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独立行政法人化問題を考える北大ネットワーク 第2回講演・シンポジウム企画

国立大学法人化法案を巡る状況と今後の運動の方向について

講師 小沢弘明氏(千葉大学文学部教授)

2003年2月21日 18:00〜20:40

場所北海道大学高等教育機能開発総合センター
情報教育館3階スタジオ型多目的中講義室


1、法案の概要
2、法案がめざす大学像
  ○国家的統制の強化
  ○自治から「トップダウン」の「経営」へ
3、起こりうる事態
  ○天下りの増加と教職員の窮乏化
  ○膨大なコスト
  ○高等教育の衰退
4、政策合理性の問題
5、私たちの課題
質疑・参加者の意見

小沢

ただいまご紹介に預かりました千葉大の小沢といいます。お手元にA4、3 枚の レジュメがあると思いますので、それに沿ってお話をしていきたいというふう に思います。

私の専門はヨーロッパ史、ヨーロッパの現代史なのですけれども、ここ数年は 大学問題に関わっておりまして、最近、昨年12月の岩波書店の『世界』という 雑誌の特集「大学−『改革』という名の崩壊」、そこに「『構造改革』と大学」 という文章を書かせていただいています。私の基本的な考え方、この問題につ いての捉え方ということについては、そちらの方をご覧いただくことにしまし て、本日お話しいたしますのは、「国立大学法人法案」についてです。現在の ところ公式に公表されていますのは、「概要」(「国立大学法人法案の概要」 (平成15年1月))というものだけでありまして、法案それ自体、法律の全文はまだ公表されていないわけです(28日に公表された)。もちろん、12月ごろつ くられた骨子素案、一応全文になっているものは入手しておりまして、今日は そちらの方にも少し踏み込みながら話をしていきたい、こういうふうに思いま す。

最初に、法案の「概要」とその法案が目指している大学像という話をして、次 に、もしそのまま法が通った場合にどういうことが起こりうるかということ、 それから、この法案に対する反対運動をどういうふうに考えていくべきか、そ こまで今日はお話をしたいと思っております。

1、法案の概要

まず一番最初の「法案の概要」というところですけれども、大きく3点、特徴 というものを示しておきました。

第1点は、これは非常に不思議なシステムであるわけですけれども、現在の国 立大学を法人化して、「国立大学法人」というものをつくる。それで、そのた めに設置された「国立大学法人」が国立大学を設置するという、ぐるぐる回っ ているような感じであります。現行の国立大学というものと新たに設置される 国立大学というのは「国立大学法人」というものをはさんで、循環しているよ うに見えるわけですけれども、しかし、そのあり方というのは、相当異なった ものになる。

間に「国立大学法人」というのが挟まって、いわゆる「間接方式」というもの になっているわけですけれども、なぜそうなったのか。現行の国立大学は国が 設置者ということになっているわけですけれども、間に「国立大学法人」とい うものを挟みますと、新しい国立大学の設置者は国ではないんですね。設置者 は「国立大学法人」になるわけです。これはどういうことを意味するかと申し ますと、例えば、学校教育法の第5条には設置者の経費負担という原則が書か れていまして、国が設置者であれば国が経費を負担しなければいけないわけで すけれども、「国立大学法人」が設置者になれば、「国立大学法人」が経費負 担の主体になる、ということになります。これは、ある種の“財政効率”とい うか“財政規律”というものを通じて、法人が自助努力を行うということを強 制して、それを通じた統制を行う。こういうことになるわけです。

大学のしくみという観点からこれを考えてみますと、先ほどお話がありました ように、昨年の3月に出された文部科学省の調査検討会議の最終報告において は、「大学としての組織とは別に法人としての固有の組織は設けない」という のが報告の文言であったわけです。つまり、「直接方式」である、設置者は国 である、ということを最終報告でいっていたわけですけれども、これを反故に したわけです。これを反故にしますと、「国立大学法人法案」の中身をみます と、専ら法人固有の組織の管理運営組織を規定する法案ということになってい るわけで、そうすると実質的に大学の組織、国立大学の組織というのは何が残 るかというと、評議会だけということになるわけです。

その評議会も、当初は評議会という名前だったわけですけれども、1月末の最 新版の「概要」に基づきますと、「教育研究評議会」という名前に変えられて おりまして、教育研究だけを考えよ、と、大学の運営を考えるのではなくて教 育研究のことだけを考えよ、というふうに権限が限定されることになっており ます。加えて、教授会の問題というのがあるわけですけれども、「概要」にも 存在しませんし、それから12月段階の法律案にも教授会という文言は一切出て きません。ですから教授会というものの存在の法的基礎がどうなるか非常に怪 しい状況なわけです。

それから、2番目の問題として、皆さんこれもご承知のように、1999年に時の 有馬文部大臣が「国立大学の独立行政法人化の検討の方向」という挨拶を行い まして、それ以来、「国立大学法人」というのは独立行政法人化という文脈の 中で語られてきたわけですけれども、「国立大学法人法」という法律それ自体 が、独立行政法人通則法の構造と全く変わらないというか、むしろそれを雛型 にしたものであるという性格をもつわけです。ですから、名前は「国立大学法 人法」という名称になっていますけれども、実質的には、独立行政法人通則法 のある種の特例法という性格をもつわけです。

具体的にどの条文を見ましても、ほとんど一字一句対照可能でありまして、若 干違いというのがありますけれども、それは例えば、「国立大学法人」という のは非公務員化されますから、通則法の中の特定独立行政法人(「公務員型」) に関するさまざまな部分というのが適用されないとかですね、そういう違いが あるだけで、ほとんどの項目については一致しているわけです。これは首都圏 ネットのホームページにその 対照表 を載せてありますので詳しくはそちらの方 をご覧いただければと思います。

では3点目として、通則法と違う点がどのぐらいあるのかということですけれ ども、実はこれは非常にわずかな部分しかありません。例えば、長の任免、学 長の任免に関する学長選考会議というのがおかれる。ここはまあ、通則法とは ちょっと違うわけですね。通則法の場合には、文部科学大臣、主務大臣の任命 ということになるわけですけれども、大学の場合には「学長選考会議」という のがおかれる。ただし、そうはいっても、だから良くなっているというわけで はありません。これは後に述べます。

その次、中期目標について、意見聴取と配慮義務というのが謳われているとい うことですね、これも通則法と若干異なる。一部には、大学が原案を提出でき るというふうに受け止めている向きもありますけれども、実際には、この間も う既に中期目標・中期計画というものを国立大学はどこでも作成させられてお りまして、それを見ると、ほとんどの場合は文部科学省が作成した雛型・ワー クシートというものが各大学に配付されておりまして、それをモデルにしてみ んな作っているわけで、これは大学が自主的に作成できるというものではない ということです。

それから、3番目の違いは、評価に独立行政法人大学評価・学位授与機構とい うものが関与するということです。しかし、大学評価・学位授与機構という組 織のあり方ということにも関わりますけれども、大学間で専門家による相互評 価という意味でのピア・レビューというようなことがいろんな局面で行われる わけですけれども、これは通則法を乗り越えるものではなくて、通則法の仕組 みに加えてこの大学評価・学位授与機構の評価があるということです。つまり、 通則法と同様に文部科学省におかれる国立大学法人評価委員会が評価にあたり ますし、同様に、総務省の評価委員会による評価にもさらされるということで ありまして、二重三重の評価が行われる。重要なのは、これは通則法の基本理 念でありますけれども、評価に基づく資源配分が行われるということでありま す。ですから、通則法と異なる点は若干あるんですけれども、それらは本質的 に通則法を乗り越えるのではなくて、むしろ、通則法の枠内であるということ を示すと考えることができます。

2、法案がめざす大学像

では2番目に移りまして、この法案が目指している大学像は何かということを、 もう少し「概要」に即して述べてみたいと思います。

○国家的統制の強化

第1の特徴は、非常に不思議なことですけれども、「不思議な」というのは、 独立行政法人という名称が示唆している「独立」という言葉とは全く異なって いまして、国家的統制というものが強化される仕組みというのが埋め込まれて いる、ということであります。

