2001.4.11

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世界 2001 5月号 83-92

私が大学について知っている二,三の事柄

蓮實重彦

それは愚直な決意から始まった

 四年間つとめた東京大学総長の職を任期満了で離れました。これといった感慨はあ りません。ただ、一五〇〇日近いその歳月が、学部と大学院の学生、助手、講師、助 教授、教授として加担してきたこの大学の活動に、これまでとはおよそ異なる機能で 介入せざるをえないという不自然な時間だったことは否定できません。パリ大学には 博士過程の学生として、学制変更後のパリ第七大学には講師として、また立教大学に は講師、助教授としてかかわった経験もあり、東大しか知らない人間ではありません。 しかし、こと総長にかんするかぎり、東大のことしか知らないのです。また、かろう じて知りえたことも、ことによると大学をめぐるほんの「二、三の事柄」にすぎない のかもしれません。

 日本の国立大学の学長という職務は、あくまで行政の責任者と定義されております。 東大総長は、制度として東大教授を併任しえず、教育や研究の義務はその職務に含ま れておりません。だから、週に一度の授業をしようにも複雑な学内手続きが必要とな るので、何よりも好きだった教育からは遠ざかるをえません。総長就任と同時に、研 究室もあけわたしてしまいました。現在の国立大学の建物には、授業も研究もしない 人間のために研究室を残しておく余裕などまったくないからです。就任直後の記者会 見で研究生活は中断せざるをえないと箕言したのも、そうした理由によります。私は、 もっぱら教育と研究を自粛し、行政職に専念するという愚直な決意で任期をまっとう する心構えでおりました。しかし、それが途方もない勘違いだと自覚するのに、時間 はかかりませんでした。

 日本の国立大学は、研究者が学長になるから行政的に問題が多いといった言葉を、 旧文部省の高官がときおり口にしております。だが、その認識がどれほど奇妙なもの であるか、世界の学長たちとの会話を通してはっきりと理解できました。彼らの大半 は学内に研究室を持ち、授業もしているし、国際学会にも率先して参加している。当 然のことながら、ほとんどの国の大学の学長は優れた研究者なのです。ハーバードの ルーデンシュタイン学長の後継者がサマーズ前財務長官に落ち着いたのも、候補の一 人として取り沙汰されたゴア前副大統領などとは異なり、彼がハーバードの花形教授 だったからにほかなりません。国立、私立、公立を間わず、Ph.Dも持たない人間が、 これほど大量に学長になっている日本の大学が異常なのです。

行政とイーストゥッド

 行政的にはあまり歓迎されないと聞いて自粛していた海外の学会出席に踏み切った のは、就任して一年ほどしてからのことです。総長だという理由で招待講演をことわ ることは、およそ国際的な慣行にそぐわないものだったからです。国際的な学術雑誌 や論文集への寄稿の依頼にも、余裕があるかぎり応じました。難儀して仕上げた私の 論稿を含む豪華な『クリント.イーストウッド研究』がイタリァの出版社からとどいた 日など、総長室での執務にもことさら力が入ったものです。総長として公式訪問した 大学でも、初めは辞退していた専門分野のレクチャーをさせていただくことにしまし た。スタンフォード大学でのレクチャーでリチャード・ローティが聴衆に交じっている のを目にすれば、誰だって感動さぜるをえないはずです。講演者が東大の学長であっ たことは現代アメリカを代表する哲学者になにがしかの印象を与えたようで、以後、 著作を交換しあう間柄となったほどです。シカゴ大学でのレクチャーには、ジャン= リュック・ゴダールが世界最大の映画評論家と折り紙をつけたジョナサン・ローゼンバ ウムがかけつけてくれ、近く出版が予定のプロジェクトヘの参加を要請され、これに も同意しました。こうした対応が東京大学のソフトなイメージ戦略に貢献すると判断 してのことです。旧文部省高官の言葉通りに学内行政だけに専念していたのでは、日 本の大学の知的なプレゼンスが国際的に高まるはずもありません。ニューヨーク・タイ ムズが奇妙な学長のもとで東大が変化し始めたという特集を組んでくれたのも、そう したことと無縁ではないはずです。「改革」といえは制度に手をつけることしか考え ない官僚たちには、二一世紀の国力がソフト戦略の充実であることを理解できないの でしょうか。

