国立大学独立行政法人化の諸問題
http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/021113syutokenseimei.htm

国大協総会は独法化を白紙に戻し、97年決議に立ち戻るべきである

2002年11月13日

独立行政法人反対首都圏ネットワーク事務局

一、国大協法人化特別委員会は半年間、何を議論してきたのか

国大協は、4月19日の臨時総会で法人化特別委員会を設置して以降、主として同委員会(石委員長)を中心に法人化問題を議論してきた。5月17日から11月5日までの9回の会合の「議事メモ」や資料を手がかりに、特別委員会および国大協における議論と独法化への対応の実態を整理してみよう。

(1)国大協は文科省の下請け機関か―「人事制度関連」の議論について

特別委員会では、第2回(6/3)において、文科省から「国立大学法人(仮称)に係る諸規定等の概要」が説明されており、1)組織業務、2)人事制度、3)目標・評価、4)財務会計、の四つの事項に分けて記されている。しかし、第3回から7回までの中心的な議題は、ほぼ人事制度関連のみである。しかも、その検討内容は、職員採用の方法・就業規則など(第4 回)、勤務時間・兼職兼業・倫理保持など(第5回)、給与制度・人事交流など(第6回)、退職手当制度など(第7回) といった、きわめて具体的かつ実務的な内容に限られている。あたかも、最大の関心事は文科省のキャリア官僚の「流通システム」をどう維持するかにしかないように見える。しかも、その作業を他ならぬ国大協が行っているのである。

本来、人事制度についての最重要の課題である教特法の内容的継承といった事柄は、ほとんど検討議題に上っていない。しかも、これらの検討結果は、第8回委員会で確認された「人事制度についての参考事項」として9ページの文書に整理されているにすぎず、それさえ何らかの結論が出ているわけではない。

(2)法制化グループ重要論点の意味するもの

特別委員会の法制化グループは、「国立大学の法人化に関する法制的検討上の重要論点(案)」(第7回委員会9/20)を提出している。これをめぐって情勢のポイントと国大協の態度の本質を読み取ることができる。

第一に、法制化グループは、「国立大学法人化」に当たって「広義の独立行政法人制度の下で」制度設計を行うと認めている(論点1)。これは第106回総会の確認事項に明確に反する見解であり、そう考えているならば、国大協は法人化を受け入れることはできないはずである。

第二に、論点2を読んでいただきたい。そこでは、「学校教育法上の設置者は国であるとの『基本的な枠組みは堅持する』必要があること、法制的な整理は『可能』であり、法人化後の国立大学に対する国の設置者としての責任の明確化の観点からも必要である」とある(『』は引用者)。「基本的な枠組み」とか「可能」とかいう文言は、文科省調査検討会議の「最終報告」の路線とは異なって、いまだに設置者が国であることさえ認められていないことを示しているのではないか。

第三に、上記論点1のうち「広義の独立行政法人の下で」という文言と、論点2の「法制的な整理」以降の部分が、議事メモの段階では削除されている。これは問わず語りに問題点を浮き彫りにしている。つまり、論点1では「法人化=独法化」に他ならない、という本心は語らずに事を進めようとする国大協執行部の態度が表れている。論点2は全体として国大協はすでに妥協への準備を始め、「可能」であるはずの法制的整理ができなくなったときに、それでも「基本的な枠組み」は堅持された、と言う余地を残しておくということではないか。文科省の清水審議官は、「国を設置者とすることで『努力』していきたい」(第7回、『』は引用者)と発言しているが、これは「最終報告」が実現しない可能性を認め、同時にその場合でも国大協は了承してくれる、と見くびった発言ではないだろうか。

(3)主要な関心は学長選

また、第7回委員会では、「法人化後の学長となるべき者の指名方法」なる議題が、全国立大学の学長選挙の日程表も示しながら検討されている。そこでは、「法人化後の選考方法を前倒しして選考することが考えられる」とまで述べられている。つまり、トップダウンの運営と学長選挙制度の廃止を「法人化」以前に強行しようというのである。そのようなことは、現在の制度の下でできるはずがない。しかも、これが法案の骨格もできていない現在の段階で、様々な重要事項を脇に置いて検討する事柄であろうか。ここでは、学長諸氏の見識が問われている。国大協は「各国立大学の連合体」(1970年第47回総会)であって、単なる学長の集まりではない。

