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[AcNet Letter 223] 「自由」のさまざまな意味ーその歴史的変化ー


http://letter.ac-net.org/04/12/24-223.php
【1】石田 雄著『日本の政治と言葉「自由」と「福祉」、前編:「自由」のさまざまな意味ーーその歴史的変化ーー 【2】北東北国立3大学連携推進会議声明 平成16年12月18日 、 「国立大学授業料の値上げについて再考を」  【3】都立大学の危機FAQ 緊急情報より 【3-1】2004年12月23日:#(露呈した英語授業外注の問題点) 【3-2】2004年12月22日:『任用・給与制度に関する12月20日の 【4】(投稿)2004年12月 1・10集会へのご賛同のお願い 学校に自由の風を!ネットワーク  【5】(時事通信 12月22日7時1分) ODAの浄水装置が完成=ユーフラテス川に第1号−サマワ郊外で竣工式
【1】への編集人註:「学問の自由」を、研究者が好き勝手なことをすること、としか日本では理解されないのは、「自由」を「好き勝手にすること」と理解する日本の伝統による、と、この本を読んで理解できたような気がする。高次の価値や秩序に従うときに、低次の秩序からの解放が必要である。学問の必然性に従うためには、権力の直接的支配や財政誘導による支配から解放されていなければならない。それが「学問の自由」だが、その意義は日本社会では理解されたことはないし、大学界でもすでに理解されなくなっている。

一方、ファシズムや国家至上主義は、低位の欲望の支配から人を解放する、わかりやすい「高次の価値」の外見を伴って出現する。日本社会における「市民的自由」の思想の欠如がこの本で繰り返し指摘されている。人の多様性を認めることを中心的価値とする「市民的自由」の概念が日本社会に根づけば、国家至上主義が持つ禁欲主義的「魅力」に社会全体が引きこまれることへの歯止めとなるのであろう、もう間に合わないと懸念するが。ファシズムや国家至上主義が、最初は、多くの人にーー学者も含めーー魅力的でもあったという事実と、その理由を思いだすことは、多少は意味がある。




posted on 2004-12-24 by admin - Category: AcNetLetter