2001.2.3

いま独立行政法人化で大学の教育・研究が危ない

阿部謹也(共立女子大学長)

2001.1.24 於岡山大学

しおり

問題浮上の経緯なぜ国民は無関心か?「世間」の概念学問社会という世間大学という世間国立大学協会と文部省文部省の行政指導学問のあり方予測
質問1(30年前との違いは?)質問2(国民の需要がない学問は淘汰されるべきか?)質問3(教員の意識改革か、大学の制度改革か?)
・・・ 国大協の副会長をやったんですが、当時の会長がこの問題について国大協の内部 で、委員会をつくってほしいと言われて、そこで委員会をつくりました。国大協 の委員会というのは、だいたい当時各大学の学長が入って議論することになって いますが、学長というのは非常に偏っています。つまり、偏っているという意味 は国大協に99の大学が加盟していますが、そのうちの非常に多くのところが医 学部と工学部で占められていまして、当時は人文社会系は非常にわずかでして、 法律は一人もいなかった。法律の専門の先生は一人もいないという状況だったわ けです。そういうなかで、3ヶ月のうちに、3ヶ月以内に答申を出してほしいと いうことで、普通は国大協の委員会というのは年に2回ぐらいガイドをやって5 年ぐらいかけて答申を出すということが多いんですが、3ヶ月でやるとすれば、 先生方つまり学長の先生には期待できないので、相当著名な経済学者、教育学者 等々に直接お願いしまして来ていただいて、3ヶ月で「国立大学の将来のありか たについて」というパンフレットを作成しました。これは、この大学にも来てい るはずです。

独立行政法人化問題の浮上

ところがその議論をしている過程で、独立行政法人化という問題が浮上してきま した。これは当時は何のことかわからなかったんです。「独立行政法人とは何 か」ということから議論し始めるわけですが、この概念は法学者の南ひろまさと いうひとが初めてつくったんだそうですが、もともとはエージェンシーというイ ギリスのスタイルを真似てつくったと言われていますが、政府が何を考えている のかわからないんですが、当時の行政改革会議の事務局長であったひとが、自分 の意見として新聞に東大、京大を独立行政法人化すべきだということを突然発表 した。これが大々的に報じられて、東大、京大の総長は、文部省に駆けつけて反 対声明を出したりしたところから人々の注目を浴びたわけです。そして内閣が代 わって小渕さんの内閣になったときに、彼は「公務員を2割削減する」と公約を したわけです。公務員の2割というと、だいたい国立大学の教員、事務職員全員 にちょうど当てはまる数字なんです。そこで数合わせと言われて批判されていま すが、国立大学を全部民営化すれば小渕さんの公約は実現できるということもあ って、具体的な提案が出てくるようになったんです。その段階で国大協も独立行 政法人問題について検討を開始したわけですが、先ほどお話がありましたように 当時から国大協は全面的に反対という姿勢を貫いてきたわけです。先ほどお話が あった国大協の意見の変更というのは、前半では反対といっているんですが後半 ではどうすべきか具体的な対応策を練っているために、マスコミからそういうふ うに受けとめられたわけです。

独立行政法人とは何か

では、独立行政法人とは何か。これは、今いろいろと明らかになっているのは総 務庁等々でつくっている通則法というのができておりますからこれをご覧いただ く、そうするとこれには大学が入る余地はないです。ほとんど大学とは関係がな い機関の問題として提起されています。ついでに言いますとイギリスのエージェ ンシーは、例えば大学には適用されていません。イギリスのエージェンシーで比 較的研究に近いというところともいえないと思いますが、運転免許書を発行する 機関は独立行政法人化できることになっていて、これが非常に定量的な非常に決 まった業務です。そういうものはできる。しかし、大学はなっておりません。し かし、日本の場合はさっき言った特殊事情、定員削減という問題から始まってい るわけで独立行政法人にするという話が進みつつある。

では、どういう点がポイントかというと、大学の自治という言葉はほとんど使わ れない。

ついでに言いますと、20世紀から21世紀にかけてつまり前世紀の後 半からというよりもうちょっと最後のほうの20年ぐらいに、あまり大きな声で 言われておりませんが、私は非常に特徴的だと思っているのは自由とか民主主義 とか平等とか、例えば大学の自治とか、こういう自治という概念も含めて戦後日 本に非常に広がっていた概念がほとんど全部空洞化している。そして空洞化して いる概念について、例えば民主主義とは何かということについて国民も政治家た ちもみんな日本人はわかっていると思っているんです。しかし、民主主義とは何 かというのはわかっていないわけです。わかってないという意味は、アメリカの 場合は今でも民主主義が何かということを追求しようとしている。例えば、アス ペンという研究所で大学の教授から政治家から、そして一般の人まで、学生まで 集まってトクビルを読んで勉強しているわけです。つまり民主主義というのはこ れで終わりということはないので、何が民主主義かということはまだ論ずる余地 がいくらでもある。ところが日本では、日本の政治体制が一応民主主義というも のを標榜しているということがあるから、そして法律もそれによってつくられて いるから、安心だ、もう民主主義だということで政治家たちはまったく違う発想 で行動しながら、それが民主主義だとみんな思い込んでいる。国民もそうなって いるという事態がある。その中で、個々の概念、自由、民主主義あるいは平等と いった概念はみんな空洞化しているんですが、そのことが声を大にして叫ばれな いと同様に、大学の自治という問題も今からかなり前ですが、大管法の時代には それは各大学は大変だった。学生も教職員もみんな挙げて大管法に反対をした。 こういう声がまったくない。

そして現在、独立行政法人問題が提起されているのはなぜか。どうして提起され たのか。つまり乱暴な法律なんです。一つは、大学の独立行政法人化というのは 文部科学省が個々の大学に「あんたの大学はこれこれの研究をしなさい」と命令 できる。つまり中期目標を掲げることができる。そうなっています。中期目標と いうのは、3年ないし5年という中で大学はこれこれをやるべきであるというこ とを文部科学省が、文部科学大臣がそれを大学に課すことができるとされてい る。その目標設定をされた大学は、その目標に沿って努力する中で予算もそこで 認めてもらえるだろう。そして、3年ないし5年たったときにその中期目標をど こまで達成しているかを審査委員会が審査して、それも効率性にもとづいて審査 して判定し、判定した結果によってその次の年度の研究・教育の費用を削減され たり増加されたりするということです。そしてそれがポイントですが、さらに学 長の人事つまり選挙についても文部科学大臣の指名とするとなっている。したが って一般の人々からもできる。ですから当初は、「あなたも東大総長になれる」 というコピーが流れたくらいです。

いろいろありますが、一番大きいのは研究教育の課題を大学が文部科学大臣から 与えられるという形になっているというところに一つの重要な変更がある。今か ら15年20年前だったらものすごい反対に会うし、こういうことを文部科学省 も言えなかったはずなんです。なぜ今回そういうことが言えるのか、そしてマス コミからもどこからも大きな反対がないのか。これが今日の私のテーマです。 そして私は、国大協も辞め国立大学も辞めたあとで、いろいろと今日のような会 合に呼ばれます。今までいろいろ10ぐらいの大学を回っていますが、例えば群 馬大学は組合が主催してこういう勉強会をした。前橋市でやりたいということで やりました。私も出かけていって討論に参加したんですが、やはり学長が出てき てほしいという組合の意向があったんですが、学長は組合の主催の会合には出ら れないということで、控え室に私のところへ、顔見知りですから挨拶に来られた だけで終わってしまった。というような会合から、あるいは学長主催の会合もあ りましたが、あまりそれは多くなくてほとんどは研究所とか教員の主催で行われ ている。そういうところにかなりの数でかけていって話を聞いたりしている中 で、非常に印象が強いのは、国民がほとんど関心を寄せてないということです。 もう一つ注目すべきことに、学生もほとんど関心を寄せてないということなんで す。かつてだったらばストライキあるいはさまざまな運動が学生から起こってい るはずですが、まったく起こっていない。そして国民が何よりも関心を寄せてい ないということを、おそらく文部省とか総務省とかは知っている、予測している ということを前提として小渕内閣のときに独立行政法人化の方針をたてることが できた。はっきり言えば大学側はこけにされているわけです。つまり大学側がな んと言おうと国民は国立大学の研究にさまざまな枠をはめ、あるいは文部省の言 うとおりにしろと言っても国民の反対はないと見越したわけです。それがなぜな のかということを私は今日お話したいと思います。

と言いますのはあちこちの大学を回ったりして、先ほどご紹介いただきましたが 文部科学省の諮問会議、今は一人増えて9名の委員がいて、これはまあほとんど 年寄りが多いんですが、3人は国大協の前会長、私を含めて前会長3名、それか ら私学のほうの代表というような人たち、それから研究所の代表というような人 たち、これは皆さん名前もご存知のような方が多いんですが、そういう人たちが 集まって議論することになっているわけです。そういうところでの議論をふまえ てみても、これらの問題について国民が関心を示していないということの説明は まったくなされていないし、もう一つ文部省は平成3年以前から大学改革という ことを言ってきた。そして各大学は教養部の廃止も含めていろいろな改革を現実 に実行してきて大学改革ということがこの10年ぐらい国立大学の一つのスロー ガンになってきた。ところが、この大学改革がなんであったか私は当時からいろ いろと発言をしておりますが、制度の改革に過ぎないんです。これも十分に行わ れていない。制度の改革に過ぎないということはどういくことかというと、大学 の使命は研究と教育にあるわけです、そして教育のあり方を変えようという努力 はなされていますが、研究のあり方を変えようと言う努力はまったくと言ってい いほどなされていない。つまり、明治以降の日本の学問が問題なんだという発想 はなくて、今までの学問を守ろうという姿勢が独立行政法人問題に反対する姿勢 と重なっている。これは非常に重要なポイントだと思います。

なぜ国民が独立行政法人問題に関心を示さないのか

そこで今日は、なぜ国民が独立行政法人問題に関心を示さないのかという点を中 心にしてお話したいんですが、一つの答えは簡単なんです。独立行政法人が何な のか国民が知らないからということが言われています。こういうことを言うと、 「そうだ」と言う人が多いんですが、そうではないと私は思います。つまり、独 立行政問題に関する知識がある人々ですら、つまり大学の先生方ですら必ずしも 反対運動に結集していないという問題がある。しかし、大学の先生方の場合は独 立行政問題は非常に心配だ、つまり国立大学のこれまでの研究の蓄積が守れるか どうかが心配だという発想でなされている。私にもそういう意識はあります。し かし、これまでの研究とか学問のあり方そのものに問題があるという発想はない んです。私はそこに問題があると思っています。そして日本で大学改革が必要だ という声は、文部省から始まっているんです。しかし、その際に大学改革を論ず る論者はたくさんいますが、日本の社会との関連を示した人は非常に少ないで す。

