通信ログ
国公立大学通信 2003.03.06(木)
--[kd 03-03-06 目次]--------------------------------------------
[1] 日本科学者会議沖縄支部声明 国立大学法人法案に反対する 3/3
[2] 佐賀新聞2003-03-04 国立大法人化法案に教職員組合が抗議
[3]「社会経済研究所の存亡について一言」のページ:「ついに決着」3/5
[4] 民族学校出身者の受験資格を求める国立大学教職員の声明賛同の呼びかけ
[5] 渡辺幸重(教育環境研究所)「大学は何のために存在するのか〜
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かなり以前のことでしたがある方が教授会で国立大学はこれまで悪事を重ねてき
た、と指摘したことがありました。政府の諸政策は、国立大学教員が多く参加し
ている政府審議会がお墨付きを与えることで実現しています。今回の文部科学省
による民族差別政策については関連審議会でどのような議論があったかは知りま
せんが、当事者である国立大学が黙認して支持することは、悪事をまた一つ重ね
ることになります。それを拒否せんとして有志の方々が、文部科学省への抗議要
請声明への賛同を呼びかけています[4]。
「大学存在のキーワードは「思いやり」」という渡辺幸重氏の言葉[5] は、社会
が国立大学について感じている思いの核心の一つを突いているのではないでしょ
うか。政府が大学受験資格について露骨な民族的差別政策を恥ずることもなく実
施しようとしていることを思い留まらせることができる社会セクターは、当事者
である国立大学以外にあるのでしょうか。(編集人)
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[1] 日本科学者会議沖縄支部声明 国立大学法人法案に反対する2003-3-3
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「政府は2月28日の閣議において「国立大学法人法案」(以下、「法案」と記す)
を決定し、国会に提出した。法案は国立大学制度を解体し、大学の本質を損なう
重大な内容をもっており、日本の大学の歴史にかつてない危機をもたらすもので
ある。
法案では、国が大学ごとに「国立大学法人」をつくり、国立大学法人が国立大
学を設置するとしている。学校法人によって設立されている私立大学の多くは健
全な運営を行っており、法人が学校を設置することそのものは必ずしも異常な事
態をもたらすものではない。
しかし、法案が行おうとしている国立大学の法人化は、大学の性格を一変させ
るものである。
第一に、大学に対する異常な国家統制が導入されることになる。
法案によれば、大学における教育研究や運営について、国が定めた目標に基づ
いて、大学が「中期目標・中期計画」を策定し、その達成度を国が評価する。評
価結果に応じて各大学の予算配分の変更、大学の存続、法人の長(学長)の解任
などの決定を、国が行うことができることになる。
すなわち、法案の描く法人化後の国立大学は、大学の研究や教育の方向を、と
きの政府が定め、それに従わない国立大学の改廃も可能にするというものである。
学問の自由、教育の独立など、憲法・教育基本法の原則に真っ向から反する制度
であり、国立大学やその構成員の自主性を踏みにじるものである。
大学をトップダウン式の組織に変えるため、大学運営も一変される。評議会・
教授会が中心となっている現行制度から、強大な権限をもった学長と、学長が選
ぶ理事からなる役員会が、大学運営の中心となる。教員は自らの大学の運営に直
接タッチできなくなるのである。しかも、学長の選任方法は学長自身を含む選考
委員会が決定するので、一度就任した学長が悪意をもてば、大学を事実上私物化
することさえ可能な制度となっている。
第二に、国立大学法人は、「独立行政法人」の仕組みを下敷きにしており、教
育機関になじまない制度になっている。このことは、上に述べた国の介入とトッ
プダウン式の経営という制度にのみ現れているのではない。「企業会計原則」に
もとづき、営利企業経営の論理にもとづいて運営されれば、至る所で矛盾に直面
する。例えば、大学が長年にわたって収集してきた蔵書の資産価値を算定して記
録しなければならないが、このような業務は教育・研究活動の足伽にしかならな
い。
