研究の評価」を簡単に口にする人間は現実を知らない

   以下の文は、reform という大学改革のMLに投稿されたものである。

     ===「研究の評価」を簡単に口にする人間は現実を知らない===

   私達研究者が公募による人事を行うときに、研究業績の評価を客観的に行わなけれ ばいけないのですが、本当に正しい評価であったか否かは、大変難しいものです。最 終的なある組織の投票でも反対票が出ることは稀では有りません。有る意味では人事 も一つのリスクを持った賭であるというのが、偽らざるところではないでしょうか。

   しかし、今盛んに政策に持ち込まれているように、評価を組織まるごとに対して行 い、その結果によって予算を重点的にあてたり、あるいは逆に予算を削減してしまう などという事が行われると、研究の基盤が根こそぎ揺らいでしまうので、一人の有能 だったかも知れない人間が採用されなかったというリスクなどとは比較にならない害 をもたらす現実がみえます。

   -------前置きはこのくらいにして、白川さんの場合を示しましょう-----(引用)
   これは東北大の長谷川氏のページで発見したものです。一言お礼。
   http://www.math.tohoku.ac.jp/~kojihas/kojihas-j.001229.html

News Web Japan 2000.10.25    前日本学術会議第5部長の内田盛也氏は「日本では化学全体が非主流だから、ノーベ ル賞くらいの業績がある白川さんが退官しても国内からは何も声がかからない。はっきり言えば失業者ですよ」と述べています。
   さらに、「白川教授は一番権威のあ る学会日本化学会賞ももらっていません。賞の対象にもなっていないのです。日本で は高分子は面白いがみんな亜流だと思っていたわけです。それが日本全体の人間評価 なんです。日本全体の人間評価が狂っているんです。大学の教授は勲章が欲しくてし ようがないのです。だから学会とかで会議の議長はやるけれど、ほとんど仕事はしな い。仕事をしている人は無名になる。けれど海外では評価する。そういう意味では白 川教授の受賞は日本に対する警告と受け止めて欲しいのです」と言っています。
(引用終わり)

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   ノーベル賞を取るほどの研究だから、国内では誰もが評価していたかというと、 決してそんな状況ではなかった事が良く解ります。これを例外と言い切って無視でき るでしょうか。このような文章を読んでから、現在の文部科学大臣の発言を見ると、 大変危なっかしく思われるのです。当人は一体どの程度事情が解っているのでしょう か。これは遠山さんだけにではなく、現在の構造改革とやらを無理矢理引っ張って言 っている政治家全てに申すべきことなのでしょうが。

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   遠山:今回の方針で狙っているのは、大学に第三者評価による競争原理を導入する ということであって、直ちにトップ30をリストアップするということではありませ ん。むしろ、各大学が常に研究の成果を出し、それを公表し、第三者機関に評価して もらって、優れたものについては重点投資をしていくということなんですね。ですか ら、その方策についてはこれから考えていくところです。でも、できるだけ早く取り かからねばならないと思っています。

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   何故研究の評価が困難か? それについては一大論文を必要とするほどの理論を必 要としないでしょう。研究者なら皆すぐに誰にでも解る平易な文章で理由を述べられ るはずです。研究の現場から遠い人達にも以下の事情はわかるでしょう。現実には、 大変ノウテンキ(ワープロ変換出ず)に評価評価と口走る人達が多く、研究者もおと なしくそれに従っています。その心の中には、自分の所は多分悪くない評価が下され るという期待があるのかも知れません。しかしその様な期待で反対をしなければ、正 当な理由無しに排除される組織が現れるという点にまで来てしまったのですから、も うこんな事を言うのは遅すぎるのかも知れません。

1)どの分野の研究も、進めば進むほど狭い分野に集中しなくてはいけなくなりま す。そして研究者は狭い領域に全精力を毎日注いでいるうちに、自分の学問の総体を 把握する事が困難になってしまう傾向が生じます。この傾向は複雑な生き物の体や現 象を扱う、医学・生物学で特に顕著です。一つの学科組織で、同僚の研究の意義を説 明したり、内容を深く理解するのが困難になっている現状は、どこの大学でも研究室 でも間違いなく存在するのは常識となっています。

2)仕方がないから、どんな雑誌に投稿しているか。また論文数はどの程度か。 Impact Factor などを調べることもありますが、これは分野によっては問題がある し、これのみに依存するのは、大変危険です。

3)何より困難なのは、大変狭い分野の二つの異なった研究を評価しなくてはいけな い時です。一体何を基準にどちらか一方が優れていると断定できるのでしょうか?  大きな予算が関係する場合にはそれこそ死活問題となりましょう。この決定を下す人 間は果たしてその重責に耐えるほどの能力を持っていると自負できるのでしょうか。

4)更に、どの分野の研究も、多くの研究者の業績が連続したり、重複したりする部 分が多くて、個人で卓越した業績を上げるというのは、幸運に近い出来事でしょう。 真実を偽ったり、自己宣伝に巧みな人間は、自己の成果を全て自分がした手柄である と吹聴することも多く起こるでしょう。
   生物学で有名なのは、ワトソンとクリックがDNAモデルを思いついた頃に、他の 研究室(有名なロザリンド・フランクリン)のX線解析の写真を見たことで、彼女の 果たした役割は大変重要だったと歴史的に評価されています。不幸にもフランクリン は癌で死んでしまったために、授賞の時に問題は起こらなかったのです。別にこのよ うな例を出さなくても、時間軸の中では研究というのは他と連続しているのが当たり 前過ぎることです。

5)上の項目と矛盾する面が少しありますが、新しい研究成果が出現する時には、常 にそれを支持する沢山の量のデータに裏付けられていないという状況があります。独 創性が高いほど参考文献が少なくなるのは当然のことです。日本人は特に支持するデ ータの量(特に欧米の)を第一の基準に考えて評価判断してしまいます。この点も評 価の難しさの本質的な面であるといえるでしょう。

   その他にもあるかも知れませんが、これだけあれば評価をどのように行うかは簡 単ではないということを結論づけるのには十分でしょう。

●最後に、各国の科学研究というものには、それぞれに特徴があるもので、他の国と は異なった領域が特に発達したり、あるいは逆にある分野が乏しい業績しかなく余り 研究が活発ではないということがあります。実例を下に示しましょう。少し専門の単 語が出てきますが、内容を理解する必要は取り立ててないように思います。自分の分 野だけに熱中している「優秀な」研究者があったとして、このあたりの世界の動きと いうものに目を向けずに評価活動に走ると、またここに問題が生ずる様に思われま す。

http://jsi.bcasj.or.jp/Newsletter/JSI_Newsletter_vol7no1_p8.htm

   日本では諸外国と比べてサイトカイン研究の採択率がここ10年間圧倒的に高く,他 の領域の研究はきわめて少ない.これはサイトカインの研究の多くが日本オリジナル であったからであり,好ましいことである.願わくば,別の領域の免疫研究が同時並 行的に育てられると良かった.外国では発生研究やシステム形成の問題に早くから取 り組んでいたが,日本には欠けている.このような状況が長く続くと,免疫研究はア ンバランスの状態になり,21世紀に問い掛けなければならない問題に対する対処が遅 れることにもなる.いずれにせよ,これからも,日本オリジナルの研究を複数同時に 育てることが重要である.研究費が限られている現在,オリジナルな研究を発掘し, 世界と競争できない,二番煎じの研究に研究費を配分しない配慮が必要であろう。

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