なぜ国家的統制が必要かということを申しますと、現在進められている法人化 なるものは、大学発の日本産業の再生、産業競争力強化ということが主要な関 心事となっておりますので、そのためには“国策遂行型の大学システム”とい うものをつくるということが必要だと考えられているからであります。法案は 独立行政法人通則法が基本になっていますから、大学はある種の行政の実施機 能ということになります。これはしばしば“頭と手足”といういい方をするこ とですけれども、行政の企画立案機能と実施機能とを分離してですね、“手足” の実施機能のところを効率化するというのが独立行政法人の基本的な考え方で あります。つまり、頭になるのは主務省、文部科学省になるわけですね、そし て“手足”になるのが大学ということになるわけですけれども、その実施機能 に特化して、それに対して大臣が目標を与えて、業績を評価する。これは事後 評価というシステムになっているわけです。そこに総務省の評価委員会のこと も書いてありますけれども、総務省の評価委員会は事業の改廃も含む勧告権を もっているわけであります。

こういう通則法の基本枠組みというものが維持されて、「国立大学法人法」に よってある種、目標・計画というものを、基本的には文部科学大臣が目標を示 して、法人に計画を立てさせて、それを評価して資源配分というものに直結さ せるという、それでplan, do, seeを循環させていくという仕組みが「国立大 学法人法案」によっても維持されているわけです。また、独立行政法人通則法 と同じように、大臣によって学長の解任が可能になるという仕組みがありまし て、「概要」によれば、その学長解任の理由の中には「業績悪化」というのが 組み入れられております。大学の業績の悪化というのはどういうことでしょう か、どういうふうに測るのかはよく分かりませんが、業績悪化ということによっ て、学長解任が可能であるということが見込まれております。これはまさに通 則法の基本的な考え方であります。

それから、これは後でもう少し詳しく述べますが、「役員会」を構成するメン バー、監事というのは大学が任命するのではなくて、文部科学大臣が直接任命 するシステムであります。先般、独立行政法人大学入試センターの方とお話を しましたら、大学入試センターでは監事が文部科学省から直接任命されて、ど こから来たかというと、参議院の事務局からやってきたということです。大学 入試センターの業務には従来も全く関わりなかったし、監事になってからも何 の関わりもないんだけれども年収2000万ぐらい払っているということでありま した。監事は、文部科学省だけではなくて、官僚の天下りポストとして最初か ら埋め込まれている、そういう形になっております。

○自治から「トップダウン」の「経営」へ

大学内部ではどうかといいますと、先ほどいいましたように、この場合の「大 学」というのは、管理運営機構としての「国立大学法人」と、国立大学とを分 けて考えなければいけないわけですけれども、特に「国立大学法人」の管理運 営機構を考えてみますと、最終的な決定権限は学長と「役員会」に集中する仕 組みというものがつくられております。とりわけ、学長権限は非常に強力であ りまして、学長は「役員会」の議長でもあり、「経営協議会」の議長でもあり、 「教育研究評議会」の議長でもある、全ての議長を学長が兼ねるということに なっているわけです。さらに、役員の中で理事は学長が任命をするということ になっております。

「12月版」(「国立大学法人法案の概要(骨子素案)」平成14年12月25日)の ときには非常に驚いたんですけれども、「学長選考会議」に、現学長と現学長 が任命する理事が人数的に3分の1入る。しかも学長選考会議の議長は現学長だ というふうに「12月版」には書いてあって、これはある種の世襲制、ネポティ ズムというんですけど、縁故政治っていうんですかね、そういうものを再生産 するしくみであります。これはさすがに批判が強かったと見えて、1月のヴァー ジョンでは、学長がそこに入ることも可能であるという文言に変わっておりま す。しかし、「可能である」ということでそこに余地を大きく残してあるわけ ですから、実質的に、次期学長の選考に現学長が直接関わるわけであって、封 建制以外の何物でもないと思うわけです。

学長は、こういう強力な権限をもっていますが、しかしその強力な学長権限と は、先ほどいった文部科学大臣の統制下におかれますから、強力な学長権限を もって大学の自主性が発揮されるというふうに考えるのは誤りであると思いま す。

もう一つの側面は、「学外者」の役割というのが非常に強い形になっています。 例えば、「役員会」や「経営協議会」に「学外者」が参加するしくみになって おりますけれども、参加というにはおかしいぐらいであって、「経営協議会」 には「2分の1以上」となっている、「半数以上」ということです。実は、これ も12月ヴァージョンでは「2分の1を超える」というふうになっておりまして、 1月ヴァージョンでは「2分の1以上」、こういうふうになっています。これを もって、国大協の法制化グループは、「2分の1以上」というところまで押し戻 した、「2分の1以上」であれば「2分の1ずつ」ということが可能になるのであっ て、過半数を握られることはない、同数になると、そこまで押し戻したと自画 自賛しております。しかし、実質的には「2分の1以上」が「2分の1ずつ」に機 能することはあり得ません。実質的にはおそらく「2分の1を超える」という形 でそれぞれの大学で決められていくのではないかと思われます。

もちろん、「学外者」というのが市民の代表という意味であれば、もちろん大 学運営の市民参加というものに道を開くという点では有用ですけれども、しか し、ここでは「経営協議会」というように名前がつけられているように、専ら 大学の経営や財務を意識しているわけで、直接的には財界や利益諸団体の代表 がこの「学外者」というものを意味するのは間違いないと思われます。

「概要」ではさらに、「学長選考会議」の構成も書かれておりますけれども、 ここでも「経営協議会」の全メンバーが学長選考会議に入るのではなくて、 「経営協議会」の学外委員が学長選考会議に入ると明記されております。です から、全体の学長選考会議でいいますと最大で半数、最小でも3分の1が「学外 者」であるという計算になるわけですね。最大というのは、学長と学長任命の 理事が全然入らなかった場合です。最小というのは、学長が封建制を発揮した ときであります。ですから、これは非常に不思議な形でして、封建的であるこ とを選ぶのか、「学外者」の過半数支配を選ぶのかという二者択一のしくみが 埋め込まれているというふうに考えられます。もちろん、学長任命の理事や学 長自体も、「学外者」である可能性は高いといえます。そして、教授会は少な くとも「国立大学法人法」においては法的規定が行われないと考えられますし、 それから、評議会も、「教育研究評議会」というふうに名前を変えられる。同 時に、12月の段階では、教育研究組織というものが評議会の権限(審議事項) の中にあったんですけれども、1月版ではですね、それが削られて、それは 「役員会」の権限だというふうに変わっております。つまり、いちばん教育研 究に密着した大学の組織、ここから教育研究のあり方を組織的に考える、組織 のあり方自体の改変も含めて考えることができなくなるのであって、その権限 を「役員会」が握ることになっています。

こういう形で、「国立大学法人法の概要」というもの、現行の国立大学制度と くらべてみても、相当にトップダウンの方式が強力で、なおかつ「学外者」の 支配というのを容易にするシステムが埋め込まれているわけです。

3、起こりうる事態

こういう法人が仮に実現した場合、どういうことが起こりうるかということを 若干まとめておきます。

○天下りの増加と教職員の窮乏化

第1は、一方では天下りが相当数増加する、と同時に、教職員は窮乏化する。 例えば、役員数、これは理事という形になるわけですけれども、共同通信の2 月13日の記事によれば、文部科学省と総務省の間で交渉が行われて、89大学で 503人の役員を置く、各大学で4人から9人の範囲内で置くということになって います。これは現行の国立大学のいわゆる指定職の数からみますと、2.5倍か ら3倍ぐらいになっている計算になります。実は、現在すでに独立行政法人に なっている組織においても、天下り役員数が大幅に増加していることが示され ております。それと同時に役員には役員報酬がついているわけであって、これ は大学法人の予算から支払われるということになります。

教職員についてはどうかというと、これも、従来のような定員管理の総定員法 から外れて、人事については自由になるということが言われたわけですけれど も、運営費交付金の中の人件費の割合については文部科学省が統制をするとい うふうにいっております。ですから、人件費総額という形で縛りがかかるとい うわけであって、ノーベル賞クラスの人を呼べますよ、というのが謳い文句に なっていますけれども、もちろんそういう人を呼べば、その分誰かの給料は減 る、あるいは採用ができない、という形になるわけです。

実際、この法人化というものを見越して、現在全国の国立大学では、定員外職 員、非常勤職員(時間雇用職員など)の雇い止めという形での雇用削減が急速に 進行しております。例えば、昨年の段階でも、既に富山大学で話をしてきたと きにも、図書館の定員外職員の雇い止めということが問題になっていましたし、 大阪大学や、先月行ってきた神戸大学でも定員外職員の雇用が危惧されていま す。現行の国立大学でももちろん問題があるわけで、定員外職員というのは多 く物件費というので給与が払われているのですが、それももちろん大きな問題 があるわけです。東京大学では全東大職員数14,076人に対し定員外職員は実に 6,623名を数えています。しかし、さらに、こういう人件費総額の抑制という ものを通じて、一番弱いところに矛盾のしわ寄せがまず行われていくというこ とです。