 海外の多くの大学の行政部門の責任は、ほとんどの場合担当の副学長が受け持って おり、その人たちもPh.Dの博士号を持った研究者の出身です。だから、旧文部省が省 益から一年毎に首をすげかえる事務局長などとはわけが違う。日本の国立大学の場合、 例えば私の四年間の総長在任中に四人も変わったように、事務局長が行政に専念する 余裕さえありません。私を支えてくれた四人の事務局長は、行政手腕も立案能力も抜 群でした。しかし、制度的にはそれも文部省人事の一環でしかたく、これでは学長の イニシアティヴなど先揮しようもありません。

 その事実を人目から隠すためなのか、旧文部省の高官の一部は、評議会が学長の自 由を奪いがちだといった噂をあたりに吹聴してまわっている。しかし、これは何とも 悪い冗談というものです。派閥の力学で問題の多い首相の後継者さえ選べずにいる政 治の世界や、局の縦割り行政で一貫した高等教育政策さえ作れずにいる文部科学省に くらべて、国立大学の評議会は遥かに有効に機能しているからです。

 国立大学の「独立行政法人」化は、こうした問題の解決の願ってもない好機だと考 える人びともおります。しかし、それが幻想でしかないことは、この四月から「法人」 に移行した旧文部省系の機関を見てみればすぐにわかります。「通則法」第一五条第 一項によって義務づけられている設立委員会の委員構成そのものが文部科学省主導で 組織され、しかも委員会の規則さえ決まっていない段階で、会ったこともない課長が 電話で持ち回り会議を提案する始末だからです。独立行政法人の設立とは、その程度 に出鱈目なものなのです。委員である私は、任命権者の大臣に辞表を提出することで 官僚的な手抜きに抗議いたしました。「行政改革」の目玉として省庁再編で文部科学 省となった旧文部官僚たちの意識は、いっこうに「改革」されておりません。

沈黙と饒舌と

 学長に不可欠な資質とは、沈黙と饒舌とをほどよく案配した表象戦略にほかなりま せん。実際、いつ黙り、いつ語るかを身体で知りつくしていなければ、とても学長は つとまらないでしょう。議長として招集した学内の会議から外国語での国際的な討議 まで、その戦略は一貫して維持されねばなりません。ホストとして招待した賓客との 食事から主賓として招かれた宴席まで、役割として述べるだけの祝辞から本気で草稿 を推敲しなければならないスピーチまで、省庁の審議会から学術的な集会まで、不特 定多数を前にした記者会見から特定の聞き手によるインタビューまで、日本語で話し ているときから英語やフランス語で討論する場合まで、どんな場合にも言葉の配分だ けはおろそかにできません。 総長の仕事の大半は、他人に会うことです。初対面の 人もいれば、毎週定期的に会っている人もいる。男性もいれば女性もおり、日本人の みならず、外国人も少なくはありません。そこでは、懇願、誘惑、依頼、説得、決断、 逡巡、受諾、拒絶、等々、そのっど沈黙と饒舌とをほどよく案配して意図を伝えねば なりません。それを無視すれば相手の信頼はえられず、対話も成立しないでしょう。 複数の利害が交錯する外国語での交渉では、ひたすら饒舌であることが事態を有利に 運ぶとはかぎらず、沈黙から雄弁への不意の移行がきわめて有効だった場合もありま した。

