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物理学会よ、黙っている時か?

物理学会よ、黙っている時か?

金沢大学理学部物理 青木健一

「大学の物理教育」 1999-3 原稿 ([reform:02174] より転載)
1.物理教育の問題

本誌の題名「大学の物理教育」というテーマで議論が始まると間違いなくきり
がない。あまりにも問題が大きく深刻であること、その問題自身の変化があま
りにも速いこと、そしてこの問題が他のもっと大きな問題に必然的につながっ
ていること、に異論のある人はいないだろう。実際、私の研究室や教室でも毎
日何か関連する話題を議論している。研究会に行けば、他の大学の人たちとこ
の手の話が盛り上がる。経験した実例と現象論を話しているだけでもいつも新
鮮な驚きがある。それくらい問題は深く変化が速いことになる。

物理分野の「知の継承」という観点から見れば、我々はこの数十年間、縮小再
生産に甘んじてきたのではないか。その縮小のペースを押さえ遂には拡大に転
じそれを長期に維持する、という気の遠くなるような事業に地道に取り組む以
外道はないのではないか。そしてこの大事な時に限って、学問の自由や大学の
存立自体が危うくされる、というマーフィーの法則。正直に言って、自分自身
の研究活動にこもりたいという人の気分は痛いほどわかる。いや、ここは逆に
見よう。こういう日本政府の政策こそ、物理分野に限らず縮小再生産をしてき
た証拠に他ならない。

おそらく最近の問題の本質的な構造は、若い世代の気質の変化が数年前から急
速に進んでおり、更に下の世代に向かってそれが進行していること、それに私
たちの側の力不足・戦略的ミスも加わって教育あるいは知の継承の困難が起こ
り、大学においてその困難が噴出している、ということだろう。ただし、分野
や大学(の「レベル」)によって問題の現れ方がかなり異なっているようだ。
知の継承を山の姿に例えれば、山が急速に細り崩落寸前の状況に思える。私の
いる金沢大学はちょうど中腹あたりのためであろうか、物理学生教育の面での
現在の変化の激しさはより大きいのではないだろうか。更に、昨今の大学院重
点化という名前の大学院大衆化が加わると、吸い上げ効果で頂上の高さは当面
維持されているかも知れないが、中腹辺りの変化の激しさは更に加速されてし
まう。中腹の大切さは言うまでもない。一般企業や高校教員など専門物理と実
社会・子供との接点を担う人材は主に中腹で養成される。豊かな中腹こそが非
線形効果を持つ拡大再生産の鍵なのだ。


2.若者気質の変化

田口善弘氏は現代学生気質を分析し、「3つの法則」としてまことに的を得た
表現をされた 1)。その第3法則に、どんな熱心な講義でも学生からは「TV
の映像」にしかなっていないという指摘がある。私も以前から、若い世代の変
化の立ちあがりがいわゆるTVゲームに幼少から浸った世代と重なると考えて
きた。養老猛司氏の最近の表現を借りよう 2)。「それだけテレビを見ていれ
ば、脳になにか影響があって当然だろう。・・・実際の世界をテレビの世界の
ように見る技術が上手になるはずである。なにが起こっても、それは自分に関
係がない。そういう態度をとりやすくなるはずである。脳にそういう癖がつく
といってもいい。・・・こうした(大学での若者の)態度は、若者が授業をテ
レビだと思っているとみなしたとたん、よく理解できる。・・・こういうこと
は一時の流行現象ではない。・・・それなら教育とは、いってみれば「古典的
な」現実感を子どもにどう植えつけるか、ということになる。」

