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運営組織の具体案について |独立行政法人通則法パターン |「公務員型」と「非公務員型」職員の比較(公務員制度改革大綱を踏まえたもの) |法人化後の職員の身分に関する主な意見(■非公務員型主張者の偏り)|公務員制度改革大綱のポイント
11月30日のNHKニュースで「・・・有識者会議はその後、この中間報 告を一般に公開して意見を募集していましたが、これまでに寄せられたおよそ百五十 件の意見の整理がほぼ終了したことから、来月十九日に会合を開き、三か月ぶりに論 議を再開することになりました。」とありました。意見138通を到着順に掲載した 257ページの印刷物が関係者に配付されていますが、もしかすると「意見の整理」 とは、これだけのことに過ぎない可能性があります。この推測が正しいとすれば、募 集した意見を真剣に吟味し参考にする意思があるのか疑わしいように思います。
(国立大学協会も参考にしてほしい)鋭い意見や重要な指摘や意見も多く、一部の関係者の書棚で埃を被るだけに終わるのは忍びないものを感じます。書かれた方の承諾を得られたものを紹介していきたいと思います。
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国立大学理学部長会議
|国立大学農学系学部長会議
|国立大学協会
|独行法反対首都圏ネットワーク事務局
|全国大学高専教職員組合中央執行委員会
|日本科学者会議
|日本科学者会議大学問題委員会
|独立行政法人化阻止全国ネットワーク
|全国大学院生協議会理事校会議
|独立行政法人化問題を考える北海道大学ネットワーク
|北海道大学教職員組合
|渡邉信久(北海道大学)
|辻下 徹(北海道大学)
|秋田大学教職員組合
|山形大学職員組合(森川幾太郎)
|東北大学職員組合
|小田中直樹(東北大学)
|筑波大学教職員組合
|一橋大学社会学研究科教授会
|千葉大学千葉大学文学部・文学研究科将来構想委員会 千葉大学理学部 教育・研究体制検討委員会
|東京大学21世紀学術経営戦略会議
|東京大学大学院理学系研究科将来計画委員会
|東京大学地震研究所
|東京大学職員組合
|静岡大学教職員組合
|新潟大学職員組合
|渡辺勇一(新潟大学)
|村上宣寛(富山大学)
|愛知教育大学独法化反対有志の会
|名古屋大学職員組合中央執行委員会|名古屋大学職員組合図書職員部会|
名古屋大学職員組合定員外職員部会|名古屋大学職員組合中央執行委員長(椿淳一郎)|
名古屋大学職員組合中央執行委員会書記次長(河合利秀)
|名古屋大学医学部保健学科/有志
|京都大学職員組合
|吉村洋介(京都大学)
|京都大学職員組合定員外部会
|大阪大学教職員組合
|中野元裕(大阪大学)
|栗山次郎(九州工業大学)
|佐賀大学教職員組合
|独法化反対宮崎大学実行委員会
|鹿児島大学教職員組合 女性部・定員外職員部会
|鹿児島大学教職員組合
| これとは異なり、私は、独立行政法人は国立大学には全くなじまない制度であると考えている。そもそも独立行政法人制度とは、国家機能を集中し、行政の効率性を図る目的に合致する制度として生み出されたもので、国家の無謬性を前提とするものである。だが、国家は無謬ではありえない。いつの時代にあっても、国家や社会に対して独立した立場から警鐘を鳴らしつづけ、また国家的利害に左右されない価値を創造・継承しつづける社会制度は維持されなければならない。大学制度は、このことに自覚的であった先人たちの叡智の賜物である。大学が果たしてきた役割を、現世代の短絡的志向によって改変することは許されない。 したがって、出発点において全く異なる前提にたつ調査検討会議の中間報告に対して、私がコメントすべきことはないともいえるが、この文書が今後の国立大学政策に適用された場合の影響を考慮して、中間報告に関連する意見・要望事項を述べることにしたい。
1. 文部科学省およびその調査協力者会議に対する要望事項