私は今日はあえてそれを行おうと思っているんですが、ここで簡単に明治以降の 日本の大学の学問とは日本の社会の中でどういう位置を占めていたかということをお話したいと思 います。まず明治以降の日本の社会、今日まで100年以上の年月、日本の社会 はどういうシステムによって維持されてきたかというと、一つはご存知の近代化 というシステムです。それ以前の日本は、もちろん幕末、幕藩体制にあり、ある 意味で近代的な合理主義と言うものを受け入れることができないような状況の中 にあったわけですが、しかし、明治政府は西洋あるいは欧米の近代的な文明を受 け入れる決意をし、鎖国を解いて開国しそして欧米の文明を受け入れるべく努力 した。それが近代化のシステムを受け入れようとする政策だったわけです。それ については、皆さんよくご存知だと思うんです。その政策の中で、国立大学もつ くられたし新しい教育も置かれた。いいかえれば、小学校なんていうのは各県に まかされて、各県がお金出してつくった。県というよりも地元の人々がお金出し てつくって、非常に苦しんで学校をつくったんですが、そこで少なくとも初等教 育に関しては従来の差別というものはその表面上なくなって、だれでもが机を並 べて授業を受けられる形になった。そういう意味では近代化だったんです。そし てインフラストラクチャーのほとんどすべては、近代化の路線にのって進めら れ、そして今日に至っている。しかし、その中で進められなかった部分がある。 それは、家とか家族とか人間関係、これは近代化できなかった。これを近代化し ようとした人もいなくはないですね、森有礼とか明治の明六社に集まった人々 は、そういう意思を持っていましたが政策としてはまったく実行できなかったか ら、従来の家の形、家族の形、人間関係と言うものが残ったわけです。

それはどういうことになるかというと、近代的な官僚組織ができて、あるいはそ れと同じように大学というものができて、そして大学が欧米の形をそのまま真似 しましたから、形としてはむしろ欧米よりも進んでいる部分もあった。工学部を 大学にとりこんだということも含めてです。しかし、人間関係は従来のままだっ た。明治17年にはインディビディアルという翻訳が、個人として生まれたわけ です。その7年前、明治10年にはソサエティという言葉の訳語として、社会と いう言葉が生まれて、それ以降は社会と個人という概念が、いわば時間をかけて 定着していくわけですけれども、しかし問題は、その辺は誰でも知っている、そ ういう形で日本の近代が生まれ、そして東南アジア諸国から見れば、日本は近代 化の先進国家として位置付けられている。これは一応誰でもが認めているわけで す。しかし、おかしなことに日本の歴史家たちも、日本史の歴史家たちですが、 明治以降の歴史をまさにその近代化の線上でしか描いていない。といいますの は、先ほどの家とか人間関係の部分は、まだ近代化できていない。今に至るもで きていない。それは従来のままなんです。これを私は、もう一つの日本のシステ ムだというふうにとらえている。

ところが、学者とか歴史家あるいは評論家たちは、このもう一つのシステムの存 在を知っても、ただシステムとは思っていない。それは、前世紀の残滓、残り、 遺物だと考えている。あるいは大塚史学という史学があったとされていますが、 そういうところでは封建遺制と言われていた。つまり、今でもそういうものは残 っている、これは日本の遅れだというんです。日本には、例えば個人というもの が定着していないと私は考えています。定着していないという意味は、日本の個 人というものはあるんだけれども、ヨーロッパの個人の形、そういうものをもし 原型だと考えれば、日本にはまったく存在していない。しかし、日本のインテリ は大学の先生も含めて、日本の個人はヨーロッパの個人と同じだと思っている。 これは根本的な間違いなんですが、そこにはほとんど気づかない。なぜ気づかな いかというと近代化路線の延長線上で学問をしてきたからです。

世間について

そして、もう一つのシステムである歴史的、私は伝統的システムと言っています が、これは世間という言葉に代表される。近代化のシステムは文字と数字そして 論理というものを基礎に置いている、こういうシステムです。では、歴史的伝統 的システムはどういうシステムかというと、言葉です。言葉っていうのは発音す る言葉、それから感情、義理人情、宴会、こういうものを基礎に置いている人間 関係です。この関係をよく理解するためには、簡単なことなんです。岡山選出の 議員でも誰でもいいんですけれども、つまり選挙区をもっている議員たちが、自 分の地盤である選挙区ではどういう言葉をしゃべっているかということです。こ ういうことのレポートがあまりないです。しかし、レポートをきちんとすると本 当はおもしろいはずなんです。東京の国会では、一応標準語で、標準語というの は近代化のシステムの言葉で語っている、つまり政策を語るときにはそういう言 葉で語るしかないから、世間の言葉は使えない。そういう議員たちが、国へ帰っ て選挙区では、選挙のときなどにどういう言葉で、何をしゃべっているかという ことを聞くとわかるんです。つまり彼らはそこでは世間の言葉を使い、世間の 人々に合致する内容でしゃべっている。そして、世間の人々は近代化の言葉でし ゃべられる内容はほとんど理解しなくはないけれども、してはいるんですけれど も、近代化に希望を託してはいるんですが、近代化は頼りないものだと知ってい る。そして、近代化というものが自分たちの利益と相反する部分を持っているこ とも知っているから、世間の言葉で代議士を送り出す。したがって代議士は、二 つの言葉で暮らしている。国会では近代化の用語で、国に帰れば世間の用語で暮 らしている。この関係を上手に分けらる人と分けられない人がいる。つまり国会 で記者会見をしたり、東京で記者会見をするときに世間の言葉がちらほら出てし まう。これは失言と東京では言われている。しかし、お国では失言とはいわな い。「よう本音を言って下さった。先生は偉い」ということに当然なるわけで す。しかし、失言として追及される。もちろん失言の質にもよります。現在の総 理大臣の失言とは、そういう失言とはやや違うので、そういう本質的な失言とち ょっと違う種類の失言もあるわけですが、一般の代議士は、例えばもう亡くなり ました渡辺美智雄とか、そういう人々は意図的に失言しているわけです。つま り、失言するということは政治家にとって必要な資質なんです。

つまり、例えばある代議士が九州で相当前ですが、女性議員の胸をつかんだこと があって、これはセクハラで訴えられた。もちろん、訴えた人も議員ですから公 の場で、裁判で議論をされるはずなんですが、その加害者である議員は、九州の あちこちの自分の選挙区で、それは世間の場なんですが、そこで「女性の胸を触 って何が悪いか」と大きな声で叫ぶと、みんなが拍手をする。というのは、古い 言い伝えを調べますと九州、日本にあちこちあるようですが、来年の豊作を占う ときに若い娘の、その議員は若くはなかったんですが、若い娘の胸を触って、そ れの感じで来年の豊作を占うという慣習がかつてはあったということを、ちゃん と知恵者がいて彼に教えて、そういうことをふまえて「何が悪いか」と言うと大 きな拍手がきた。したがって、セクハラという言葉は日本では近代化の用語とし ては通用しているけれども、世間の言葉、つまり選挙区にはなかなか通用しない という事態があったということは代議士の世界の話なんです。

学問社会という世間

ところが、日本の学問はどうかというとその近代化の用語だけで今日までやって きた。それは、ある意味で国立大学は欧米の技術、文化を受け入れる窓口になり ましたから、ある意味で当然なんです。当然、ヨーロッパあるいはアメリカ等々 の西洋の文化を輸入する窓口ですから、当然近代化だけで学問をしようとする、 これはわからなくはない。しかし、100年たった今なおフランス文学、ドイツ 文学、欧米文学、社会学、人文社会科学といってもいいです。私は、自然科学も まったく同じだと思っておりますが、自然科学の場合もこれはやや違った面があ るとすれば、これは例えばニューヨークとかロンドンとかスイスとかあるいはシ カゴとかに本店がある業者の団体みたいなものがありまして、その業者団体つま り自然科学の諸学会というものの存在というものがあって、そこと連動していま すから日本の京都でも大阪でも東京でもいいんですが、そういうところで行われ ている学問は、なんとなくそちら側のオーソライズされているような印象があ り、それは欧米先進諸国からオーソライズされているということで、いわば第一 のシステム、近代化のシステムに合致しているとみんな思っている。本人も思っ ているし国民も思わされている。そして、今はさまざまな科学技術基本政策とい うものがあってべらぼうなお金が流れている。しかし、そのべらぼうなお金が国 民の税金でまかなわれているにもかかわらず、その金がどう使われているのかと いうことは国民はまったく知らない。私は学術審議会の委員も数期やりました。 そこでいろんな経験をしました。まあひどい話もいっぱい知っておりますが、い ずれそれはきちんと報告しようと思っておりますが、そういう中で国民の税金が ほとんど業者団体で消費されていて国民に還元されていないという事実がある。 これはお金の問題ですから目に見えてわかる。しかし人文社会科学も同様なんで す。

人文社会科学は、先ほど言いましたように欧米の文化の窓口として設定されたわ けですがそれをずっと100年以上も引きずっていて、欧米にたてられた問題を そのまま日本で行っている。ですから、先生方は正直ですから私がいた大学でも 定年退官のころにある文学の先生が「私は個人的な趣味でフランス文学、ドイツ 文学、英文学、哲学などをやってきましたが、定年までお上のお金で好きなこと をやらして頂いて本当にありがたかった」。そう言って、みんなから拍手を受け て定年で辞めていくわけです。それでいいのかと私は思うわけです。はっきり言 えば学問を趣味でやる。それでよかったという時代もあったわけです。というこ とは国民はそういうことをみんな知っているわけです。もちろん学問のすべてが そうだったというわけではない。東北大学だったかどこか忘れましたが、東北地 方のガンの死者の数を劇的に減らした人がいる。これは、東北の人々の食生活を 改善し、塩分をうんと減らした。これは、確か私が委員だったころに文化功労者 か文化勲章をもらったひとで名前を忘れましたけれども、これは劇的に死亡率の 減少という形ではっきりとわかるんです。人文社会科学では、それほど劇的な例 はありませんけれども、少なくとも国民の多くにとっては、そういう少数の例を 除けばほとんどの学問は象牙の塔なんです。象牙の塔というのは、かつてはちょ っと違う意味だったんですが、今われわれから見ればほとんど個人の趣味に過ぎ ない学問を国の補償でずーとやっていく人々の群れといってもいい。そんな学問 に国民が関心を抱くわけはないので、当然国立大学で営まれている学問、これは どこで見ることができるかというと、年報とかさまざまな紀要が大学で出されて います。べらぼうな数になります。そこに載っている論文これを読むとわかりま す。誰でもわかります。何のために書かれているのか、わけがわからないけれど も膨大なものが大量にある。努力は認めなければならない。しかし、それはいっ たい税金を払う人にとってどういう意味があるのかということについては答えら れない。ヨーロッパ、特にアメリカではあらゆる学会、あらゆる研究会で常にタ ックスペイヤーに対する感謝をということがありますが、日本ではそういう慣例 がないから学会でもどこでもそういう話はしないんです。そこで国立大学に対す る国民の関心が薄れている理由は、まさにそういう点にあるんだというふうに私 は申し上げたんですが、ではヨーロッパ、欧米の学問がどうしてそうなっている かという問題がもう一つあります。

