==> 国立大学独立行政法人 化に抗して
理念なき独立行政法人 (北海道新聞10月25日朝刊、コラム「今を読む」)

自自公連立と大学改革

臨界寸前の日本を象徴

山口二郎 北海道大学法学部教授

能天気のかたまり政権

自自公連立政権は、東海村の臨界事放、参院長野補選における敗北、そして西村防衛政務次宮の暴言と更迭など、発足早々から次々と問題にぶつかっている。国会におげる安定多数を求めてつくられた連立政権であるが、与党の頭数を増やすことが、政権に求められる統治能力の強化につながっていない。むしろ、雑多な要素が与党にはいることによって、政権はかえって不安定化するのである。

一連の事件を見るにつけ、世紀末日本の雰囲気を表す言葉として無責任、モラルハザード、でたらめなどが思い浮かぶ。また、臨界という言葉も、今の日本の陥っている危うい状況をぴたりと言い当てている。この程度ならば大丈夫だろうとルール違反の作業を繰り返す。少しの違反ならば何事もなく、作業の効率も上がって好都合に思える。

しかし、ルール違反が一定水準を超えたとき、問題は爆発的に噴き出してくる。一つの破綻が他の破綻を誘発し、手が付けられなくなる。不良債権、財政赤字、社会保障制度などさまざまな面で日本ぱ臨界寸前である。

ここて踏みとどまって、安全を確保するためにはよほどの危機感と果断な行動が必要である。危機管理の重要性は、西村前次宮に代表されるようなタカ派政治家が好んで強調してきたはずである。しかし、国民にこわもてで危機を強調する政治家ほど、無分別で能天気であることが明らかとなった。

個々の政治家だけではない。臨界事故が起こったその時に、永田町における一年一回の最大行事、内閣、与党の人事異動にうつつを抜かしていた政権は、まさに能天気のかたまりである。「政治主導」を言うのなら、臨界事故の真相究明、責任追及にこそ、それが発揮されなければならない。

しかし、科学技術庁長官も粛々と入れ替えられた。この政権の危機対応能力は、そのことによって象徴されている。

理念なき独立行政法人

いつもなら、私の文章は自自公政権を糾弾して終わるはずであるが、今回は私自身の足元についても言及しなければならない。つまり、大学も方向性なき見直し、使命感なき改革の風潮に染まってしまい、世間に対する批判や提言の能力を失いつつある。

今、日本の国立大学には独立行政法人という妖怪が徘徊している。これは国の直営という現在の組織形態を改め、各大学を独立した法人とし、経営の自主性を持たせるとともに、中期計画に沿って業績を評価し、研究・教育の活性化を図るというものである。研究・教育における規制緩和、民活路線と言い換えてもよい。

世の中のあらゆる規制緩和と同様、独立行政法人化は強者に福音をもたらす。大学における強者とは、社会的ニ−ズが大きく、民間等から資金を調達しやすく、学生の人気も高い研究のことである。その反対の性格をもつ分野、つまり地味な基礎研究は、規制緩和によってわりを食うことになるであろう。

核燃工場技術者と同根

ここで間題は二つある。一つは、そうした学問の再編成を今行うことが適切かどうかである。

もう一つは、各大学で改革を立案、実行する研究者が、制度改革を自明の前提とし、虚無感を抱いたまま理念なき改革に取り組んでいることである。

何のためにという問いを封印し、内心忸怩たるものを感じながら百年に一度の制度変更に取り組むという態度は、生産効率を上げるために裏マニュアルを作った核燃料工揚の技術者と同じである。将来に禍根を残すことのないよう、徹底した議論が必要である。