それから、法人の運営費交付金の総予算はどうかというと、先行独立行政法人 の事例を見てみますと、経常経費を毎年1%ずつ効率化していく(減らしていく) ということが中期計画の中に一律に書き込まれていますので、おそらく、「国 立大学法人」においても、移行期については、今年度、2002年度の予算で固定 し、人件費あるいは定員についても、それを2004年の移行時にそのまま適用す る。そして、そこから1%ずつ毎年削減していくという話になるでしょう。

○膨大なコスト

それに加えて、法人化というのは、実は膨大なコストがかかるわけです。実 際、これはもう既に行われているわけですけれども、各大学で資産評価が進めら れておりまして、法人に移行する場合には、例えば図書なんかも東京大学の場合 でいいますと、図書館設立以来の全ての図書の目録というのを整理して、資産評 価を現在職員の方々がやらされています(詳しくは、東大図書 館の事例をご覧下さい。)。資産評価にかかわる費用、あるいは測量とか登 記にかかる費用というのがありますし、法人化されますと基本的には民間法制に 移行しますので、それに伴う実験施設についても労働安全衛生法が適用されます ので、それに従って再整備しなければいけない、再設計しなければいけない、そ の費用がかかる。それから損害保険その他の各種保険料を支払わなければいけな い。既に、朝日監査法人とか中央青山監査法人は大学職員向けのセミナーをした り、「国立大学法人」会計制度の会計ソフトをつくって売っておりますし、実際 に法人化された場合にコンサルタントとして入るということをいっております。 これは私が朝日監査法人と中央青山監査法人のセミナーに出てきましたので、詳 しくその中身も聞いております。

そういう莫大なコストをかけて、こういう制度の移行というものを行うだけの 意味はあるのかといいますと、私はその意味はないと思います。この法人化と いうものが実現していく場合にですね、高等教育全体の衰退が起こっていくで しょう。

○高等教育の衰退

第1の問題は、ある種の戦後、第2次世界大戦後の日本の教育制度あるいは高 等教育制度が理念としてもっていた機会均等という理念が解体していくことにな るわけです。例えば、学費についても、法人ごとのある種の幅を設けるというこ とが試算されておりまして、この幅をどのぐらいにするのかというのは、いろん な数字が出回っておりますけれども、たとえば、1.5倍ぐらいまでは幅を認める というようなことがいわれております。奨学金は、スカラーシップという意味で の奨学金は存在しなくなるわけで、日本育英会が廃止されることに伴って、育英 会が改組された後はある種の支援組織の教育ローンという形態になると思われま す。

それから、「学問分野の選別」と書きましたのは、日本の国立大学の場合は、 それぞれの地域に、ユニバーシティ、総合大学的なシステムをつくり上げて、 学問分野を均等にそろえていくという方向があったわけですけれども、法人化 という方向になったときには、法人全体の経費あるいは効率性というようなと ころからある種の学問分野の統合、地域を超えた統合というものが行われてい くだろう。これはまあ、現実に教員養成分野では起こりはじめておりますし、 私も人文科学系ですけれども、歴史はいちばん儲からない分野ですからどうい うふうになってしまうか分かりません。基本的にこれは日本の産業競争力強化 のための改革という旗印になっておりますので、産業競争力というところが最 重要視されるわけですから、政府の科学技術基本計画の中に示されているよう な重点4分野、バイオ、IT、ナノテク、環境という重点4分野に特化した資源配 分が行われている。すでに重点4分野というのは古いという話もあって、“新 重点分野”とか何かを策定することも考えられているようです。いずれにして もそういう重点投資が産業競争力の強化に直結する分野に行われることによっ て、基礎科学の分野であるとか、人文社会分野というものが衰退していく、こ ういうことが考えられます。

それから、評価に基づいた資源配分というのが通則法の基本理念でもあるわけ ですけれども、この場合の評価というのは、国家による評価というものと市場 という評価というものと2つが同時に行われるというふうに考えられますけれ ども、それに基づく資源配分を通じて地方大学の統廃合とか窮乏化が起こりう ると考えられるわけです。

4、政策合理性の問題

さて、こういう方法に政策合理性はあるのかというのが次の話の主題でありま す。この独立行政法人化というものが出てきた一番最初は、97年の行政改革会 議あたりの動きからある国家公務員数の削減の話でした。当初は、国家公務員 数を10%削減するというところから20%になって、最後は25%というところま できたわけですけれども、その国家公務員の25%削減という行政改革の動きと、 「遠山プラン」以降、非常に明確になってきた産業政策としての大学改革があ る。つまり、今般の法人化というのは、文部科学省だけが政府の主要なアクター ではなくて、経済産業省が非常に大きな役割を果たしておりますし、何よりも 遠山プランというのが経済財政諮問会議に提出されたプランでありますから、 まさに経済財政政策の中に組み込まれているわけです。

では、行政改革であるのか。これはあまりにもそもそもという話なのでいまさ らいってもしょうがないということもありますけれども、逆にいうと、改めて 考えてみると非常におかしいことなんですね。もともと行政改革というものの 基本的な理念は何かということを考えてみると、これは中央省庁というものの 改革を通じて権限を下方へ移譲する、この場合の下方というのは地方も含むわ けですけれども、地方分権であるとかあるいは権限の下方移譲というものを通 じて行政改革を行うというのが基本的な理念であった。ところが、地方分権と かですね、税源の地方への移譲ということが、結局行われないことになったわ けであって、中央省庁の改革も、皆さんご存知のように、看板を色々書き換え た形であって、これも行われないということになった。ほとんど何もやれなく て、最後に残ったのが独立行政法人化というものであったわけです。

この行政改革という話のときに必ず出てくるのが、行政改革によって「小さな 政府」を実現する、これが削減の論拠になっているわけです。しかし、日本は すでに非常に「小さな政府」なんです。これは、国家公務員も地方公務員も含 めてですけれども、公務労働の従事者というところを考えてみますと、日本は すでに先進資本主義国の中では最低水準の「小さな政府」です。しかも、財政 政策や景気対策ということとも関係してきますけれども、だいたい不況のとき というのは、例えば、僕はヨーロッパ史が専門ですけれども、ヨーロッパの福 祉国家であれば、不況のときは公務労働に従事する人を増やして失業者を吸収 し、それによって購買力を高めて、消費活動を刺激する政策をとるわけですけ れども、日本は逆をやってですね、民間が血を流しているのだから公務員も血 を流して、首を切って、というようなことをやっていくからデフレスパイラル になっていくのです。

ですから、おそらく政策合理性という観点から見ると、行政改革という形にも なっていない。むしろこの間示されたのは天下りが増加するということであり ますし、くわえて、「国立大学法人」になっても現行の国立大学で行われてい るのと同じようにですね、文部科学省の幹部職員のローテーション、全国の大 学を回っていく、こういうシステムは維持されることになっておりますので、 これは行政改革にもなっていないという批判が可能であると思います。

では、産業政策になるのかということですけれども、これもちょっと怪しいと いうことであります。まず、現状の分析や現状に対する反省が全く欠如してい る。すでに科学技術基本計画の5カ年計画の17兆円が終わって、今度は第二期 の24兆円に入っていますけれども、巨大な研究費が湯水のように特定分野には 注ぎ込まれているわけです。研究費を使い切れなくてどうしようかといってい る研究室が一方ではあるんです。隣の研究室では、日常的な研究経費にも事を 欠くという非常に不思議なことが行われていて、そういう政策についての評価 というのが行われていないわけであります。例えば、核研では、だいたい研究 者一人あたり年間6000万とか7000万とかの研究費がつくと聞いたことがありま す。そういう研究費をポンと与えられたときに、研究者がどう行動するかとい うと一年中仕様書を書いている、こういう器材を購入したいとか、こういうこ とをやりたい、最後は、この微分方程式を解いてくれというのを民間委託する んですね(笑)。そうやってお金を使う。これはある種の公共事業の別形態で ありまして、重点投資というのはこういう無意味な金の使い方を行ってきてい るわけです。

