『新しい「国立大学法人」像について(中間報告)』に対する意見   1. 氏名:国立大学の独立行政法人化問題を考える北海道大学教官ネットワーク世話人         2. 会社名/部署名又は学校名:北海道大学・・・ 3. 住所: 4. 電話番号: 5. 意見: ---------------------------------------------------------------------- 序   中間報告は「21世紀は、『知』の時代と言われる」という表現で始まって いる。しかし、中間報告には、21世紀は『知』が国家と産業にとって最も重 要な道具である時代である、という程度の認識しか感じられない。  前世紀も『知』の時代ではなかったのか。しかし知は軍事に仕え地球上に地 獄を創出した。その悔いから「知」は、人々が心身とも豊かな生活を営むこと のできる世界の実現を目指し、その実現を阻むものと戦うことを心に誓ったの ではなかったか。『知』が持つ底知れない力の前に『知』自身が戦慄している こと、それを認識してこの報告は書かれているのだろうか。  いま、国の政策による貧困な教育研究環境に国立大学は喘ぎ苦しんでいる。 この報告書が「法人化を契機とした国立大学等の改革と新生」を目指したとい うが、自律性のほどんとない大学への「新生」に、何か意味があるのだろうか。 知をこのように隷属させたとき、地獄創成に喜々として励んだ退廃に「知」を 再び投げ込むものでないと、調査検討会議は断言できるだろうか。  以下、中間報告の法人像について、3つの角度から問題点を指摘したい。   I. 大学の活動を自由にする規制緩和にはなっていない   II. 強まる中央省庁の関与と天下り問題   III. 大学の機能を損なう役員会組織 I.大学の活動を自由にする規制緩和にはなっていない  中間報告で、国立大学法人化のメリットとして強調されている、大学の予算・ 組織・人事・経営面での規制緩和の内容は何か。  大学の諸活動を支える十分な人件費・教育研究費を保障しなければいけない とする国への規制が緩和される。大学の組織を臨機応変に国が変えることを規 制する法律が緩和される。国による自由な教員任免を規制する教育公務員特例 法が廃止される。評議会審議を義務づける大学運営規制が緩和される、等々。  要するところ、国と大学経営陣が大学を効率よく管理・経営し機動的に物事 を決めることができるよう、諸規則を取り除くことが、中間報告による法人化 がもたらす規制緩和の中身である。  しかし、設置者であり主な出資者でもある国は、国立大学に対して潜在的に 強い影響力を持っており、放置すれば開発途上国でしばしば起るように、時々 の政権の指揮が大学に直接および、長期的視野に立った教育・研究を行うこと は著しく困難になる。そのため、欧米諸国の多くは、国に対する種々の規制を 設け、大学が自律的に活動できるように工夫している。この点で日本はかなり 遅れてはいるものの、国を規制する仕組みが貧弱ながらもあって機能してきた。 これらの仕組みが「国立大学法人」化により完全に消失し、日本の大学は欧米 諸国の大学から自律性の点でさらに遅れをとり、国際競争力を急速に失ってい くことが懸念される。 II.強まる中央省庁の関与  中間報告は「大学運営における自主性・自律性が拡大することに対応して、 大学運営における権限と責任の所在の一層の明確化を図るべきである。」とい う立場に立っている。実際、法人化により国の権限の一部が大学経営者に委ね るられることを理由に、大学に対する国の関与は、従来の大学とは比較になら ないほど強くなった法人像が描かれている。以下、それを具体的に指摘したい。 II-1 文部科学省の関与  中期目標は大学の意見を尊重して文部科学大臣が策定することになっている。 しかし、大学が希望した中期目標群に、たとえば「任期制ポストを倍増する」 というような中期目標を一つ付け加える操作で、文部科学省は大学を思うよう に変形できるようになるであろう。これは従来の行政指導による干渉と比べれ ば、遥かに直接的で強力な干渉手段となるだろう。  また、文部科学省内に大学評価委員会を作り、期末には、大学評価・学位授 与機構の評価などを参考に「総合的に」判断することになっている。しかし審 議会答申と同様に、最終評価が事務局案で実質的に決まることを防ぐことは困 難であろう。 II-2 財務省の関与  策定された中期目標に対する中期計画を立てる作業は、人員計画も含むもの であり、大学自身が財務省と交渉しながら行うことになるだろう。この作業は、 独立行政法人化した国立研究所の情報では、従来の概算要求作業よりも煩瑣に なることが予想される。 II-3 総務省の関与  中間報告は明示的には述べていないが、国立大学法人は独立行政法人の一種 として設計されていると判断した。