 ある国際的な協同研究のために年間二〇万ドルの資金をどう調達するかという問題 をめぐる会議が、チューリッヒで開催されたときのことです。スイスの篤志家の寄付 で始まった環境問題をめぐるこのプロジェクトは、東大とMIT(マサチューセッツエ科 大学)とETH(スイス連邦工科大学)が参加しており、AGS(Alliance for Global Sustainability=地球圏の存続を求める三大学の国際連携)としてすでに五年の実績を 持っていました。もっぱら外部資金で運営されていたこの事業の交流協定の更新の時 期がせまっており、スイスの篤志家が、第二期の活動に向けて三大学が二〇万ドルを 集めれば、それと同額の寄付に応じるという提案を行っていたのです。

 それぞれの大学のおかれた社会的な状況の違いもあり、それへの取り組みには厄介 な調整が必要とされ、多忙な三学長が二四時間だけチューリッヒに滞在するという過 密なスゲジュールが提示されました。バンクーヴァーのブリティヅシュ・コロンビァ 大学での会議を早めに切り上げ、ロンドン経由で空路スイスに到着したときは、さす がに疲労困憊しておりました。 

 東大側のコーディネイターと二人で出席したその理事会には陰鬱な雰囲気がたちこ め、一日一〇〇〇ドルで国際的な資金調達の専門家を数ヶ月雇い入れるか否かという 議論に決着がつきそうな気配は感じられません。外部資金の導入には慣れているはず のMITの学長もなぜか口数が少なく、タ刻の東京向けのフライトを予約していた私は、 アメリカ人と日本人とスイス人とが英語で行う討議が本質からはそれてゆきがちなの に苛立っておりました。英語の得意なアメリカ人のコーディネィターほど無駄な饒舌 に流れがちなのです.それをたち切ろうと不意に沈黙を破り、私はこんな内容の発言を せざるをえませんでした。

 三大学間の交流協定は年末までしか期限がない。したがって、各自が資金調達の努 力をしようという態度を表明しないかぎり、この場で何を議論しようと、このプロジェ クトはあと数カ月で自然に消滅する。だから、ここでは、この友好的な関係の消滅を 容認するか否かを論じなければならない。私自身は、その消減には反対である。一日 一〇〇〇ドルはたしかに安いとはいえないが、それが二〇万ドルをもたらすのであれ ば、投資として決して高くはない。その意味で、東京大学は国際的な資金調達の専門 家を雇い入れる用意がある。

 ときおりフランス詑りがまぎれこむとても流暢とはいえない英語でそう宣言したと き、停滞していた時間が目にみえて変化し始めたのには驚きました。講もが忘れてい た交流協定の期限のことに言及したからでしょうか、三大学の友好関係はやはり維持 すべきだという声があがり、MITの学長もその重い口をひらきました。協定の更新には 反対しないという彼の言葉を契機に、各自が資金調達につとめるという結論とともに 会議は終わりました。ホテルの前のテラスで空港へのタクシーを待ちながら、自分の 発言が嘘のように事態を進展させてしまったことがにわかには信じられず、狐につま まれたような気分でエスプレッソをすすっていました。

 やるぞと宣言した資金調達に絶対の自信があったわけでもなく、東大のみならず二 大学をも巻き込んでしまった責任の重さに、機中では食欲も減退しがちでした。しか し、帰国後に、スイスの篤志家から、資金調達の専門家に払うべき費用はいっさい自 分が負担するというメールがとどいたのです。三大学がどんな姿勢で事態に取り組む かをうかがっていたらしい彼は、どうやら私の決断を見て態度を変えたらしい。沈黙 と饒舌の表象戦略がどうやら有効に機能したようです。

 ほどなく三大学の交流協定の更新は何ごともなかったように調印され、この国際的 なプロジエクトの第二期ば無事発足しました。総長として出席した最後の総会のディ ナーは、レマン湖畔のシオン城で豪華に行われました。そのテーブルで学長たちと談 笑しながらも、理事会で私が不意に沈黙を破らなかったらこのプロジェクトはどうなっ ていただろうかと、ひそかに感慨にひたったものです。

