==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
大学に学問の自由は不要 高等教育フォーラム [he-forum 522]より転載

「大学に学問の自由は不要」とは「大学に学問は不要」ということ

日経記事へのコメント
([he-forum 520] で配付された)日本経済新聞12/26付の記事で、学問の自由は大
学には不要と主張されています。とても刺激的で<独創的な>論説ですが危険性を多
く孕んだものです。極論といえども法案となり一気に国会を通過してしまう昨今です
し、教育改革国民会議が間も無く動き出しますので、学問の世界にいる者の方から思
い違いなどを指摘すると共に、色々な角度から徹底的に批判やコメントしていくべき
だと思います。

学生の大学運営への参加や、文部省の大学政策の問題点に全く言及していないことも
気になりますが、一箇所だけ、批判します。

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>  ちなみに、学問の自由とはいっても「自己のリスクでする限り与えられるも
> の」と考える必要がある。したがって学校の施設や費用を使ってする学事は大
> 学の自由であり、教員や教員自治の自由に相当しない。


学究的営為の核心的問題は「何が問題か」「何が研究に価する主題か」というものだ
と私は思っている。その問題を考えることができることが「学問の自由」そのものな
のだと言いたい。この核心的問題を削除すれば、学問は「与えられた具体的問題の解
決」という作業に退化する。無論その作業は通常容易なものではなく、情熱と才能を
要するやりがいのある重要な作業だが、それが学問のすべてというのは正しいとは思
えない。自由のない学問は学問ではない。

「学問の自由」と大学とは無関係だ、という主張は論理的には間違っていないが、そ
れは、大学と学問とは無関係ということと実質的に同じことになる。生活を賭してし
か学問ができない社会は寒々とした貧しい社会ではなかろうか。

もちろん今の大学で、与えられている学問の自由の場がどこまで活かされているのか
と問われれば、答えはそれほど歯切れのよいものではないかも知れない。しかし、国
民から委ねられた権力を国民の為にどこまで活かしているのかと問われた為政者に比
べられれば胸を張って答えることはできるであろう(たいして自慢にはならないかも
しれないが)。

なお「学問の自由」「大学の自由」「教員の自由」という<言葉遊び>が行われてい
ることにも注意する必要がある。学問の自由を服装の自由と同列に考える風潮を助長
しかねない。

辻下 徹