それがありつつ、逆に、一般的なところでは日常的な研究費というのが水光熱 費で消えてしまって、教育研究資源の不足が現実化しているという状況であり ます。例えば、千葉大学では、2年前から大学院の博士課程の建物ができたん ですけれども、建物は公共事業だからつくってくれるんですが、維持運営費と いうのはつけてくれないわけです。そうすると研究費がその分減るというわけ です。建物は公共事業でつくるけれども、しかし、その中身、具体的な教育研 究活動に従事できるような環境はつくられないということになります。インテ リジェントビルにするという謳い文句で高速LANの端末はここまできているん ですけれども先につなぐものがない、そういう状況になっています。

法人化は産学連携をさらに進めるためだという謳い文句がありますけれども、 これも現実にはあまり関係ないわけですね。ベンチャー企業の育成とかそうい うようなことは法人化とは関係なくすでに北大でも行われていますし、1月に 行った神戸大学でも門を入って一等地のところにベンチャービジネス何とかセ ンターという建物がすでにできておりまして、やっているわけであって、それ 自体は法人化とは直接の関係がないと考えられます。

いずれにしても、政策目標に応じて大学の研究を動かすということをやっても、 具体的に産業政策という観点から見れば、成果を生み出すということはできな いのであって、むしろ基礎的な分野に投資した方が、将来的には技術移転の問 題でも役立つと考えられます。

では、こういう改革によって、教育研究活動が活性化するかというと、これは 活性化しないですね。すでに、大学人はみんな疲れているわけですね(笑)。 冗談ではないほど膨大な書類と中期目標・中期計画を何度も書かされ、しかし、 何度書いても意味がない。意味がないのに書かなきゃいけないという、こうい う作業を繰り返しておりまして、知的産業にとって非常に打撃的な雰囲気とい うものが蔓延しています。こういう雰囲気が蔓延していると、だいたい人は怒 るか、怒っている人はこういうところに来ているんですけれども、あきらめる か、つぶやくかぐらいしかないわけですね。こういう大学という場にとって非 常によくない雰囲気がすでに蔓延している。

それから、評価についても、先行して試行されている大学評価・学位授与機構 の評価、これはいくつかをピックアップしてやっています。千葉大文学部は来 年教育部門で評価を受けることになっていますけれども、中期目標・中期計画 の中で示されたように具体的な機関評価というのは、大学評価・学位授与機構 や文部科学省の評価もそうですけれども、基本的には行い得ないんです。トッ プ30もそうですけれども、行い得ないときの評価というのは2種類しか突破口 はないんです。2種類というのは何かというと、一つはトップ30を決めた江崎 玲於奈がいったように、主観的評価だと。つまり何の客観性もない主観的評価 だというふうにいって居直るか、あるいは定量的な数字で評価をする。論文が 何本出ているかとか、学生が何人就職しているかとか、数字で表されるものの 評価というその2種類しかおそらくはありえないわけです。こういうものを通 じて、主観的評価に対しては何をやってもムダという雰囲気が広がりますし、 逆に数字を上げればよいというのはそういう定型的・定量的作業というものに 専念する、ひたすら数字を上げるための努力をするということになるわけです。

それから、大学という知的作業を行う組織ではトップダウンではなくてボトム アップ型、ネットワーク型の組織構成が相応しいというふうに私は考えていま すけれども、そこでトップの専断が行われますと、自発性や共同性というもの が萎縮してしまうことになります。全体として、行政や産業界が強い介入を行 うことによって、大学が本来持っている独創性であるとか、あるいは長期的に 見た場合の社会に対する批判性というものが失われてしまいます。

私は歴史ですから人文科学ということになっていますが、社会科学的な要素も あります。例えば、その社会科学というのは何のためにあるか、ということを 考えてみると、社会科学というのは社会を評価するためにあるわけです。とこ ろが今のシステムでは何が行われるかというと、社会、これは産業界と等置さ れるのですが、産業界が社会科学を評価するという非常におかしなシステムに なっています。もともと、社会科学や人文科学もそうですけれども、大学とい うのは、社会的な通念であるとか、そういうものに対する批判機能を持ち続け るということが使命なのであって、それを失ってしまったのではオルタナティ ブを提示することはできませんし、社会科学自体の存在意義も失われるわけで あって、こういう大学の独創性、批判性がなくなれば、大学のもつ公共的な機 能も同時に失われることになるのです。

こういう法人化というものが、今非常に切迫した状況になっております。昨日 (2月20日)、国立大学協会の法人化特別委員会が開かれました。先程ちょっと 聞いたところによると、各大学からかなり意見が出たそうでありまして、国大 協の法制化グループが新しい文書を提出すると聞いております。まだその内容 はつかめておりませんけれども。それから2月24日には国大協理事会が開かれ て、これがもし了承というふうにしてしまうと、最も早くて25日に閣議があり ますので、そこで決めちゃうんじゃないか、閣議決定をして国会提出、という ふうにも見られております(国大協理事会は総会で判断することを決定し、閣 議決定は28日となった)。

5、私たちの課題

こういう状況のもとで、どういうことを考えていけばよいかというと、まず第 一に、数年に渡る国大協の対応は本当に嫌になってしまうんですが、しかし、 もともと国立大学協会というのは国立大学のfederationであって、学長の懇談 会ではないわけですね。ですから、学長の集まりとして国大協を捉えるのでは なく、国立大学の連合体としての国大協というものを考えなければいけないわ けですし、現在法人化特別委員会と同時に国大協のあり方の検討委員会も置か れておりますけれども、やはりそれに対しても、国大協の本来もつ機能を回復 する方法を働きかけていかなくてはならない。

それから2番目に、学長というだけではなくて、様々な部局長のレベルまで降 りていくと、部局長の中には法人化に様々な批判や不満をもっている人たちが 数多くいるわけですね。学長権限が強化されるというふうに聞いただけで舞い 上がってしまう人が学長にはいるようですけれども、しかし、部局長の中には やはり真面目に法人化の問題を考えている人たちがいるわけです。お手元に千 葉大学でとりくんだ署名活動があるんですけれども、これは先週、8人の部局 長と部局長経験者が呼びかけ人になって、「概要」に基づく法人法案に反対と いう方向で署名活動をはじめました。実質的には今週の月曜日から具体的な署 名運動を始めたわけですけれども、昨日夜までの4日間で220名の教員の賛同署 名を集めております。こういう形で、部局長の賛同があると、学長がどうであ れ、学内の世論を喚起することは可能であるということであります。

それから3番目として、さまざまな基礎的なところの自治機能を発揮して、教 授会とか学科とか、基礎単位のところで多様な運動を起こしていくべきであろ うと思います。

4番目として、設置形態を越えた「大学問題」という観点を持つことが必要で す。独立行政法人化問題は、国立大学の問題ということでずっと推移してきた わけですけれども、しかし、この間、公立大学の統廃合の問題であるとか、あ るいは公立大学の独立行政法人化の問題が表面化して、公立大学との連携を可 能にするための条件が存在しておりますし、それから、文部科学省の直接補助 を通じた私立大学への規制強化という動きもありまして、日本の高等教育制度 全体をどうするのかという観点から問題を見ていく必要があるだろうというこ とです。

それから5番目として、これは今国会で恐らく出てくると思いますけれども、 「国立大学法人法」単独ではなくて、それと同時に関連する40数個の法律の改 正が同時に行われるということです。これは、学校教育法であるとか国立学校 設置法とか、そういうものも含みますけれども、それと同時に、恐らくは連休 明けか連休前に具体的に出てくるであろう教育基本法の改正、というか改悪の 問題と絡んでくることもあります。つまり、これは高等教育だけではなくて初 等中等教育を含め、戦後教育法制全体を改変するという動きでありまして、教 育基本法改悪に反対する多様な運動との連携をとっていく必要があるだろうと いうことです。

何よりも、あきらめたり、単につぶやいているだけではなくて、積極的に文句 をいうことが大事でありまして、この間の状況を見ていきますと、文句をいっ て潰されたところなんてないんですね。例えば、教員養成系の再編統合の問題 で、大体文句をいったところは止まっているわけです。できないんですね。鹿 児島大学の田中学長はこの数年一貫して文句をいってきましたけれども、それ によって鹿児島大学が不利益を受けたことはないんですね。むしろ文科省は一 生懸命建物とかをつくって懐柔に努めようとしたらしいですけれども(笑)。 学長は最後まで懐柔されなかったわけです。それと同時に、文句を言う活動と して、この後、雑誌の『世界』でもう一回特集が組まれる予定ですし、それか ら『現代思想』も特集を組むそうですし、首都圏ネットではブックレットの発 行を視野におさめておりますので、これらを通じて問題のありかを示していき たいと思っております。

