国立大学独立行政法人化の諸問題
#(報道機関から政府広報紙への大手紙の退化を証明する歴史的記事といえるだろう。大学関 係に長く携わっていて文科省とも知己の多い「族記者」の一人なのであろうか、 毎日新聞2003年6月23日付の横井信洋記者のエセー「国立大学教員よ甘えるな」と同じ趣旨の内容であることにも驚きを覚える。どこまで政府の肩を持てば気が済むのであろうか。大手紙(読売・朝日・毎日)のみが示す余りに偏った記事は、安く土地を譲ってもらった政府への負い目 を証明してしまっていると言えるのではないか。なお、都立大学の長谷川宏氏が長文の公開質問状を長谷川玲記者に送っている。)
朝日新聞2003年7月21日

自立に向け意識改革をーー法人化される国立大学

社会部 長谷川 玲

2003.7.21

国立大学を法人にして国の組織から独立させる法律が、 この国会で成立した。

文部科学省による護送船団方式を改め、それぞれの大学 に権限と責任を与え、個性的で競争力のある存在にさせ ることが狙いだ。帝国大学令公布や新制国立大学発足に 並ぶ大改革が、いよいよスタートする。

もとをただせは、行政改革の一環として浮上した構想だ。 そのため、新制度下で「学問の自由」や「大学の自治」 の原則がきちんと守られるかどうかを巡り、激しい議論 が交わされてきた。ことの経緯と影響の大きさを踏まえ れは、それ自体は何の不思議もない。

だが、現段階でなお国立大の教職員らの間にくすぶりつ づけている反対論には違和感をぬぐえない。

最大の論点となってきたのは、各大学の運営指針となる 「中期目標」を、大学ではなく文科相が定めることの当 否だった。文科省は「大学の原案を最大限尊重するので、 実質的に大学がつくるのと変わらない」と説明したが、 反対派は「国の大学への統制だ」と批判し、不信感は根 強い。

確かに、役所がかかわらない方が自由度は高いだろう。 だが、国の直轄下にある現状を脇に置いて「統制が強ま る」と言うのは、素直には理解できない。これまで国立 大の関係者は、はしの上げ下ろしにまで口を出す文科省 に嫌気を感じ、改革を求めてきたはずだ。なのにいざそ の機会に直面すると抵抗する。これでは、はた目には 「要は今までどおり国に守られているはうが楽だと甘え ているのだろう」と映る。説得力に欠けてはいないか。

中期目標の原案や文科省による修正は公表される。国が 不当な介入をしてきたと思えば、大学としてその是非を 世に問い、自らの正当性を訴える。その地力を養うこと にこそ、心を砕くべきだ。

そもそも国立大には、こうした「空中戦」をいつまでも 繰り広げている余裕はないはずだ。法人化への対応を誤 れは、大学の基盤そのものが揺らぎかねない状況にある からだ。

今後、大学運営は様変わりする。学長の権限は強まり、 素早い意思決定が可能になった。運営費は渡しきりにな り、大学の判断で使い道を決められる。ある国立大の幹 部職員は「私立と違い、国立の学長や教授には経営感覚 がない。本当に法人を運営していけるか不安だ」と話す。 「しばらくは国に手助けを仰がなけれは」と考える関係 者も少なくないようだ。

いま国立大に求められるのは、国の全面的な支えを前提 にした居心地のいい「大学の自治」を壊かしむことでは なく、「自立」に向けて意識を切り替え、態勢を確立す ることのはずだ。

法人化にあたっては、大学の運営組織は結局、行政に通 じた官僚の天下り場所になってしまう、との懸念が各所 で指摘された。だが、法人の役員を誰にするかを決める のはあくまでも大学側である。大学がしっかりとした意 思を持ち、おかしな人物は受け入れないと決断すれはい い。

「学長の専横を許すのでは」「基礎科学がおろそかにな る」との不安も出た。これも納得しづらい。学長の選考 は大学の手で行われる。理由もなく国から天下りを受け 入れたり、大学のためにならない運営をしたりする学長 であるならは、学内外の批判を集めてトップの座から降 ろすことを考えるべきではないか。どのような研究に力 を入れるかも大学自身の判断だ。いずれも制度の問題と いうより、大学人の良識と大学経営にかける心構えで解 決すべき筋合いのものだ。

「そんなきれいごとで世の中は動かない」という声が聞 こえてきそうだが、そこで「武器」になるのが情報の公 開・発信である。中期目標にしても人事にしても、学内 で民主的に意見をまとめ、外部にはっきり意思表示をす ることが、大学の自治を実現する道になる。旧態依然の 「国 vs 大学」の枠組みで後ろ向きの議論を積み重ねて も、何も始まらない。」