人事の面でも、流動性を高め、社会の要求に応えるためとして、教員への任期
つき雇用が大幅に拡大されようとしでいる。しかし、すぐれた教育や研究とは何
か、また、それを評価する指標とは何かについて、国際的に定まった基準はない。
むしろ、そのような基準を作れないことが教育・研究の本質である。このような
もとで、解雇におびえさせても教育研究を改善することなど期待できない。逆に、
教員の地位を不安定にすれば、教員は悪しき業績主義に走らざるを得ない。きめ
細かな教育はおそろかとなり、学生は著しい被害を受けることとなろう。研究は
短期で目に見える成果の出る安易なテーマだけが推進されることになる。さらに、
若手の研究者にとって大学は極めて不安定な雇用の場となり、特に地方大学は優
秀な研究者を確保することが困難となり、厳しい危機に立たされよう。
第三に、法人化の狙いは、国の教育・研究への財政負担の削減である。国立大
学法人は、独立した財政基盤をもたず、国の「運営費交付金」と民間からの資金
(寄付や委託研究の費用など)に依存する。法人化は、国の大学に対する直接の
財政負担の責任を逃れる仕組みである。
そのことによって、国立大学を民間からの資金調達競争にかりたて、財政力の
ある大手企業の期待する研究・教育を行うようにしむけ、もうからない地道な研
究や、零細な地域産業・地域社会の期待に応えるような研究・教育は軽視される。
さらに、各大学が、大学の運営のために学費のいっそうの値上げに走ることは
避けられない。文部科学省は、最大35%までの学費値上げ幅を明らかにしている。
また、学部ごとの学費の格差の導入なども予想され、教育を受ける機会の均等は
崩壊する。とくに、所得水準が低く、また島喚県で離島格差もある沖縄県では、
若者に総合大学における高等教育を保障する基盤が失われるのである。
このように、法案は、大学財政を手厚く保障し、学費を無料か低額にしている
国際水準に反し、国連(ユネスコ)で合意されている方針と正反対を目指す、歴
史的な逆行である。
私たちは、大学の教育と研究を守り発展させ、沖縄の地域社会に期待される科
学の正しい発展と普及をすすめるため、国立大学法人化法案に反対し、撤回を
求める取り組みを進めるものである。
003年3月3日 日本科学者会議沖縄支部」
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[2] 佐賀新聞2003-03-04 国立大法人化法案に教職員組合が抗議
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「佐賀大教職員組合(委員長・白武義治農学部教授、約三百人)は三日、閣議決
定された「国立大法人化法案」に抗議する声明を内閣と与党三党に送付した。
同職組は法案の問題点として、教育・研究の業績評価を通して政府の統制が強
まる▽学問の自由を保障する大学自治が阻害される▽学長への権力集中が進む−
などを挙げ、憲法と教育基本法に違反すると訴えている。
県庁で会見した白武委員長は「法案は経済効率が全面に出ており、金にならな
い基礎研究などは排除される。経営最優先の運営は必然的に授業料の値上げにも
つながる」と批判した。」
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[3] 「社会経済研究所の存亡について一言」のページ:「ついに決着」3/5
http://w3iser.iser.osaka-u.ac.jp/~kajii/future_of_shaken.htm#march5
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「問題はついに決着したらしい。社会経済研究所は文部科学省の省令では規定
されないことになった。
しかし、これは当初の話とはまったく異なる決着である。というのも、結局省
令では規定されないのは社研だけではなく、すべての付置研究所が省令の下で
は規定されないことになった。さらに付け加えれば,これまで省令の下では規
定されると考えられていた学部をはじめすべての大学内部局が、省令の下では
規定されないということになった。これは首相官邸のページを見る限りでは確
認できないが、閣議決定であるそうだ。
つまり、社研に限らず、たとえば東京大学の経済学部でさえも文部科学省から
の直接の予算対象にならないということで、独立行政法人化後は、それぞれの