実際、調査検討会議の議事録を見ると、独 立行政法人制度から完全に逸脱すれば国からの財政的保障はなくなり、学校法 人化(私学化)との違いも明確ではなくなる、という趣旨の意見が、国立大学 協会内の会議の記録にも散見される。それゆえに、独立行政法人制度の枠内で 考えることは、調査検討会議の暗黙の前提となっていたと推測される。  この推測が正しければ、国立大学法人はあくまで総務省が所管する法人であ り、総務省の独立行政法人評価委員会の改廃審査を受けるはずである。 II-4 天下りの増加の危険性  このように、国立大学法人は、文部科学省から直接的な種々の制御下に置か れるようになるだけでなく、財務省、総務省からも直接的な干渉を受けること になる。  こういった事態では、官公庁から国立大学教員への転職数(「学校教員統計 調査報告書」によれば全国で年に約千名)が格段に増え、教育・研究の現場に 従事する教員数は減少し、大学の教育研究基盤の弱体化は避けられないだろう。 III. 大学の機能を損なう「国立大学法人」組織  中間報告「新法人像」では、トップダウンの大学運営体制の司令塔となる 「役員会」を作り、そこに経営や大学運営に関する有識者を学外から迎える方 向を打ちだしている。 III-1 学外者の大学運営参加は、運営責任を曖昧にする しかし、学外者が大学経営を主導するようになれば、そもそも国立大学法人大 学のアイデンティティが不鮮明になり、自律性・自主性という言葉すら意味を なさなくなってしまうだろう。もしも非常勤の学外者まで、主導権を持つよう にすれば、「大学経営責任」のような概念は最初から意味を持たないであろう。 III-2 トップダウン経営は大学の機能を損なう  たとえ、学外者が参加しない場合でもトップダウン経営形態自体が大学には 致命的である。  構成員一人ひとりの創意工夫の上に成り立つ組織では、少数の役員によるトッ プダウンな運営形態が組織の全体的創造性を貧弱にすることは、種々の調査か らも明らかとなってきている。企業でも、社員一人ひとりの創造性が要求され る時代に入り、リストラされるべきは人事部である、という意見すらある。教 職員の創意工夫に支えられる大学にトップダウンな運営形態を導入する法人化 は大学の基本機能を衰えさせるリスクが余りに大きい。 III-3 過度の「産学連携」は、産業力を破壊する 目的・業務の項で、産学連携を国立大学法人大学の業務として強調しているが、 疑問に感じる。「国立大学法人」化により、産学連携を徹底して推進する全学 的体制が実現可能となるが、人・時間・場所・予算等の大学資源全体を産業界 に直接的に供与することは、「餓しても籾を食まず」という農民の知恵を忘れ た愚かな政策であり、将来の産業基盤をつき崩して、日本を科学技術後進国に するだけでなく、日本の知的風土を荒廃させ、日本を文字通りの後進国に変え てしまう恐れが大きい。 IV おわりに 上記のような致命的な問題を持つ「国立大学法人」に大学を変えることを拒否 することは、我々に教育・研究を直接負託している日本社会の人々に対する義 務であり、また、未来の教育・研究者に対する責務であると判断する。 なお、私たちの大学では、調査検討会議の最終報告が決まった段階で、法人化 の可否について、全構成員(教職員・院生・学生)による全学投票を行う予定 である。大学の構成員の大半が何の意義も感じず単に諦めて甘受するだけの法 人化について「大学自ら意義を認めて選択した」というような虚偽を歴史に残 してはならないと判断したからである。法人化が行われた場合、それは、大学 行政担当者が、憲法と教育基本法を無視し、国立大学の大多数の構成員の意思 を無視して、自らの都合だけに従って強行したものであることを、歴史に明確 に残したい。 ---------------------------------------------------------------------- いま国立大学に居るものは、大企業や政府の直属研究機関・教育機関になって活力を失った大学群を次世代が相続することのないように努める必要がある。財政節減と産学連携促進以外に必然性も意義もない国立大学法人化を退け、制度工作のための諸会議と行政文書作成で失われる莫大な資源を救い、大学が抱える多くの問題を真に解決し大学進化を促すことに投資しなければならない。  国立大学法人化問題の正しい解決のために費やされる時間と労力は、今後、日本の大学社会全体に良質の資源をもたらすであろう。パブリックコメントを出すのに必要な時間と労力は大きなものではなかろう。全学投票に参加するのに必要な時間はわずかではなかろうか。次世代への誠意の証として、この程度の投資は実行しようではないか。