欧米の学問の出発点は、みなさんご存知のとおりおそらく私は遡れば15世紀ま でいくと思うんですが、つまりニコラウス・サンク(?)までいくと思うんです が、そんな細かい話は置いてもう少しおおざっぱに言えば、ガリレオガリレイか ら始まってデカルト以後です。つまりガリレオガリレイから客観的な測定という ことがはっきり出てきたんです。例えば学生たちがヨーロッパに旅行に行く。そ して、例えば漫画家になりたいという学生がヨーロッパに旅行に行く。「何を見 てきたらいいか」と言うから、「自分の目で見て来い。それだけだ。自分の目で ほかの人が見たことのないものを見て来い。それが一番大事だ。」と言って、行 くわけですが、一ヶ月して帰ってきて話を聞いてみても何も新しいことがない。 写真を見せてもらっても何も新しい話がない。ピサの斜塔の写真があるが、ちゃ んと新聞あるいは絵葉書どおり曲がっている。「どうしてこれまっすぐなの撮ら なかったの」と聞くと、きょとんとした顔をしているんです。「角度によっては 真っ直ぐなピサの斜塔が撮れるでしょう。どうして撮らないの」て言ったら、 「そういうことは考えたことがなかった」。それで、「何がおもしろかったか」 て言うと、彼は「地下鉄がおもしろかった」。「じゃあ、そのおもしろさを描い てごらん」と言うと、描けないんです。これは不思議なんです。自分の目で見て 自分でおもしろいものを発見しろということができない。そういう人が漫画家に なって何もできるはずがないんです。

というふうなことがあるわけですが、デカルトの場合はご承知のとおり、自分が 考えている、あらゆるものを疑うけれども自分が考えていると言うことだけは事 実だと言うことから、コギトと言われる「考えている。したがって自分は存在し ている」という有名なテーゼが出てくるわけですが、これはそこから出発して自 然科学にも大きな影響を残したわけです。つまり、個人から出発した学問が近代 の自然科学をも、いわば支えてきた。どういうことかというと、個人が前提とさ れてそれから客観が措定された。ところが問題はそこにあるわけです。個人が実 在しているということはデカルトによって一応証明されたと言っていいと思いま す。しかし、そのデカルトのテーゼが、例えば10人の人がそう思ったからその 10人が存在するのは事実だ。しかし、10人が見ている、観察している環境は はたしてみな同じ環境かというとそうではないわけです。そうすると客観は必ず しも個人、人格あるいは本(?)というものに対応する形で実在していないこと になる。そこが近代の自然科学でははっきりしなかった。しかし、近代の自然科 学はある観点から、つまり測定という観点からものの広がりというものを考え て、そこからさまざまな法則を打ち出した。という意味では、近代の文明は近代 自然科学なしではありえない。しかし、近代自然科学は、さまざまな難問を同時 にひきおこした。これは環境汚染も含めて、遺伝子操作も含めてさまざまな問題 が今提起されているわけで、それは、そもそも自然科学そのものに内包されてい たし、近代的学問そのものに内包されていたと思うわけです。つまりデカルトは 物と心は違う・・・・・・・ ・・・・・・自然科学は、もっと先に進んでしまっている。そこで今さまざまな 問題が提起されているわけですが、それに対してヨーロッパの側で大きな批判を したのが、エドモントフッサールという学者で彼は1936〜7年にかけて「ヨ ーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」という本を書いた。

これは翻訳がありますが、どういうことかというとガリレイ、デカルト以後の近 代学問というものが生活世界を無視してきている。そのために、客観化という点 で失敗をし、大きな齟齬に至っているということを縷々と述べた書物です。生活 世界とは何かというと、これは最初に私がお話した日本の場合に引き戻していえ ば、近代化のシステムが例えばガリレオ、デカルトから始まったものだとすれ ば、生活世界は日本の歴史的伝統的システムに当るものだと私は考えています。 ヨーロッパの場合もそれに当たるものはあるわけです。彼が言っているのは、個 人が学者として生きているその生き方は、デカルトあるいはガリレイ以後の生き 方というものも含めて、そこには個人、魂と、それから近代的な科学、例えば延 長とか量とかこういうものとの関係をどこかで統一して動いているのが個人なん ですが、その個人について心理学とかさまざまな哲学とか脳の研究とかで分析を 加えていますが、両者を結ぶ線は未だにない。という状況の中でヨーロッパの学 問は進んできたのに、フッサールは全面的な異を唱えて現象学ということを言い 出した。例えば、われわれは今この世に生きているということをどう考えるかと いえば、私はたまたま1900何年かにこの世に産み落とされこの世界に生きて いてあと何十年かすれば死ぬ、これはみんな知っているわけです。そして、私が 死んでもこの世界は続いていくだろうとみんな思っている。私は、そういう考え 方がまさにフッサールが批判する現代あるいは近代の世界観であると思うんです が、近代の世界観はそういうふうにして個々の人間の位置付けをしているわけで す。自分はこの世界に生まれた。そして、この世界の一部分にいるにすぎない。 したがって、自分が死んでもこの世界は続いていく。こういうふうに考えさせら れてしまっているのが近代人です。しかし、フッサールの徒である学者たちは、 少数ですけども、この世界は自分が死んだ瞬間に消え去るんだと言っている人も いる。そういうことを皆さんは信じないと思うんです。しかし、そういう考え方 もありうるわけですが、ついでに余計なことを言いますと、私は今、今日話して いることの骨子をふまえた日本の明治以降の学問論を書き終わっている。原稿が 渡されているんですが、それを今予定している。この春にかけて出ると思うんで すが、もう一つ頼まれている原稿もあるんです。

それは同じ出版社なbbですが、歴史とは何かというテーマです。これについて は私も今考えていることがある。それはどういうことかというと、日本史の研究 者と長いこと議論をしているんです。しかし、この15年ぐらいはやっていない んです。今から20年ぐらい前に始まって、議論が進んだんですが、このころか ら私と彼との間には大きな差が出てきた。どういうことかというと、彼は、私よ り年長者なんですが、日本史の大立者ですが、彼は歴史というものは存在してい たものだ、例えば鎌倉時代を例にとったら、鎌倉時代は存在していた、確実に。 資料があればそれを全部再現できる、それを再現するのが歴史家の使命だという のが彼の立場なんです。私は、そうではないという考えを彼とつきあって5年後 くらいにははっきりと持っていた。どういうふうな考えかというと、鎌倉時代と いうのはかつてあったかもしれない。たぶんあっただろう。つまりそれはあとか ら人が名づけるわけですから、名前はどうでもいいんですが、その世紀にその数 年数世紀に人が生きていたことは事実だけども、その世紀を再現することは不可 能である。絶対にできない。それでは、今われわれが鎌倉時代といっている時代 についてのイメージはどうして生まれてくるのかというと、それは私たちに必要 な限り、私たちがこれから生きていく上で必要な限り、過去に投影されて出てく る。したがってそれは、資料の存在とは関係があるけれども、資料の存在に依存 するものではない。そして、資料があれば全部書けるものでもない。ほとんどは 消え去ってしまっている。全部といっていいぐらい消え去ってしまったものを、 思い出すことすらできないものだ。あえてそれを鎌倉時代というふうに再現する とすれば、これから生きていく上でそれが必要だからということです。

それをもう少しわかりやすく言えば、去年の夏休み例えば恋愛があったとか、出 会いがあったとか、失恋があったとかなんでもいいんですがそういうことがあっ て、去年の夏休みを思い出そうとする人がいると思うんです。何にもなければ去 年の夏休みは思い出しもしない。日常生活の中でまったく存在しない。しかし何 かあって、誰かに言われて、去年の夏休みを思い出そうという話になったとする と、思い出そうとする。そして去年の夏休みというものを再現する。文章にす る。それで夏休みを思い出したと思っている人がいるかもしれませんが、しかし 例えば余計なおせっかいをすれば、じゃあこないだの夏休みの風の音、暑さ、湿 気あるいは雨の音あるいは砂の感触、そういうものはありますか。そういうもの はないに決まっているんです。もうすべてないんです。すべてないけれども、言 葉で表現できる限りでのものは表現できるとみんな思っているから、それをあえ て生み出していく、作り出していくという作業が、これが記憶であり、回想であ り、歴史叙述なんです。したがって、歴史とは何かというと、そういう問題にい きつくわけで、過去の時代というものは全部消え去ってないんです。われわれに あるのは、これから生きていく世界、今日から明日へのかけての世界、時間、そ ういうなかでどうしても過去に振り返らなければならないことがある場合にだけ 過去を振り返るのであって、それを延々と数世紀、数億年も振り返る場合もある かもしれないけども、例えば銀河系宇宙とか、そういうものと関わってしまえば 振り返る必要がありますが、日常生活ではほとんど必要ないわけです。というこ とを私は考えているし、現象学からすれば当然そういう発想になる。

ということをいずれ数年後には書こうと思っているんですが、ということも踏ま えてみると、日本の近代史、明治以降の近代史というものをわれわれはなんとな くみんな、近代化だけでとらえているわけです。例えば、大学というものを考え てみます。そして例えば、私が今言ったようなことをある国際シンポジウムで去 年の秋に、横浜市立大学のシンポジウムがあったときにしゃべったわけです。そ うすると、そこで外国からきた客がたくさんいたわけですが、サルティーニア、 イタリアの島、このサルティーニアからきた人が、よく理解してくれましたが、 アメリカ人やドイツ人はあまり理解しないんです。日本人の学者が一番理解しな い。例えば、名前は言いませんけども、大きな国立大学の教授たちは、 私の言う世間というものは、「これはまったく封建遺制だ。したがって過去にも うすでに消えちゃったものだ。だからいまさらそんなことを言う必要はない」と 言うから、私は「そうではない。あなたの大学の学部、その話をしているんで す。それではあなたの大学の学部は完全に近代化のシステムに則って運営されて いますか。個々の教授はアメリカやヨーロッパの大学の教授のように近代的個人 として発言していますか」と聞くと、もちろんそうでないことは明白なんです。 学部は、やはり近代化の中のシステムで生まれるわけですから、建前としては近 代化を標榜しているけども先ほど言いましたように、日本では人間関係というも のは近代化されていない。そして個人は、ここは非常に重要なんですが、個人は 日本的個人というものがあるんです。あるんだけどもそれは世間の中に合致して いる個人だけなんです。ところが日本の大学で教えている、ヨーロッパ学とか哲 学は、ヨーロッパやアメリカの個人の行動というものをふまえてつくられていま すから、日本のインテリたちはほとんど全部がヨーロッパ、アメリカの個人と日 本の個人は同じだと思っている。つまり、近代化システムだけでものを考えてい る。