組織は所属する大学との間で、予算・人員配置などについての取り決めをする
ということである。
結局、今までの議論(たとえば例の特別委員会)は何であったのか。よくわか
らない。ただ、今後社研の地位を大阪大学学内において高めるということにお
いては、過去2ヶ月ほどのドタバタ劇は一定の効果を発揮するであろう。
はっきりしたことは、省令の枠組みが完全に外れたことで、今後自分の所属す
る組織の将来性を判断するために、大学執行部の方針を見ていかなければなら
ないということであろう。独法化後に、大学が文部科学省の「ご意見」を聞く
ことなしに独自の裁量で道を切り開いてゆくことは考えにくいが、少なくとも
建前上は可能である。また、どの大学も、すべての研究教育領域に資金をつぎ
込む余力はない。そのため、重点を入れてゆく分野は、今後大学によって異なっ
てゆくと予想される。 梶井厚志 2003年3月5日記す」
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[4] 民族学校出身者の受験資格を求める国立大学教職員の声明賛同の呼びかけ
http://www.jca.apc.org/~komagome/seimei_index.html
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「国立大学の教職員のみなさまへ
◎呼びかけ
2月21日付『朝日新聞』で文部科学省がインターナショナルスクール出身者
にのみ受験資格を認めて民族学校出身者には認めない方針であるという報道がな
されたことはご存じのことと思います。
この問題について否応なく民族差別の「加担者」とされてしまう国立大学教職
員として、この方針に反対する声明を作成しました。声明文はこのメールの最後
に貼り付けてあります。
文部科学省は、3月末ないし4月初めにはこの「方針」を公表する予定という
情報があります。それまでに、様々な形で声をあげる必要があります。ご意見な
どをお寄せいただくとともに、ご賛同いただけるようでしたら、この声明を同じ
職場の方やお知り合いに転送していただければ幸いです。また、ご所属の学会・
研究会などに「声明」「緊急アピール」などを出すよう、働きかけることなども
ご一考ください。
◎補足
下記のホームページに声明文とそのWord版、一太郎版、PDF版を掲載し
てあるほか、随時、賛同者のお名前をアップしていく予定です。
http://www.jca.apc.org/~komagome/seimei_index.html
また、民族学校問題の背景についてさらに詳しく知りたいという方は、下記の
ホームページにアップされている『京大広報』574(別冊)号に掲載された同和
・人権問題委員会答申が参考になるかと思います。
http://www.kyoto-u.ac.jp/Official/publish/koho02.htm
◎声明賛同の要領
締め切り:3月9日(日)正午
宛先:anti-racism@ml-c2.infoseek.co.jp
または、Tel. & Fax. 075-753-3034(京大駒込研究室)
*上記のアドレスでメールを受信するのは、水野直樹と駒込武です。
*できるかぎりメールを使っていただければ幸いです。
*メールの仕分け処理のために、メールの表題は「声明賛同」としてください
(「 」は不要です)。
内容:メールに記していただく内容に関しては、個人でご賛同いただく場合と、
大学・学部等で集約していただく場合と異なりますので、下記をご覧ください。
なお、集約作業にはたいへんな労力が予想されるために、できれば大学・学部
等で賛同される方を何人か集約した上で送っていただければ幸いです。
○個人で賛同される場合、下記の事項を記してください。
お名前:
大学名:
所属(学部・研究科・研究所など):
連絡先(メールまたはFax):
メッセージ(もしあれば):
*連絡先は、この声明に関する記者会見をした場合の情報などフィードバック
のために用いるものであり、その他の目的には用いないことをお約束します。
フィードバック不要という方は記す必要はございません。
○大学・学部などで集約される場合は、次の要領でお願いします。
お名前:
所属:
連絡先:
お名前:
所属:
連絡先:
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民族学校出身者の受験資格を求める国立大学教職員の声明