また、あるべき大学像というのをわれわれの側が考えて、それを批判の論拠、 批判の基礎にすえていくことが必要だと思います。つまり、こういう運動を行っ ていくと、今の国立大学が良いのかということが必ず出てくるわけですけれど も、私の考えでは、今の国立大学ではダメだということをやはり基礎にすえな ければいけない。今の国立大学のままではダメだ、ということですね。

一つは、大学を一国の産業政策の尖兵として位置づけるというような政策では なくて、国際公共財として、あるいは社会的共通資本としての大学であるとか、 科学・文化ということを基礎にする必要があるだろうと。それから教員と学生 の教育研究の自由というのを基礎にすえなければいけないであろう。それから 3番目は先ほど述べた権力や社会通念の批判を通じた新たな社会像の提示がそ の大学の基礎にならなければならないであろう。それから4番目に、思い返せ ば30数年前には教授会の自治というのは批判される対象だったんですね、とこ ろが現在では教授会の自治でさえ危ういという状況になっております。

実はですね、ヨーロッパの大学では、私が知っているのはドイツ語圏の大学が 主ですけれども、1960年代までは「正教授大学」という性格をもっていたんで すね。大学の構成員というのは正教授で、正教授以外は「員外教授」というふ うに呼ばれていて、一生員外教授という場合もあるわけですけれども、教授会 は正教授による教授会です。ところが60年代末の学生運動を通じてドイツ語圏 の大学もほとんどはですね、こなれない言葉ですが、構成員大学、ドイツ語で はGruppenuniversitaet英語でいうとuniversity of groupsという形になると 思うんですけれども、つまり大学の意思決定の半数が教員、4分の1が助手、4 分の1が学生という、こういう位置づけをつくり上げたんですね。ですから、 それを通じて学生、助手が大学運営に積極的に参加すると同時に、教員の側も 学生や助手の意見というものを聞かなければ大学の運営はできないわけです。 現在、日本と同じようにそうした地域でも、機動性のある運営を、学長権限の 強化を、という話しになっておりますけれども、それはこういうシステムが基 礎にあった上で、そこでスムースな意思決定をするためにもう少し学長に権限 を与えた方がいいのではないかという話になっているわけです。ところが日本 の場合には、こういう構成員大学というものを一度も実現したことがないとこ ろに、トップダウンの意思決定システムをさらに強化するという非常に倒錯し た状況というのが生まれていると思うわけです。

5番目は人によっては意見が異なると思いますけれども、国が研究評価とか予 算配分を行うということではなくて、政府から独立した機関というものが、そ ういうことを考えるというシステムをつくる必要があるのではないか、という ことです。いずれにしても、現在の国立大学というのは全体としてみれば、封 建制の支配下にあるというふうに私は思っていて、全然近代的ではないと思う んですね。しかし、今進められようとしている法人化というのが封建制を打破 するものであるかというと、そうではなくて、むしろそれを温存・育成する方 向に働くということです。つまりトップの学長の専断の下に、その学長の意を 受けた部族支配者がそれぞれの部局長というかたちになって顔色をうかがう、 こういうものが再生産されるというふうに恐らくなるであろうと思います。で すから、それを打破するような方向性で大学のあり方を考えていく必要がある のではないかということです。これで話を終わりたいと思います。


質疑・参加者の意見

司会

法案の「概要」がどういうものかということから、法案の目指す大学像、そし てその法案が実施されればどういう事態が大学に起こるのかということを大変 分かりやすく話してくださいました。さらにわれわれが今何をしなくてはなら ないのかという具体的な行動提起があったと思いますけれども、

これから30分くらい質問あるいは意見交換をしたいと思います。まず今の小沢 さんのお話に対して、質問がありましたらお願いします。

参加者1 具体的というか事務的というか、ちょっとよく分からなかったところ をお聞きしたいんですけれども、「学長選考会議」に入る部外者が最大で1/2、 最小でも1/3という根拠が、学長が入るか入らないかで決まる、その理屈が今 一…数字がなぜ1/3、1/2なのか、ちょっと理解できなかった。

もう一つは、民間の基準に移行すると、例えば実験室のようなものの基準が変 わるということはありうるんですが、その具体例のようなものがあれば教えて ください。

それと、職員、教員以外の職員いろいろあるんですけれども、これの扱いは公 務員型でいくのかどうかも含めて、我々教員の労働条件あるいは職員の今いっ たような扱いは一体どうなるのか、また「国立大学法人法案」、別途用意され てその辺の新しい我々の労働条件に関わるような法案というのは系統的に策定、 準備されているのか、どうもその辺の部分があやふやで、当然そうなる、大学 法人になるということを前提にした動きが強まっていながら、その辺は非常に 不分明でして、私水産学部からこちらに来たのですが、水産学部は函館に分離 されて設置されて、そうなると事業場の扱いはどうなるのかということがあり まして、労基法9条を見てもはっきりとしたことは読めないですね。ですから、 そういった、先々を今から考えてどう対応するかということを今いうのはおか しいといえばおかしいですが、その辺の動きがあればちょっと教えていただき たい。

最後に、これが重要な問題というのは明らかなんですけれども、ただ現実には、 語弊がありますけれども国会の場に持ち込まれる可能性が非常に高いとすれば、 国会、政党に向けた運動をするときにはどのようなことが考えられるか、非常 に多岐に渡って恐縮ですけれども。

小沢

じゃあ、一つずつ。最初の「学長選考会議」は、「概要」の規定によります と、「学長選考会議」で、「国立大学法人」からこの人を学長に、と申し出ると いうことになるんです。「学長選考会議」の選考メンバーは「経営協議会」の学 外委員で「経営協議会から選出される者」、これが(1)なんですね、(2)が「教育 研究評議会の代表者」で、これが同数で構成されると書いてあるわけです。そう すると、学外委員が半分、それから「教育研究評議会」、つまり国立大学の方の 代表者が半分ということです。これに、「学長選考会議が定めるところにより学 長または理事を加えることができる」と書いてあって、ただしこれが学長選考会 議の委員総数の1/3以下というふうにいっているわけです。つまり、もし学長と 理事が1/3入ると、後は1/3、1/3になるんです。これが全く入らないと1/2、1/2 になるんです。トレードオフというのかどうか分かりませんが、非常に不思議な おかしい制度ということですね。これでお分かりいただけると思います。

それから2番目の労働安全衛生法や労基法関係のことですけれども、これは現 実に独立行政法人にすでになっているところがあって、例えば、経済産業省の 産総研とかですね、そういうところがありますけれども、ここでは法人化にあ たって労働条件も全部変えなければいけないわけですね。例えば大学院生が一 晩中実験器具の横にいるとか、そういうことはできないようになっていたり、 あるいは技官の人たちの労働条件とか、そういうものも全部整備しなくてはな らないし、器具の配置もやらなきゃいけない。だから研究室の総移動が実際に 行われているわけです。具体的に、日本化学会、野依さんが会長ですけれども、 これが法人化をするとそういうことが起きるんだけれども、国大協はそれを考 えているのかという申し入れをすでにやっておりますけれども、現実にそうな ると再配置を必ず行わなくてはなりません。現実の大学で労働安全衛生法を満 たしているところというのはきわめて少いはずです。

それから3番目の問題ですが、職員の労働条件についての規程ということです けれども、法人法においては、これは身分の承継ということしか触れていない。 具体的な労働のあり方については就業規則で、という形になります。就業規則 で定める形になるというのは、おそらく就業規則についても文部科学省は雛形 を出してくると思われますが、理念的には各法人毎に定めるということです。 しかし、絶対つくっているであろう就業規則の雛形は表面化していない。だか らそれがどういうかたちになるのかというのはまだ分かりませんし、これは組 合が非常に強力なところであれば労働協約というかたちで明確にそれを決定し ていくということが可能ですけれども、ない場合、あるいは弱い場合は一方的 に就業規則が定められる恐れがあります。

これもすでに独立行政法人になっているところでは、そういうことが起こって います。いくつか就業規則上の問題をめぐって紛争が起きていて、それは給与 関係の問題だったり、それぞれ具体的に起こっています。さらに具体的な問題 については、いくつかの独立行政法人の情報についてはお知らせすることがで きると思いますので、別途それは考えます。事業所の問題その他についても何 もはっきりしたことはいってこない、表に出てこないということです。

