独立行政法人調査検討会議中間報告
富山大学教育学部
村上宣寛
[中間報告の見出しを引用し、意見は「---」で示します。]
2. 検討の視点
視点1:世界水準の教育研究の展開を目指した個性豊かな大学へ
「各国立大学ごとの将来の在り方、存立の意義等を検討する中で、未来に向けて
の多様な発展と運営の基盤強化等を目指し、国立大学間や学部等の再編・統合を
大胆かつ積極的に進める必要がある。」
---文面に特に反対ではないが、なぜ、統合・再編なのか、理由になっていな
い。研究を行うのは「大学」ではなく、「研究者」てある。研究環境をどう整備
するか、現在の学部、学科構成がうまく機能していないから再編成というのなら
理解できるが。
---私の所属する教育学部も再編が免れないようだが、これは、機能的な面が原
因ではなく、教員の需要と供給のバランスの関係にすぎない。結局、人的コスト
とその見返りのバランスの関係で再編が行われている。視点1の文面とは全く異
なった方向に現実は進んでいる。教員養成についての基盤弱化は今回の再編で確
実だと思う。
視点2:国民や社会へのアカウンタビリティの重視と競争原理の導入
「国民や社会に対するアカウンタビリティを重視した、社会に開かれた大学を一
層目指す必要がある。」
---基本的には賛成だが、無理矢理に公開講座をやらされたり、ノルマを課せら
れるのでは、通常の研究・教育活動に支障がでる。ただでさえ、学部再編で会議
の時間が倍増している。
「第三者評価に基づく競争原理を導入すべきである。このため、厳正かつ客観的
な第三者評価のシステムを確立し、各国立大学の教育研究の実績に対する検証を
行うとともに、評価結果に基づく重点的な資源配分の徹底を図るべきである。」
---必要性は理解できるが、客観的な評価システムは簡単には確立できない。日
本には研究の歴史がない。私はこれに近い分野(性格評価、診断)だが、評価は日
本では毛嫌いされる。ノーベル賞受賞の白川博士も長い間、学会から無視され、
冷や飯を食っていたようだ。評価ミスの危険が大きい。
---教育研究実績の検証は必要だと思う。全く論文を書かない研究者、授業があ
まりにもひどい研究者は首にしてもよいと思うが、評価の難しさの認識がない。
---ランク分けして研究費の配分を徹底化するのは危険が大きい。オリジナリ
ティのある研究者は学会で人気がないのが普通である。第三者の評価機関にノー
ベル賞受賞クラスのオリジナリティの高い研究者が所属すべきだが、しかし、そ
んな人はやりたがらないだろうし、受賞した人はすでに時代遅れの人でもある。
---研究者の層は広くすべきで、重点的な資源配分は特殊な分野を除き、弊害が
大きい。「進化論」など、種の生き残りに重要なのは種の遺伝子の多様性であ
る。特定の研究内容、特定の研究者に重点配分すると、それ以外の発想の研究が
無くなってしまう。研究のパラダイムが変化すると、日本は大きく立ち後れてし
まう。
---重点配分は、第三者評価、会議、合議などで決定されると思うが、第三者が
重要だと気づく分野なら、すでに全世界の研究者が気づいている。改良型の研究
にしかならない。この方法ではパラダイム転換をするような研究が出てこない。
古い発想の研究のみに投資することになり、新時代には対応できない。
---このようなことから有資格の研究者(まともに論文を書いていない人は除く)
には広く、厚く、研究費を配分しておくべきだと思う。これからは既存のパラダ
イムを破るような研究が必要である。もちろん、ほどほどの傾斜配分は必要だ
が、やりすぎは研究者の動機付けを金銭のみに縛り付けてしまうし、雰囲気を阻
害してしまう。色づけ程度にしておくべきだ。
視点3:経営責任の明確化による機動的・戦略的な大学運営の実現
「学長など大学運営の責任者に学内外から適任者を得るための方法を確立すると
とも...」
---IBMやNECの研究所の運営を見ても、事は簡単ではない。中・長期的な課題に
