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「危険な状況を作る」ことの責任


すでに旧聞に属することだが、ブログ「素晴しき世界」が閉鎖された(28338)。管理者が、コメントへの反論の際に、コメント者のip address を掲載したため、2ch などの匿名コミュニティを激昂させたことが主因と推測される。共感する発言が多いブログだっただけに、個人情報の取り扱いのミスによって、どのような脅迫があったか定かではないが、閉鎖せざるを得ないと管理者が判断するまでに到ったことは残念である。

上のミスは膨大なコメントへの対応に忙殺される中で発生したようにも見える。大多数の社会人は、コメント欄に丁寧に対応する時間的余裕がないのだから、コメント欄を閉じてブログを使う、という様式も検討してはどうだろうか。ブログの使いかたに固定観念は不要である。

ところで、「素晴しき世界」の閉鎖直前のエントリー(28208)に関連して思うことがある。スマトラ地震の邦人被災者とイラクで邦人人質の「自己責任」は、多くの違いはあるものの、政府の救出責任という点では違いはない、という趣旨の指摘であった。この指摘は妥当であると思う。しかし、そのエントリーに対しコメントが殺到したわけである。どの違いを強調し、どの類似点に着目するか、それは論者の価値観や、議論のテーマに依存することであるので水かけ論となりやすい。それだけでなく、このことを論じること自身が、もっと重要な問題を隠蔽することにもなる、と思うので、ここでは議論はしない。

ここで触れておきたいのは、別の論点である。それは、政治目的の邦人人質事件が生じるような状況をもたらしたことに関する日本政府の政策責任、という視座からの論点である。この視座から見ると、スマトラ地震の発生に対しては日本政府は責任がないのは自明であるが、邦人に対する政治テロが発生する状況が持続していることについては、日本政府には明確な重い責任がある。

イラクへの自衛隊派遣は、米国のイラク「侵攻」の大義が既にゆらぎはじめている時期に、世論が割れたまま強行された。ある政策を、国民の十分な支持が得られないまま決定・強行した場合には、その政策の帰結に対し政策決定者の責任は極めて重いものとなる。

イラクへの自衛隊派遣は、日米関係を最優先する従来の政策の一環として、その政策により中東の国々から敵視されるという全く新しい事態の発生の危険性は余り重視せずに決定されたと推測される。しかし、その危険性が現実的なものであることが、4月の人質事件で明らかになりはじめ、そして、10 月31 日に、日本人であるという理由だけで香田さんが殺害されたことによって決定的になった。イラクへの自衛隊派遣政策が予期していなかった重大な帰結をもたらすことが判明した以上、その帰結に対する責任を明確にする必要があった。少くとも、自衛隊派遣の是非を再検討することが必要であった。しかし、重大な帰結が判明した後であるにもかかわらず、世論の反対を押しきってイラクへの自衛隊派遣政策の継続を政府は決定した。

危険な状況を日本人に持続的にもたらす政策を、国民の支持なしに開始し継続している政府の責任問題に比べれば、危険なところへ行って命を失った者の「自己責任」に関する膨大で詳細な言説は、意図の有無とは関係なく、真の問題を隠蔽する煙幕として機能しているように見える。


posted on 2005-01-14 by admin - Category: iik