大学という世間

ところが彼は家に帰れば奥さんがいる、子供がいる、そして家に帰らなくても学 生がいる、そして出版社がある、あるいは書店があり、事務員もいる、大学の中 にです。そういう人たちとつきあう中で、近代的なヨーロッパ的個人としてつき あえるかというと、できっこないわけです。そこでまさに日本的な人間関係を掌 握していなければやっていけない。例えば「大学の教授は、管理職に向かない」 なんて言う人がいる。つまり、学者は向かないという考え方があって、私が始め て学長に選ばれたときにも、日本経済新聞で「行政の手腕未知数」と書かれたん です。あたりまえの話なんです。行政なんてやったことないわけですから、未知 数に決まっている。そして、まさに大学の教授というのは近代化システムの中だ けで生きていると自分は思っている。しかし、現実に大学はそうじゃないです。 学部というものは教員そして事務員がいる学生もいる。この人たちが全員が近代 的個人であるとは誰も思ってないわけです。非常にさまざまな人がいて、これは ある意味で義理人情の世界であり、感情の世界であり、宴会の世界です。私は実 はそういうものは嫌いなので、宴会も嫌いだし義理人情も好きじゃないというこ ともあって、いろいろと問題を見てきたり経験したりしたんですが、大学がそう いうところだということは中にいる人はみんな知っている。しかし、国民はそこ までは知らない。もちろん国民の中で、大学に関係のある人は知ってはいるんで す。

例えばセクハラ問題で大学教授がいろんなことをしたときに、例えば新聞等、評 論雑誌等は「聖職者が」というんです。私はそれも非常に不愉快な思いをしてい ますが、例えば今は裁判がこれから行われるでしょうから、あまりものを言わな いほうがよろしいんですが、ある病院で検査技師が、何か注射するときに、入れ るべきでない薬を入れたとして今騒がれている。新聞やテレビ、雑誌などでは、 「彼の心の中を見なきゃいけない。どうしてそういうことをしたかを調べなきゃ いけない」というふうに書いている。みんなそれに納得している。私はおかしな ことだと思うんです。つまり、一人一人の心の中を見なければその人の行動がわ からないのであれば、これは近代社会はやっていけないわけです。問題はそうい う心の中がどういうことであろうと、つまり人はさまざまですから、中には恨み ばっかり抱いている人がいるかもしれない。中には公平無私な人、中にはさまざ まな意思を持っている、暴力的な意思を持っている人もいるかもしれない。しか し、そういう人々の内面を暴いて、内面を調べなければその人が理解できないと いうのでは、近代社会は運営できないです。ですから、公的なマスコミとか、あ るいは社会的な機関はそういう人間の内面に踏み込まないで、人間の行動という ものを捕らえて、その行動の行き過ぎを是正する。これが近代的な社会の対応な んですが、日本の場合は近代的なシステムが表面にある、そして近代的なシステ ムが表面にあってそれが全部を貫いていれば、聖職、教師は聖職であるとか医者 は聖職であるとかそういう言葉はないはずなんです。ところがそうではなくて、 もう一つシステムがある。それはつまり、義理人情とか宴会とか差別とかです。 あるいはさまざまな言葉があります。日本語以外の言葉を使う人がいるわけで、 そういう人々に対する差別がある。この差別はどこから生じるかというと、第一 の近代的システムからは生まれないんです。近代的システムは、少なくとも人間 の差別を前提しないような形で生まれる。したがってそれはある意味で中途半端 なんです。現実の社会はヨーロッパでもどこでも差別がある。しかし、近代的シ ステムはそういう差別が存在しないという形で貫かれている。ですから今日本で おもしろい問題が起こっている。

おもしろいというと大変恐縮なんですが、例えばオウムの信者たち、関係者たち も暮らしていかなきゃなりません。したがって暮らしていくためにはどっかに住 民登録をしなきゃならないんです。一人一人は犯罪者ではないわけですから、住 民登録をしなきゃならない。しかし東京周辺の、あるいは全国どこでもそうなん でしょうが、市町村ではその住民登録を受け付けない。そして、松本智津夫の息 子たちか娘たち、小さい子達です。小学生くらいの。その子たちの就学も認めな いという町がある。当然のことながら、第一のシステムから考えればそんなこと は論外の話です。人権の侵害だということでその人たちが乗り込んでいくわけで す。乗り込んでいって、ある町でひと騒ぎやるわけですが、しかし町の人たちは 反論せず、ただ警戒をし、24時間警戒をし、そのオウムの人たちが入っている 建物をずっと警戒し、そっから人が動くと全部チェックしていつか追い出そうと している。ということが現実に行われている。これは、人権侵害だと誰でも思 う。けれども人権擁護委員が行っても、追い返されちゃう。弁護士が行っても追 い返されちゃう。そして町長さんもその人々とともに行動していて、条例を作っ たりするということまで考えている。いいかえれば「人権擁護委員と弁護士は出 入りお断り」という札まで書いてあるところもあるんです。これは、一番最初に 申し上げた、日本の社会の中で前世紀の後半から戦後の理念が空洞化していると いうことを証明している事実なんですが、人権とか自由とか平等とかこういう概 念が完全に空洞化している一つの典型が、オウムの関係者を受け入れない市町村 がいっぱいできていて、この人々はまさに世間の住民なんです。私はある地域に ついて、私のグループというのは変ですが、私とは無関係に生まれた日本世間学 会という非常にかってに生まれた団体で、その中の一人がその町の調査をしてい ます。その町の住人だからできるんですが、それを読んでおもしろいなと思った んですが、そこでその町が出している文書があるんです。その文書の中でいろん なことが明らかになってきましたが、一番の問題点はそこに新たに東京から移住 した人々。この人々は地価が安くてまだ東京からそう遠くないから安い地価で土 地が買える。そこにみんな文化住宅といったらいいんでしょうか、しゃれた家を つくってそれを終の棲家として住み着いているわけです。ところがオウムか来た ために地価が暴落する。これが最大の理由らしいです。そして、排斥運動がおこ る。これに地元の人たちも参加する。その中で人権なんてものはまったく無視さ れていて進められている。これもまさにさっき言った第一のシステムと第二のシ ステムのはざまの問題で、実は第二のシステムが厳然として存在しているという ことの証明なんです。

しかし、一番だめなのは学者たちで、人文社会科学私も属している人文社会科学 の学者も含めて、そういう存在を認めない。先ほど言った日本史の研究者も世間 ということばをそもそも認めないんです。例えば、吉川公文館という出版社で国 史大辞典という辞典があって私もそこに原稿を書いているので、原稿を頼まれた ときに書いたんです。ぜげんはあるが世間はないという文章です。つまりその時 点にはぜげんという言葉の解説はあるが世間という言葉の解説がなかった。どう いうことかというと、世間という言葉について一切の解説がないんです。この言 葉は本来はサンスクリットの用語で、そして仏教とともに日本に入ってきて、奈 良時代、平安時代、ずっと今日まで使われている。そしてその言葉について古典 ではいくらでも使われているから古典を勉強している人はこの言葉を解説せざる をえない。例えば、源氏物語で使われている世間という言葉、よのなかと読みま すが、この意味は男と女というだけなんです。ここが大変おもしろいところで す。西鶴になると世間という言葉はそのまま使われて、今のわれわれとあまり違 わない内容になっていますが、これは具体的にはわれわれの、つまり一人一人が どういうふうに生きているかということが問われる世界です。ですから例えば、 フランス文学を演じている、講じている人々が、先生方が自分の妻とか息子、娘 たちあるいは学生あるいは編集者に対して、フランス人と同じような行動をして いるならばそれは私は認めざるをえないと思いますが、そんなことはありえない んです。フランス人が日本へ来てもそれはできないです。フランスの社会ではな いからです。そして例えば、今地域史という研究が進められようとしていて、地 域史の研究に国の金を出さなければならないということで、それを今検討してい るんですが、そこでプロジェクトを組む必要があるという話になって、私はニュ ージーランドとオーストラリア、そして東南アジア、中国、南北の朝鮮、日本で 個人というものが社会とどういう関係を持っているかを分析するのはおもしろい んじゃないかと言ったことがあるんですが、そこにいた人たちは人文社会科学の 人たちが圧倒的だったんですが、ぜんぜん関心を示さなかったからそのテーマは 採択されなかったんです。これは、日本人の多くが、特に今インテリたちが日本 の個人はヨーロッパと同じだと思っている。したがって、日本の個人はヨーロッ パと違うということを言うと、これは日本が野蛮国だと言っているに等しく受け 止めてしまうためじゃないかと思っているんです。