もかなりの資源配分を行っている。企業の研究所は中・長期的に利益を生めばよ
いので、ある意味では収支を考えながら経営すればよいが、大学はもっと複雑で
ある。教育のように、金額で見返りがない場合の方が多い。
---問題は、学長などは、大学の最高の地位ではあるが、基本的には事務職であ
り、研究者と兼業は不可能である。研究者としての寿命が尽きてしまい、定年退
職間際の人が立候補して、しばらく学長の地位につくのが普通である。研究者と
してプロ意識がある人がつきたくなる職ではない。学長は任期のある職で、任期
を終えると学部に戻れず、退職しなければならない。定年間際以外ではなりたい
職ではない。
---また、すばらしい研究者であった人がすばらしい学長になれる保証はない。
才能的には別の問題である。したがって、学長、学部長に大きな権限を持たせた
時、学長や学部長の愚かしさのため、大学が破綻してしまう危険の方が大きくなる。
---経営者責任を学長に負わせるのであれば、学長、学部長等、管理職と教員等
の研究者は別組織とすべきと思う。学長、学部長等の管理職は事務職の専任であ
るべきと考える。
(2) 運営組織 (法人組織と大学組織)
(役員)
「役員には、学内からの登用にとどまらず、広く学外からも大学運営に高い見識
を有する者や各分野の専門家を招聘する。必要に応じ非常勤とする。」
---役員は常勤であるべきだと思う。会社の社長や地方の有力者を大学運営に参
加させても自分の仕事の方が大事だから大学運営にどれだけ力を割くか疑問であ
る。ほかの仕事の片手間に大学運営に携わってもらっても大学はよくならない。
「役員を始め大学運営のスタッフに、女性の積極的な登用を進める。」
---これは性差別表現だと思う。私なら「人種、国籍、性別にかかわらず、有能
な人材を積極的に登用する。」と表現する。
(A案)(B案)(C案)
---B案に賛成。教員に経営責任を負わせるのは能力的に無理である。教員はそれ
ぞれの狭い分野の専門家にすぎない。また、II組織業務の視点1の「教育研究活
動以外での教員の負担を軽減し..」に矛盾する。役員や運営協議会のメンバー
は基本的に常勤事務職とし、大学の運営に根本的な責任を負うべきである。運営
に問題が生じた場合、役員の罷免等、手続きも考えておくべきである。
IV 人事制度
視点2:
「教職員の成果・業績に対する厳正な評価システムを各大学に導入 」
---この重要性について異議はないが、「評価システム」の内容如何で、大学の
研究を阻害する恐れも多い。イギリスの大学では書籍の出版に大きな得点を与
え、高く評価するようにした結果、大量のどうでもよい出版物が溢れてしまっ
た。論文数や出版数のみを評価基準にするとこうなる。
「個々の教員の有する潜在的能力を発揮させるインセンティブ・システムを給与
制度等に導入」
---インセンティブ、動機付けのことだが、これも簡単ではない。心理学の研究
では報酬を与えると内的動機付けが下がるという有名な結果がある。優れた研究
者に、ある程度給与や研究費の上積みすることは良いことだと思うが、なかなか
人間の心理は難しい。金銭の報酬を受け取ると、その結果、金銭の報酬が無けれ
ば、動機付けも無くなってしまう。多くのアメリカの研究者が陥ってしまった弊
害である。
「教員の選考過程の客観性・透明性を高めるため、公募制を積極的に導入すると
ともに選考基準を公開」
---大賛成である。しかし、現実はどうなのか。旧帝大ではほとんど公募などし
ていない。強制力のある制度にすべきである。また、選考基準と言っても専門分
野ごとに違うし、この公開は意味をなさないだろう。しっかりした採用人事のシ
ステムが必要である。
「さらに、選考委員会に学内外の関連分野の教員の参加を求めたり、学外の専門
家による評価・推薦を求め参考にするなどの方法により、外部の意見を聴取し、
より総合的な判断を可能とする仕組みを設けることが必要である。」
---大賛成である。強制力のある制度整備を行うべきである。大学問題の中心に
