2001.1.19

大学はどこへ行く−−国民のための大学をめざして

岩田進午

地団研ブックレットシリ−ズ9, 1998年7月10日発行

目次


一、はじめに
二、いま科学・技術・高等教育は?
(一)科学枝術基本法の成立
(二)教育は受益者負担を
(三)任期制のもたらすもの
(四)エリートを育てるための教育複線化

三、大学の現状
(一)学生の現状
(二)教員の現状

四、国民のための大学をめざして
(一)教育の転換を
(1)一般教育をどう位置づけるか
(2)専門教育について
(3)どのような授業をすべきか
(二)研究の発展をめざして
(1)大学の研究はいかにあるべきか
(2)民主的運営の確立を
(3)国民と連携して「大学の自治」を守る

五、おわりに

抜粋

二 いま、科学・技術、高等教育は

(一)科学技術基本法の成立−−21世紀の企業戦略

新しい社会・経済システムの創出

最近の科学・技術をめぐる状況の特徴を、最も端的に示しているのが、199 5年2月に成立・施行された「科学技術基本法」です。科学者の中には80年 代の臨調行革路線により減り続けてきた研究費が、大幅に増えるのではないか と思い、「基本法」の成立を歓迎した人々もいました。でも、「基本法」の真 の目的は、そのような廿いものではありませんでした。「基本法」成立の背景 を見事に言い表したものに、経団連の『魅力ある日本−創造への責任−』(1 996年1月)があります。その部分を、ちょっと長いですが引用しておきま す。 「明治以来の欧米先進国に『追いつけ、追い越せ』型の経済発展を前提にした 日本の経済・社会システムは、今や行き詰まり、むしろ発展の足かせとなって いる。バブル崩壊と円高を背景とする戦後最大の混迷から、日本経済が未だに 立ち直れず、国民が将来への自信を取り戻せないのはそのためである。わが国 は、1970年代に20世紀型の『工業文明』に適合した近代国家の建設に成 功したが、その後はこれに安住し、『グローバル社会』、『高度情報通信ネッ トワーク社会』、『循環型経済社会(環境調和型社会)』を特徴とする21世 紀文明に対応した経済・社会システムの創造を怠ってきた。その結果、経済、 科学技術、政治・行政・外交・国際交流、教育、企業のいずれの制度も、新し い時代の要請に的確にこたえていない。」 もっとひらたく言えば、”日本型企業システムー低賃金、一定の教育レベルを もった豊富な労働力、高い技術力、年功序列賃金、終身雇用”を基礎とした、 大量生産・大量消費・大量廃棄の時代は終わった。わが国と比べてきわめて低 い賃金レベルにある東アジア諸国等の急速な追い上げには勝ち目がない。一方、 高付加価値の情報通信産業を中心とするソフトインダストリーでは、米国に大 きな差をあけられている。といって、情報通信産業に続くニューインダストリー の目途すら立っていない。加えて、多国籍企業が国境を越えて自由に活動でき るような体制を早急に構築しろという米国の強い圧力もある。これらを解決す るためには、従来の社会・経済システムではどうにもならない。”という訳な のです。財界は、21世紀には生き延びられないという強い危機意識を持って いるのです。前にも触れましたが、橋本首相の六大改革も、そのすべてが新社 会・経済システムの急速な創出を目指すものなのです。

