==> 国立大学独立行政法人化の諸問題
独立行政法人の会計基準の問題点

独立行政法人の会計基準の問題点


大学評価と独立行政法人大学の純利益(≒国の債権放棄の額)とは
以下のように密接につながります。
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独立行政法人の会計基準で、大学にとって脅威となる部分は「負債である運営交付金
を業務活動の進展状況に応じて収益に転換する」(99.9月独立行政法人会計基準研究
会中間まとめの 第5節)という部分にあると思われる。

【問題点】「負債を収益に転換する」という言い方では大学が主導権を持つように聞
こえるが、その主語は国であるという点に問題がある。運営交付金の貸主である国が
債権の一部を放棄するのだから、その額を決める権利は国にある。債務の収益への転
換が(授業料を除けば)独立行政法人大学の主な収益なので、この転換の具体的方法
が中期計画期間終了時の純利益の多寡を決する。

種々の方法が予想される。

単純な例は、大学評価機構(仮称)の出す定性的評価に基づき、文部科学省が、中期
目標の達成度を(たとえば)10段階に数値化し、それに比例して大学の債務を収益
に変換してあげる、というもの。これには無数のバリエーションがある。例えば、振
り替えた収益に「何々部局の業績による収益」という名称が付くことが予想される。
このとき、変換の方法がなんであれ、分野間の比較が意味を持たない学術的業績の定
量的比較が自動的に発生する。これは、分野間の公平さを保つのが難しいという(競
争を前提とした)技術的問題としてではなく、学問の有機的統一性が破壊される危険
性としてとらえるべきだと思われる。

【独立行政法人化を決める段階では問題点は未定のままのはず】以上のような重大な
ことだが、99.9月の中間まとめでは「今後の課題」としてしか取り扱われていない。
債務を収益に振り替える具体的方法は省令レベルの規定になると思われるので、それ
が確定する作業は、国立大学の独立行政法人化が決まり制度設計の詰めの段階に入っ
てからでないとできないはずである。(実際、国立研究所等はこの点が未定のまま独
立行政法人化が決まってしまった。)

もちろん、上記は独立行政法人の利害関係に過ぎず会計学的には重要な論点ではない
と思われので、会計基準を検討している専門家の立場からすれば、これを「今後の課
題」とするのは当然だが、国立大学にとってはこの点こそ大学の教育・研究の自由が
保たれるかどうかの実質的な生命線の一つだ。これが曖昧なまま独立行政法人化に踏
み切ることは思慮に欠けることと言える。

【企業会計制の会計基準の2点についてのコメント】
(1) 一般原則の中の「資本と利益の区別」という項目。これによれば貸主に債権
を放棄してもらうことで発生する見かけ上の収益は、企業の活動能力を示すものでは
ないために、利益に入れてはいけないことになっている。「債務の収益への転換」は
まさに「資本と利益の区別」という原則に悖る点が指摘されていないのが不思議であ
る。しかし次のように考えれば納得できる。もしもこの原則を適用すると、独立行政
法人は会計上、運営交付金の額がほとんどそのまま赤字となるしかなく、これでは独
立行政法人間の効率の違いを比較できなくなってしまう。「資本と利益の区別」とい
う企業会計基準の原則は、独立行政法人制度設計の趣旨からすれば、採用できないの
である。

(2)収益計算書原則の中の「実現原則」。製造会社で製品が次々と生産されていく
とき資産が時間と共に実質的には増えていくが、その額が確定できないため、考え方
の違いにより帳簿に記載する方法が異なる。「実現原則」では実際に製品が売れるま
では帳簿上では製品は資産として存在しないものとする。大学も製造会社と似通った
点がある。独立行政法人大学は日々教育・研究で無形の価値を産みだすが、実現原則
が適用された場合には、その知的成果全体を中期計画に照らして国が評価し債権を放
棄してくれるまでは、収益としても資産の増加としても記載されないことになると思
われる。独立行政法人大学の「評価」の結果が悪い場合には、目標が達成できなかっ
た<罰>として国〔文部科学省and/or大蔵省)は債権を一切放棄しないこともあり得
る。このときは、運営交付金の使途の中で(給与・旅費等の)費用全体が赤字として
そのまま残り、総務省内の審議会がその業績不振の「客観的証拠」を理由に改廃を勧
告する、という成り行きは自然で無理のないものとなろう。