政府は何を忘れるか

 北京大学の創立百周年を記念して行われた国際フォーラムでは、一人の学長の発言 が私の心を強く揺り動かしました。この種の会合でのスピーチはおおむね退屈なもの ですが、スタンフォード大学のカスパー学長はそんな先入観を爽快にうち砕いてくれ ました。会議の主題は『二一世紀の大学』。誰もが思いつきそうな話題の単調な変奏 にすぎず、それに類する会議はいたるところで催され、題名に含まれる「二一世紀」 という言葉が、二〇世紀末のトレンドを過剰に理想化する抽象的な「改革論」を学長 たちの口から引きだしていたのです。

 技術移転のオフィスが機能し始めたとか、遠隔授業の設備が整備されたとか、学生 たちの国境を超えての流動性が高まったとか、いずれも結構なことには違いない。し かし、そうした楽天的な語調がかえって二一世紀における大学をとりまく状況の深刻 さをきわだたせていました。だから、卒業生は母校にまったく愛着がなく、企業はア メリカの大学へ寄付することにしか興味を示さないというドイツの大学の窮状に触れ、 途方もない額の自己資金を運用しているアメリカの有名私立大学には到底たちうちで きないと結んだミュンヘン大学のヘルドリッヒ学長のシニカルな姿勢にかえって愛着 を覚えてしまいます。そこには「市場原理」を大学に適用するにはそれなりの前提が 必要だという常識が、的確に述べられていたからです。

 ミュンヘン大学長の言葉が対応するかのように、隣接地に拡がるシリコン・ヴァレー のときならぬ繁栄で「産学協同」のメッカと思われている大学の学長は、大かたの安 易な思い込みをあからさまに否定する見解を述べられました。カスパー学長は、大学 にとっての重要な財源は国家からの基礎科学への潤沢な投資をおいてないと塑言され たのです。その肝心な部分を議事録から引用しますので、虚心に読んでいただきたい。

 産業界からの支援が大学にとって重要なものであることはいうまでもありません。 しかし、投資された資金の額からして、それが国家からの研究費のかわりになるなど と考えてはなりません。基礎研究というものは公共の資産であり、経営者たちは損得 勘定でしかものを考えませんから、そこからはごく限られたものしかつくりだすこと ができないのです。各国の政府は、とりわけ、財政危機の時期にあっては、このこと をあまりにもしばしば忘れがちであります。スタンフォード大学は、第二次世界大戦 以降の政府からの財政援助によって、今日の地位をきずいたのです(傍点、引用者)。

 ここには、財政危機に陥った政府による大学への投資の抑制が、高等教育政策とし ていかに愚かな姿勢であるかが指摘されています。それが、発言者の意図を超えて昨 今の日本の状況に対する批判ともなっているのは、優れたスピーチがきまって具体的 な問題に触れてしまうからでしょう。勿論、カスパー学長は「産学協力」の重要性を はっきり認めている。しかし、それを国家からの研究費のかわりになるものと勘違い してはならないと強調されたのです。その言葉は、無責任な風聞やメディアの流す情 報だけで特定の大学像をイメージするのがどれほど危険なことであるかを思い知らせ てくれました。カスパー学長の主張によれば、サンフランシスコ湾岸地帯のヴェン チャー企業をはぐくんだのは、まぎれもなく合衆国の連邦政府からの投資だというこ とになるからです。

