2001.6.15
学術の動向(2001年5月号)特集 学術的活動のための次世代育成

p42-46 論壇

学術会議の将来に関する雑感

西谷 敏

本年1月6日の中央省庁等改革基本法の施行によって、経理府に置かれていた日本学術会議が総務省に置かれることとなり、さらにその今後のあり方について内閣府に査かれた総合科学技術会議で検討されることになった。そして、総合科学技術会議に「日本学術会議の在り方に関する専門調査会」がもうけられ、まもなくその検討が開始されるという。総合科学技術会議は、一方で日本学術会議とはまったく無関係に「科学技術に関する総合戦路について」の答申をまとめ(3月22日)、他方で学術会議のあり方を決しようというわけである。日本学術会議は、その存亡にかかわる重大な局面を迎えたことになる。

こうした状況において、学術会議はいかなる態度をとるべきだろうか。学術会議は「まな板の鯉」になったのだから事態を静観するとか、逆に総合科学技術会議の検討に「対応」するために右往左往するといった態度は、いずれも適切とは思われない。日本学術会議は、今後のあり方について自ら堂々と見解を表明し、その実現のために各方面に働きかけるべきである。「まな板の鯉」の発言は、ともすれば組織の論理や個人的利益への関心によるものと見られがちであるが、決してそうした次元の問題ではない。

むしろ今後の日本の学術の発展にとって日本学術会議の存在が客観的にいかなる意義をもつのか、あるいは学術会議はどのような改革されるべきなのかについては、長年の経験を蓄積してきた学術会議自身が最も適切に判断できるばずだということある。総合科学技術会議が日本学術会議のあり方について検討するにあたっては、学術会議の見解を十分尊重するよう強く要望しておきたい。

学術会議は、第18期に入って、「日本の計画」や「新しい学術体系」についての検討を精力的に進め、「21世紀の人文・社会科学の役割とその重要性」についての見解をまとめようとしている。これらの活動は、客観的には日本学術会議の存在意義を内外に強く印象づけることになるであろう。し、同特に重要なのは、日本学術会議という組織そのものの将来のあり方に関する検討である。

この点については、第17期に「未来懇素案」と「未来懇第2次案」という二つの文書が出され、それめぐって活発な論議が交わされた。第17期の総会で探択された二つの文書、すなわち「日本学術会議の位置付けに関する見解」と「日本学術会議の自己改革について」とは、これまでの議論をふまえたものではあるが、問題を現行法の枠内での当面の改革に自己限定しており、決して今後のあり方に関する議論に終止符を打つものではなかった。議論はなお未解決なのである。現在必要なのは、これまでの議論における論点を整理し、対立点を明確にしたうえで、早急に学術会議としての見解をまとめあげることである。

そうした作業は、会長、副会長、各部長で構成される「日本学術会議の在り方に関する委員会」を中心に行われることになっているので、その活動に期待したいが、この問題は既存の各委員会の検討事項とも密接に関連しているので、短時日の間に学術会議全体の見解をまとめあげるためにも、「在り方委員会」で早急に論点を整理したうえで、各部や各常置委員会、企画委員会など、あらゆる機関で議論を進めることが必要であろう。また、学術会議会員の選出母体となっている各学協会の見解を聴取し、それを今後の「あり方」論に反映させることが不可欠である。

ここでは、この問題に目する私見の一端を披露して、参考に供したいと考える。

現行法が描く学術会議

現在の学術会議の基本的性絡は、日本学術会議法という法律で規定されているが、経合科学技術会議による学術会議のあり方の検討は、この法律の当否にまで及ぶ可能性がある。したがって、学術会議の側でも当然、現行法の枠にとらわれることなく今後のあり方を考えてみる必要かある。しかし、そうした議論を宙に浮いたものにしないためには、議論はたえず現行法が描く学術会議像をふまえてなされなければならない。

現行の日本学術会議法は、学術会議について、(i)総務大臣の所轄とすること(1条2項)、(ii)経費は国庫が負担すること(1条3項)、(iii)「わが国の科学者の内外に対する代表機関」であること(2条)、(iv)目的は「科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させること」(2条)、(v)その職務は、「独立して」行われること(3条)、(vi)職務の内容は、科学に関する重要事項を審議しその実現を図り、科学に関する研究の連絡を図りその能率を向上させることにあること(3条)、(vii)政府の諮問を受ける可能性があり(4条)、政府に勧告できる(5条)こと、(viii)国際団体に加入できること(6条の2)、(ix)内閣総理大臣が任命する、人文科学・自然科学の計7部門の210名の会員によって構成されること(7、10条)、(x)会員は登録学術研究団体の推薦によって選出されること、などを規定している。

これを要するに、法律の描く日本学術会議とは、人文・自然科学の全分野の科学者・研究者が登録学術研究団体を通して選出した代表機関であり、国庫負担で経費をまかないながら改府からは独立して、科学に関する重要事項を審議し行政、産業、国民生活に反映させるための組織だということになる。この点は、諸外国のアカデミーなどと比較しても、独特の制度であることが明らかにされている(「学術の動向」2001年3月号特集参照)。