(4)「効率化係数」を容認

財務会計制度に関しては、文科省の「運営費交付金算定基準(案)」(02年10 月)が出されている。そこでは、「学部・大学院学生等の教育に必要な経費」を除くすべての項目に、(マイナスもありうる)「消費者物価係数」と、「業務政策係数」という名の「効率化係数」がかけられている。これは、機械的に運営費交付金を削減する(すでに独法化された機関の場合は年1%)ことが可能な仕組みが埋め込まれているということである。この「業務政策係数」をどうするか、さらに「単価」をどう設定するかは、主務官庁(文科省)などの胸先三寸ということであろう。国は「単価」や「係数」をコントロールすることで、特定の「事業」に財政誘導することも可能となるのである。

この「基準(案)」に対して、国大協側の財務会計対応グループの「論点メモ」(02.10.2 5)では、こうした係数について文科省等の「恣意的な運用」が行われる可能性を認めている。しかし「論点メモ」では、特定運営費交付金について、「効率化係数」の導入は「不可避」として、自ら容認してしまっている。

財務会計対応グループの「論点メモ」の残る論点は、ほぼすべて文科省が具体的な情報をなお提示していないことに対する開示の「お願い」で満たされている。

そもそも、文科省が、「独法化」後も概算要求方式が継続する、と説明していることは、独法制度と運営費交付金というシステムが大学に適合的でないことを自認しているということではないだろうか。結局、これまでのように新規事業だけでなく、収入・支出に関わるすべての項目について、毎年概算要求を行う必要があるということである。厖大な経理の実務と、経営の論理が教育と研究の内容を左右するというシステムが出現するのである。

二、白日のもとに曝け出された矛盾と問題点

(1)なお定まらぬ法的枠組み

国大協特別委員会では、10月25日という時点になってもなお、「現段階では国立大学の法人化に関する法的・制度的枠組みや財政的措置が必ずしも確定しておらず...」(第8回資料1「人事制度についての参考事項(案)」)と、法的枠組みも財政措置も未確定であることを認めている。では、法的枠組みの争点は何であろうか。

第一に、先述のように、設置者が国となるかどうかが問われている。これに伴い、学校教育法のいう大学という位置づけになるか、国の設置者責任があるかどうか、が問題となる。

第二に、職員の身分継承がそのまま行われるのかどうか、が問題となる。先行独法では、そのすべてにおいて、個別法の附則2条で身分の承継がうたわれている。例えば、「独立行政法人国立自然の家法」の附則では、「第二条 少年自然の家の成立の際現に文部科学省の機関で政令で定めるものの職員である者は、別に辞令を発せられない限り、少年自然の家の成立の日において、少年自然の家の職員となるものとする」とある。この附則が「国立大学法人法」においても規定されるのか否か、現実の身分継承が行われるのか、文科省は何らの方針も打ち出していない。

第三に、学長選考権の問題がある。「最終報告」では、学長選考委員会(仮称)が選考を行うことになっているが、具体的な仕組みがどのように法的に規定されるのか不明である。「法人化」後も、現行と同じく評議会による学長の選考方式を維持する、とする大学もあると聞く。国大協はどう考えるのか。

(2)大学崩壊の財務会計制度

1)想定される財務会計

独法化ののち、運営費交付金はどう算出されるだろうか。おそらく、出発時点は03年度の配分予算に業務政策係数(1%の効率化=0.99)をかけたものとなるであろう。以下、先述のように「恣意的」に「複利方式(利益ではないから複損方式とでも言うべきか)」で毎年1%減が見込まれる。つまり、運営費交付金には、機械的な予算削減装置が埋め込まれていることを今一度確認しておこう。高等教育全体の予算を拡大すべき、という国大協の主張はどこへいったのであろうか。

さらに、大学内の配分については、「自主的」な運営という名の下に、学長・役員会の方針によるトップダウンの配分が可能となる。そうして配分された予算は、「国立大学法人会計基準」で処理を行う。評価が悪ければ負債(配分予算)は帳消し(収益化)にならず、次期の配分に影響を与える。これを避けるには、「一定の期間の経過を業務の進行とみな」さねばならない(02.8.22「会計基準中間報告」)ことになる。

