独立行政法人調査検討会議中間報告
九州工業大学
栗山次郎
愚見を申し上げます。
1 「民間的経営手法」と「解任権」との齟齬について
a.「はじめに」(1頁)において、「(2)民間的発想の経営的手法の導
入」に留意した旨の記載があります。
b.「IV 人事制度 2.制度設計の方針 (2)選考・任免等 (学
長の選考方法等) 8項目目」(32頁)には「・・・文部科学大
臣が・・・(学長を)解任できる」とあります。
a.と b.とは少し矛盾しているようにみえます。
(学長選考機関を巻きこんだ上での文部科学省による)学長解任権の保
持によって、学長は常に文部科学省の意向を配慮しておかなければなら
ない状態におかれます。
よって、文部科学省の大学への権限が非常に大きくなり、(「I 基本
的な考え方 前提3「自主的・自律性」で述べられているような)大学
の「尊重」されるべき自主的・自律性が損なわれます。
民間的発想を重要視するのであれば文部科学省は解任権は放棄すべきで
あります。
文部科学省が解任権を持つのであれば民間経営的手法は早晩破綻をきた
すと思います。
2 「I 基本的な考え方」における「前提」と「視点」の齟齬について
「I 基本的な考え方 2.検討の視点 視点1」における「国からの
財政投入によって支えられる大学として、国立の名にふさわしい、世界
水準の教育研究の展開を目指すべきである」(4頁)は先行する(2,
3頁に述べられている)「検討の前提」に反しています(または「検討
の前提」の大枠からは逸れています)。
「前提2:「国立大学の使命」」(2頁)にあるように、国立大学は学
術研究の深化、教育・文化の水準向上、産業基盤の確立、国民の進学機
会の保証などに寄与しています。
これらを拡大し、充実するのが「国立の名にふさわしい」大学の使命で
あり、(国立大学の)検討視点の第一番目に挙げられるべき機能ではあ
るまいかと思います。
貴「中間報告」は「検討の視点」として先ず「世界水準」を挙げること
により、文部科学省が国民の教育水準の向上、教育機会の機会均等など
をなおざりにする口実を与えていると判断せざるをえません。
3 トップダウン的意志決定の強制と現実との齟齬について
「視点3」では「全学的な視点に立ったトップダウンによる意志決定の
仕組み」の確立を求めています。
すべての民間企業がトップダウンの手法で成功しているのでしょうか?
各企業とも自分たちの条件に合った経営方針を模索し、採用しているの
ではないでしょうか?
そして採用した方式の成否は経営の規模、伝統、文化等に左右されざる
をえません。
貴「中間報告」では「民間的発想の経営的手法」=トップダウンと判断
しているように見受けられます。
それぞれの大学は、独自の知的共同体として、独自の伝統や独自の文化
を育てています。貴「中間報告」は、それらの百余の大学に、絶対的権
限をもって、トップダウンという画一的な経営手法を強制しているよう
に見えます。
約10年前、ほとんどの(国立)大学は(文部科学省(当時:文部省)
の意向により)トップダウン方式によって(大綱化による)教養部(教
養課程)の廃止・改廃を行いました。
数年を経ないうちに(「行き過ぎがあった。教養教育を重視すべきだ」
と)社会の風向きは変わりました。
現在の大学ではかってのような教養教育は困難になっています。
教養教育を強力に推進し実施する組織が消滅しているからです。
これは、トップダウン方式が時にはとり返しのつかない結果を招く(導
いた)例と言えます。
貴「中間報告」に見られる一義的、一律的なトップダウン方式の唱導は
各大学の現実に合わない方針を強要し、大学の利益集団化を招く契機に
なるのではないかと危惧を持ちます。
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