それくらい非常に大きな問題が提示されていても受け止められていないという事 実が厳然としてあって、そういう事実をおそらく政府はとっくに察知している。 そして今、国民は大学の教員たちが行っている学問には、ほとんど関心がないと いうことを十分に承知していて、この時点で独立行政法人化ということを打ち出 しても、たいした反対はないだろうとふんだんだと思います。そしてそれは、正 しかった。というか、その限りにおいて正しかったと思うんです。つまり、私が 知っている限りで大学として独立行政法人に反対声明を出したところは、宮崎大 学ほか一、二ぐらいです。私も最近情報はあまり多くないのでそれ以後もあった としたら申し訳ないんですが、宮崎大学は出したんです。しかし、それ以後あま り知りません。ということは、大学全体として迷っている。私が知っている大 学、私が出ていた一橋大学なんかは、やろうとしているんです。独立行政法人に なって結構、それで行こうとしている。旧制帝大は全部そうです。そしてこのあ いだ山口大学に行きまして、呼ばれていって広中先生たちと話したときは彼らは 非常に迷っている。どうしてかというと、これから大学院重点化が進んでいく、 そうすると重点化にどこが乗っていくか、まあその時はそういう段階だった。今 はそういう段階ではないんです。つまり文部省は重点化はもう終わったと考えて いるから、終わった段階で重点化を考えても仕方がない。とするとどこが独立行 政法人を先にやるかということが各大学の関心の的で、中には東北が先鞭をつけ るんじゃないかといろいろと巷のうわさは流れているわけです。しかし、おそら く一番早くても16年以降だと思いますが、その前にできるだけ大きくしていこ うということで、各地で大学の統合が進んでいる。この近くで言えば神戸商船大 と神戸大学の統合とかです。まあこれは吸収合併になりますが、そういうことが 各地で行われている。いろいろと画策されているわけです。しかし、それは制度 の問題にすぎない。私は、あちこちでこういう討論集会に参加して議論をしてき た中で思うのは、一番の問題は国民がそっぽを向いているということなんです。 これから私が行くのは地方の大学が多いので、地方の大学でどうすべきかという 議論の中で、私はやはり地域の中で位置付ける以外にはないと思うんです。どこ でしたか、弘前だったか山形だったか行った時ですが高知もそうですがそういう 話をしまして、小樽でもそういう話をしましたが、どういうことかというと、今 独立行政法人化を進める中で大学はこれから先どうすべきかを迫られている。こ のときに大学が取るべき道というものを各大学が出していますが、不思議なこと にみんな同じなんです。それは、個性を豊かにする、そして同時に地域との連帯 を深める。小樽商大で私は諮問委員をしているので行ったことがあるんですが、 つまり小樽の置かれている地域は、皆さんご存知ないと思いますが、後志という 地域なんです。ところが私は小樽商大に今から30年ぐらい前に10年ぐらいい たことがあってよく知っているんですけども、当時の小樽商大はそして今に至る まで後志地域とはほとんど関係がない。全然というぐらい関係を持っていなかっ たんです。それを今ごろになって「後志と一体化して研究教育を」と言ったって 乗ってきません。ある大学は、その大学の概算要求を通すために県知事が委員長 になって、何とか大学概算要求期成会というのを作っています。これには驚きま すが、そして県議会議員から国会議員までそれに加わって毎年討議している。そ れがどれくらい効果があるか私はまったく知りません。わかりません。けれど も、そういう後援、バックがあると大きく生きると思うんです。つまり、いつか 私のところへ高等教育局長が来て、もう辞めちゃった人ですが、その人が来て文 部省の会議に参加してくれと依頼しにきたときに、独立行政法人問題について話 し合った。もう二年前ですが、そのときに彼はやはり統合は不可避でしょうと言 いました。私もそう思います。つまり、地方の小さな、三つ四つの学部しかないような大学の場合は 非常に厳しい。それは、やがてどこかに統合するしかないだろう。しかし、お金 がないから統合するといっても一つの校舎にするわけにいかないから、一種の分 校的な形で残すことになるわけです。その他に、いろんな形での再建策というの はあるんですが、やはりある大学が生き残るかどうかということを考えるとき に、その大学がその県から「この大学はなくてはならん大学だ」と言われるかど うかは大きなきっかけだと思います。

この近くの大学の学長ですが、東京大学の病院がなくなっても東京都民はほとん どの人が困らない。うちの県の、うちの大学の病院がなくなればこの県全体が困 ると言ったことがある。私はそうだろうと思うんです。つまり、小さな県ですか らその県の国立大学の病院というのは、いわば東京大学の病院と資格において同 じなんです。規模とか技術の点は知りません。しかし、資格においてはまったく 同等なんです。したがって、学問の水準もたぶん同じだろう。東大や京大を表面 に挙げると医学部では評判が悪いらしいから、具合が悪いんですけれども、例え ば東京の病院は比較的水準、技術が高いとすると、それと国立大学で同等だとい う考え方があるんです。それが、その地域の病院全体をいわば監督しているとい う形になるとすれば、そういうことが通ると思います。同じことが病院だけじゃ なくて大学全体についていわれるとすれば、その大学は存続していく意味を少な くとも県民からもらったことになる。これはおそらく、今は県立大学ができてい てそしてそちらのほうに県知事とか県の姿勢が傾いているからますます難しくな ってきちる。にもかかわらず、国立大学の地方の大学も存続していかなければい けないとすると、非常に厳しい条件になるだろうと思うんです。

私は、大学改革が単に制度の改革に終始してきたということに反省もし、不満も もっているわけで、やはり大学の学問の変革が先ではないかと思うんです。とい うことがどういうことかというと、日本の学問が国策として行われてきたという こと。人文社会科学も同様なんです。例えば、古代ローマ史というものがあっ て、古代ローマ史の研究者というのが古代のローマのことを延々とやっている。 このことも国策の上で認められていたわけです。だから、東京帝国大学の文学部 に古代の講座が置かれていて、そこでずっと古代ローマ史をやっているわけで す。国として認めてきた。それが今日のような状態に至っているわけです。つま り研究者が国民の委託に応えて研究しているんじゃなくて、国家の委託に応えて 研究していたのが戦前の国立大学です。しかし、現在はどうかというとやはり市 場化の時代になってきている。市場経済化の時代になってきている。そしてグロ ーバリゼーションということがいわれる。そして、収益あるいは効率ということ がいわれるようになる。もう国策としての学問はいらないんです。完全にいらな いというわけではないんですけども、国策に沿った学問は残すが国策に沿わない 学問は切ってもいいわけです。にもかかわらず、そういうことが正面から言えな い。言えないというのは、少なくとも政治家にはそれだけ勇気がないから言えな いんで、勇気がある人々は例えばアメリカなどはっきりそういうところもありま す。かつてアメリカの北のほうにある、名前は忘れましたが、世界に有数の数学 科をもっている大学のその数学科が解体されるということがあります。今から 4、5年前です。それで、世界中の数学者が反対声明を出してさまざまな運動を した結果、ほんの少数だけ残ったということがありました。ということもあっ て、おそらくそういうことがこれから日本の大学にも行われるだろうと思うんで す。その際に国大協も含めた大学人の反応は、これまでやってきた学問、例えば 基礎的な物理学、基礎的な数学、あるいは天文学、哲学等々は残さなければなら ない。そういうものを潰すなというのが大学人の良心的な声なんです。私もそれ に同調したいと思っていますが、本当にそれでいいのかという問題も同時に意識 しているわけです。 どういうことかというと、哲学という学問は何かということは、誰でも考えると 思うんです。そして哲学という学問は、いかに生きるかということを考える学問 だと私は考えていて、そうではないという人は少ないと思うんです。しかし、各 大学における哲学の講座、あるいはシラバスを見ますと、ほとんどがヨーロッ パ、アメリカの哲学者、ほとんどがヨーロッパの哲学者、ソクラテス、プラト ン、アリストテレスから始まってデカルト、カントあるいはヘーゲルとかニーチ ェとかで終始していて、例えば空海とか最澄とかあるいは日本の人々はほとんど まったく出てこないです。例えばどこどこの大学の文学部の哲学科で・・・・・

・・・・・中で何をやっているかというと、ヨーロッパの哲学者の片言隻句を翻 訳したり紹介して終わっている。われわれの生きていく上で何が必要かというこ とは論じない。それは哲学者のやる仕事じゃないんです。哲学研究者がやる仕事 なんです。つまり哲学研究者は何をやったっていいわけです。しかし、哲学者と いうのはそうではないんです。自分の生き方にかけて哲学を考える。つまり、学 問を考える。そういう人は日本の国立大学にはほとんどいないんです。したがっ て、哲学研究は行われていなくて哲学の学問の研究は、哲学学問史はやってい る。他の学問分野についてもほとんど全部同様なんです。歴史も同様です。とい うふうに考えますと、やはり従来の国立大学の学問の全部をそのままの形で残せ という主張は必ずしも正しくない。

国立大学協会と文部省

歴史を戻すことは難しいかもしれませんが、私は国大協の中にいて思ったのは、 国大協は過去の話ですが、3年ほど前の話ですが、当時はまだ国立大学全体の中 で独立行政法人問題に関して意見は分かれていなかったんです。例えば東京大学 の医学部は独立行政法人に賛成だといわれていましたが、必ずしもそこまではは っきり明言されていなかった。ところが現在ではかなり多くの大学が東京大学を 先頭にして、もう相当前から検討を開始している。残念なと言っちゃいけないん ですが、不思議なことに私はつい一月ぐらい前に京都大学で呼ばれて、そこで基 礎物理研究所で講演をしたことがあります。そのときに事情を聞いてみると京都 大学でほとんど議論していなかったんです。そういう状態じゃ具合が悪い。これ は多分長尾総長の意見もあってだと思いますが、具合が悪いというふうに考えた 人々が基礎物理研究所に集まりまして200名弱だと思いますが、いろいろ議論 をしたわけです。それが第一回だというので驚いたんですが、東大は4年ぐらい 前からはっきりとした組織を作って議論をしているんです。どうやって独立行政 法人問題をこなしていくかという議論をしているんです。これくらい分かれてい るんです。したがって、国大協が反対声明を出せばある時点までは反対できた。 ある時点まで反対できたし、もし反対の声をずっと出しつづければ独立行政法人 にならなかったと思う。しかし、そういうことが歴史的にたぶん意味がないと思 われるのはどういうことかというと、そうなってもし国立大学がそのままの形で 残ったとしても、これは数年のことです。例えば有馬文部大臣はこういうことを いっていたんです。私が、文部省の検討会議というのがありますが、諮問会議で すか、そこで質問をしたんですが、彼が大臣のときに、「独立行政法人にならな いで国立大学のまま残るというふうな選択をする大学がいたらどうするか」と言 ったら、彼は「それは当分残るでしょう」。「それだけですか」と聞いたら、 「その場合には25%の定員削減を覚悟になるでしょう」と言ったんです。とこ ろが彼はそのほぼ前後して、オリンピックセンター、普通オリセンと言っていま すが、そこで国立大学の学長を全員集めて独立行政法人を容認する演説をした。 その中で文章も残っています。ここでも配られていると思いますが、その文章の 中で独立行政法人化すれば25%の定員削減は回避できるように読める発言をし ているんです。そこは、私はもちろん質問をしたんです。そうしたならば、文部 大臣がしゃべる前に次官が答えて、「それはないと思います」と言ったんです。 「私は文部大臣に質問しているんです。文部大臣が答えてくれ」と言ったら、 「今次官が答えた通りで、25%削減はなくなる」と言ったんです。そしたら、 高等教育局長が話をして「いや、まだ未定なんだ。なんとも言えないんだ」。お そらくそれは、最後の発言が一番正しいんじゃないかと思います。25%の削減 ということをあいまいな形で文部大臣は文章にしています。しかし、高等教育局 長は「まだ未定なんです」と言った。私は、そうじゃないかと思うんです。すで に9次、10次と定員削減がきていてこれは大学によっては死活問題になってい る。25%というのは途方もない数字ですから、それはそのまま被れば消滅とい うことまではいかないにしても、研究教育に非常に大きな支障がある数字なんで す。そういうところですらあいまいになっているところに、今の問題の状況があ るわけです。最初にお話しましたが、通則法と個別法、つまり文部省がいろいろ と大学の学長たちを相手に説明し、新聞報道でも説明しているもの、文部省見 解、これは私はそういうものを読んで、例えば諮問委員の中でもそれならいいじ ゃないかと、それでよかったと言う人がいますがとんでもない話なんです。わか らないわけです。つまり、文部省がそれだけの力がない。私は文部省と関係が深 いので、深いという意味は国立大学の学長を6年する中で文部大臣を7人経験し ています。そしてそれ以後もいまだにいろんな委員をしているので知っているわ けです、人を。つまり、もうだいぶ替わってしまったから今の人はあまりよく知 りませんけども、彼らは最初は独立行政法人に反対していたこともよく知ってい るんです。それがしきれなかった理由は何かというと、これはやはり総務庁とか 法制局に、あるいは内閣にあるわけです。皆さんも経験していると思います。