 こうした言葉を、あえて北京で口にされた意図は明らかでしょう。中国の大学のほ とんどは、国家からの投資の極端な不足分を、大学の内部に設置した企業からの収益 によってかろうじてしのいでいる。北京大学も例外ではなく、その意味で、多くの中 国の大学はいわゆる「スタンフォード方式」を模倣しているかにみえます。しかし、 潤沢な国家の援助なしに大学の質を高めることなど不可能だとカスパー学長はいいきっ ている。「産学協力」は大学経営の有効な手段の一つとはなりえても、とうていその 目的とはなりえないというごく当たり前の事実が、誤解の余地のない言葉で述べられ ていたからです。貧乏人がどれほどあがいても第二、第三のスタンフォードなど作れ はしまいといっているかのようなその発言には、成功者の余裕さえ漂っておりました。 その断言に拮抗しえたのは、ミュンヘン大学のヘルドリッヒ学長の真撃なシニシズム だけでした。

 カスパー学長の発言の背後には、アジアやヨーロッパのみならず、合衆国において すら、産業界と大学との安易な結びつきが理想化される傾向が顕著に認められ、それ がスタンフォードのような一流の研究重視大学の将来にとってきわめて憂慮すべき事 態であるとの認識が存在しています。その言葉には、企業が注目しがちな応用科学の 成果ばかりが脚光をあび、いわゆる基礎科学の研究成果がないがしろにされがちなア カデミズムの現状に対する厳しい批判がこめられています。勿論、スタンフォードの 功績がベンチャー.ビジネスを育てたことだけでないことは、まともな大学人なら誰で も知っています。人文科学、杜会科学での優れた業績はいうまでもなく、自然科学の 領域においても、リニア・コライダーSLAC (Stanford Linear Accelerator)をキャン パス内に持つスタンフォードは素粒子研究のメッカでもあります。全学の年間予算の 一五パーセント近くを占めるこの実験施設の活動は、素粒子物理学や高エネルギー物 理学の中心がアメリカから日本やヨーロッパに移行しがちな現状からみて、無視しが たい意味を持つといわねばなりません。

 そのことの誇りがカスパー学長の言葉にこめられているのを理解したのは、北京を あとにしてからにすぎません。ハンナ・アーレントの弟子にあたるドイツ系の政治学者 だと知ったのも、彼の学長辞任後のことにすぎません。資料によれば、スタンフォー ドの年間予算で民間からの資金導入(二年間の統計では三億一九三四万二〇〇〇ドル) が占める割合は、連邦政府からの研究費(五億七一五六万一〇〇〇ドル)に遠くおよび ません。だが、日本で大学を論じる人の大半は、スタンフォードが「産学協同」で今 日の地位をきずいたのだと勘違いしている。

 研究重視型大学に分類しうるアメリカの優れた高等教育機関のほとんどが、州立、 私立という設置形態のいかんにかかわらず、ある時期までまぎれもなく「国民=国家」 の大学として機能していたという歴史認識が、彼らには欠けているのです。ある時期 とは、冷戦期を意味しています。その時期を通じて、連邦政府は国益として大学を保 護していたのであり、間違っても「市場原理」にまかせたりはしなかった。日本人の 多くは、専門のジャーナリストまでが、その点を見落としている。

 かりに日本政府が、当時の合衆国政府のように国家戦略として高等教育に責任を持っ ていたなら、東大は明日にでも「法人格」を持つ用意があるし、民営化も辞さないで しょう。しかし、いまなお国民総生産の○・五パーセントしか高等教育に投資せず、そ れが合衆国の半分にもみたない現状を是正しようともしないまま、効率化という視点 からのみ国立大学に「独立行政法人通則法」を適用しようとしているのですから、政 治家たちの発想はあからさまに国益をそこなうものだといわねばなりません。それに まともに抵抗できずにいる文部科学省も、いまやその存在意義が問われ始めているの です。

スタンフオードはほとんど国立大学である

 北京大学での東大総長の立場は、かなり微妙なものだったといわねばなりません。 創立百周年の記念式典が、五月四日に設定されていたからです。一九一九年のこの日 に始まった五四運動の波が中国各地に拡がり、それに対して日本が否定的な役剖しか 演じなかった歴史的な事実に触れざるをえないからです。しかし、ほとんどの学長た ちは中国側の意図を見抜いてはおらず、五四運動に言及したのは私だけでした。その ため、私のスピーチは思いがけず多くの学長の注目を集め、中国側からも評価された のです。丁重な謝辞を述べられた北京大学の陳学長とは、真の友情を結ぶことができ ました。