3.小人数ゼミ

教員の側もカリキュラム改革などを通じて対策を講じている。しかし、後手後
手に回ってまず成功しない。それは、私たちが対症療法の論理で考えているこ
と、そしてその時に、結局は自分自身の経験に基づいて、こういう機会を通じ
て物理が面白くなったとかよくわかったとか、を基本に策を練るからである。
そんなものはすぐには通用しないのである。金沢大学でも大阪大学などの例
3) に学びながら1年生の小人数ゼミを必修でとり入れた。もともと、自主ゼ
ミの効能を自分たちの経験から確信していた私たちは、以前から3年生にそれ
を提案してやってきたが、教員の思い通りにはいかない。こちらは量子論や相
対論などの議論になると(夢想する)テーマを推薦するのだけれど、彼らの最
大の希望は授業の補習なのである。3年生では遅すぎるということに気付いた
ので、1年に希望をつないだわけである。人間関係の構築、研究室への出入り、
教員や上級生との会話、などあらゆるバリアを取り去り、彼らが大学に入学し
て物理を学ぶという基本要求に依拠しようとした。しかし、彼らの多くが、セ
ンター試験の点数などの理由で学科を選んでいることもあり、物理が好きで理
解したいはずだ、という依拠すべき根っこがはなから無いことに驚いた。これ
には別の側面もある。彼らの多くは、高校までの物理がよくできて点数もいい
ので、教師がすすめ自分もなんとなく物理学科を受けるわけだが、物理が大好
きで楽しい、わけでは決してない。風間晴子氏の国際比較 4)によれば、日本
の子供は理科の得点は最高クラスだが、、理科が好き、やさしい、生活に役立
つ、と思っている割合は最低クラスなのである。

しかしこの小人数ゼミで少なくとも何人かは救えるし加速できる。また、学生
個々人を見て問題を見つけるという役割も大きい。ただし、小人数ゼミだけで
は全然足らないわけである。結局、個々の学生毎に共鳴するポイントが違い、
教育プログラムの側が非常に数多い入り口を用意してあげる必要があるのだろ
う。そのどこかで共鳴し自律した探求を開始してくれる学生を少しでも増やす
ことが当面の課題であろう。まさに道は長い。

田口氏の第3法則にレンマを付け加えたい。それは、「学生からの授業評価を
真に受けるな」である。学生からの授業評価自身は意味があることだが、その
評価が高いからといって、学生の側の到達度評価の高さと勘違いすべきではな
い。学生は先生が喜ぶように誉めるのがうまいだけなのである。むしろ今、教
員の側に、学生の総合的な到達度をきちんと評価する能力が問われている。こ
れは、教材準備と同じく重要な教育過程として、もっと深く検討されるべきで
はないか。試験の工夫はもちろん、もっと手を尽くして、ずっと手前の理解の
引っかかり、そして、動機付けまでの評価をどうすすめればよいのだろうか。
どんどん、物理以前の所に問題は遡ってしまう。

4.試行錯誤

すると結局、経験の交流が非常に重要ということになろう。万能薬はどこにも
ないけれど、色々な入り口のアイデアは多いに越したことはない。この意味で
も、多くの教員が総動員されて事にあたらなければならない。かなりドラスティッ
クなことにも挑戦すべきだろう。教員がテレビから抜け出して学生と現実感を
もった触れ合いをすることが鍵とするなら、週に1度のサイクルでは臨界に達
しないのかも知れない。

講義にも大いに工夫が要求される。ひとつの観点は演示実験の復活である。い
わゆる学生実験は実験の仕方を教えるものであるが、そうではなくて講義中に
行う実験である。高校の物理教育の中で実験をしない、あるいはできないこと
が大きな問題として指摘されて久しいが、高校の物理の先生を過去に教育して
きた大学でそういう演示実験をしなくなっているのだから、これはまさに縮小
再生産の例である。1年の物理学概論の講義の中で、必ず毎回実験を含める、
というのがひとつの目標である。「教育改善高度化予算」などが来ると大概パ
ソコン導入となるが、演示実験開発を位置付けてはどうか。しかもこれはひと
つの大学でできることではない。全国の教員が協力しなければとても開発・維
持はできない。

5.教員の側

若者の変化ばかり論じて、自分たちの変化を無視するのは片手落ちだろう。こ
の間、大学「改革」が連続して行われてはいるが、当事者の真摯な議論とは無
関係の上からの押し付けと取引が横行し、議論することの無意味さのみが残っ
てしまう。改革実務の多忙さも伴って、議論をすること自体が疲労感を伴う忌
避したいことになる。教員の間の相互協力・共同関係という問題改善への大前
提も困難になりつつあるのが現実である。

