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国立大学等の独立行政法人化のための調査検討会議中間報告

「新しい『国立大学法人』像について」に関する意見

独立行政法人化問題を考える北大ネットワーク

2001.10.29


序 

 「21世紀は、『知』の時代と言われる」という表現で中間報告は始まって
いるが、そこで論じられていることは、大学における『知』を国と産業のため
に効率良く働かすための方法だけのように思われる。しかし、中間報告は意図
においても、戦略においても、間違っている。意図において誤っている、なぜ
なら、日本が前世紀半ばに学んだこと、国家と産業のために『知』を総動員し
てはならないこと、を失念しているから。また、戦略において誤っている、な
ぜなら、規制すればフルには機能しないという『知』の生理を無視しているか
ら。

 『知』の活性化に関する戦略的な誤りの3点を指摘したい。

I. 国や大学運営者への規制のみが緩和される

 国立大学法人化のメリットとして中間報告で強調されている、大学の予算・
組織・人事・経営面での規制緩和の内容は何か。

 大学の諸活動を支える十分な人件費と教育研究費を保障しなければいけない
とする国への規制が緩和される。国や学長が大学の組織を臨機応変に変えるこ
とを規制する法律が緩和される。国が自由に教員任免することを規制する教育
公務員特例法が廃止される。大学経営者が評議会審議を諮ることを義務づける
規制が緩和される、等々。

 要するところ、国と大学経営者が大学を効率よく管理・経営し機動的に物事
を決めることに対する規制を取り除くことが、中間報告が描く「国立大学法人」
化による規制緩和の中身である。

 しかし、設置者であり主な出資者でもある国は、国立大学に対して潜在的に
強い影響力を持っており、国に対する規制がなければ、開発途上国でしばしば
起るように、時々の政権の指揮が大学に直接および、長期的視野に立った教育・
研究を行うことは著しく困難になり、社会の知的基盤は急速に弱体化する。そ
の危険性の存在が「有識者」の常識となっているためか、欧米諸国の多くは、
国に対する種々の規制を設け、大学が自律的に活動できるように工夫し、社会
の知の基盤の弱体化を防いでいる。この点で日本は大きく遅れているが、貧弱
ながらも国を規制する仕組みがあって多少は機能してきた。しかし、「国立大
学法人」化により、この不十分な仕組みまで消失すれば、日本の大学は欧米諸
国の大学から自律性の点でもさらに遅れをとり、国際競争力を急速に失ってい
くことは間違いのない。



II. 中央省庁の関与が強まる

 中間報告は「大学運営における自主性・自律性が拡大することに対応して、
大学運営における権限と責任の所在の一層の明確化を図るべきである。」とい
う論理を掲げ、「国立大学法人」大学に対する国の関与を、従来の大学とは比
較にならないほど強めている。


 II-1 文部科学省の関与の強化

 中期目標は大学の意見を尊重して文部科学大臣が策定することになっている。
しかし、大学が希望した中期目標群に、たとえば「任期制ポストを倍増する」
というような中期目標を一つ付け加える操作で、文部科学省は大学を思うよう
に変形できるようになるであろう。これは従来の行政指導による干渉と比べれ
ば、遥かに直接的で強力な干渉手段となるだろう。

 また、文部科学省内に大学評価委員会を作り、期末には、大学評価・学位授
与機構の評価などを参考に「総合的に」判断することになっている。しかし審
議会答申と同様に、最終評価が事務局案で実質的に決まることを防ぐことは困
難であろう。


 II-2 財務省の関与

 中期目標実現のための中期計画を作成する作業は、大学自身が財務省と交渉
しながら行うことになる。なお、中期計画は、人員計画も含むものであり、こ
の作業は、独立行政法人化した国立研究所の情報では、従来の概算要求作業よ
りも煩瑣になることが予想される。