2)自律的経営とは無縁な虚構の財政制度

しかも、特別委員会では、「運営費交付金の算定基準は、あくまで各大学の運営費交付金を算定する根拠を示したに過ぎず」(02.10.25財務会計対応グループ「論点メモ」)と述べられており、要するに「算定基準」なるものも虚構にすぎないことになる。これでは、「運営費交付金等についての予算を要求する際の基礎となる」(「最終報告」)はずの中期目標・中期計画は、事実上無意味となることが推定される。

運営費交付金というシステムは、結局のところ大学側の国に対する予算請求(要求)権を認めないことを意味する。「運営費交付金は「渡し切り」だから、自由だとか自主的だ」というのは空騒ぎであり、「恣意的」な効率化係数の設定によって予算は削減されるから、減額された予算の分配方式については、事実上大学側の選択肢はないといってよい。あるいは、学長の恣意的な配分を許す、ということにもなりかねない。

要するにこの財政制度によっては、財政的な自立は全く達成されず、しかも機械的配分か恣意的配分を行うしかなく、事後評価による収益化(バランス化)が中心となるため、実際上は経営能力も発揮されない、という状況が容易に予想できる。これは、独立行政法人財政に内在する根本的矛盾なのである。

(3)無意味な中期目標・中期計画策定作業

このような状況の下で、現在各大学で進められている中期目標・中期計画の策定作業とはいったい何を意味するのだろうか。すでに独法化された機関では、中期目標・中期計画とまったく無関係に(削減された)運営費交付金が定められ、(2)の 2)で推定したように、厖大な作業がほとんど無意味となったという現実が存在する。法制定以前に、そのような無意味な作業を強いていることを、国大協はどう考えるのか。

(4)雇用の不安定化と賃金抑制下で停滞が予想される教育・研究活動

「最終報告」によれば、「国立大学法人」では、能力主義・成果主義に基づく人事システムの導入や、任期制の拡大、ワークシェアリング、パートタイム労働などによって雇用の不安定化が図られようとしている。賃金も人件費総額として管理されるから、全体として賃金が抑制される中で、教職員はゼロサムゲームに駆り立てられる。しかも、第9回委員会資料「各国立大学からの質問に対する回答(財務会計関係)」(02年11月文科省)によれば、定員外職員(日々雇用職員)等の賃金については「人件費としての積算は考えていない」(問14への答)として、現在と同じ物件費扱いの方針が示されている。これは、定員外職員への不当な差別を解消するための財政的保証を準備しないことを意味する。こうした状況のもとで「物質的インセンティヴ」によって競争を強いることは、教職員の士気を低め、相互不信と対立を招くことになろう。教育・研究の現場でどのような状況が起きるのか、国大協で真摯な議論が行われているのだろうか。

(5)莫大な法人化費用

旧7帝大のある大学では法人化準備に70数億円を計上し、概算要求を行うと伝えられている。そうであるならば、全国立大学予算に占める同大学の割合を勘案すれば、法人化準備費用は全体で約千数百億円となる。これは、科学研究費補助金の年間予算にほぼ匹敵する。この膨大な金額をいったいどこが補償するのか。国が予算措置をするのであろうか。国から出ないとなれば、各大学の負担となる他ない。それで、移行期における教育研究の水準は維持できるのであろうか。

しかも、文科省は、法人化によって、労働者災害補償保険料、雇用保険料、火災保険等損害保険料、医療事故に備えた保険料等の負担が新たに必要となるとしている。(前掲の第9回委員会資料)これはいったいどれほどの額となるのか、見積もりを示すべきである。これは、大学が法人化することのみによる社会的負担の増大であり、保険会社等へのビジネス市場の提供であり、国民にとっては無駄な負担の増大ということになる。また、大学にとっては、研究、教育経費の純縮減を意味する。独法化とは、このような莫大な費用に見合うような制度とは到底考えられないのである。

(6)違法な準備作業強行で阻害される大学の本務

法案の姿も見えていない現在、各大学では法人化の「準備作業」という名目で厖大な作業が強いられており、それが大学本来の業務を阻害する状況に至っている。例えば、承継物品目録の作成作業を見てみよう。とくに図書館関係の作業量は厖大であり、しかも短期間での作業が要求されている。わずか4か月で創設以来の原簿を目録化するよう命じられた図書館もある。

しかも、このような作業に対して人的・予算的補償がまったく行われていない。法人化の準備作業については、そもそも法案が成立して初めて、その移行への準備などの費用を請求できよう。その作業を現段階で行うということは、通常の予算の枠内で人員・予算を使わざるを得ないということになる。これでは、大学の本務はやらなくともよい、ということなのだろうか。