 こうした機会でのスピーチの評判は、草稿を読ませてほしいという人数でほぽ決ま ります。また、後に発言する人がそれに言及するか否かも重要なポイントです。私の 発言は、草稿を求めてきた人の数の多さと、スタンフォードの学長によって参照され たという点で成功だったと北京大学の関係者から聞かされました。勿論、それを自慢 したいわけではありません。自分では不得意と思っていた英語でのスピーチが評判に なったことに驚いたのは、私自身だったのです。カスパー学長が言及したのは、私が 提起した「第三世代の大学」という概念をめぐってでした。この概念については『知 性について』(岩波書店)に収録されているスピーチを参照していただきたいのですが、 「国民=国家」の発展期にその国家戦略の対象となっていた高等教育の機関を「第二 世代の大学」と呼び、それとは異なる機能が要求されているものとして「第三世代の 大学」という概念を提起したのです。カスパー学長がそれに興味を示したのは、スタ ンフォード大学そのものが、異なる世代の大学への移行期にあるという認識があった からなのでしょう。

 実際、合衆国では、議会がSSCの建設中止を決定した一九九三年以降、この種の基礎 科学の巨大な実験装置への国家予算投入は目にみえて減少し、私的企業からの財政援 助が応用科学に集中するという状況が顕著になりました。それ以降、アメリカの一部 の物理学者たちの知的な退廃がいかほどのものであるかは、ポストモダン批判に名を かりたアラン・ソーカルによる自尊心のかけらもない人文科学への醜い攻撃をみれば 明らかです(ソーカルとブリクモン共著『「知」の欺瞞-ポストモダン思想における科 学の濫用』岩波書店を参照)。しかし、いまはそのことを語るべきときではありませ ん。問題は、冷戦の終結以後、合衆国の高等教育政策に明らかな変化が生じ、それが いわゆる自然科学の概念の転換とも連動している事実をどう評価するかということで す。冷戦終結によって、アメリカの大学は明らかに「国民=国家」の国益につながる 政策の対象ではなくなりました。カスパー学長が懐疑的に指摘しているように、その 財政的な基盤は国家の投資から民間へと移っている。それと同時に、自然科学の概念 にも変化が起こり、学問の中心は物理学から生命科学へとゆるやかに移行しつつあり ます。ことの当否とはかかわりなく、いま、国際的に事態はそのように推移していま す。数学と物理学のよくできる高校生が、生命科学の基礎的な知識すらないままに医 学部に殺到するという日本の現状を不快に思っていた私は、いささか後進国的な「物 理帝国主義」には批判的であり、MITやCaltech(カリフォルニアエ科大学)のような工 学系の大学が下した新入生に対する生命科学の必修化という決断をむしろ評価するも のです。ヨーロッパの工学系の大学でも、物理学の講座を生命科学のそれに振りかえ、 生命科学の研究者を多数迎え入れる政策がかなり強引に行われており、それが、私の 総長就任時の世界的な現状でした。

 しかし、バイオといえば容易に巨額の研究費が獲得できるという現在の「生命科学 帝国主義」にも、きわめて懐疑的たらざるをえません。研究重視型大学が健全に発達 するには、カスパー学長の指摘をまつまでもなく、基礎科学と応用科学との調和が不 可欠であり、そのためには国家予算の潤沢な投入がなお不可欠なのです。そうした彼 の言葉に接することがなければ、わが国の素粒子物理学や高エネルギー物理学に対す る私の強い関与は生まれなかったのです。実際、物理学から生命科学への力点の移行 の背景には、後者が新たな産業の基盤となる応用科学だという認識が存在しています。 その認識が疑わしいのは、つい最近まで生命科学は間違いなく基礎科学と見なされて いたからにほかなりません。それを納得するため、スタンフォード大学のアーサー・ コーンバーグ教授の発言を読んでみたいと思います。一九五九年のノーベル医学生理 学賞受賞者である博士は、ゲノム・ビジネスの基礎を作った人物とみなされています が、奥様の祖先がハリウッドの老舗の撮影所の創設者だったこともあり、個人的に何 度かお目にかかる機会があった方です。