文部省の行政指導

岡山大学がどういう対応をしているか知りませんが、朝鮮人学校を卒業した学生 が国立大学を受験できないという問題がいまだに残っているんです。私が会長の ときにその問題で、大学院例えば九州大学とかいくつかの大学の大学院はそれを あえて行った。つまり、朝鮮学校卒業生も日本の大学の卒業生と同じように扱っ たということで、文部省に呼ばれて九大の学長が呼ばれたときに私もついて行き まして、そこで文部省がどういう対応をするかをそばで観察したわけです。もち ろん文部省は、何もペナルティーを科さなかったわけです。しかし、大学院に関 してはペナルティーを科さなかったけれども、学部でもしやればやりますよとい うことをすごんでいましたが、そういう問題は文部省が決められないんです。文 部省はけしからんと学生たちは言っていますが、実はそうではなくて村山内閣の ときにそれはすでに内閣の方針として決められて、法務省、外務省、総務庁全部 がそれを支持している。そしてそれを、文部省だけが反対するということはでき ない。これは、省庁の中ではそうなっている。変な理屈を言うわけです。例え ば、朝鮮人学校へ行ってみると金日成の像が掛けてある。あれは具合が悪い。そ れならば日本だって昔そういうことがあったし、それから、それぞれの国が大統 領の写真を掲げるということは習慣としてあるわけだから理屈は通らないんで す。ということも含めて、われわれは考えておく必要があるし、一番大事なこと は戦前の大学の学問の伝統を守ると言うことをスローガンに掲げて国立大学の独 法化を阻止しようとすると国民の支持を受けないだろうということなんです。 国民の支持をもらわなければやっていけないのが国立大学です。しかし、国立大 学は情報公開を十分にしていなかったことがありますから、情報公開をしていく 中でその問題については例えば岡山大学が過去にこの地域にどういう貢献をして きたか私は知りませんが、そういうことを掘り起こしていく必要があるだろう。 岡山大学ほどの大きな大学になると、そういう意識は薄いかもしれません。しか し、これから生き残るとすればそういう方策は不可欠だし、さらにまた生き残る だけだったらしょうもないわけです。そんなものは、私ははっきりいえば私立大 学の学長ですが私学が生き残らなければならないというセリフは嫌いで、生き残 るべきところは生き残ればいい。生き残れないところは自分の大学も含めて滅び ればいいんだというふうに言うわけですが、実際にその滅びる場面の学長になっ たら、これは責任は重大になるということもあるわけで、みんな国立の学長も含 めて生き残りたいと思っていると思うんです。しかし、国民の大学ですから学問 が国民からそっぽを向かれたらおしまいなんです。そこで私は、提案をしている わけです。その提案とは何かというと、どこでも受け入れてもらえませんけれど も、生涯学習というものを今の形とは全面的に変えていく。生涯学習というと、 今は学問の余滴を人々に還元することになっていますが、学問の余滴といったっ て個人的な趣味でやっている学問の余滴なんかもらってもどうにもなりません。 したがって、本当に今国民が必要な学問をする。国民が求めている学問を発見し てそれを営んでいくということが必要で、それはあるんです。必ずあるんです。 地域ごとにもあるんです。そういうものを発見し、それを学問の基礎に据えてい く必要があるだろうと思います。

学問のあり方

私は世界の学問の全体に連なっていかなければならないとは思っていないんで す。これは私が自然科学専攻ではないからですが、実は自然科学と人文社会科学 との間に大きな違いはないと私は考えています。もちろん自然科学者と話をすれ ば、そうではないことがあることは私もわかりますが、しかし、自然科学と人文 社会科学との間に本質的な差はない。ヨーロッパやアメリカにはその意識は非常 に広まっていますから、例えばアメリカのマサチューセッツ工科大学、略されて いるMITです。ここを日本の学者は、だいたい自然科学の大学だと思っていま すがそうではないんです。あそこにはノーベル賞の経済学賞をとった人が何人も いる。しかも、アメリカの大学でここは自然科学の大学だと明示できるような大 学はどこにもない。人文社会科学の大学だと明示できる大学もどこにもありませ ん。ましてや文科、理科という区分を英語やフランス語、ドイツ語ですることも できません。日本だけの独特の区分で、これは日本が後進国だったということの 反映に過ぎない。そういうものも打破して新しい研究を打ち立てていく限りにお いて、新しい国民の学問が生まれてくるだろうと思うんですが、そのためには従 来の学問の伝統と言うものをかなぐり捨てて、そして国民の要望する学問に向か わなきゃいけないし、

それは単に国民だけではなくて、例えば日本に住んでいる外国人の要望、あるい は日本に住んでいなくても世界中の人々の要望というものを受けた学問がこれか ら必要になってくると私は思っているわけです。という意味では、例えば国民な んていう概念、国民の学問といったのはやはり本来は訂正しなければいけない。 国民という概念そのものに非常に大きな限定がある。今まさにそういうことが議 論されていますが、私は国民という概念を残すとすれば、日本で永住しようとい う志を持っている人は全員が国民であるという発想に立たなければ、この問題は 解決しないと考えています。もちろん法的な手続き等々はまた別に考えればいい んですが、そこをさまざまな制約をつけたりすると、いろんな問題がますます複 雑になります。日本で永住しようとしている人は全員が国民として位置付けると いう必要があるわけで、その点も先ほどいった日本史の学者と意見が合わない。 彼は日本という国は、国語ができて以来が日本の国だと言っているんです。それ 以前は日本じゃないんだ。したがって、聖徳太子は日本人じゃないんだと彼は言 っている。私は、「日本人じゃなくていっこうに構わない。それじゃ、ユウキチ ホがキキキリンじゃないと言えるのか」というふうに言うと。「そういう卑俗な 提案には答えられない」と言われて断られてしまうわけですが、まあ学者ってい うのはその程度の発想しかないということがあって、私も残念だと思いますが、 日本人かどうかということを過去に遡って議論しても意味ないんです。聖徳太子 が日本人であろうとなかろうと関係ないんです、われわれには。問題は、今一緒 に生きている人々が日本人として扱われるか扱われないかということが現実の問 題なんで、日本で生涯送ろうとする人は日本人として位置付けるということが必 要だと私は考えます。

独立行政法人化問題が今後

最後に余計なことを申し上げましたが、独立行政法人化問題が今後どうなるか。 予測はしないのが歴史家なんですが、あえてちょっとだけ申し上げますと、も し、もしです。もし大学が16年以降独立行政法人化に踏み切れたとします。最 初に中期目標が出てくるでしょう。しかし、その中期目標を文部科学省は岡山大 学はこういう中期目標でやれと出せません。今の段階でそういうことは言えな い。言えないからどうするかというと岡山大学に、あらかじめあなたのとこじゃ あ中期目標としてどうゆう政策を出そうとしているか、どういう研究目標、教育 目標を出しているかということのヒアリングがあるんです。それを誰かが持って 行って説明する。それを認めましょう、という形で始まるだろう。大学はほっと するわけです。じゃあ従来とあんまり変わらないじゃないかと。そして、3年が 過ぎる。そこでは審査が始まる。そして審査は、ハンディングにつながってい く。その間に大学の統合等が進んでいくわけです。ですから最初の3年とか5年 が問題で、大学がほっとして従来とあんまり変わらないんじゃないか。変わらな いと思うんです。なぜかと言うと、ツールがないんです、文部省には。つまり、 局長とか事務官といったってそういう市場経済になじんだ人間はいないんです。 ですから、学生の授業料をいくらにするか、教職員の給料をいくらにするか、そ ういうノウハウはこれから集積していくしかないわけです。こういうときに、い きなり文部科学省から中期目標を作成し、これをやれったって大学はできっこな いことはみんな知っているから、大学側からまずヒアリングをして大学側が飲め そうな案を出してきて、大学をほっと安心させて3年後5年後にハンディングと 連動した予算査定がきて、そこで仰天するということになる大学がでてくる。そ こで請けにいる大学もでてくる。こういうふうにして差別化が進んでいくだろ う。ということは最初のときからかなり慎重にレポート(?)しなければいけな い。一番の問題は京都で指摘されたことなんですが、最初の予算のときに学内配 分をどうするか、ここをおそらく文部科学省は厳しく見ると思うんです。ですか ら、学内配分を従来のままでするのか、新しい原理でやるのか、その辺はやはり 大学の姿勢にかかっている。従来のままでやれば、学内は安泰ですが文部省との 関係は、非常に厳しくなる。新しい例えば文部省が認めるような新しい方策でや れば文部省との関係は良くなるが、学内の対応は非常に悪くなるでしょう。いず れにしても、執行部はそのときどちらかを選ぶことになって、最初の数年は厳し いことになるんじゃないかと思います。これは、余計なことでまったく違うかも しれない。つまり、歴史家というのは予測はしないというのが本来なんですが、 今日はちょっとサービスをしました。以上で話を終わりたいと思います。

[質問] 日本的な個人と欧米の個人が違うという、お話がありまして、独法化問 題ももし昔30年ぐらい前でしたらすごく反対が起こっている。学生もいろいろ 運動していただろうというお話ですけれども、それというのはそのころでしたら まだ近代化資質があった、内面にも近代化資質があったということでしょうか。 それとも、またまったく別の動きだったんでしょうか。