それから4番目は、先ほどいったように、2月末に閣議決定で国会に出るであろ う、これ自体は間違いないでしょう。すでに文部科学省は各政党に対してブリー フィングを行っていて、首都圏ネットのホームページ上に4ページばかりの図 入りの資料というのを出しておきました。文部科学省の説明によれば、今まで 国立大学協会は分裂していたけれども、このほどようやく見解がまとまって一 致して賛成することになったので、皆さんよろしくといって各政党を回ってい る。「国立大学法人法案」を本当に問題とするためには、これを重要法案とい う扱いにしなければいけない。重要法案というのはどういうことになるかとい うと、与野党の対立法案、対決法案にならないと重要法案扱いにならないので、 ものすごく短い場合は2日くらいで通っちゃうんですね、あっという間に通し てしまうこともできないわけではない。そうさせないためには、対決法案にす る必要がある。対決法案にするためには、やっぱり野党に明確に反対の立場と いうのをとらせるということと、それから政権与党の中を少しでも割るとい うことが必要になるんです。

参加者2

私、北大の恵迪寮に住んでおりまして、これから独法化するにあたって、厚生 施設とか、そういったものについての位置づけというのはどのように変わって くるのか疑問に思っていて、国立大学の学生寮というのは、文科省通達のに沿っ て全国の大学で企画・運営しているんですけれども、住んでいる側としては必 ずしも賛成できないというか、こういう生活をしたいわけじゃないんだよ、と いうことをいわなければならない部分もあるんですけれども、法人化されたあ かつきには、文科省から通達というかたちの規則がある程度基礎となって、あ るいは寮に住む人間と大学の交渉によって、ある程度文科省の政策に必ずしも 縛られない規則とかつく得るのではないかという希望的観測もないことはない んですけれども、そういったことは具体的にはあり得るのかというお聞きした いのですが。

小沢

正直にいうと、それは力関係によります。というのは、全体として現在の厚生 施設は、例えば、生協を含めてですけれども、法人化された場合には競争圧力 にさらされる。すでにそうなりつつありますけれども、これは非常に明確であ りまして、大学生協連とかもそういうことは強く意識しております。法人が運 営費交付金に加えて自前の収益ということを考えていかなければいけなくなっ たときに、施設使用料を取り、競争にさらすという方向に変わるでしょう。そ れをどう考えるかが問題です。

そういうときに学生寮の位置づけをどうするのかというのも非常に不分明であ る。分からない。つまり、それは、学生寮に居住している学生を“受益者”と いうふうに見るか見ないかという問題があります。“受益者”というかたちで 見た場合は、明確に寮費は上がるでしょう。その代わりに、寮費をガーンと上 げてしまえば「統制」をする必要はない。統制は弱まるでしょう。ただ、それ は一般のマンションと同じになるということだと思うんですけどね。逆にそう ではなくて、低廉な寮費で機会均等という従来の原則を維持して寮を運営する ということならば、これは運営費交付金の中から寮費、あるいは寮の運営費の 補助にどのくらいのお金を出すのかという判断が示されていくということにな るでしょうから、どっちに転ぶかは力関係によるという以外にはいいようがな いですね。

文部科学省の統制が弱まるという意味もまた問題で、奨学金が教育ローンになっ たというのと同じように進んでいけば統制は弱まるんですよ。でもそれを希望 しているのではないでしょ。そうじゃない姿というのを考えていく場合にはやっ ぱり具体的にどういう要求があるかというイメージを学生諸君も持って意見を 出していかないと、ある種の経済原則に従ったような寮政策ののようなものが 通っていくということになってしまうんじゃないでしょうか。

参加者3

今の話とはちょっと違う話なんですけれど、中期目標について聞きたいんです けれども、中期目標は、確か今後6年間で達成すべき目標を国に提出して、そ れが評価され、予算を削減されたり、そういう上の政策だと思うんですけれど も、今の話を聞くと、原案のようなものを渡されても自分で目標を付け加える ことも可能なんですか。大学院生が住むところは基本的にはF棟なんですが、 明らかに院生の住める人数に対して入居希望院生が多いので、院生棟を建てた らいいのではないかと思っているんですけれど、大学側が原案にはないけれど それを載せるということはあるんですか。自発的に目標を設定することはある んですか。

小沢

いろいろ誤解しているんじゃないかと思うのは、文部科学省がもってくる雛型・ ワークシートには、学生・院生の福利厚生を充実させましょうというような形 ではこないんですよ、そもそも。

中期目標というのは、「教育研究の質の向上に関する事項」というのと、「業 務運営の改善および効率化に関する事項」と、それから「財務内容の改善に関 する事項」とか、「自己評価や情報発信に関する事項」とか、こういうものを 定めるんです。これは定量的なもので、学生のTOEFLの平均点を○○○点にす るというような雛型まであります。ですから、院生寮をつくるとか、そういう のは「教育研究の質の向上」に当てはめるのか、どういうふうにするのか分か りませんけれど、いずれにしても、そういうものが文科省から降りてくるとい うのはありえない。つくるとすればそれは法人がそういうものを出さなければ ならない。

参加者3

大学の方が教育研究の充実を図ることを自主的に中期目標にいれるということ は可能なんですか。

小沢

可能なんですが、それはトレードオフの話なんです。全部。つまり運営費交付 金の総額が決められていて、それを毎年1%削減という効率化がいわれていて、 その中でどういうふうに考えるか、という話です。

司会

運営費交付金の1%削減というのは、2002年度の予算で固定してそれから6年間 は1%ずつ減らしていく、それで6年間の段階で評価をして、その後は評価に基 づいて対応するということになるんですか。

小沢

そうなんですが、先のことは分かりませんが、「国立大学法人」というのは6 年しかないんじゃないかという話があって(笑)、第1期の6年というのが終わっ た段階で民営化の話とかですね、そういうのが出てくる。文部科学省は、実際 片方にそういう話があるんだけれども、第1期の6年間は先延ばしにしていると いうこともあるんですね。中期目標を何回もやることになるのかどうかも怪し いという感じですけれども。

参加者4

素朴なことをおうかがいしたいんですけれど、そもそもこの議論が始まった 1997年頃は、文部省も反対、国大協の関係者の多くが反対していたわけですが、 1999年に閣議決定がされ、文科省も独法化の検討をはじめると宣言すると、国 大協からはさっぱり反対意見が聞かれなくなった。そして、自分たちも議論に 加わることによって少しでも独法化をのぞましい形にしていこうということで 調査検討会議に国大協から多数の委員が加わるわけですが、果たして、そのこ とによって大学側が“取った”といえるようなものはあるのでしょうか。先ほ ど、「1/2より多く」を「1/2以上」に押し戻したというお話でしたが、この程 度の成果しか挙げられなかったのだとしたら情けない。大学側が入ったことに より、法案がよくなったといえる点はなんなのか、文科省と共通の土俵で議論 するという国大協の路線はどう評価されるのか、小沢先生のご意見をお聞きし たいと思います。

それから、民営化ということでは、「国立大学法人法案」では、最終報告が予 定していない債券発行を可能にする制度になっています。大学が債券を発行し、 その転売が認められれば、これは事実上の株式会社化、民営化と少しも変わら ないと思います。中期目標1回どころか、すでに国立大学は民営化に大 きく足を踏み入れているのではないかと見ています。

小沢

1997年頃には文科省も反対、もちろん有馬さんも反対だった、当然国大協も立 派な反対声明を出していたんですね。それが変わってきた理由というのは複合 的にあると思いますけれども、二ついっておきます。一方では、民営化に対す る恐れが規定していたというのがあるんですね。つまり、大蔵省(財務省)だけ ではなくて通産省(経済産業省)、ここでは一貫して民営化が議論されていまし たから、文部科学省に対して民営化に対する歯止めを求めた。独立行政法人制 度であれば、少なくとも運営費交付金という形で国から金は来る。そこを防波 堤にしたいというふうに考えたというのが一つあります。有馬さんは「公務員 型なら」ともいいました。

他方で、国立大学は、戦後、自主自立、大学の自治といいながら、しかし文部 科学省の行政的な下部機関に長い間甘んじていたというのがあって、国立大学 の中には、文部科学省からの指示やあるいは文部科学省の役人がいろんな事を やってくれることに対する期待、それがないとやっていけないという感覚を肥 大化させてきたことがあると思うんです。北大はどうか分かりませんけれども、 地方大学の間ではそれは非常に顕著で、ほとんど大学の運営は、文科省の天下 りの役人がいないと何もできない、自前で管理運営の実質的な仕組みをつくり きれない、そういう大学が多いわけです。それは、むしろ文部科学省の統制を 求めるという方向に機能するんですね。私の大学は封建制が典型的で、戦後、 医学部以外から学長が出たというのは二人くらいしかいないわけです。こうし た部局利害が優先する部族統治の下に置かれているという状況が続いているよ うなところで、自治とかいっても信用できないし、自治機能をつくり得ないで すね。やっぱりそういうものが文部科学省を頼るしくみを生み出しているんだ と思うんです。国大協のメンバーを見てもほとんど、恐らく学長の多数は、医 学部か工学部の出身だと思いますけれども、そういうある種の部族政治で選出 された人の集まりになっていて、それが文部科学省の統制を求めているという 構図です。

