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管理者のコメント転載の意図など 「本学」と書かれているのは北海道大学ではないが、北海道大学を含めすべての国立大学で同じことが進行している懸念がある。「法人化準備作業」に直接携わり危惧を抱いた方の意見を公開し、国立大学全体で何が起こっているか、起こりつつあるか、について情報を共有すべきであると思う。「教授会の人事権」について 筑波大学では教授会の代わりに「教員会議」が置かれ、これが、国立学校設置法第7条の4の第四項(*1)の業務を行うと、国立学校設置法施行規則20−17にある。また、国立学校設置法の第七条の11では、教育公務員特例法にある人事の部分を筑波大学では人事委員会が担当する、という事項があり、筑波大学の「教員会議」には人事権が現在あるのかどうか不明である。 しかし、教育公務員特例法でも、人事権は評議会にある、教授会が現在持つ人事権は、評議会から教授会に委任されたもので、運用上の慣行ということになる。従って、(公務員型・非公務員型問題とは別に)教育公務員特例法に相当するものを廃止することは、評議会の教員人事権も法的な保障を失うことである。 学内外の独立行政法人化推進者は、強力な学部自治の慣行のために評議会は機能ないと考え、評議会そのものを「廃止」する以外に学部自治を破壊することはできない、と考えているように思える。しかし、それに代わるものとして中間報告が提言する、外部者が加わる役員会に教員任免権を集中することが、改善に繋がるのだろうか? それを先取りする形で、国立大学には部局長による「人事部」のようなものが出来始めている。 富士通がなぜ失敗したか?なんら評価されて来なかった執行部が評価する立場に立ったからだ、という指適がある(*2)。評価文化が未発達の社会で、絵に描いただけの評価システムに、組織の全体重を掛けるのは常軌を逸しているのではないか?大学も委縮し、大学内部でも教員は委縮する。縮小再生産が始まろうとしているように感じる。今なら間に合うと思うのだが、豊島耕一氏が以前指摘した「ゆでガエル」(*3)現象が大規模組織にも起こることを、今のままでは、国立大学社会が実証してしまいそうだ。 辻下 徹 (*1)第7条の4の第四項: 「第1項及び第2項の教授会は、次の各号(中略)に掲げる事項について審議し、及び教育公務員特例法の規定によりその権限に属させられた事項を行う。
(*2)ウェブサイト「楽しい職場みんなのF2」 (*3)豊島氏ウェブサイト「雑記帳」より 茹でガエルこの「故事」を使って例文を作ることは誰でもできるが,やはり自分自身に適用することは難しいようだ. 行政法人化は数年前まではとんでもないこと,大学にとって致死的なものだったはずだが,文部省の妥協,国大協の玉虫色化というように少しずつ徐々に「温度」を上げられると,みんななかなか暴れて飛び出そうとはしない.むしろ苦しみもだえている人間が風変わりに見えるようだ.茹でガエル第1号はどうやら国大協になりそうだ.しかしみんなが道連れになる必要はない. 一般的な教訓は,体感温度に頼ってはならず,絶対温度計をいつも見ていなければならないということだろう.その温度計の重要な目盛りは憲法23条と教育基本法10条のはずだ.」 |