(1)調査検討会議は長を決めておらず、最終的な文責者が誰なのかもはっきりしない。「国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議」が「今後の国立大学等の在り方に関する懇談会」(以下、「懇談会」と略す)の下に位置づけられているのなら、今回の中間報告についても、「懇談会」がこれを受理し、「懇談会」の責任において文書を公表、意見を聴取するのが適正な手続きである。
(2)調査検討会議は、「組織業務」「目標評価」「人事制度」「財務会計制度」の4つの委員会において、1年弱の期間、審議をおこなってきたが、審議過程において浮上してきた検討課題についての「調査」を十分におこなっていないきらいがある。 @全学的コンセンサスと学長のリーダーシップを調和させる方策を明らかにする材料として、法人が設置する大学(私立大学)がとっている具体の運営方法、工夫と問題点・課題。 A「国立大学法人」が事務組織編成の裁量を拡大することができるかどうかを判断する材料として、国立大学職員の残業時間、そのうちのいわゆる「サービス残業」の割合。定数外職員の人数、職種、給与・勤務時間等待遇の実態、および、法人化後の大学職員の待遇の変化の見通し。 B大学教員人事のいっそうの流動化を図ることが適切かどうかを判断する材料として、本務校をもたない大学非常勤講師の平均年収、勤務条件、生活時間についての調査。および、これらに関する教員人事の流動化後の見通し。 C国立大学の授業料を各大学の判断で改定することが適切であるかどうかを判断する材料として、大学進学者の家計状況(年収、授業料・生活費等の負担額およびその割合など)、および、諸外国の授業料等、高等教育費に関する家計負担率とわが国のそれとの比較。 2.中間報告に対する意見 (1)中間報告全般について 2000年5月の国立大学長・大学共同利用機関長等会議における文部大臣(当時)説明では、国立大学を独立行政法人化する場合、その法制面での措置については、「(独立行政法人)通則法との間で一定の調整を図ることが不可欠」だと述べている。しかしながら、中間報告には、通則法との関連が記されておらず、「国立大学法人」が独立行政法人の一形態であることや、具体の調整点が明確でない。中間報告全般わたって、独立行政法人通則法との調整点を明示的に記述されたい。 ・・・ (7)関連するその他の課題 ○「国としての長期的な高等教育・学術研究政策やグランドデザインの策定」について、これが課題とされたのは、国のこれまでの長期的政策等の内容や策定にかかわる手続きの限界がはっきりしてきたためであると思われる。したがって、国は、これらの策定に際して、従来とは抜本的に異なる人選・手続き等をとるべきことを明記されたい。具体的には、日本学術会議および国公私の大学団体推薦委員、非政府組織代表などが過半数を占める審議会を設置し、政府からは独立した立場からの高等教育グランドデザインの策定が図られるべきである。 ・・・・男女機会均等の重要性は当然のことであると思いますが,大学の制度設計をしようとするような「中間報告」にわざわざ記載すべき事項であるとは思えません.ましてや大学が法人化後の中期数値目標とするようなことがらであるとはとうてい考えられません.このような議論は,委員の「良心にもとづく思い付き」をただ記したのではないかと批判されても仕方ないのではないでしょうか.これは,委員の「専門家」「有識者」としての資質にも疑問を持たせるものです.幸いなことに,このような「中間報告」は,大学が学外者の役員を登用した際に役員会で起こるであろう議論を予測させてくれます.大学の現場の状況を無視した,役員の単純な良心にもとづく意見ほどやっかいなものはないように思います. ・・・大学の「役に立たない部分」を削っているつもりが,結局は大学全体を削ってしまっていることに気がつくべきだと思います。」 今回の独法化の動きの中での、極めて大きい提案は、大学全体の組織をあげての目標・計画づくりである。