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[AcNet Letter 224] 「ボランティアに頼る元国立大学」


[AcNet Letter 224] 「ボランティアに頼る元国立大学」
Academia e-Network Letter No 224 (2004.12.26 Sun)
目次
【1】石田 雄 著「日本の政治と言葉 下」「平和」と「国家」 抜粋
東京大学出版会 ISBN 4-13-033046-2, 1989 初版
【2】理系白書ブログ: 雑感 2004.12.20 #(科学技術基本計画考)
【3】Blog: Dr. BLUE > University 2004.12.25
ボランティアに頼る元国立大学
【4】立川反戦ビラ事件無罪判決を支持する法学者声明
 【4-1】立川反戦ビラ事件判決 全文
 【4-2】Yahoo News Headline (毎日新聞)12月24日20時33分更新
   <イラク派遣反対ビラ>無罪判決不服、東京地検支部が控訴
 【4-3】レポレロ氏からのおたより紹介 04.12.21(Tue.) 寺西判事補の著書「愉快な裁判官」の紹介
 【4-4】毎日新聞 12月25日:<住居侵入容疑>共産党のビラ配り逮捕 東京・葛飾
【5】TUP 速報 430号 失われたファルージャ
【6】編集後記:教育系大学からのお便り、東北大学の学長選挙廃止、他

【1】「くに」とは何かーー「国家」観と「国民」観ーー序章より

p157 『権力機構としての「国家」は、強制組織としての人間の作為によってつくり出されたものであり、したがって個人がえらび、あるいは変えられることができるものである。これに対して、共同生活体としての「国民」は、自然的に生成発展したものであり、個人が生れながらに所属するものである。

「国家」と「国民」がこのような形で明確に区別され、その違いが意識されているときには、「国家」の意味は限定され、それに期待される機能も特定される。(中略)

これに反して、「国家」と「国民」とが混淆されると、「国家」は人為的な機構ではなくなり自然的所与と考えられるから、選択や改革の余地がなくなる。それだけではなく、「国家」の意味や機能の限定性がなくなり、国家権力が私的領域に介入することを許す傾向が生れる。』


編集後記:【1】で紹介した石田氏の著書によれば、日米開戦のわずか6年前までは論壇では国家主義批判が盛んであったそうである。しかし、巷間のナショナリズムの昂揚が論壇にも影響を与え、「国民協同体」論が展開されて、国家の権力性への批判的視点が失われた後に、「(高度)国防国家論」に移行して国民の自由は国家のために否定され、最後に「兵営国家」に至ったという。現在とは異なる種々の政治的・法的・社会的背景があるとはいえ、比較的に言論が自由であった状況から、わずか数年で挙国一致体制が実現されている。

今年は、国家の政策の犠牲となって若い国民が殺され、普通とは違う生き方をしている国民だか仕方がない、と、世論がそれを了承した。「非国民」という言葉を使った政治家が政治的生命を失うこともなく容認された。戦争に反対して静かにデモをしたり情報提供のビラをまいたりする、というような平穏な行動において、人々が逮捕され家宅捜索され、時には3ヶ月近く拘禁されるリンチが公然と続いている【4-4】が、大手メディアは問題にもしない。

「挙国一致」への流れが、もはや紛れることなく顕在化した年であった。イラク戦争批判をする者に「非国民」という言葉を投げつける論者が大手新聞に多数登場する日もそう遠くはない。戦前と同様に、大学関係者の大半が、もはや万事休す、と、沈黙し、自分の研究の世界に閉じこもる時が来たのであろうか。

その中で、法学者123名の声明【4】は朗報であった。種々の面で力付けられた人も多い。理工医系の研究者は、挙国一致の雰囲気がこのまま濃厚になっていけば、財政誘導を通して種々の形で軍事研究に巻きこまれていく。日々没頭する研究の喜びが、世界の別の地域の人々の日常生活を命もろとも効率よく消滅させること【5】に直結する時代が近づいている。戦慄すべきことではなかろうか。



posted on 2004-12-26 by admin - Category: AcNetLetter