それが今回の法人化の問題についても表れていて、ここに至っても、例えば、 首都圏ネットが法案の概要を公表しましたけれども、これに対して、国大協側 には、“敵”を利すると、“敵”というのは経済産業省らしいですけれども、 つまり文部科学省が一生懸命がんばってくれているのに、途中の法案概要を公 表したんでは経済産業省にもっと突っ込まれるのでけしからん、というような 話があるそうです。何をかいわんや、です。国大協はこの間ずっと妥協に妥協 を重ねてきましたが、あまり得るものはなかったというか、法案が現れてみた ら通則法とほとんど同じだった、もっと悪くなったということではないかと思 います。

それから株式会社化という問題ですけれども、一つは「国立大学法人法」とい うのが間接方式をとったということで、これは学校法人の規定に非常に近いで すね、つまり学校法人が私立大学を設置するという、こういうしくみに法全体 の構造が近くなったということだと思うんですが。それからもう一つは、今い われたように、債券の発行というのは、これは独立行政法人通則法にない、と いうか、通則法では制限されているわけですね。通則法45条の5には、「独立 行政法人は、個別法に別段の定めがある場合を除くほか、長期借入金及び債券 発行をすることができない」とあります。ところが国立大学法人法に、長期借 入金とか債券の発行で資金を賄うというしくみが埋め込まれているのは、おそ らくいろんな問題があって、特別会計の問題であるとか、病院の借入金の問題 とか、いろんな事が背景にあると思うんですけれども、まさに債券市場で評価 されるという形で市場による評価が組み込まれているわけです。国家統制は強 いんだけれども、市場の評価も行われるという、不思議な制度になると思われ ます。銀行が役員会に乗り込んでくるかもしれません。

参加者5

教員、教授がふがいないかたちで、情けないと思うんですけれども、なぜこん なかたちの教授ばっかりいるのか、なぜこういう精神構造になっているのか、 歴史学の立場からの見解をうかがいたい。

小沢

僕は大学問題の専門家ではないので、大学史というのは分野にはあるんですけ れども、難しい問題点はいろいろあってですね、日本の大学制度そのものが抱 えている問題というのがあるんです。つまり、日本の大学というのは、まだ百 数十年の歴史しかないし、国立大学は国策遂行の大学として生まれたという歴 史があります。行政との関係一つをとってみても、例えばヨーロッパの大学は 違う。ヨーロッパの大学は文部科学省みたいな行政組織は19世紀になって初め てできるわけで、私が留学した大学は16世紀にできていましたし、文部科学省 のような組織より何世紀も前から大学はあるわけです。ところが日本は行政組 織ができて、それが大学をつくるという順番、そういうシステムになっていま す。大学と行政との関係はその社会によって異なるということですね。

それから2番目の問題としては、知識人としての機能という考え方、これが違 う。つまり、私がいろいろいうよりはコロンビア大学のエドワード・サイード という人が『知識人とは何か』という書物を書いておりますけれども、知識人 というのは社会批判の機能を果たすために存在しているわけであって、そうい うものとして存在が許されていて、それが公共的に支えられている。そういう 知識人としての自己認識が基になっている場合と、そうではなくて行政官僚と 同じような意識でいる人の間ではかなり大きな意識の落差があるのではないで しょうか。

日本の場合は、国立大学では「教官」というように、“官”としての意識を持 ちつづけているわけであって、先ほど「正教授大学」といういい方をしました けれども、北大はどうか分かりませんが、千葉大学では、まだ教授会は本当の 教授しか出られない、教授になると、教授は管理職であるから組合を脱退しな ければならないという学部がいくつも残っているわけです。教育学部もそうだ し、工学部もそうだし、園芸学部もそうなんです。そこには教授の組合員とい うのはいないんです。これは極めて封建的、まさに封建的なんですけど、こん なのが残っているわけですから、官吏としての意識ですよね。教授は管理職で あるから、その管理職が助教授以下を支配するという、こういうシステムが実 施されている大学がまだたくさんある。そういうのを変えていかないと知識人 の社会的機能ということも発揮できないのではないかと思います。

参加者6

今日、昼休みに組合でつくった批判のビラを配ったんですけれども、女学生に 渡そうとしたら、「私はこれに賛成です」といって受け取らなかったんです。 そこでそもそも大学がこうなるということを切り返せなくて悔しい思いをした んですけれども、何か反対するときに一言でいえるアイデアはありますか。

小沢

賛成という人はいてもいいんですけれども、賛成という人に論拠をいわせない とダメですね。賛成すると何か良いことはあるんですか、賛成して大学はどう いうふうに変わるということを求めているんですか、ということですよね。そ れを聞かなければいけないと思う。その中には恐らく、こちらがちゃんと受け 止めなければならない内容も含まれているはずです。法人化すれば今の大学の あり方とは違ってこういうふうになるに違いないとか、もちろん前提は間違っ ていたり誤解があったにしても、ある種、改革への志向を含んだ賛成である可 能性でもあるんです。そのためにもやはり理由を聞かなければいけないと思い ます。賛成といわれて引いてしまうのではなくて、賛成ということは大学はど ういうふうに変われば良いと思うんですか、ということをさらにそこを聞いて いくのが必要だと思います。それによって相手の方がどういうことを考えてい るのか、どういう大学のあり方を考えているのか分かるし、こちらの方がどう いう形で問題を提示していった方が訴える力、訴求力があるのかということも あると思うんですよね。ですから、賛成という人は、単純に誤解に基づいてい るだけではなくて、ある種の現状に対する不満を背景にしている、そのありか を見つける必要があると思います。

司会

関連することかもしれませんが、具体的な運動の進め方として、千葉大学で賛 同署名をする、月曜日からの4日間で220名の署名を集めている。先ほどからの 話を聞いていると大学としては非常に封建制の強い大学で(笑)、そういう中 で4日間で220名の署名を集めたというのは、具体的にどういう手段、やり方で、 賛成する人がいる中で、どういうことをされたのでしょうか。

小沢

千葉大では、この法人化の問題があって、2001年2月から学内で独立行政法人 化問題についての千葉大学情報分析センターというものがつくられていまして、 これが青い紙に裏表4ページ立てになるんですけれども、ニュースを毎月発行 して、1カ月を除いてもう23号出ています。法人化一般の問題ではなくて、こ こで中心的に取り上げられているのは、半分以上は学内の問題です。学内でど ういう問題があって、法人化の問題とどういう関係があるのか、例えば学内の システムを変えるとか、中期目標や中期計画の具体的な作業とかですね、そう いう問題と全体的、全国的な問題、法人化の問題をミックスしたニュースが毎 回3000枚発行されて、一日か二日ですべての教職員に配布されます。その内容 は、部局長会議や評議会でも話題になることがありますし、その内容を踏まえ て発言をする部局長が現れたりするようです。

部局長の中には封建制支配の下でも近代的な考えをしている人はもちろんたく さんいるし、その状況を改善しなくてはと思っている人もいるので、そういう 人たちの声を結集することが大事でしょう。難しいことですが、そういうかた ちで、少なくとも誤解に基づいて賛成することがないというくらいにしないと いけないと思います。賛成する方にも論拠を示させるというところまでいかな いとダメだと思います。具体的に法人化された場合には、当然いろんな矛盾が 出てくるわけですから、そのときに責任を追及するためにも、知らなかったと いうことを許さない、あるいは誤解していたということを許さないのが大事な ことだと思います。

参加者7

組合の役員をやっているので、労働協約のこととかいろいろかんがえていかな ければならないが、外に訴えていくことが反省も含めて少ない。国鉄が民営化 したときよりも、根拠とか情勢とかに有利な条件がいっぱいあると思うが生か せていない。独法化して学費は値上げして、一番の被害者は学生だと思う。大 学を序列化して、金儲け優先の大学にしていく。中期目標を3回くらいやった ら多分予算はゼロになる。そういうことを訴えていくだけで説得はできると思 う。