いまだかって誰もこの空しい作文作業に批判をしてこなかったのは、概算要求などで、理念・目標などを提示しないと、省庁の認可が得られないという状況での「我慢のため」だった。・・・ 2a)教育も、研究も、個人の活動が基礎である。 授業など教育活動が一人で努力する地味な作業であることは、誰の目にも明らかであり、誰しも常にその孤独を感じているものである。だからこそ、教師「個人の評価」が学生によってなされることが可能となる。 他方研究はどうだろう。ノーベル賞は決して組織には与えられず、研究者個人に与えられている。研究者の常識であるけれど、自由闊達な発想というのは、共同ではむしろ束縛される危険があるのである。共同研究は、頭というより、技・考え方・議論の面で限定的になされることが多い。 上の様な事が単純明瞭に解っている筈なのに、なぜ教育研究の理念・目標づくりが組織的に行われるのだろうか。これは教育研究を理解していない人間が強要したものとしか考えられないのである。教員は教育や研究を始める時に、相当確固とした計画目標を持っているものである。これはしかし長い作文に書いて示せるものではなく、教育に関しては、「yyyを解りやすく理解させたい」程度のもの、そして研究については「xxxの謎を解きたい」程度のものである。 現在の研究教育の理念・目標計画の作文が、何故空しいのか。それは、個人的な活動レベルで生き続けている教員達が、組織全体の目標を作らされるからである。このようなものを、いくら立派に作成しても、何の役にも立たないし、その作業そのものが、研究・教育の時間を食いつぶすことになるのである。労働時間のこの様な甚大な侵食が起きている事を最も痛感し、研究教育の荒廃を感じ初めているのは、昨今の大学教員である。」 「3)競争を組織間に持ち込むことの愚 もうひとつ、運営交付金の多寡を暗示しながら、将来の法人の間に競争を煽るという点についても言及したい。私は研究教育成果が競争により促進されるとは考えないが、最大限譲って顔の見える個人の間での競争は、時に刺激になるかも知れない。しかし前項でも述べた様に、研究・教育が個人を中心に行われる観点からは、組織ぐるみでの競争は、様々な問題を引き起こす。 優秀ではないとみなされた組織の研究者は、全員低い位置におとしめられるべきなのであろうか。また逆に選別された組織の人間が全て優秀ということはない。もし組織間の競争が歪んだ形で行われれば、数々の優秀な人間が捨てられてしまうだろう。」 「●競争を評価する体制の不備と難しさ ・・・・科学技術基本計画に添って、巨額の投資が「未来開拓型予算」として、文部省に付けられたとき、その審査に当たった有名大学の教授達の半分近くが、自らの研究室に予算を当ててしまい、ネーチャーで厳しい批判を浴びた事実がある。これが、我が国の研究評価システムの致命的な脆弱性を示す厳然たる現実である。 真の改革は、学問・研究・教育に携わって苦闘している現場の人間の声を聞かなくては達成できない。無理矢理にその言葉を封じ込めれば、因果応報という言葉で示される結果が必ず訪れる。最高の高等教育を受けたはずの、文部科学省を始めとした官僚の人達が、ここに示された「大学いじめ」としての意味の強い、報告案の内容を理解できない筈はないと信じつつ批判の文を閉じたい。 新しい時代の新しい「常識」の萌芽は多様な発想のプールの中にこそ眠っている筈です。そして、大学は経営効率よりも多様性を旨とする機関です。様々な学問領域、多様な組織構造が混然としており、何かを生産するという立場からは非常に非効率に見えるかもしれません。しかしモノカルチャーのプランテーションのような効率最優先の組織では、多くの学派による活発な議論が産み出すような多様な発想は保証できないのです。中間報告に述べられている制度設計によれば、国が設定するグランドデザインという「一元的」な評価基準を用いて各大学を評価し、その評価を運営交付金に反映することになっています。このようなトップダウン方式は明らかに大学の本質である多様性を損なう危険が高く、また日本の将来をも危うくしかねないものに見えます。 ・・・ |