学術会議の将来に関する議論は、ここに掲げた現行制度の基本的要素のうち、いずれを推持し、いずれをどのように改正するのか、を明確にしつつなされるべきである。第17期の議論が学術会議としての統一的見解に結実しなかった一つの理由は、この当然の前提が十分に考慮されなかったためではないか、というのが私の印象である。

保持されるべき代表性、独立性

日本学術会議法2条は、日本学術会議が「わが国の科学者の内外に対する代表機関」であることを明記している。この代表性の規定はきわめて重要である。学術会議の存在およびその活動の正統性(legitimacy)は、それが人文・社会・自然の全分野にわたる70万人の科学者・研究者が各学協会を通じて選出した会員によって構成され、その発言が理論上70万科学者を代表するものである点にこそ存在するといえるからである。

この点で、学術会議は、大臣やトップダウンで指名されたメンバーによって構成される総合科学技術会議と決定的に異なっているし、すでに構成員となった者が新メンバーを推薦する諸外国のアカデミーとも大きく異なっている。もちろん、現在の学術会議の活動が真に科学者全体を代表するものとなっているか否かはたえず点検されねばならないが、その点に問題があるとしても、そのことは学術会議の存在根拠がこの代表性にこそ存在するという事実をいささかも変えるものではない。このことは、国会が国民の意思と乖離しているからといって、代表制民主主義の意義を否定すべきでないのと同様である。

この代表性は、日本学術会議法第3条のいう「独立」性とも深く関係している。日本学術会議の審議、勧告などの活動は、全科学者の代表が、全科学者の意見を集約しつつボトム・アップの原理にもとづいて行うものであり、それは必然的に政府から独立して活動することを要求する。こうした組織の利点は、各分野の英知を結集して俯瞰的視点から科学のあり方を検討しうる点、科学者の自発的研究にもとづいて新たな課題を発見し問題提起しうる点、さらに現実政治に規定される科学技術政策が見落としがちな、長期的かつグローバルな視点から見た重要課題の存在を指摘し検討の方向を示しうる点などにあるといえよう。

 この点で、内閣府に人文・杜会科学をも包括する科学技術の政策決定機関としての総合科学技術会議がもうけられた現在においても、日本学術会議は決してその存在意義を失わないどころか、総合科学技術会議の検討が誤りなく進められるためにも、日本学術会議との協力が不可欠であろう。

 「学術の動向」本年3月号に掲載された調査報告によると、諸学国のアカデミーは概ね改府の補助金と自前で調達した資金とで運営されているようである。これに対して、日本学術会議はその経費の全額を国庫負担でまかなっているところに特徴がある。この点については、「独立性」の要請との関係で問題となる余地がないではない。しかし、全額国庫負担で運営されることと「独立性」とは、これまでの国立大学がそうであったように、十分両立可能であろう。民間営利企業とは異なり、国が公共性の観点から行う財政支出は、それが国民にとって有用である限り、費用負担者から独立して発言し活動する機関に対しても振り向けられねばならないのである。

 私は、上述の代表性、独立性、そしてさらに付け加えれば民主性(多数科学者の意見を学術会議の見解に反映させる民主的な手続)は、相互に不可分であり、かつ日本学術会議の最も基本的な性格を形成する要索であると考える。これらの点に重大な変更が加えられるならば、日本学術会議の名前は残っても、実質的にはまったく別個の機関になると考えざるをえない。そこで、日本学術会議として、いかなる制度改正がなされるにしても、最低限こうした代表性、独立性、民主性が保持されるべきことを強くアピールすぺきであると考える。

改革のあり方

私は、現行法が前提とする学術会議のその他の要素についても、直ちに変更する必要性は感じていない。それは、もちろん現在の学術会議に問題がないという意味ではまったくない。学術会議はもっと活性化され、その存在感を高めなければならないと思う。しかし、学術会議の現在の問題は、必ずしも現行法の欠陥ではなく、予算上の制約、会員選出、学術会議の内部努力の問題など、要するに現行法を前提とした運用上の問題であり、運用によってかなり改善できるのではないかと考えるのである。

 しかし他方、私は、学術会議の将来を考えるにあたって、上述の代表性、独立性を除くその他の要素については、改革を頭から否定するつもりはない。現行の7部制の見直し、総会員数の拡大・縮小、会員選出方法の変更などは、代表性、独立性を損なわない限りありうることと考えている。私がとくに強調したいのは、学術会議が学術会議であるために絶対に放棄できない要素(代表性、独立性)と、それ以外の要素を明確に区分したうえで、総合科学技術会議や国民に対し、学術会議の将来像について自らの見解を積極的に表明し、賛意を求めるべきだということである。

 学術会議が岐路に立たされている現在、将来に禍根を残さないためにも、会員の総力をあげて学術会議のあり方についての検討を進め、その適切 ‐な存続、発展のために努力すべきであろう。また、そのために、各学協会の積極的な関与を希望しておきたい。


西谷 敏(にしたに さとし 1943年生)
日本学術会議第二部会員・幹事、社会法学研究連絡委員会幹事
大阪市立大学法学部教授
専門:労働法