==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
国立大学側は独立行政法人化案に反対して「学問の自由」や「大学の自治」という葵の御紋章を出しているが、出された方はひれ伏す様子もない。それもそうだろう。これまで学問の自由や大学の自治の名によっで、実のところは大学教授の指導者意識や特権的自由だけが守られた面が少なくなかったからだ。
これだけ大学が増え、私学も合めて大学が膨大な税金で運営されている以上、大学だけが特権的空間として存立することは難しい。何らかの形で納税者や社会への説明責任があることは否定できない。
しかし、納税者や社会への説明責任が官僚主導型になればなるほど、官僚統制に行き着くことになる。国立大学独立行政法人化をにらみながら大学評価機関(仮称)といった第三者機関の創立が準備されており、職員は百数十人、教官数十人が予定されている。納税者への説明責任のための大学評価、という大義名分によつて官僚統制が強まるのは目に見えている。
これからは従来以上に、大学が関係監督官庁に対し膨大な報告文書を出さなければならなくなるだろう。研究や教育よりも計画や目標、目己評価の報告書書きに忙しい教授の時代になる。
そうなれば世の常として、大学はなんどか評価をすり抜ける術を編み出そうとする。スターリン時代の計画経済のように、計画目標を低めに申告し、目標完全達成を狙ったり、数合わせと実態を取り繕う作文づくりが進むことも十分考えられる。官僚統制が進むぶん、学内には関係官庁の教育官僚と結託し、縄張りを拡張するやり手学者官僚が従来以上に幅を利かすことにもなろう。
学問の自由や大学の自治は、大学人のエゴイズムに堕したかもしれない。しかし現在の行政改革絡みの大学改革は、その極端な反動にしかすぎないのではないか。偏屈だが学問の虫のような大学教授は、ますます居場所がなくなる。能吏ややり手ビジネスマンのような大学教授を果たしで国民は求めているのだろうか。大学人の荒涼たるモラル・ハザードが大学改革の帰結でないことを祈りたい。
(京都大学教授)