池内 了(名古屋大学 大学院理学研究科)
自然科学の研究は未知のものを相手にしている。それだけに、どのような成
果がでるかはわからないまま船出をする。幸運によって大発見につながる場合
も、積み上げた労苦が報われない場合もある。それを予め知ることができない
からこそ研究を続けているのかもしれない。しかし、法人化によって中期計画
を組まねばならず、それに従っての研究は近視眼的な成果主義に追いやられる
ばかりで、大きな目標を掲げた研究は廃れてしまうだろう。また、そのような
研究者によって育てられた若手は、さらに近場の成果主義に走ることが習い性
になっていくだろう。10年、20年の単位で見たとき、基礎科学の地盤は浅くな
り、本当の科学力を身につけた人材が払底してしまうことになりかねない。科
学の成果は、金で買えるものではないし、ましてや研究者を成果主義に追いつ
めて得られるものでもない。法人化によって、大学が安手の論文生産工場と化
し、視野の広い大きな夢を抱く研究者が消えていけば、日本はどのような国に
なるのだろうか、それを最も憂慮している。
井上ひさし(作 家)
戦前戦中の、あのガチガチの国家主義の時代にも「大学の自治」がありまし
た。それは東京帝国大学の例を見ても一目で判ります。大正一二年(一九二三)
九月の関東大震災で全建物面積の三分の一を失ったとき、全教授と全助教授が
投票で移転先を決めて、その結果を大蔵大臣に提出しました。ちなみに一位が
近郊(陸軍代々木練兵場)で一五一票、二位が本郷居据りで一三一票、三位が
郊外(三鷹)で一〇三票でした。つまり教授会にそれだけの力があったのです。
もっとも近郊移転は陸軍省の猛反対で実現はしませんでしたが。
大正八年(一九一九)には、それまで二十年間つづいていた優等生への恩賜
の銀時計の下賜が、教師と学生たちの声で廃止されました。理由は、天皇が行
幸になると、大学構内に警備のための警察官が大勢やってくる。そのこと自体
が大学の自治を乱すからというものでした。
このような例はまだまだありますが、紙幅がないのでもう一つだけ書きます。
昭和二〇年(一九四五)六月、帝都防衛司令部が本郷キャンパスの使用を申し
入れてきた。幕僚以下三〇〇〇人の兵士で、ここを使うというのです。当時の
内田祥三総長は、「ここでは一日も欠かすことのできない教育研究を行ってい
るのであり、自分たち学問の道を歩む者たちの死場所でもある。動くわけには
行きません」と断わった。――ところがいま、一片の法律で、総長・学長を大
臣が任命し、また解任できるという途方もないことが行われようとしています。
そんなことになれば、「大学の自治」も「学問の自由」もただの画餅、戦前戦
中よりもさらにひどいガチガチ国家主義の時代になってしまうのでしょうか。
櫻井よしこ(ジャーナリスト)
国立大学法人化で、大学の教育・研究目標を六年単位で区切って中期目標と
し、それを文部科学大臣が決めるようになるのだそうだ。
全国でいずれ八七になる国立大学の教育・研究の中期的概要を決定する能力
が、一体、文科大臣や文科官僚にあるのか。問うのさえ赤面の至りで、答えは
明白だ。
にも拘わらず、日本の大学教育・研究は、いまや彼らの狭量な支配の下に置
かれようとしている。国費を投入するからには、国として責任をもたなければ
ならないからだと遠山大臣は力説する。しかし、これまでも、今も、国立大学
に国費は投入されてきた。それでも教育・研究目標を、政治や行政が決めるな
どという愚かなことはかつてなかった。政治家も官僚も犯してはならない知の
領域の重要性を辛うじて認識していたからである。
それが今回の法人化議論でたがが外れ、世界に類例のない、政治と行政によ
る学問の支配が法制化されようとしている。
学問への支配は、大学の人事の支配によって更に息苦しいまでに強化される。
法人化された大学では学長の任命権も解任権も文科大臣が握ることになる。生
殺与奪の力を文科大臣に握られてしまえば、学長は文科省の意向に従わざるを
得なくなり、大学の自立の精神は土台から揺らぐ。理事の数まで、大学毎にこ
と細かに法律によって決められてしまう制度のなかで、大学の自由裁量は絶望
的に損なわれていく。文科省の顔色を忖度しながら行われている現在の大学運
営は、法人化以降は更に蝕まれ、文科省の指導に決定的に隷属する形で行われ
るようになるだろう。
大学の自主自立と独創性を高め、学問を深めると説明された国立大学法人化
は、その建前とは裏腹に、自主自立と独創性を大学から奪い取り、大学教育と
学問を殺してしまうだろう。
経済政策で間違っても、産業政策で間違っても、やり直しは可能だ。しかし
教育政策における間違いは決してやり直しがきかない。日本の未来の可能性を
喰い潰してしまうこの大学法人化に、心から反対する所以である。
田中弘允(前鹿児島大学学長 医学博士)
私は、国立大の独法化に反対です。独法化は、大学を官僚統制と市場原理と
いう二重のくびきの下に置き、学間の自由な展開を阻害し、財源の確保の為に
企業化するからです。これは、将来のための多様な知の形成と創造力ある人材
の育成という大学の本質的な役割の遂行を阻害します。
私達国民は、本来の社会的公共的使命を達成するにふさわしい自由闊達な大
学を、社会的共通資本として育てなければならないと思います。
本法案は、それとは正反対の方向を目指しています。後世に大きな付けを残
してはなりません。
選良の皆様一人ひとりに、未来を見据えた長期的視点と世界や日本全体を視
野に入れた大所高所からの思慮深い判断が、いま国民から期待されています。
間宮陽介(京都大学 大学院人間・環境学研究科)
国立大学の独立行政法人化を実現させようとしている政党、文科省、国立大
学協会の方々は、ほんとうにこの「改革」が学問・研究の自由度を高め、その
水準を飛躍的に向上させると信じているのだろうか。私はいまだ彼ら諸氏の口
から納得のいく説明を聞いたことがない。大学間の競争を高める?そうかもし
れない。しかしそのとき、大学を超えた研究者の協働はかえって損なわれるで
あろう。学問・研究上の競争とは理論や学説をめぐる競争であって、大学間の
ビジネス競争とはなんの関係もない。
彼らは、独立行政法人化の効能を信じているというより、信じようと必死に
つとめているように見える。法人化に最初は反対した国大協は、バスの発車が
不可避と見るや、バスに乗り遅れることをおそれ、法人化がもたらす利益の分
け前に与ろうと必死になっている。
大学は自らをもっと外に開いていかなければならない。大学人は自己保身に
汲々としてはならない。国立大学の法人化はこのようなもっともな批判に応え
るように見えて、そのじつは大学を内に閉ざす。対外的な広報活動は活発にな
るだろうが、開放的なのは外見のみである。
われわれ大学人に求められているのは、「バスに乗り遅れるな」ではなく、
バスを発車させないことである。そのうえで、真摯に自己改革につとめていく
ことである。
リチャード・ゴンブリッチ Richard Gombrich
(オックスフォード大学ベイリオル・カレッジ教授
サンスクリット学、仏教哲学)
日本の真の友人たちと同様、学問の自由に影響を及ぼすようなやり方で国立
大学を「改革」するという政府の提案には、私も失望しています。官僚や政治
家に学問的、知的活動を支配する権力を与えるこのような動きは、悲惨な結果
をもたらし得るだけであることを、歴史は繰り返し示しています。
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