==> 国立大学独立行政法人 化に抗して
行革渦中の国立研究所から (岩波科学11月号特集「国立大学・研究所の独立行政法人化」p885-888bより抜粋)

行革渦中の国立研究所から

浦辺徹郎 通産省工業技術院地質調査所

「国立大学と国立研究所を独立行政法人(以下法人)にする,という考えが最初に行革会講で話し合われたのは1997年暮のことであった.その後国立研究所(以下国研)86機関だけが先行して法人化の対象になり,2001年4月の発足を目指して作業が行なわれている.しかし国研で今どのようなことがおこっているのか,外からはまったくみえていない.マスコミが報道しないぱかりか,国研の研究者自身が発言を控えているからである.ではなぜ国研やその研究者からは意見の表明がないのであろうか.それができない状況や理由を振り返るなかで,研究機閣の改革の意味を考えるというのがこの小論の目的である.国研の法人化の現状についてば別に述ぺたので(1),ここでは振り返らない.ただ,それから学んだレッスンは,次の法人化の対象となっている国立大学の制度設計を考える上で役立てられるぺきだろう.」

「地質調査所は通商産業省工業技術院(以下工技院)に所属する15の国研の一つである.技術系が主体の研究所群の中で唯一,地球科学という理学分野の研究を行なっているが,この“異質性”を説明することは行革の渦中でしばしば分野エゴと解され,われわれを苦しめた.

アカウンタピりティーの欠如

「筆者の元に届けられる行革関係の書類は今年に入ってからでも厚さ50cmを越えている.しかし,それらのほとんどは部外秘や配付限定のゴム印が押されており,さらに“所三役限り,所議限り,所内限り”という色分けがされている.配付限定でない資料もないわけではないが,それはほとんど何の情報も合んでいない.部外秘とする理由としては,書かれていることがまだ検討中であるためと説明される.」

「行革会議では議事録要約がただちに公表され.行革の一つの目的であったアカウンクビリティー(説明責任)が曲がりなりにも実行されていた.しかし作業の中心が行革推進本部に移ると,まったく何の情報も出てこなくなり,今もその状況が続いている.情報は国研のレペルまで降りてこないだけでなく,所管官庁の官僚にすら知らされていない場合がある.国研は上とのやり取りの中で基本的な情報すらもらうことができず,しぱしぱ“これは管理運営事項だから,これは行革推進本部で決定することだから.各省協議事項だから”といった言い訳を間かされてきた.あらゆるレベルで"ウチ""ソト"を分けるこの方法は,結果的に官僚の保身のために使われているのでないかと,疑念を抱かざるをえなかった.」

「配付限定資料は引用や反論のしようがない.また配付限定の期限が示されていない文書がほとんどで,この文章を書く際にもまったく使用することができなかった.アカウンタビリティーを欠くこのやり方の最大の問題点は,決定がなし崩し的になされる点にある.検討事項が案の段階であるという理由で異議申し立てが退けられる一方,もはや再検討の時間がないという理由で重大な決定が一方的に押し付けられることがしぱしぱおこったのである.

顔の見えない改革

「研究・教青機関の改革を,アカウンクビリティ一なしに行改組織の主薄で行なうことは,一見能率はよいかもしれないが大きな危険をはらんでいる.今回の国研の行革は顔のみえない改草になっているが,これは政治も現場も方針を示さず,中間に位置する官僚主導で行なわれているせいである.官僚の能力と見通しの範囲内で解決がつく問題についてはこの方法は能率がよく,実績もあげてきた.しかし,今回のようにその能カをはるかに越える,国のかたちを作るような改革の場合,別の方法が取られてしかるぺきでないだろうか.大淀(2)はその労作のなかで,日本の科学技術の創造性,独創性を高めていくために苦闘した技術官僚がいたことを記録しているが,そのような志は今回の改革には感じられない.」

「法人化の基本は,事前管理重視から事後チェック重視への転換,組織運営上の裁量・自律性の可能な限りの拡大であるとされたため,今でも法人化に幻想を抱く人が多い.しかし,最近制定された通則法をみると,研究・教育機関の運営に適合した内容になっておらず,個別法による読み替えで上記のようなことが実現されるかについては楽親を許さない.