 II-3 総務省の関与

 中間報告は明示的には述べていないが、国立大学法人は独立行政法人の一種
として設計されている。このことは、監事・運営費交付金等、独立行政法人通
則法の用語が説明なしに用いられていることからも明らかであるし、また、独
立行政法人制度から完全に逸脱すれば国からの財政的保障はなくなり、学校法
人化(私学化)との違いも明確ではなくなる、という見解が流布していて、国
立大学側委員の大半が、独立行政法人制度の修正しか議論してこなかったこと
からも明らかである。従って、国立大学法人は総務省が所管する法人となり、
総務省の独立行政法人評価委員会の改廃審査を受けるはずである。

 II-4 天下りの増加問題

 このように、国立大学法人は、文部科学省から直接的な種々の制御下に置か
れるようになるだけでなく、財務省、総務省からも直接的な干渉を受けること
になり、大学の自律性は著しく損なわれる。
 また、このような制度になれば、官公庁から国立大学教員への転職数(「学
校教員統計調査報告書」によれば全国で年に約千名)が格段に増え、教育・研
究の現場に従事する教員数が減少し、大学の教育研究基盤の弱体化を招く恐れ
が強い。


III. トップダウンな大学運営が構成員の創意工夫を損なう

 中間報告「新法人像」では、トップダウンの大学運営体制を目指し、その司
令塔となる「役員会」に、経営や大学運営に詳しい者を学外から迎える方向を
打ち出している。

 III-1 学外者の大学運営参加は、運営責任を曖昧にする

しかし、学外者が大学経営を主導するようになれば、そもそも国立大学法人大
学のアイデンティティが不鮮明になり、自律性・自主性という言葉すら意味を
なさなくなってしまうだろう。さらに非常勤の学外者まで、主導権を持つよう
にすれば、「大学経営責任」のような概念は最初から意味を持たないであろう。

 III-2 トップダウン経営は大学の機能を損なう

 たとえ、学外者が参加しない場合でもトップダウン経営形態自体が大学には
致命的である。
 構成員の発案と創意工夫で機能する組織では、少数の役員によるトップダウ
ンな運営形態が、組織全体の創造性を低下させることは、種々の研究調査から
も明らかとなっている。企業でも、社員の発案と創造性が不可欠な時代に入り、
リストラされるべきは人事部である、という意見すらある。教職員の発案と創
意工夫が何より必要な大学にトップダウンな運営形態を導入する法人化は大学
の基本機能を衰えさせるリスクが大きい。

 III-3 過度の「産学連携」は、産業力を破壊する

  目的・業務の項で、産学連携を国立大学法人大学の業務として強調している。
たしかに、トップダウン経営体制は、機動性を要する「研究開発」を大学で組
織的に展開するには役立つかも知れないが、それ以外に意味があるとは思えな
い。人・時間・場所・予算等の大学資源全体を産業界に直接的に供与すること
は、「餓しても籾を食まず」という農民の知恵を忘れた愚かな政策であり、将
来の産業基盤をつき崩して、日本を科学技術後進国にするだけでなく、日本の
知的風土を荒廃させ、日本を文字通りの後進国に変えてしまう恐れが大きい。


おわりに

中間報告が描いた「国立大学法人」像は大学の基本機能を損なう。そのような
形態に、大学を移行させることを拒むことは、教育・研究を私たちに直接付託
している日本社会の人々に対する私たちの義務であり、また、未来の教育・研
究者に対する私たちの道義的責務である、と私たちは考えている。

私たちは、「国立大学法人」化の可否を問う全学投票を、調査検討会議の最終
報告が決まった段階で、私たちの大学の全構成員(教職員・院生・学生)に対
して、私たち自身の手で行う予定である。国立大学の「国立大学法人」化が行
われた場合には、それは、大学行政担当者と、いくつかの大学の何人かの経営
者が、憲法と教育基本法の精神を忘れ、国立大学の大多数の構成員の意思を無
視し、日本社会の意見も聞こうとはせずに、自らの利害と都合を優先して強行
したものである、という事実を歴史に刻むことが、将来の大学にとって必要と
なると考えるからである。