==> 国立大学独立行政法人化に抗して
国立大学教官への呼びかけ

                                     平成11年10月1日

国立大学教官 各位

同僚としてお願いしたいことがあります。

国立大学の独立行政法人化は、9月20日に文部省が反対の態度を撤回したこ
とにより決着がついたかのように考える人が大学内部でも少なくないように思
われますが、
[選択A]国立大学にとどまる
[選択B]独立行政法人になる
の選択は、各大学が個別に独自の判断で行うことで、その選択の責任は我々国
立大学教官にあるということを認識してほしいと思います。

各選択肢の帰結は各大学・各部局・各学科・各講座・各教官ごとに大きく違い
ますので、争点は、どのレベルであれ個別の損得ではなく、両選択肢の長期的
大局的意味にあります。独立行政法人通則法の修正のような局所的・短期的な
問題に没頭することは思慮に欠けることです。

国立大学に突きつけられているこの2つの選択肢の決定的な違いは、選択肢A
の試練は(厳しい)定員予算削減に止まり大学の存続・学問教育の自由・大学
の自治には法的歯止めがあるのにたいし、選択肢Bの試練には形のある歯止め
が何もないということです。

まず独立行政法人大学の体制が安定して長期間続くものとします。これは
Bを支持する意見の多くが暗黙に前提としていることです。

選択Bを支持する論拠は、国立大学も企業として存亡を賭けてやれば「学問的
収穫」も挙がるはずだという考えです。予算が人件費もふくめて運営費として
各大学に一括して交付され、それを資金として経営するという企業体制になれ
ば、資金の有利な分配を得るために各部局が努力するので学問が活性化し教育
も質があがるだろう、という論理です。しかし、異分野間での業績を内容で比
較することは不可能ですから、努力の核心は教育研究活動の値段の付け方に
終始することになります。活性化するのは、研究や教育ではなく、学内の権力
闘争にほかなりません。

企業会計制のもたらす災厄はかなり明確に予見できます。

十数年後の日本の様子は10年前に大学を独立行政法人化したニュージーラン
ドからある程度推測できるはずです。聞くところによれば、分野によっては存
続さえ危ぶまれるような事態が起きていると聞きます。

政府や企業の批判につながる研究の場が消滅することは自明のことです。また、
多くの人が予測しているように、人文社会科学系・教育系の諸分野が圧迫され
ることは確実ですし、まだ学問の形をなしていない領域で長期間個人的に取り
組むことを可能にする場は消滅し、基礎研究が平板になります。

Bの選択は、知的土壌を黙々と耕すという私たちの基本的使命と誇りを捨て、
日々そろばんを弾きながら国と大企業の顔色を伺う情けない存在へと転落する
ことを意味するのです。そして、極めて限られた領域を除いて学問全体が急速
に衰退し、一時は膨張するかに見える領域自身も母胎である学問世界の衰退に
より、早晩衰退することは自明の理です。


以上の災厄は文部省が9月20日に示したBの「歯止め」が効いた場合の話で
す。しかし、その歯止めは政府内部で認知されていないのです。このことは政
府が情報公開している9月21日の第15回中央省庁等改革推進本部顧問会議
の議事要約に明確に記載されています。選択肢Bは国立大学が政府に白紙委任
状を提出することです。

この白紙委任状を手にした場合に政府が描いている筋書きの一つは、政府公表
の資料からでさえ明確に読み取れます。それらの資料には、独立行政法人化し
た大学を長期に考える視座からの議論はどこにもなく、独立行政法人化は主に
廃校の準備段階と位置づけていることはかなりはっきりしているのです。

Bを選択し政府直轄法人と一旦なったならば5年間毎の中期計画期間に学術的
にどのように優れた業績を一大学として挙げたところで「効率が悪い」という
理由はいくらでも挙げることができる以上、政府が廃校にしようと思った瞬間
に廃校になります。これは、現在の独立行政法人化の外見上の<不可避性>と
はわけが違い他の選択の余地はありません。文部省自身はいくつかの大学は廃
校にするつもりはないと推察されますが、国立大学全体を廃校せよという根強
い意見が政府内部にあることを念頭におく必要があります。

廃校となった後、私立大学としてやっていけるわずかな大学ですら学費を思い
切って高くしなければやっていけないことは歴然としています。だれでも手の
届く学費で学べる高等教育機関をなくすことは、人的資源に賭けるしかない国
では、見えないところで国を着実に衰退させてしまいます。また、個々人とい
う視点から言えば、それぞれの人が自分の能力と志向に調和した教育を受ける
という機会が強い経済的制約を受けることになる、ということを意味します。

これは奨学金制度の拡充くらいではどうしようもない深刻な問題です。たとえ
ほぼ全員が奨学金を受給できたとしても、経済的に弱い多くの学生に人生のス
タートラインで重い借金を背負わせるようなことは由々しいことです。また、
地元の大学がなくなれば、遠い大学で学ぶことになり、奨学金で足りるはずは
なく、多くの優秀な学生が重いアルバイトというハンディを背負うことになる
でしょう。

国立大学制度は、政府のものではなく、国民の、これから生まれてくる数知れ
ない多くの人たちの、かけがえのない生きた財産です。我々が、泡のような得
と引き換えに、これを葬り去ることは取り返しのつかない過ちを犯すことにな
ります。もしもそのようなことになれば、利己性と盲目性ゆえに国家規模の知
的災害(復興は50年でも難しい)をもたらしたとして20世紀末の国立大学
教官は日本の歴史に名を留めることでしょう。

最後に注意を促したいことは、B選択の災厄をまともに体験するのは、それを
選択する位置にいる大学執行部や評議員の方々の世代ではない(し私の世代で
すらない)という点です。国大協全体の反対姿勢に真剣さが足らないのは当然
かもしれません。B選択を回避するには、大学に所属する全教官がそれぞれの
部局から自ら判断し行動していくしか道はありません。それぞれの判断に基づ
いて各教官・各講座・各学科・各部局・各大学において、意思決定の場に真剣
に参加して頂きたいと強く願っております。

関連情報を http://fcs.math.sci.hokudai.ac.jp/agency に置いています。

北海道大学大学院理学研究科
数学専攻 代数構造学講座 教授
辻下 徹