は教員人事の任用や昇任制度があると思う。これを改革しなければ、大学改革に
はならない。数日前の日経新聞で、たしか、電通大の学長(?)さんが旧帝大の自
大学出身者は60%にも登るという意見を書いていた。人事制度にメスを入れなけ
れば大学改革の意味がない。中間報告は生ぬるいと思う。踏み込みが足りない。
---わが教育学部で採用人事をする場合は、5名の選考委員会を組織するが、公募
要件は専門分野の一人か二人の教授が決めてしまうのが普通である。一つの専門
に属する人が少ないので、実質、一人か二人の教授が採用人事を行ってしまい、
他の分野の選考委員は分からないので、承認するだけになってしまう。たまには
採用の失敗もあり、そういう人が学部のガンになってしまう。採用後、全く研究
しなかったり、精神障害になり、首にもできず、どうにもならないケースもある。
---期限付き雇用という手はあるが、日本人の人情として再雇用してしまい、本
当の意味での期限付きにならない。また、大学教員がすべて期限付き雇用なら、
たいした待遇でもないので、有能な人は大学には就職しない。落ち着いた研究も
できなくなる。期限付き雇用の場合、かなり給与を上げ、再任不可とすべきである。
---学部の少数の教授で行う人事制度はだめである。学外まで選考委員を広げる
必要がある。しかし、大学単位に広げても同じような結果になるだろう。論文審
査のように、外部レフリー制を導入し、学部からは人事権を取り上げた方がよい
と思う。もちろん、しっかりした人事の審査システムが外部にできる場合であ
る。学長、学部長に強い権限を与えても何の解決にもならない。
---自分の息子を大学の教員にする方法はこうである。まず、性格のよい言うこ
とを聞く教え子を助教授に任用する。それを学科内に数名入れてしまう。その上
で自分の退職後、自分の息子を応募させればよい。言うことを聞く部下だから、
成功率は高い。
---私の出身校、京都大学教育学部には河合俊雄氏がいる。河合隼雄先生の息子
ではないかと思う。教室にも河合隼雄先生の忠実な部下がメンバーに多い。学部
は違うが、文学部でも教育学部苧阪良二先生の後に息子の苧阪直行氏が後を次い
だ。世襲の印象を受ける。文学部や教育学部が公募をした記憶もない。自分の出
身大学を誇れないのが残念である。
---アメリカやフランスの大学では精神分析は終わった。精神分析をやっている
のは日本の大学だけである。30年、後れてしまった。まだ京大教育学部はユング
分析を続けるようだ。このような人事が可能なのは、少数のメンバーに人事権が
委ねられているからである。研究よりも人脈が大事になってしまう。日本の大学
の停滞は、この人事制度ではないか。
---企業の人事課等の組織を見てほしい。採用や承認は特定の部署で決めるので
はない。人事課が一括して採用し、配置している。日本の大学の人材採用の方法
は町工場なみである。だから日本の大学で研究・教育活動がふるわないのである。
---大学の教員人事をマネージできる独立した組織が必要である。大学の特定の
学科で教員採用の必要が生じたら、大学は採用要件をまとめて、その組織に依頼
し、その組織が公募し、外部レフリーに審査を委託して、もっとも相応しい人材
を採用すべきと思う。
---この組織はまとめ役に徹すべきで、権力を持たせるべきではない。権力を持
つのは、この組織に委託された外部レフリーで、彼らに独立に書類審査をしても
らい、集計すれば、もっとも有能な人が選択できるだろう。外部レフリーは、大
学院の設置審のように、あちこちの大学から学閥に関係なく、有能な人に委託す
る。この組織の権限は外部レフリーを選ぶことのみに限定する。
---このような仕組みを考えていただきたい。直接、特定の学科に採用人事をさ
せるべきではない。「企業は人である」というではないか。大学も人である。人
的資源がもっとも重要である。もっと現実を見据えて、しっかりした大学改革を
やっていただきたい。
(2001.10.3) |