==> 国立大学独立行政法人化の諸問題

定期総会にあたっての要望

辻下 徹

2002.11.12

To: gakuchou
Subject: 定期総会にあたっての要望
From: TSUJISHITA Toru 
Date: Tue, 12 Nov 2002 08:50:14 +0900



国立大学長 各位

誤りを正すのに遅すぎるということはないと思います。各大学が生き残りを図
ること自身が、各大学の生き残りを困難にしていることは、すでに十分にお気
づきのことと思います。いま、国立大学が疲弊し混迷し、社会からは種々の批
判があるとしても、それは、国立大学を「国立大学法人」という名の下請け教
育会社ないし研究会社にしてしまうことを国立大学長の皆様が了承する大義名
分にはなりません。10年後あるいは20年後、日本の大学が「活性化」し、
理性のかけらもない盲目的断片的知的労働で覆い尽されたとき、皆様はどのよ
うに責任をとられるのでしょうか。「仕方がなかった」と責任を回避すること
は許されない、強力な法的権限が皆様に付与されていることを御存知ないはず
はありません。皆様ご自身が国立大学を独立行政法人化させようとしているの
です。

この3年間の、国立大学長の方々の迷走ぶりは目を覆うばかりのものです。ど
うぞ我に返って、国立大学の信用をこれ以上貶めないよう、毅然とした態度を
示して頂ければ、と願っております。特に、4月19日の臨時総会での「最終
報告容認」が「法人化容認」以外の内容を実質的に失いつつあるいま、明日の
総会では国立大学協会としての意思を新に明確に表明することは不可欠ではな
いでしょうか。それは同時に、国立大学が社会からの信用を回復する第一歩と
ならないでしょうか。

最後に、雑誌「IDE--現代の高等教育」の9月号に掲載されていましたコラムを
紹介させて頂きます。これまでの国立大学協会の軌跡を客観的に吟味している
と思います。国立大学協会が、この鏡に映った姿を見て正気を取り戻し、姿勢
を正して、すべきことをして頂ければ、と願ってやみません。

辻下 徹
北海道大学大学院理学研究科
011-706-3823 
http://ac-net.org/dgh/

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lDE2002年9月号p74−75 コラム「一滴」

国大協は何をしたか、何をすべきか

およそ2年間にわたって,国立大学にさまざまな議論を巻き起こしてきた国立
大学の法人化は今春の国大協総会で,国立大学が法人化を受け入れることを,
ほぼ表明して,一応の決着がつくことになった。

「ほぼ」と書いたのほ,法人化を受け入れるという趣旨が,きわめて明快に示
されたとはいえなかったからだ。しかし考えてみれば,この2年間,国大協は,
まさにこの暖味さのなかに浮遊してきたといえよう。総会での議論は錯綜し,
ほとんど対話が成立しないままに終わる。まとめも必ずしも十分に行なわれず,
総会後の記者会見でも何が話されたかわからないから,出席した新聞記者はど
うにも記事にしようがなかったという。

もちろん,それには相当の理由があったことも事実だろう。国立大学の中には
一部で積極論もあったが,他方でかなリ明確な反対の立場を示していた学長も
少なくなかった。この中で,むりやりに結論を出そうとすれば紛糾するし,あ
るいは国大協分裂といった事態も生じるのではないかという配慮もあった。現
在の国大協が,本質的には学長の親陸団体でしかないことの矛盾がここで出た
ともいえる。

もう一つ大きな問題は,「法人化」案自体に常に曖昧な点がつきまとい,賛否
を論理的に議論し,態度を決定することが難しかったことだ。これは「調査検
討会議」が設置されて,1年間にわたって続けられても本質的に変わらなかっ
た。現在にいたっても,例えば大学の意思決定に関して,最終的に誰が決定を
行ない,また責任をもつのか,いいかえれば,監督,決定と執行の機能がどの
ように分配されているのかは,明確となっているとはいえないのではないか。
財政についても補助金配分の方法と,そこへの評価の介入,という肝心の部分
はまだみえていない。

それにも関わらず,国大協に別の道がなかったかといえば,必ずしもそうでは
ないのではないか。たしかに法人化案の検討を行なう委員会などはつくられた
のだが,これは今から振り返れば,抜術的なディテールに関わり,国大協とし
てどのような見通しをもち,どのような議論を積み重ねるべきかといった問題
関わることはなかった。他方で既設の常置委員会には,実質的にほとんど機能
していないものさえあった。さらには2001年秋には,法人化問題について
の国大協の実質的な意見表明が,二つの異なる形で行なわれる,という事態さ
え生じた。

これらは国大協が,各大学の学長が本業の傍らに個人的な犠牲を払って支えら
れている,という組織的な制約からくることはいうまでもない。しかしそのな
かでも,もう少し戦略的な通営が不可能であったとは思えない。

いずれにしても,こうした国大協の浮遊状態の結果として,あたかも国立大学
の存在自体が問題になっているときに,国立大学は国民全体にそのメッセーシ
を明確に伝えることができなかった。同時に,国大協は大学の構成員に対して
も,何が問題であり,どう議論するべきなのかさえ,提起することができなかっ
た。何年か後になって振り返ってみれば,このことの意味は軽くなかったとい
うことになるのではないだろうか。1970年前後の大学紛争が,大学に対す
る社会の不信を生じさせた後に,国立大学への予算配分が停滞し始め,そのダ
メージがその後20年近くも回復されなかったことさえ想起される。

ところで皮肉なことに大学法人についての国大協の決着は,すでに実質的に国
立大学にとっての重要問題,21世紀COEや,統廃合問題に移りつつある時
点で行なわれた。法人化はむろん重要な問題だが,それがこのような個別大学に
とってのきわめて現実的な問題との絡み合いの中で進行しているというのが現在
の構図だ。そのため,問題の焦点はすでに個別大学に移ってしまっているかにみ
える。しかし,グローバル化や,いわゆる構造改革,財放支出削減の圧カのもと
で,国立大学が全体として取り組まねば有効ではない問題はむしろ拡大すると考
えられる。

こうした展望にたって,国大協をどのようを組繊にするべきか,といった議論
も行なわれ始めたようだ。事務局を強化し,参加する学長の負担を軽減するとい
った工夫も必要だろう。あるいは国大協自体に企画・調査機能をもたせることも
必要だろう。しかしそれには時間がかかる。ここ1〜2年の間に生じる,きわめ
てクリティカルな状況の変化に対応するために,とりあえず必要なのは,リーダ
ーシップの強化ではないだろうか。                                (トラ)
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