しかしとにかく、子供が親を見て育つように、学生は結局、先生を見て育つ。
物理教育の話をすすんで政治の話にしたくはないけれど、そうならば、独立行
政法人という名前によって国立大学が廃止されて知の継承どころでなくなる時
に、大学の価値に責任を負っている教員たちがそれにどう対抗しているのか、
ということを見せずして、物理の面白さを説いていても意味があるのだろうか。
教員の側も自分たちを封じこめている現実を見据えてそれを打ち破るしか、道
はないのではないか。そのうち、テレビ仮想現実世代が教員の多数を占めてし
まえば、道は更に困難を極め、映画「マトリックス」の世界も空想には思えな
い。


6.物理学会への期待

現在大切なのは、情報・経験の交流と蓄積、そして個々の大学を越えた広い世
界での共同作業である。既に色々な課題で努力を続けておられる人やグループ
が各地におられることは、本誌を見ているだけでもよくわかる。地道な努力や
活動を激励し大きく輪を広げるためのネットワークの有効性は疑い得ない。ネッ
トワークの発達した現在、全く予期しない、顔も知らない多くの人たちがお互
いに協力し、大きな成果を生み出すことは可能であり実例も多くある。Linux
 を典型とするフリーソフトウェアの世界、私の関わって来た科研費TeXマクロ
などがすぐ思い浮かぶ。言うまでもないが、立ち上げコストが小さい事、情報
の蓄積と再利用が容易な事、が現代ネットワークのすばらしい所である。まず
は、本誌「大学の物理教育」も、全記事をオンラインに置いて検索可能にすれ
ば、どれだけ多くの人に活用されるだろうか。そして、その多くの人からどれ
だけ貴重な情報がフィードバックされるだろうか。これこそ拡大再生産への出
発点である。

我々と似た状況を抱える化学界では、ネットワークを活用した「仮想化学教育
学校」構想を進め「現実化」しつつある 5)。そこでは、初等中等教育での化
学教育の空洞化をすぐにはとめられないとし、公教育に全面依存しているわけ
にはいかない、との認識を持ってこの計画を進めている。実際には、ネットワー
ク上での教育は、最初に述べたテレビの向こう側という弱点を持つ。しかし、
多様な入り口の用意、意欲のある生徒のための進んだ教育という意味で、そし
て、教える側の先生にとっては、充実した教材や教授方法を交流する窓口とし
て、非常に大きな意義があるだろう。

物理学会はやはりもっと意欲をもって社会に情報発信し、期待される役割を果
たすべきである。そして、物理学会は信頼に足る社会的な地位をすすんで獲得
すべきである。ひとつは上に述べたような、ネットワークを活用した情報発信
の中枢になることである。ネットワークは誰でもアクセスできるので、それこ
そ知のセンターとしての物理学会の社会的地位を自然に高めてゆく。物理のこ
とで疑問や不安に思うとき、物理学会のホームページから辿って調べれば、必
ず何らかのちゃんとした回答が得られる、というような「存在」あるいは「入
り口」になって欲しい。

同時に、高校以下も含む教育、教科書、教材、大学入試、などいろいろな側面
で、人類社会における(少なくとも)物理学の未来に責任をとれるような活動
をすべきである。最初に引用した国際比較での日本の子供の異常さの背後には、
科学技術への関心、知識をもつ市民の割合が、日本は先進諸国の中で最下位で
あるという更に重い現実がある 4)。私たちが立ち向かわずしてこの状況を誰
が変え得るのか。会員個々の意見のスペクトルは広いので、そういう対外活動
はできないしすべきではない、という意見も多いだろう。しかし、本当にそう
だろうか。一致できる基本的なことでしかも全然何もやっていないようなこと
が多くあるのではないだろうか。それこそ色々な意見がある事とその色々な中
身を外から見える形にするだけでも、すばらしいことだ。

物理学会よ、黙っていれば済む、時ではない。

参考文献

1) 物理教育 98-2 田口善弘 「3つの法則」

2) 週刊文春 1999.10.7 養老猛司 「現実感が欠如したテレビ世代の脳」

3) 物理教育 97-1 池内了 「新入生と自主ゼミを続けながら」

4) 物理教育 98-2 風間晴子 「国際比較から見た日本の「知の営み」の危機」

5) しぜん(東京教学社) No.14(1999) 竹内敬人 「理科教育空洞化の対抗策」 
  Virtual Chemical Education Project
   http://cssj.chem.sci.hiroshima-u.ac.jp/iupac/