「このように国研にとって好ましくない方向で官僚主導の改革が行なわれているのには,国研自身にも原因がある.国研は自分たちの信念をまとめることができずにいるからである.法人の制度設計がなされていく過程で,国研は所管官庁から質問や資科作成の発注を頻繋に受けた.内容は,研究所の現在および将来の使命,存在の必要性,所管官庁のミッションとの整合性など,回答しづらいものが多かった.研究所という団体にとって好ましいことは,行政組織である上部の団体にとっては必ずしも好ましいわけではないからである.そこで,ついホンネとタテマエの使い分けを行なってしまう.加藤がその好著(3〕に指摘しているように,ホンネというのはタテマエを取り除いた本当の気持ちではなく,“まずくなるとすっと穴の中に逃げ込んでしまう奇妙な信念で,自分の所属する団体の迷感になるとなると,とたんに前言撤回される”ものである.本当の信念を述ぺることは,お上にたてつくような居心地の悪さがあり,同僚に迷惑をかけるのではという理由で,ロをつぐまざるをえない.このような自己欺瞞のやり取りを繰り返しているうちに,事の本質を見失って,迎合的な回答をすることに慣れてしまう.加藤はホンネとタテマエを使う人は,他人の指導がなくても自分自身の悟性を敢えて使用しようとする決意と勇気に欠けているとしたが,残念ながらそれがわが国の国研の現状であり,上からの指示を待つ状態が続いている.

「イギリスの失敗と反省」という見出しでは、「それぞれの国研がどのような組織形態で存続するのが最適かを、自ら感がえささせる方法」というイギリスの「事前レビュー」(Prior Options Review)が紹介され、イギリス地質調査所の主張が認められて、民営化ないし法人化は不適切と判断された、といういきさつが紹介されている。

知の多様性を保持する

「イギリスのような経験をもたないわが国においては,イギリスが15年以上にわたって“生体実験”してきたサイエンスへの市場経済原理の導入が大学人の一部からも支持されている.しかし一律にそれを導入することが,全体の利益になるのかについては十分にシミュレーションがされているとは思えない.アングロサクソン流市場原理をアジアの国々に性急に導入したことが地域の経済を破壊したように,準備のできていない研究教育現場に市場原理を一律に当てはめることの危険性は指摘するまでもないだろう.先端技術開発研究分野の一部で高いリターンをもたらした市場原理を,すぺての分野に導入することは,知識の多様性の否定と破壊につながる.あたかもフィリピンの熱帯雨林を伐採してバナナだけを栽培することが,短期的には収益を上げるものの,長期的には地域の生物多様性を破壊し,土地の生産性が失われてしまうことに似ている(7).」

「単純明快な理論は美しいが,正しいとは限らない.従来の科学哲学ではしぱしぱ,すぺての自然科学分野は将来十分に発達すれぱ物理学と同じような性質をもつぺきだと暗黙のうちに仮定されてきた(8)が,それは誤りで,自然科学の理論の中にはいくつかの種類があるとする都城(8)の考えに筆者は共感を覚える.さらに自然科学が物理学で代表できないように,すぺての学問は自然科学で代表できない.山崎(9)は情報化社会は知識の断片化をもたらし,物事を基礎づける論理が,われわれの文明から失われたことが,現代の知識を窮地に追い込んでいると考えた.このため,人が生きるために必要な知識は何と何で,大学ではその内のどれを教育すれぱよいか誰にもわからなくなっている.このような状況の中で,一律に市場原理を導入することは,国研・大学だけでなく,日本の社会全体を危うくすることといわざるをえない.

「変化を拒否するのはとるぺき態度ではない.しかしわが国が1995年に科学技術創造立国を目指して制定した科学技術基本法の精神はどこにいってしまったのだろうか.1996年に策定された科学技術基本計画の前文には“我が国が世界及び人類に貢献し,国際的な貢献を果たしていく上でも,科学技術に対する国民の理解を増進し,関心を喚起する上でも,国の役剖は一層重要となっている”とある.国研・大学のあり方を,政治の場かち少し離して冷静に考え直すことが今,国として取るぺき道ではないだろうか.」

(Tetsuro URABE通産省工業技術院地質調査所)

(文献)
(1) 浦辺徹郎:漂流する国立大学一一独立行政法人という野蛮と文化の未来(仮題),岩崎稔・小沢弘明振,末来社1999)11月出版予定)
(2)大淀昇一:技術官原の政治参画,中公新書1997)
(3)加藤典洋:日本の無思想,平凡社新書(1999)
(7)鶴見良行:バナナと日本人,岩波新書(1982)
(8)都城秋穂:科学革命とは何か,岩波害店(1998)
(9)山崎正和:学±会会報,No.824,32(1999)