科学抜術=開発研究

科学・技術分野に限ってみるならば、大学・国立研をニューインダストリ−創 出のための研究開発にフル動員しようともくろんでいます。その証拠が、行革 会議の議事録に見られます。そこでは「基本法」にいう科学技術(科学・技術 ではない)を次のように定義しています。委員の質問に事務局が答えたもので す。 「学術研究・教育は特定の政策目的とは結びつかないが、科学技術は特定の政 策目的と結びつくとの趣旨だとの説明があつた。また、関連して現在は産学協 固が盛んになつてはいるものの、学術研究は国からやれといわれても動かない という体質があり、そういう自由度が必要な分野であるが、他方、国が行わな ければならない開発研究はトツプダウンで行う必要があるとの発言があつた。」 このように、政府の言う”科学技術”とは、企業に利潤をもたらすような研究 のみを指しているのです。その結果、科学・技術の発展が大きく歪み、アンバ ランスになることが目に見えています。企業の商品に関連した分野の研究のみ が発展し、食料、環境、健康など、国民生活にかかわりのある分野の研究がお ろそかになってまうのです。それでなくても、わが国の科学・技術は、きわめ て歪められた形で発展してきた歴史をもつています。現在、多くの大学で農学 部はつぶされ、純粋な農学研究に対する投資は確実に減少しています。二世紀 の食糧危機を、どのようにして乗り切るつもりなのか、きわめて心配な状況が 進んでいるのです。企業の研究開発に密接な分野に、多額の予算が投入投入さ れているのと対照的です。 ここで、ちょっと脇道にそれるようですが、わたしが驚かされた話をします。 地球温暖化防止予算のはなしです。わが国の1995年度の予算総額は71兆 円。そのうち、地球温暖化防止予算は12兆円にものぼつており、政府も温暖 化を真剣に考えているなと思いがちです。でも、予算の中身をみたら、開いた 口が塞がりませんん。すなわち、道路整備推進費が約七割を占め、8兆353 8億円。高速道路などの道路建設が、渋滞を減らし、無駄なエネルギー消費と 一酸化炭素排出量を減少させるという訳です。...ついで、国有林整備費が 6054億円、原子力開発利用関係3922億円となっています。温暖化防止 という美名のもとに、ここでもゼネコン、原子力関係企業中心の予算が組まれ ているのです。

五、おわりに

”この移り変わりの激しい世の中で、大学ほど不変であり続けているところは ない”という言葉がよく聞かれます。この言葉の意味するところが大学の進学 率が40%を超え、巨大な民間研が存在するようになり、国立研も充実してき ているのに、大学の研究のあり方、特に教育の在り方が旧態依然であるという 指摘なら全くその通りです。大学教員が、現在の社会・経済的状況に適合した 新しい理念を早急に確立することが望まれているのです。 しかし、別の視点からみると、大学は大きく質的に変化しつつあります。国立 研に籍を置き、20数年ぶりに大学にもどってきたわたしが感したことは、大 学の変質が確実に進行しつつあるということです。多くの教員がいつも忙しそ うにキャンパス内を動き回つています。夢のある、スケールの大きい研究を楽 しんでやっている人がめっきり少なくなりました。良い悪いは別にして、脱イ デオロギ−化が顕著です。企業からの委託金武・奨学金が、教授会の度ごとに 報告されます。経常的研究費が研究費全体に占める割合が大きく低下していま す。そして、何より驚いたことは、文部省の大学への支配力が著しく強められ ていることです。それなのに、多くの教員は、その変化にあまり気づいていな ようです。変質が、じわじわと緩やかに進んだことによるのかも知れません。  二章で触れたように現在進行中の変化は、教員が自発的に行つたものではな く、財界・文部省の意図によってもたらされたものです。このような経過の中 で、最も危惧されることは”大学はどうあるべきか”について発言しているの は財界のみだということです。”このような教育を大学でしてもらいたい。”” こんな研究を大学でやつて欲しい”という声が、国民の側から投げかけられる ことはないのです。これでは勝負になりません。現在、最も必要なことの一つ は、労働、婦人、環境、農業、障害者などにかかわる各団体が、大学に対する 諸々の要求をどんどん出してくださることです。ご協力を心から願つています。 このような支援に支えられてこそ、現在進行しつつある変質にストツプをかけ、 大学を国民本位のものに変えることが可能となります。  何はともあれ、大学の内でも外でも、大学のあり方論の討議がいたるところ で行われることが、現郡状を打開するための出発点となるはずです。そしてそ の時、この小論が討論素材の一端でも担うことができればこんな嬉しいことは ありません。