さっき6年で終わりじゃないかといわれたのは皮肉もあるかもしれないが、実 際に、中期目標を2〜3回やったら、民営化の話もかなり具体化すると思う。そ れはうまくいったからではなく、破綻して。そんなことをくりかえしてもます ます袋小路に行くだけだから、それを隠すために。

だから、独法化されようがされまいが、われわれの戦いはこれから長いと思う。 だから、細かいことばかりでなく、大学はどうあるべきかということでは、 『世界』12月号に小沢先生も買いていらしたように、大学というのは「知の共 同体」なんだという見方を再確認する必要がある。

経済界の要請というが、本当にきちんと前を見れて、建設的な考えをもって新 しいことに挑戦していく学生とか院生を社会に送り出すことが、長い目で見た ら一番の企業に対する貢献じゃないかと思うんです。そういう意味では、経済 界も何を血迷っているのか、細かい近視眼的なことで大学に期待してもダメだ ということは分かっていると思う。経済界にも長い目で見る人はいっぱいいる のに、何でそういうことになるのか。日経連の会長になりかわって質問したい (笑)。

小沢

大学というものに対する経済界の見方が非常に大きく変わったということがあ る。日本の財界は従来、大学に何の期待もしていなかった。つまり、大学は財 界にとってみればスクリーニングの機能を果たせばよい。スクリーニングとい うのは、卒業生に大学で何を勉強したかということは問わない、そうではなく て、どの大学を出たということだけを問う。これが学歴社会を再生産する構造 なのですけれども、そのスクリーニングされて出てきた学生を、企業が企業内 で教育する。研究活動にしても、基本的にはマスターレベルの技術をもってき て、企業の中で研究を行う。こういうシステムでよいと思っていた。だから、 大学にはあまり期待をしなかった。

ところが、バブル崩壊後の10年、“失われた10年”の中で、企業は教育機能を もてなくなってきた。企業内で教育することができなくなってきた。研究機能 もなくなってきた。つまり、不採算部門ですから、そういうものを全部外に出 す。同業者の中でのアウトソーシングあるいは分社化という程度で済んでいれ ばまだよいわけですけれども、これはもうできないというので、大学に実質的 な企業の下請け機関的な機能を求めるようになってきた。それは「即戦力技術 者の大量養成」ということです。その機能を大学が果たせばよい。そうすれば、 企業が採用すればすぐ使える。

もう一つは、ベンチャーの問題も含めてですけれども、大学の研究機能を企業 の収益に直結するような形で再編成したいということです。だから、従来、大 学は基礎研究を重視してやっていればよかったんですけれども、そうではなく て、実用とか応用とかに力を入れる。企業社会と大学との関係というものにつ いてはっきりと見方が変わってきたわけです。

それと同時に、学生についての見方も変わってきた。『世界』にも少し書きま したが、現在の動きの根幹にあるのは、高等教育というのは商品である、そし て、学生は顧客として、その商品に投資をして、それを企業社会で回収してい く。技術水準が足りなくなったら、リカレントで、また大学で技術を購入して 企業社会でそれを回収する、それが学生という存在であると考えるようになっ てきた。これが「自己責任」であったり、「自立」「自主」といわれるような 学生像です。

完全に自己責任ですから、育英会制度の改廃という問題とも全く一致している わけです。つまり受益者であって自分に投資をするのですから、そのためには ローンを借りてくれというわけです。そのローンを企業社会で回収するという ふうにすれば一生懸命働く。だから、卒業する段階でだいたい800〜1000万円 くらいの借金を皆に背負わせる。政府のさまざまな文書や会議で出てくるのは、 親が子どもの学資を出すのはけしからん。もし出すんだったら贈与税をかけよ、 という声です。そうではなくて、学生には皆金を借りさせろ。長期的に見ると、 学生諸君も自分が親になったら子どもに金がかからないから、生涯で見るとト ントンだということなんですね。自己責任というシステムをつくる上では、そ うやって誘導していくべきだ、というのです。

同じように、学生にはバウチャーを買わせて、大学は学生からそれをもらうと いう形で換金していく。そういうシステムが長期的には目指されている。そこ では、カスタマーである学生に対して、大学はどういうコモディティ、商品を 提供できるかを考えるべきだということになる。

その場合にも、もちろん、従来型の大学の機能を全くなしにするわけではあり ません。エリート養成の大学は、従来型でもいい。しかし、現在のユニバーサ ル時代の大学教育はマスを相手にしているのだから、マスのレベルを高めて技 術教育をやっていくためにはそこをはっきりと分離させて、即戦力の技術者を 大量養成する機能に特化する部分をつくる。

このように、全体像としては非常に体系的、システマティックに考えられてい る。ですから、これを部分だけで批判しようと思っても難しいわけです。シス テム全体を批判していかないといけない。

参加者

法人化はまずいという意識は皆もっていると思うが、何かいうと損をするとい う意識が働いている。また、一方では、法人化はまずいんだけれども、法人化 のために皆こんなに動いている、法人化しなければ大学は変わらないんじゃな いかと考えている人たちもいる。だから、大学全体としては、結局、法人化に 賛成なのではないか。全学投票を今でもやるべきだと思っていますが、それを 投票しないという形で賛成する。そういうこと自身が大学をダメにすると思う んですけれども。

小沢

たとえば辻下さんもそうかもしれませんが、私も、あまりお金のかからない学 問をやっている(笑)。例えば、僕は研究費ゼロだといわれても、何とか研究 は可能なんです。今までに一生かかっても読みきれないくらいの本をほとんど 私費で買ってありますし、何とかなる。けれども、基礎研究でもある程度お金 がかかる分野もありますし、そういう分野を残していかなければなりません。

損をするというのは、問題をいまだに部局レベルの問題と考えている。大学の システムとか、意思決定や資源配分の問題について、部局にどれだけお金をもっ てくるかという観点から接近する。それは自治機能の発揮という面もあるんだ けれども、もう片方では、過度に部局利害で動くことでもある。それが一つで す。

もう一つは、今の国立大学というのは、“貧すれば鈍す”というんですかね、 そういうふうになっている。つまり、全体として貧困な状況になっているわけ で、その貧困な状況の中でどれだけうまく立ち回って予算をとってくるか、こ ういう感覚になっているわけです。これがひどいことをたくさんもたらしてき たわけです。例えば、大学院重点化もそれで動いてきたのです。ですから、ダ メなパターンだということは分かっているわけですから、これから脱却するこ とを考えていかないとどうしようもない。

それから、資源配分とか財政のシステムは文科省に握られている。そして、お そらく握られ続けるわけです。これを変えなければいけないのです。だから、 私は政府から独立した機関に評価や予算配分の権限を移行すべきであると、ち らっといいましたけれども、そういうことをやらないと、文科省の意向に沿っ た形でやらないとダメだという感覚が再生産されてしまう。ここから変える必 要があります。

法人化しないと今の大学は変わらないと見られていることですけれども、私は、 そういう人は仲間だと思うようにしている。つまり、そういう人は、ある意味 で現状分析をしていて、現状に対する不満、批判的な意見をもっている。で、 そこから先が間違っているわけです。

しかし、現実に法人化された場合には、そういう人には、やっぱりこれではダ メだということが認識可能だと思うんです。今の段階では残念ながらわれわれ のいっていることに耳を貸してくれないかもしれないけれど、将来的に間違い なく耳を貸してくれる人になる。その意味では仲間だと思っていないといけな いわけです。

賛成の人もいるわけですけれども、僕は別に賛成でもいいんです。はっきりと した認識をもって賛成というところまでいうのであれば、それはもうその人の 責任ですし、だめになったときにも責任をとってもらえる。何も知らないとか、 考えないというのが一番よくないわけで、明確に事態を認識したうえで賛成、 反対することだと思うんです。

だから、これを改革の契機にしようと思っている人もとりこんでものを考えて いかないといけない。こっちからそういう人を排除しないことが必要だと思い ます。

司会

まとめにふさわしい発言をしていただいたので、これ以上まとめのコメントは 避けたいと思います。

今日は遠くから来ていただいて、長時間お話いただきました。明日から、月曜 日から、ぜひ周りの人に10人、20人とここで聞いたこと、学習したことを広め ていただきたいと思います。これから国会で法案を通すかどうかが重要なこと になってくると思います。重要法案、対決法案煮できるかどうかが一つの大き な目標になると思いますので、それに向かってぜひ皆でがんばっていきたいと 思います。

最後に、小沢先生にお礼の意味をこめて拍手したいと思います(拍手)。