国立大学独立行政法人化の諸問題

参議院文教科学委員宛書簡

広島大学教授

佐藤清隆

2003.7.3


参議院文教委員会委員各位、      平成15年7月3日
                 広島大学大学院生物圏科学研究科教授
                 広島大学教職員組合副委員長
                               佐藤清隆

問題山積みの国立大学法人化法案を採決するのは止めて下さい。その理由は以下の通
りです。

(1) 法案通りの大学を想像しました。

 先進国で最低水準の高等教育費をさらに削り、日本育英会の独立行政法人化で世界
で極めて貧困な水準の奨学金制度がさらに悪くなり、学費が世界で最高水準という前
提の上で、「国の定める分野で、国の指導のもとで、大きな成果を出せ」という国立
大学法人化の基本思想から考えると、

授業料はあがり、
土地建物使用代を大学法人から請求されたあおりで、
大学生協などの商品の値段があがり、
ほとんどの学生の生活は苦しくなり、
奨学金返済免除制度が基本的には廃止され、
とくに博士課程に進んだ学生は、
就職の見通しもなく膨大な借財を背負わされ、
その一方で教育業績を教員の給与に反映する方式を導入したことによって、
学生は、先生達によって「自分の給料をあげるための道具」とみなされ、
有名企業に就職しなくともゆったりと自分なりの生き方を模索したい学生や、
環境破壊の真因や原発問題や過労死など、
社会の矛盾を解きあかす学問をしたいと思う学生たちは、
「大学のネームバリューを上げるため」とか、
「大学のスポンサーにまずいから」として疎まれ、

独裁的な権限を付与された学長や、
大学の実態を殆ど知らない天下り官僚や民間派遣の役員は、
目標設定・業績評価・学長の解雇という権限をもつ監督官庁の評価を第一に優先し、
教育も研究もしないで受け取る「1700万円以上の年収」に見合った、
「輝かしい管理運営業績」を求められるため、
配下のスタッフたち(教員や事務員)にトップダウンで指示を連発し、

使いまくられた教職員は相互の競争も加わって疲れ果て、
「他人より仕事が優秀だから昇給間違いなし」と期待しても、
もっと優秀な人が現れて叶わず、
結局はお互いによる小さなパイの奪い合いの坩堝に放り込まれて、
エンドレスな競争に駆り立てられた教職員の誇りと自尊心は傷つけられ、
任期制による解雇への恐怖で「その日暮らし」の研究が最優先され、
本質的に新しいことにチャレンジしたいという気概は、
心の箪笥にしまわれたままでひからびて、

堅実な教育研究で地歩を固めてきた地方・中堅大学から、
優秀な教員達が有名大学がさらに強力になるための戦力として引き抜かれ、
その逆は決して起こり得ず、
引き抜かれた側は元気がなくなり、
やがて学問を支える広い裾野は崩壊を始め、

片方で外部資金を潤沢に稼ぐ人々が、
「これが我が大学の代表分野だ」と威張り、
法人化でただ一つ認められた「自由裁量権」を使って、
学内のヒトとモノとカネを奪ってゆき、
文学・哲学・歴史学・語学・経済学・法学・芸術学・天文学、
地学・基礎物理学・基礎化学・基礎生物学・人類学など、
外部資金に疎い分野の先生達は、
年ごとに肩身の狭い思いをさせられ、
一方で大学の自治と学問の自由を維持して、
幅広く息長く学問を追究するほかの国々の研究者には、
ますます差をつけられ、
諸外国にひろまっている「日本人研究者は疲れているねえ」という噂は、
確実に現実のものとなり、

高度医療の推進のために設備投資がされてきた医学系分野と附属病院では、
その投資額がいつの間にか莫大な借金として背負わされ、
収入優先の経営原理が医学教育研究と診療活動に暗い影を落し、
ただでさえ過酷な看護師など支援職員の労働がさらに強化され、

効率的な大学運営に適合する特定の分野と、
法人役員が指揮するトップダウンのラインの教職員達が学内を闊歩して、
批判的な意見は「自分や自分が属する組織に迷惑がかかる」と、
人々の心の奥にひっそりと隠され、
さまざまな問題点に気が付いても、
批判意見を出せば睨まれるし、
建設意見を出せば仕事が回ってきて、
せっかくの教育研究時間が奪われるからと口には出さず、
人々の間で心を開いた会話はめっきり減って、
いつの間にか人々は口籠るようになり、

結局は最初に定めた6年間の中期計画の達成が、
金科玉条のごとく全てに優先し、
外面的に目に見える成果を誇る情報が、
法人役員たちの口から得意げに発信され、

その結果として、
「外面的には成果は莫大、内面的には渦巻く矛盾」、
そういう大学になるでしょう。

そしてそのような大学からは、
裕福なために高学費を払えて、
状況をめざとく有利に判断できて、
使い勝手の良い、
素直で従順な学生が
大量に排出されるでしょう。

何故なら、
彼等を教える教職員が、
まさにそのような環境に放り込まれるからです。
そのような「法人化大学」で育てられた大多数の学生諸君に、
真の意味での学力や知力がついているかどうかは、
わかりません。

(2)審議は不十分である
 しかし、上に述べた問題を含む法人化法案は、大学の教員によって認知されたもの
ではありません。圧倒的多数の教員には、法案を読み問題点を明らかにし、意見を述
べる暇も与えられなかったのです。私の周りで、たとえば「業績の悪い学長は、文部
科学大臣がクビに出来る」と意味する条文のある法案を読んだという人は、20人に
1人もおりません。また国会における政府の答弁は誠実さを欠き、理念的には教員達
の理解を得ることは出来ませんでした。しかし、急速に法案への懸念が高まり、6月
には、日本経済新聞、朝日新聞などのマスコミも、この法案を批判しています。

(3)このような法人ではうまく行かない
 この法人化法案を推進されている人たちが、「大いなる成功」と評した過去の例は、
イギリスのサッチャー改革やニュージーランドの改革です。
 それを論じる時間はありませんが、ニュージーランドの改革を分析したレポート
(国立環境研究所大井玄氏と東京大学大塚柳太郎氏によるもの、2000年12月)
の中から抜粋すれば、その改革のもたらしたものとして、「社会的コストが、所得格
差の拡大と貧困層の増加、失業率の上昇、犯罪件数の増加、共同体の破壊」となり、
「高等教育は、自己利益追求の一手段と定義されたため、大学生における経済的利益
を追求する傾向が顕著になり、科学研究を含め経済的利益とは関係の薄い分野の衰退
する可能性が憂慮され」、「利用者負担の原則が適用されたため大学生の経済的負担
が増え、負債の支払い条件が厳しく、さらに国内の労働市場が狭いこともあり、若者
の国外流出が増えている」などが指摘されています。
 肝心なこととして、そのような「改革」を推進した2つの国の政府は、その後まも
なく選挙で惨敗し、政権は転覆したのです。

 大学改革は必要ですし、私達も数多くの努力を行ってきております。それは不十分
かも知れませんが、現在、審議されているような法人では、短期的には少しの成果が
あがるかも知れませんが、長期的には教育研究の衰退を招きます。さらに「行政改革」
の理念にも反します。

 委員諸氏の良識を発揮されることを、心からお願い申し上げます。