121016319 抜粋 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121016319/ ---------------------------------------------------------------------- 資料 [1-1] p166「学問の自由とその制度化としての自治を喪失した大学は、もはや 大学の名に値しない。仮に大学の形態は保ち、生き残りは保てたとしても、そ れはもはや大学ではないと著者は考える。「大学は時にはあえて時代遅れにな ることを選ぶ勇気をもたなければならない」とはアシュビーの言葉だが(アシュ ビー、1995)、著者も大学の最後のとりでは自由と自立であり、そのこと が社会に最善の貢献をなし得る条件であることを確信するという意床での「保 守主義者」である。 こうした大学の危機を救うひとつの手段が、大学自身による自律的評価であ り、新しい時代に合った自治の観念の確立である。そしてその根底には、現代 における大学とは何かという問いに答えるに足る大学論と、高等教育システム 全体をゆるやかにつつむ新しいグランドデザインが必要となる。その課題に応 えるのは本書の範囲と著者の力量をはるかに超えているが、本書ではそうした 問題の重要性だけは指摘しておきたい。 くりかえすが、大学が自己の存在意義を明らかにし、これを社会に納得させ るような実質を示せないならば、大学に代わるものがあらわれて、その役割を 襲うことになるかもしれないし、あるいは大学として死んだまま制度としては 生き残ることになるのかもしれない。その意味で、21世紀の大学は、大学と しての存在意義と再生を試される、さしせまった挑戦にさらされているのであ る。」 ---------------------------------------------------------------------- 資料[1-2] p90 「「沈滞した」日本の大学に刺激を与え互いに切瑳琢磨させる ために目標を設定し、「公正で客観的な」「第三者機関」によって厳正な評価 を行い、順位を決めて、資金をインセンティブとして重点的に投資する、とい うのが文科省の筋書であろう。これは公的資金の有効活用という政府の目的か らすれば当然出てくる政策ではある。しかし、このシナリオが意図通り達成さ れるためには、たとえば少なくとも次のような疑問がクリアされていることが 前提となるだろう。 (1)研究・教育の質的向上のためには、自由放任的な学術研究にゆだねるより は政府の意図的な重点投資政策のほうが有効な戦略である。 (2)評価を公正かつ厳正に行えるだけのインフラ、方法論、データの裏付けや 蓄積が整備されている。 (3)評価と資源配分とを直接結びつける政策は、いかにしたら威信や資金を確 保できるかという戦術的競争をあおるのではなく、長期的な教育・研究の質の 向上・発展につながる刺激策となる。 (4)特定の数を上限とする重点政策は、やがてその順位に入らない大多数の高 等教育機関から構成される高等教育システム全体の底上げにつながる。 (5) 重点化政策は政府みずからが大学間の格差を明確にし、序列化を進めるこ と、つまり大学ランキングがはらむ問題を拡大再生産する役割を果たす結果に はならない。 しかし、いかなる政策にもメリットもあれば思いがけない副作用もある。に もかかわらず、性急な断行をもとめる政治や行政は後追いの研究など待っては くれない。つまりもはやとどめる術がないままに現実はどんどん進んでいくの だ。それが政策というものの強さであり怖さである。 高等教育や研究・開発への公的投資の低下が指摘されている今日、競争的資 金が学術研究や高等教育に少しでも回されることは必要であり、世間ではこう した方針に喝采し、公金を支出する以上、競争的な資源配分と評価を行うこと は当然と考える人が多いであろう。 しかし大学においては、学問の分野にもよるが、競争原理を導入すれば向上 の刺激になり、カネさえ増やせば教育・研究の質が向上するという保証はかな らずしも自明のことではない。また、研究費欲しさに魂を売り渡すという学問 の自由にかかわる重大問題も副作用として出てくる可能性もある。 その前提として人事の流動化や柔軟な研究・教育条件の整備などのインフラ が不可欠なことは識者の指摘するとおりである。問題はこうした投資の政策が、 長期的かつマクロな展望から日本の学問を育成し、世界に誇るべき大学を形成 できる方法であるかどうか、つまりその政策意図が正しく達成できるかどうか ということである。 評価の対象は学問専門分野別で大学院の博士課程であるという。しかし、研 究を重視し、大学院博士課程の専攻を対象とすればその面で充実している国立 大学が圧倒的に有利になり、そのなかでも旧制帝国大学系の大学院重点化大学 が圧倒的に有利になるだろう。そうだとすれば、結果的には従来の国立大学の 階層構造をいっそう強化するという結果になりかねない。さらに公・私立大ま で競争に巻き込んで、「客観的」で「公正」なデータでやはり国立に多くの資 源をまわすことを正当化する結果にはならないのだろうか。第三者評価によっ て「重点化」の組織を選定するというが、評価の理論および方法の面で十分な 蓄積をもたない日本の場合、どのようにして公正な評価が実施できるかも疑問 が多い。 評価が資源配分の目的で行われる場合には、政策意図とは異なり、研究・教育 の改善・向上という目的が、いかにしたら資金を獲得できるかという手段に変 質してしまうおそれも強い。同時に大学の威信獲得の手段と化し、大学の序列 化をいっそう進めることにもなり得る。つまり大学間の健全な競争のみならず、 生き残りをかけた戦いをあおる可能性もはらんでいる。こうした負の副作用を いかに最小限にとどめるかという方策が考えられなければならない。 著者が危倶する最大の問題点は、教育・研究の評価を、「客親的」で「普遍 的」な基準や「目にみえる指標」(たとえば、論文発表数、被引用数、学会で の受賞数、科学研究費の取得数などといった数値)を導入し、それによって測 定しようという傾向が支配的になってくることである。いうまでもなく学問に は数値やデータでその質を表現できやすい領域の分野と、芸術、文学などのよ うにそうした指標では表現しがたい領域のものとがある。成果や実積としては 目立たず、学界の関心の対象にもなりがたいが、その分野の地味な長期的研究 が大きな発見につながったりする場合も少なくない。みえる証拠を強調するあ まりに、このカテゴリ−に入らない学問の価値をそこなわないようにするには どうしたらよいかという問題も解決されなければならないだろう。 いまひとつの問題は、質の評価と資源配分とを直結させ、そのプロセスのな かに、政府の関与が強まってくるのではないかということである。一方で大学 設置基準の大綱化をはじめとする規制緩和と自己責任の強調によって大学の自 律性と自己改革を奨励しながら、他方で評価というムチと予算誘導というアメ を与えて大学を制御するというのは、政策的にも整合性がみられないし、従来 の規制緩和と自己責任の強調という政策とは逆行することになる。同時に明治 以来の政府主導による資源集中投資によって効率化を追求するという近代化路 線は、すでに歴史的役割を失っているのではないだろうか。 |