三、独法化を白紙に戻し、97年決議に立ち戻れ

(1)政府内部での確執の本質は何か

現在、国立大学法人化(=独法化)問題について、政府内部で確執があるのは明白である。財務省は、国家統制下の経費削減システムを追求し、経産省は国家権力を用いて、大学を新産業創設機関に変えようとしている。文科省はといえば、官僚統制を維持しつつ、既存のシステムを可能な限り現状維持したいというのが本音であろう。この構図は、独法化の議論の当初から存在したものである。この三者は、同床異夢ではあるものの、一方での公的部門・領域の縮小と国家統制の強化という共通項で癒着しており、その限りにおいて妥協を成立させようとするだろう。そうした妥協によって成立する「国立大学法人」は、大学本来の姿から遠く離れた存在となるであろう。

(2)国大協は思考停止に陥るのか

国大協の態度は、「とにかく04年度に法人化し、中身の議論はそれから」という無責任な思考停止状態にあるとしか見えない。文科省は、2003年3月に閣議決定を行い、通常国会会期中に法案成立、というスケジュールを想定している。そのスケジュールに沿うならば、今回の国大協総会において「法人化」法案の了承を得ることが必要なはずであろう。次回の定例総会は、通常であれば来年6月である。しかし「第5回法人化特別委員会」では、財務のスケジュールは「16年度の概算要求の時期なってようやく姿が見えてくる」という見通しが記されている。さらに、東大のUT21会議の報告書の中で、国大協の財務会計対応グループの幹事でもある宮島氏は、「財源措置、...等、国が法律または指針・基準を定めるものとされている重要事項について、...その公表は早くても平成14年度末」(はじめに)とも述べている。となれば、来年の通常国会での上程すら無理といわざるをえない。

また、前掲の第9回委員会資料では、その表紙に「...現時点における文部科学省としての考え方を示したものであって、関係省庁の了解を得ているものではない。」「今後、関係省庁との調整等において変更が生じる可能性もあり得る。」と記されている。とにかく、04年度に国立大学を法人化することだけが最優先されており、肝心の内容についてはすべて後回しということなのである。

(3)違法な準備作業を直ちに中止し、97年決議に立ち戻って議論しなおせ

以上のように、9回にわたる「法人化特別委員会」における検討内容は、およそ国立大学を「法人化」できるような水準にはない。また、財務会計ひとつをとっても、関係省庁との協議の必要から今年度中の具体化は無理であることが示されている。さらに、国大協が受け入れた調査検討会議の「最終報告」ですら、法制化グループの「重要論点」から判断するに、その実現は危うくなっている。しかも半年間の時間をかけたにも関わらず、ほとんどの事項は法案の形を取ることはおろか、論点整理と検討途上の事柄ばかりである。

ここまで「国立大学法人化」=独法化の矛盾が明らかになっているにもかかわらず、無理なスケジュールを強行し、まともな議論もないままに法律ができるとすれば、将来の大学の自治、自律的運営を阻害するだけでなく、現実の教育研究に重大な支障がでることは必至である。国立大学にとって、独法化することは、百害あって一利なしと言うべき状況にある。この隘路から抜け出すには、「国立大学法人化」=独法化をいったん白紙に戻すことが残された道である。そのうえで、大学の英知をかけて真摯な再検討を行う他はない。


資料

国立大学の独立行政法人化(エージェンシー)化について

平成9年10月21日

国立大学協会

国立大学協会は、本日常務理事会を開催し、行革会議などで論議されようとしている、東大、京大を独立行政法人化する案、あるいは全国立大学を独立行政法人化する案について討議した。その結果、定型化された業務について効率性を短期的に評価する独立行政法人は、現在、多様な教育・研究を行っている大学に全く相応しくないもので、反対することを決議した。

 大学及び大学院の教育・研究は21世紀のわが国の命運を決すると言ってもよい重要課題であり、従って、わが国の教育・研究レベルの一層の向上が急がれている。このことは平成8年に策定された科学技術基本計画を実現するためにも不可欠である。高等教育の改革は、単なる財政改革の視点ではなく、今後のわが国の大学及び大学院における教育・研究の将来構想を策定する中で決めるべきものであると考える。