この問題はおそらく、個人のあり方とはあまり関係がなくて時代の流れといいま すか、今から数十年前、大管法の時代であったらば、日本は高度経済成長を迎え ていなかった。70年代以降、高度経済成長というか高度消費社会に日本が入っ てきたこのことが非常に大きな転機になっていて、それ以前はまだ戦後の時代を 引きずっていたんです。そういう意味では、日本の現在に一人一人の個人が西欧 的な個人でないことは明らかですが、ではクラシックな個人かというとそうでも なく、わたしはエゴになりつつあるとみているわけです。つまり一人一人は高度 消費社会の享受者になっていて、自分の利益を守るということになっている。と いうことは同時に、国家とか社会が目標を喪失しているということと関連してお りまして、つまり若い人も、われわれの若いころは大人になることに多少の希望 があったんです。私は最近、鳥取とかあるいは長野とかで高等学校に呼ばれて話 をする。鳥取西高校に行ったときは、300人ぐらいの学生を相手にかなり長時 間話し合いをしたんですが、驚いたことに、だいたいわかっておりましたが大人 になりたくないということをはっきりみんなが言うんです。どうして大人になる ことがいやなのかと言うと、親を見ていると大人になって苦労が多すぎる。だか ら、早く大人になろうと思わない。できるだけ大人になるのを遅くしたい。私は 自分の経験をしゃべると、子供のころのほうがつらかった。はるかに現在より大 人になったほうが楽だったということがあるからと言うんですが、彼らはあまり それを信用していないです。大人のほうがつらいと思っている。それは、子供た ちが将来をなんらかの希望をもって見ることができなということがあるので、こ れは社会全体もそうなんです。あのころは、つまり大管法とかそういうことが叫 ばれて学生が大きな運動をしたころは、そういう自分たちの個人の問題がまだ国 家、社会と不可分の関係にあるというふうな集合的な意識があった。集合的な意 識と言うのは、一人一人もそう思ったかもしれないけれど学生たちは、それを運 動の中で体験してきた。だから当時の学生たちが個人としてきちっと考えてそこ に歩んだんじゃなくて、仲間としてそういう問題を共有して、そこで今でも残党 がいますけども、ヘルメット被ってマスクをして、今でも動く連中も多少残って いますが、そういうスタイルをすでにつくりあげている。大学もそうだったんで す。大学の自治というものをやぶるということになれば大きな反対があったが、 今はおそらく大学の自治を守れという声すら上がらない。それは、個人が変わっ たとかそういうことだけじゃなくて、個人と社会との関係というものに大きな変 化が生じだというふうに私は考えています。つまり、高度消費社会に入ってきて そこで一人一人の対応というものが違ってきたことが大きいんじゃないかと思い ます。

[質問2] 国民の求めているものに答えるという学問のありかたですけれども、そ ういう需要がないようなものがそれは淘汰されてもかまわないということです か。

それは、私はそうは思いません。それは、今日は時間があまりなくて十分に語っ ていませんが、近いうちに出る本ではそこを書いてありますが、国民が例えば一 人一人が、例えばわれわれが別に国民という外の存在に向かって問う必要はない んです。自分たちが国民の一人として何が必要かということを考えるんです。一 番大事なことは従来の学問の伝統とか、学問の枠とかスタイルを捨てちゃって、 ヨーロッパ的学問のスタイルを捨てて、もういっぺん生きなおすとしたら何をや りたいかということから始めるということなんです。もちろん、外の人々から意 見を聞くことは当然ですが、そのときに基礎的な学問、例えばプラトンとかソク ラテスとか空海とかです。例えばその他にもいっぱいいますが、その人たちがど ういうふうな根拠で、どういう理由でああいう仕事をしたかということに対する 関心はいつだってあると思います。ですからそういうことを国民が期待していな いから辞めちゃうなんてことはありえない。国民だって期待しているわけです。 ですからそのへんのところを具体的なやりとりの中で、研究を進めていけばいい ので、今までの研究は読者と言うか国民とのやりとりがないんです。国民とのや りとりがないところでみんな行われている。例えばこういう勉強をする、した い、あるいはやったということを発表して、それに対する反響をちゃんと受け止 めるようなことがなければいけないんですけども、国民というのは漠然とした形 ですが自分だって国民の一人だといえるとすれば、それはそこから始まったらい いんです。しかし、従来のようなヨーロッパ学問で武装して、国民、一般の人々 の質問を受け入れないような学者の姿勢が問題なんです。つまり、幼稚園児とか 一般の人々に、「先生なにやってんの」と聞かれたときに、「こうこうですよ」 と言えるかどうか。今までの学者は答えなかったんです。答えられなかったんで す。答えられないということを、自分はあんな連中にわからないような深遠なこ とをやっているんだとしてごまかしてきた。本当はどんな人の質問にも答えなき ゃいけない。「何やってるんですか」。そういうことはしんどいことですけど、 やはりそういう道が必要だということです。そういうことに答えられない人は答 えない。そういう人は私は私立大学で仕事をすればいいと思います。私立大学に も国立からきた人がたくさんいまして、「研究の自由を保障せよ」というので、 私立大学では研究は教育のためにある、したがって教育に必要な限りでの研究を してもらう。自分のための研究とか自分の学問の研究は、自分の時間つまり大学 の勤務時間外でやって下さいというふうに言っているんですが、それはなかなか わかってもらえないわけです。研究というのがそれだけで評価されるべきだとい うように思っている。それは評価すべき人が別にいる、つまり国民が常に評価し ているということにならなきゃいけない。つまり、国立大学が出している人文社 会科学系の年報とかを評価したらほとんどが落第だ。まず、文章が読めない。読 むに耐えない文章ばっかりです。ということがあるわけでこれは自分も含めてそ ういう審査をしていく必要があるんだ。誰にでも読める文章にしていく、これが とても大事なんです。

[質問3] 今先生のおっしゃられた国民、外部としての国民を想定して教官自身の 意識が変わっていくという、学問のやり方を変えていくというのは、教官個人の 資質にかかわるところが大きいと思うんですけれども、そこに期待するのかある いは制度的にやっていかなければならないのでしょうか。

制度的にやることには賛成できないですが、私は個人というのは個性がみんなあ りますから、そういう資質を持っている人といない人がいるとおもいます。です からやはり私は、運動体が必要だと思うんです。私は教養という問題で、個人の 教養ばかり従来やってきたが集団の教養があるかといっているわけです。運動体 としての例えば大学の学者たちというのがあってもいいわけで、そういう人々が お互いに批判する。授業をするときに日本の大学の教授は自分の授業が公開でな い人が多い。他の教授が来て、ここへ座って聞くことをいやがるわけです。そこ で聞いている、例えばその人が「反対」とか言って議論する。それはおもしろい ことになるわけです。先生方がここで二人で議論している。それを生徒が聞いて いるとすれば非常に良く問題がわかるわけです。そういうことをあえてしない。 それが日本の大学の、いわば個々の教授の野郎自大な性格というか、助成、強調 してきたわけです。そういうことをしなきゃいけないんです。それをやると優劣 がつくということをみんな心配している。日本の大学の一番いけないのは、例え ば学部の先生方が30人いるとすれば、その先生が全員一律だ、みんな同じだと 思っている。だから今私の大学でも例えばなんとか委員を出してくれ、例えば外 で公開講座をするために順番に送り出している。順番に送り出してきてもだめな んで、やっぱり世の中で受け止められる人とそうでない人もいる。それを選んで 決めるということができないんです。つまり、学部の先生は全部同質で同じ地位 で同じ資格をもっている。優劣つけられては困る。これが大学の自治だと思って いる人がいる。これはとんでもない間違いです。明らかにあるポイントについて は優劣があるわけです。その優劣があるのを認めないのは大学の自治じゃないん です。研究の自由というものがある。そういうことは前提ですが、それぞれがま ったく平等だとはいえない。そんなのは平等という概念からはずれるわけです。 つまり、幼稚園とか小学校とかで競争している。優劣つけないために全員が手を 握って、全員一等賞というようなことがどこかであるようですが、それが平等だ という発想が今でもあるようですが、そうではない。大学はそれなんです。そう いうのは、具合が悪いんじゃないか。

[質問] 学生に学問を通じて希望を与えたい、人間の将来の可能性を変えていく ことを感じさせたいと思います。しかし、学問のあり方はそう簡単には変わらな い。大学の組織、学部、全体も世間であることには変わりなくてそれがすぐには 変わらない。世間なのにそれを自覚しないで自分は近代人だと思っている。そう いう大きいなギャップは変わらないでしょう。となると、今国立大学に身を置い ている私たちがどういう選択ができるのか、すべきなのか考えたときに非常に困 惑している。独法化に単純に反対するということは、従来の学問のあり方とか、 大学のありかたとか、学部や大学全体の組織のあり方というのを、そのまま残し たということにならないか。それは、本当に変えなければいけない。変えなけれ ばいけないけども、独法化ということになったときに、じゃあうまく変えられる のか。われわれが望むように変えられるのか。それは暗澹たるものがある。先生 がもし今国立大学に身を置いていらっしゃる。もう少し若い、われわれと同じ世 代の方だったら、どういう選択をされていますか。

おっしゃることは十分良くわかります。身につまされるくらいわかります。私 は、今問われたような前提で国立大学に身を置いていたらという発想はしないん です。そういう発想をしても大変苦しいわけで、あえて現実でないことを発想し てもしょうがないんですが、今のご質問と言うかご意見に答えるとすれば、おそ らく私がその大学でどういう地位にいるかということと関係があるとおもいま す。余計な話ですが私は、研究生活30年以上あるんですが、その中の20年は だいたいヨーロッパのことをやっているんです。最後の10年ぐらいは日本のこ とで、世間論とかをやっていたんです。そして、まったく偶然ですが最近まった く私とは無関係の人たち、若い人たちです。刑法、社会学等々の人たち、植木屋 さんとかもいるんですが、学者は3、4名で「日本世間学会というのをつくりた いから私にも会員になれ」と言ってきたんです。私はおもしろいので、一応傍聴 をしに行き、そこに3、4回参加しているんですけども、彼らが一番質問すると いうか疑問に思うのは、終わってから飲んだりするときにです。なぜ私の弟子が 一人もいないのかということなんです。「30年も大学の教師をしていて弟子が いっぱいいるはずだ。どうして一人もいないのか」というから、「たぶん関心が ないんじゃないか。私がどういうことをやっているかはみんな知っているはず。 しかし私はこういうことをやれとは絶対に言わないので、興味がないから来ない んでしょう」。みんな何回も同じことを質問をして、最後の一人が「わかった。 みんなアカデミズムに行くんでしょう」と言うから、「まあそうかもしれない」 と答えているんですが、結局もし私が現役の教授であれば例えば世間論みたいな ことをやっているわけです。事実やっていたわけで、それには学生もついてこな かった。そして今、それを私とは無関係に立ち上げた人たちは、私とは書物を通 じて私のことを読んでいた人たちで、実際に顔を合わせたこともない人たち。こ れは、刑法が二人ぐらいいて、あとは社会学とか、もちろん現役教授たちだけで はなくて、植木屋さんとか高校の先生とかいっぱいいるんですけど、そういうと ころに私は主軸を置きたいと思っているんです。

