==> 国立大学独立行政法人 化に抗して
国立大学の独立「行政」法人化を問う

国立大学の独立「行政」法人化を問う

(東京新聞 9月13日夕刊[reform:02146]より転載)
国立大学の独立「行政」法人化を問う
−−減量化名目の切り捨て 将来大きな禍根に
−−採算性重視で文化系など衰退の恐れ
                池内 了 
            (東京新聞 9月13日夕刊)

 漏れ聞くところによると、文部省は、9月20日に国立大学の学長・事務局
長会議を招集し、独立行政法人への移行問題について何らかの方針説明を行う
らしい。このまま国立大学を維持しようとすると25%の定員削減をしなけれ
ばならず、その困難を逃れるために、定員削減の基数から除かれる独立行政法
人への移行について前向きの姿勢が表明される可能性が高い。
 もし、そのような方針が決定されるなら、国家として知の継承発展をいかに
保証していくかという基本的な議論を棚上げにしたまま、行政の減量化という
名目のみで国立大学を切り捨てることになり、将来に大きな禍根を残すことに
なるだろう。
 本間正明大阪大学副学長が「朝日新聞」に書かれていたように、国立大学に
適用する独立行政法人の設計について何も明示しないまま、設置形態を変更す
る決定のみを国立大学に押し付けようとするなら、国家百年の計を危うくする
ことは言うまでもない。同時に、もし、国立大学が独立行政法人化への移行を
唯々諾々と受け入れるとすれば、私たち国立大学で研究教育にあたっている教
員は、次世代の文化を破壊しかねない責任を厳しく問われることを覚悟しなけ
ればならないだろう。
 文部省は、大学審議会を通じて、国立大学の改革についてのさまざまな提言
を行ってきた。その答申を受けて私たちは、四年一貫教育や大学院教育につい
て、しかるべき改革を行いつつ、その功罪を吟味し始めたばかりである。教育
はただちに結果が見えるわけではないから、少なくとも十年の時間スケールで
改革の効果を点検する必要がある。しかし、もはやそのようなきめ細かな点検
作業は不要とばかり、行財政改革を口実に、一方的に設置形態そのものを根本
的に変えようとしているのである。さて、大学審議会の答申って何だったのだ
ろう。
 そもそも、国立大学を独立「行政」法人と呼ぼうとすることに、私は大きな
違和感を覚えている。国立大学は「行政機関」なのだろうか。法律的には国家
が経営する機関ではあるものの、私たちが教育職と位置づけられているように
大学は教育機関であり、同時に日本の学術体制の中核を担う研究機関である。
それを行政機関の一つととらえる感覚を、私はほとんど信じることができない。
有馬文部大臣は、国立大学の教員を務め総長も経験した人であるが、自ら行政
機関で研究教育を行ってきたと思っておられるのだろうか。
 大学が行政機関であることをいったん認めてしまえば、独立行政法人通則法
にあるように、その効率的な運営、中期目標(計画)とその評価、評価に応じ
た資源配分、機関の長の所轄大臣による任命制、等々の縛りがでてくるのは必
然である。文部省は、個別法(あるいは特例法)で教育や研究の自由という大
学らしさをなんとか確保しようと説明するだろうが、それは小手先の空手形で
しかない。機関の改廃は行政のご都合主義で勝手に決められてしまうのも必然
なのだから。
 それ故、当面の定員削減を避けようと国立大学を独立行政法人に移行させて
も、必ず定員削減を迫られるだろう。これも小手先のゴマカシでしかないので
ある。成すべきなのは、国家公務員の定員削減数そのものが政治家のパフォー
マンスに使われており、何らの根拠のない恣意的な数であることを指摘し、必
要な場所にはちゃんと人の手当てをすることが政治家の本来の役割であると主
張することなのだ。財政危機を安易な人減らしで行うのは、無能な政治家の証
明でしかないのである。リストラしか経営建て直し策を思いつかない経営者と
同じなのだから。
 研究や教育に、効率性とかコスト・パフォーマンス的な発想が持ち込まれた
とき、文化の領域にのみ寄与する分野は立ち枯れていくことは目に見えている。
アメリカのワイオミング州立大学は、財政改革のための第一のターゲットとし
て物理学・天文学教室と所有する天文台の廃止を打ち出し、次のターゲットと
して哲学部を廃止候補としている。このワイオミング大学の選択は、効率性追
求がもたらすものを具体的に示しているように見える。
 おそらく、国立大学が独立行政法人となって効率性の追求を突き詰めていけば、
必然的に民営化の道を歩むことになるだろう。そのことは、国家は知の継承発展
の責任を放棄することを意味する。有馬文部大臣は、そのことを身をもって示し
たことになり、歴史に名を残すことになるだろう。また、国立大学の学長たち、
そして国立大学に勤務する私たち自身も、それに否を示さないなら、責任放棄し
たことになるだろう。
 私は、今、私自身の責任の取り方を考え始めている。