 私の研究をサポートしたのは政府です。何かのビジネスにつながるという約束も期 待もなしに、米国立衛生研究所(NIH)から、三〇年間、何百万ドルもの資金を供与され たのです。これほど長期間、非実用的なプログラムに投資する資金や裁量を持つ民間 の組織はなかったですし、これからも決してないでしょう(傍点は引用者『週刊東洋経 済』二〇〇〇・八・五)

 これからも決してないでしょうというコーンパーグ教授の断言 がカスパー学長の発言に呼応していることは、いうまでもありません。これを読むと、 思わずスタンフォードはほとんど「国立大学」だと結論したい誘惑にかられるほどで す。「第三世代の大学」へと移行しつつある合衆国の高等教育機関が民間資金の導入 による「産学協力」を容認しうるのは、政府による潤沢な財政援助が「第二世代の大 学」の基礎体力を鍛えていたからにほかなりません。だが、日本政府は国民に対して その責務をまったくはたしてきませんでした。

 国立大学の「独立行政法人化」問題や文部科学省がとなえる「大学改革」がどれほ ど時代遅れの認識にもとづくものであるかは、いまや明らかです。高等教育政策不在 のまま「改革」だけが叫ばれでいる現状に、われわれは深刻な危惧の念をいだかずに はいられません。「改革」を口にする人びとに、事態を変化させようとする知識も方 法も欠けているからです。事実、文部科学省は来るべき「第三世代の大学」に対する 戦略の構築を放棄しております。アメリカのとの人口比からしてあと五〇年は必要な はずの「国立大学」的な高等教育機関を、彼らは現在の九九でも多すぎると信じこん でいる。官僚批判と国家公務員の削減を恐れるあまり、高等教育の将来像はいうにお よばずその現状認識すら怠り、「独立行政法人化」問題をめぐる技術的な処理を「改 革」だと取り違えている。しかし、いまの日本に必要なのが「制度改革」でないこと ぐらいは、「政治改革」や「行政改革」のむなしい推移によって、誰もが知っていま す。必要なのは、変化を好む人びとがどこにいるのか的確にさぐりあて、特定可能な 彼ら、彼女らとともにその動きを加速し、無方向に拡大することなのです。大学を始 め、社会の各層はそうした変化に向けて動き始めています。

 縦割り行政にそんな身振りは不可能だというなら、真の「制度改革」に取り組まね ばならない。日本の高等教育にとっての最大の問題が、国立、公立、私立という設置 形態の違いをいつまで維持するかという点にあることは否定しがたい事実だからです。

 研究重視大学的な機能をそなえた日本の有名私立大学が、研究業績の点ではソウル 国立大学、国立台湾大学、シンガポール国立大学の足元にもおよばないという現状を、 文部科学省はこのまま放置しておくつもりなのでしょうか。スタンフオードがほとん ど「国立大学」であったような意味での私立大学に対する政府の本格的な財政支援を 構想すべきときがきているはずであり、従来のばらまき型の私学助成とは異質の政策 的な介入が近い将来に問題となるはずであり、「独立行政法人化」の議論は、こうし た肝心な議論を先送りするための口実にすぎません。責任をとるべき人たちによる問 題の先送りが日本社会の閉塞感を高めているとき、高等教育までが「財政改革」や「金 融改革」の混迷ぶりを模範にする理由などどこにもないはずです。