いい学生が一割いるというんですが私はいい学生とは思わない。その一割と言う のは先生がいう学問をきちんとまにうけて、そこできちんと勉強して、卒論も書 き学位も取って、大学の先生になっていくようなグループです。私はそういう学 生は育てなかった。私の弟子というか、弟子もいないんですが、私のあと講座を 継いだ人がいますが、私とは全然違うことをやっている。アイスランドの研究し ている人たちで。それはそれでいいんですが、問題は学生です。あとの9割の学 生が何をしているかというと、自分はどう生きるべきかわからないから模索して いるわけです。その模索を手伝ってやりたいと思っている。例えば、さっきちょ っとお話しましたが、漫画家になりたいという学生がいる。その学生に対して、 大学の授業は一切手助けできません。しかし、「漫画家というのは人々の生き方 あるいは生のあり方を描くしそこから何かをえぐり出すわけだから、自分なりの 視点を持ってなきゃいけない」ということを言っていますが、いまだにできな い。あるいはいろんな分野に進む学生がいますが、その学生たちを一人一人につ いて助力したいとは本当は思っているわけです。それが私の教養教育なんです。 したがって特定の本を読むとかそういうことではないということを、多分私はや るだろう。卒論の指導なんかだって、そういうことをやるだろう。実際にそうい うふうにやってきた。その結果、世間学なんかには興味ない学生ばっかりだっ た。一橋の関係者は一人もいません。それはそれでよろしいわけです。まったく 遠くからそういう人が集まってくれば、私としては晩年は幸せだと思うんです が、もし現役の国立大学の教師だったらという前提で今始めて考えてみると、そ のときに私が学長であるのか学部長であるのか評議員であるか普通の教授である かによって違う。普通の教授なら今のような態度をとります。今のような態度を とって自分のほんとにやるべきだと思っている学問をやっていくということがで きるし、そういう人を大学の内外を超えて組織することできます。というのは私 のゼミナールは常によその大学の人がいっぱいいたんです。つまり一橋の学生だ けじゃなくて、よその大学の助手とか家庭の主婦とか常に来ていて、多分授業料 払ってなかったと思いますが来る者を拒まず去るものを追わずという形で長年や ってきたのでそういう状況だったんです。ただし、専門的なゼミをやっていまし たから、ドイツ語かフランス語は読めるということを前提にしてある。しかし、 学部長とか評議員とか学長だったら多分違うと思うんです。たぶん態度が違って いる。特に学長なんかにすれば独法化の問題でいろんな問題にかかわってこざる をえないから、やはり大学か生きながらえる道を探すと思うんです。皆さんはご 存知ないと思いますが、私が一橋の最後の学長の時に団交を何回もやりました。 それは、組合とかなんかと。教員ともやったわけですが、一橋大学はご承知の人 もいると思いますが、学生に学長選挙拒否権があり、職員に教員の3分の1か2 の投票権もある。これは数十年前から文部省から改正しろと言われてきて、すべ ての学長がそれができなくて、やる気もなくて、3年で交代していたんです。た またま私は二期選ばれて6年あったから、再選されるときにこれは改正せざるを えないというふうに書いてそれで再選されたから、それはやらざるをえなかっ た。独立行政法人の問題が視野にあったので、万一独立行政法人が進められると すればこの規制があったら独立行政法人にもなれないというふうに言って、最終 的には50年の歴史があるその制度を止めてきたんです。そのために大学とは、 先生たちとは全面的な対立があってずいぶん長いこと団交をやりましたが、最後 には、文部省が重点化にからめてその制度を強行してきたので学部教授会がみん なひっくり返って、私を支持する側に回ったからできた。実は独立行政法人化を できるようになったわけですが、そのことが良かったか悪かったかは歴史の判断 にゆだねるしかないと言って去ってきて、私はもう行きたくないのであの大学に は一度も行ってないんです。それ以後、当分行くつもりはないんですけども、そ れくらいいろんな関係があった。ですから、立場によって違うと思うんです。も し普通の教授であったら、さっき言ったように世間とか、そういう問題について 研究をし、国立ていうのは自由ですからよその人々を招いたり自分も出かけてい って、そこで研究を組織したりして勝手にやっていきたい。それを続けでいると 思います。しかし、学部長や学長であればまた違った対応になるのでそういうこ とは想定したくもないです。

[質問] 独法化されたら先生がおっしゃられたような、世間の付託に答えるよう な学問はできないように思いますが。

どうなるかわかりませんが、少なくとも国民の付託に答えるような学問をもしど こかの学校が組織して、それを中期目標に掲げた場合、文部省が乗ってくる保証 はないです。世間の付託というのは正確ではなくて、世間というものを分析す る、世間というものを目に見えるようにするということは、日本ではやられたこ とがない。そういうことをもしやるとすれば、おそらく自民党の派閥とは何か。 実際には何もないことになっているものがいくらでも機能している、そういうこ とを分析するということをもしテーマに掲げたら、おそらく目標として認められ ないでしょう。したがって、そういうものは大学の公のテーマにはできない。そ うゆうことをやっている限りでその大学は潰されるということになります。です から、認められないと思います。もし、独立行政法人になっても生き残るのであ れば、生き残ることだけ目標であればいくらでも作文はできますから、作文とい うのはやる気のない学問をするということです。そんなことは、もちろん大学と してできないでしょうが、本当に自分たちがやりたいこと、やらなきゃいけない と思ったことを、独立行政法人化の大学でできるとは私は思っていません。それ ができるんであれば、独立行政法人だって歓迎していいわけです。私はできない と思います。最初は、さっき言ったように緩やかな形になって始まると思うの で、大学人は安心して最初の3年とかの一期を迎えると思います。しかし、世界 の効率化、東京都も含めて効率化を求められている。つまり、経済的ないろんな 事情というものがあって、さっきもお話のあった世界の数十人の人だけが富を掌 握しているような時代がもっともっと、しかもそれがグローバリゼーションの中 でアフリカのもっとも貧しい人と世界のもっとも富のある人とが、差がどれくら いあるのかはっきり明示されるようになっていく、もうすでになっているわけで す。そういう中で、国民の付託というときの国民とは何かという視点が問題にな っていく。その国民とはさっき言ったように、例えば日本に永住しようとする 人々。例えばホームレスの人々も全部含めて考えるとすれば、そういう研究は独 立行政法人化の大学では研究者が意図した方向では認められないでしょう。とい うことは、そういう問題をやるとすれば国立大学は生き残れないということにな るんです。そういう意味ではこれから先のことなのでなんとも言えない。それは 政府がどう変わるのかにもよる。つまり、この夏の選挙でどう変わるかというこ ともかかわってくるし、自民党がどうなるかにもかかわってくる。きわめてアク チュアルな問題なので、しかし他の政党が政権についたとしても、官僚の世界が いまだにある以上、そして行政改革というものが今のような形で、例えば橋本な んていう人が残っている以上、それは変わらないで続いていくと思うんです。そ ういう意味では期待できない。私はこういう席ではあまり希望がないことは言い たくないんですけど、非常に状況は悪いということです。そういうことは言わざ るをえない。

[質問] 地方の大学は必要ないというように政府は考えているというようなお話 だと思うんですが、独法化というものを受け入れるとして、どうやっていくかと いうことなんでしょうか。ここまできたら、いまさら元に戻れないということな んでしょうか。

わからないのは正しいと思うんです。どうしてかというと、文部省はこの問題の どういう見解をもっているかと聞かれれば、私はないと思います。見解なんて。 つまり、彼らは、彼らというのは少なくとも文部省の独立行政法人問題をリード してきた人がいるとすれば、次官あたりです。次官と高等教育局長、このあたり なんです。この人たちは最初は、歴代もうすでにかわってますが、国立大学を現 状のまま維持したいと思っていたんです。問題は一杯ある、しかし大学改革とい うことを彼らは言ってきたわけです。大学審議会で、私もそのメンバーでした が、ずっと答申を出しながら21世紀の大学はどうあるべきだとか全部すっ飛ん じゃったんです。大きな答申を出したんです。それは改革なんです。その改革の 中で大学を変えていくから、そのまま存続させようとしていた。ところがあると き、急に独立行政法人を受け入れることになった。それはなぜかというと政治的 な圧力に負けたわけなんです。文部省の見解はどうかというようにみなさんお考 えでしょうが、はっきりいってないんです。それは別に自民党にあるというわけ でもないんです。日本の政治家たち、政府にもないんです。つまり、一番彼らの 関心事は自分の派閥をどう維持するか、自分の現在の内閣をどう維持するかとい うことしか考えてないわけです。ですからそういう点で大学人が政府にもし公的 な質問状を出して、理念はどうかとか、大学をどう考えているのか、学問をどう 考えているのか。彼らはおざなりなことしか言えません。なぜかというと考えた ことがないからです。大学をどうすべきか、高等教育をどうすべきか考えたこと がないんです。それよりも彼らにとって大事なのは、国家公務員をどう減らすか なんです。それに対して、公約があるからそれを減らせるかどうかだけなんで す。例えば、留学生10万人計画というのを中曽根が出した。それはいまだに実 現できない。半分もいっていないんです。それについて文部省も、本人もどうす べきかということをいまだに言っていない。要するに、場当たり的なことをその 場その場で言っているに過ぎないので、われわれが体系的な質問をしても意味な いんです。そういう状況にあるということがますます問題を複雑にしている。わ れわれもあんまり彼らに期待しないほうがいいです。期待しないけれども、何を 考えているのかわからないし、何もやっていないということは前提にして対応す る必要があるんです。何にも考えていないというのは事実だと思います。ただ流 れているだけなんです。これは過去の日本の政治家たちの多くがやってきた道 で、それが一番彼らとしては楽な道なんです。そこで一人でもいいから将来を考 えて高等教育はこうあるべきだと言ったら、彼らは派閥を出ざるをえなくなる。 それが政党の世間なんです。そういうことをわれわれは日本における世間概念と いうものをきちんと明確にすべきだと思っているだけの話で、そんなことは学者 からも総すかんをくってますから、手弁当で少人数でやっているにすぎない。そ ういうことをこういう席でお話させていただくのは大変光栄でありますが、実際 はおそらくほとんど影響はない。実際に影響があるようなことはないんです。つ まり、日本の政治家たちも文部省もそういうはっきりした見解を持ってやってい ないわけです。そういう見解を持ってたら、政務次官にはなれるかもしれないけ れども、まあなれないでしょう、事務次官にもなれないわけです。そういう見解 は捨てなければ役人になれないし、流されていかなきゃやれないというのが現実 の状態なんです。