==> 国立大学独立行政法人化に抗して
「大学問題と知的現実」

「大学問題と知的現実」

東京新聞(1999年7月11日「時代を読む」)
佐々木 毅 

 行政改革の一環として、国立大学を独立行政法人へ移行させることを検討す
るという方針が打ち出された。今後、一定の時間をかけてこの問題は検討され
ることになる。国立大学協会も正式に検討を始めた。しかし、ジャーナリズム
は入試にしか関心を示さないし、この問題への世間の関心は極めて低いと言わ
ぎるを得ない。

 しかし、日本の人材養成や高等教育の将来のみならず、大げさに言えば、日
本の文化の行方にとっても、この問題はかなりの意味を持つ。少なくとも、か
つての国鉄分割・民営化に匹敵する世間の関心を集めてしかるべき問題であろ
う。現実に即していえば、大学は日本の抱える譜問題の元凶の一つとして安易
に名指しされやすい一方で、その命運について真面目(まじめ)に考える人が
極めて少ないのである。要するに、この国では大学の批判は安易にする一方で、
真面目に考える習慣はないということである。

 ところで今回登場した独立行政法人という処方せんは、その内容においても、
その展望においても、推奨に値する代物とは到底思われない。

 第一に、独立行政法人という方式は定型化可能な活動を効率的に行うことを
目的に推奨されたという経緯があるが、日本ではこの本来の趣旨がねじ曲げら
れ、定型化可能な領域とはおよそ無縁な領域に無神経に、しかも、無制限に持
ち込まれた。その典型が大学である。大学は創造的な研究とざん新な人材を養
成すべきだということが声高に言われつつも、定型的活動形態の組織に大学を
押し込めようとするのは、精神分裂症候群の典型である。自らを定型的活動形
態の組織で満足だと言う大学があるかもしれないが、少なくとも、大学の名に
値する組織にとって、この新たな方式は自殺に近い。

 しかも、監督官庁による監視と規制がますます厳しくなることは、目下の財
政状態からして容易に想像される。国立大学は現在でも行政機構の最も弱い部
分に位置するが゛それが加速されるだけの話になる恐れは極めて高い。それは
だれも希望しない、最悪の飼い殺し状態につながるであろう。独立行政法人通
則法を抜本的に改め、新しい類型の法人をつくるといった手だてがなされない
限り、ボタンのかけ遠いはスパイラル状にむごい状態を生み出すだけである。

 第二に、国立大学を独立行政法人化したとして、これは体のいい切り捨てと
どこが違うのか全く分からない。日本は先進国の中でも高等教育に最もカネを
使わない国の一つであるが、財政状態を考えるならば、早晩、それすらもおぼ
つかなくなると考えるのはむしろ自然である。その意味で、独立行政法人とい
う手法は結局は問題の先送りと取り繕いでしかないように見える。そして、早
晩、民営化といった話になるが、その時には組織はへとへとに疲弊しており、
そうした劇薬などは到底おぼつかない状態になっていることであろう。

 もし、公務員数の削減をするという目的の一環として国立大学を大幅に削減
したいというのであれば、例えば、明確な経営条件の下に私学化を促すといっ
た選択肢を示す責任が国側にあってしかるべきではなかろうか。それは当然に
国有財産についての複雑な作業を前提にした話になるはずであるが、それに比
べて独立行政法人という枠組みははるかに安易で、何も解決しない欠陥品にな
りかねない。

 企業統治という最近の流行語との対比で言えば、大学についても独自のガバ
ナンス(管理・統治)というものがある。この両者の間には根本的な相違があ
るし、官僚制型ガバナンスと大学のそれも同様に質を異にする。そして日本の
リーダー層がこの種のことにおよそ思いが至らないという日本の知的現実こそ
が、こうした混乱と自滅のシナリオを生み出す最大の原因である。(東大教授)