2月21日付『朝日新聞』の記事によれば、文部科学省は、国立大学の受験資
格が認められていない外国人学校の中で欧米系のインターナショナルスクールの
卒業生にのみ受験資格を与え、朝鮮学校、韓国学園、中華学校などのアジア系外
国人学校(民族学校)には認めない方針を明らかにしました。
私たちは、こうした「方針」が現実化するならば、それはあからさまな民族差
別であると考えます。すでに国立大学においても「外国において、学校教育にお
ける十二年の課程を修了した者又はこれに準ずる者」の受験資格を認めているに
もかかわらず、日本国内の民族学校で「学校教育における十二年の課程を修了し
た者」の受験資格を認めず、事前に大検(大学入学資格検定規程)への合格を求
めていること自体が不合理なことです。また、国立大学が受験資格を認めていな
い一方で、すでに半数以上の公立・私立大学は民族学校を含む外国人学校出身者
の受験資格を認めています。1999年以降、大検の受験資格緩和などの措置がとら
れましたが、民族学校出身者が著しく不利な状況に置かれていることに変わりは
ありません。これまでにもそれぞれの大学がこうした状況を改善しようとした時
に、「文部科学省の意向」が大きく立ちはだかってきましたが、欧米系のインタ
ーナショナルスクールだけを優遇しようとする今回の「方針」には改めて驚きを
禁じえません。
日本政府が1994年に批准した「子どもの権利条約」では、「高等教育を、すべ
ての適当な方法により、能力に基づいてすべての者がアクセスできるものとする
こと」(第28条)、「民族上、宗教上もしくは言語上の少数者、または先住民が
存在する国においては、当該少数者または先住民に属する子どもは、自己の集団
の他の構成員とともに、自己の文化を享受し、自己の宗教を信仰しかつ実践し、
または自己の言語を使用する権利を否定されない」(第30条)と規定しています。
民族学校出身者の受験資格を認めないことは明らかに条約違反です。
しかも、今回の「方針」は、「教育の国際化」という趨勢の中で、大学入試セ
ンター試験の外国語科目として英・独・仏の他に中国語(1997年度から)と朝鮮
語(2002年度から)が設けられてきた流れにも逆行しています。いまここでアジ
ア系外国人学校出身者を排除して欧米系のインターナショナルスクール出身者だ
けに受験機会の拡大を認めるというのは、恣意的な権力の行使であり、真の意味
での「教育の国際化」に反するものといわざるを得ません。「教育の国際化」と
は、欧米の人々と席を並べて対話することだけを意味しているのでしょうか?。
植民地支配と侵略戦争という日本の歴史的責任が問われざるを得ないアジアの人
々との関係を棚上げにして進められる「教育の国際化」とは、一体何なのでしょ
うか?
私たちは国立大学教職員として、自分たちがこの問題に責任ある立場に置かれ
ていると考えます。そうであるからこそ、文部科学省の政治的判断に対して、大
きな危惧と疑念を抱かざるをえません。
私たちは民族差別の「加担者」になることを拒否します。そして、以下のこと
を文部科学大臣に要求します。
一、インターナショナルスクール出身者と同様、民族学校出身者に対しても国立
大学への受験資格を認めるための法的措置をとること。
二、一が困難な場合、民族学校出身者の受験資格認定は各大学の自主的な判断に
任せることを公に声明すること。
2003年3月2日
呼びかけ人(50音順、2003年3月3日現在)
出水薫(九州大学)、鵜飼哲(一橋大学)、川島真(北海道大学)、駒込武
(京都大学)、坂元ひろ子(一橋大学)、杉原達(大阪大学)、瀬地山角(東京
大学)、高橋哲哉(東京大学)、竹沢泰子(京都大学)、鶴園裕(金沢大学)、
冨山一郎(大阪大学)、中野敏男(東京外国語大学)、水野直樹(京都大学)、
安井三吉(神戸大学)、米田俊彦(お茶の水女子大学)
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[5] 渡辺幸重(教育環境研究所)「大学は何のために存在するのか〜
「大学の社会貢献」を考える」より教育オムニバス 1999年12月号
多競争時代の中の大学と受験産業No.18
http://www.erix.com/bunko/omuni/omuni18.htm
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「・・・そこで考えてみる。大学はいまの社会に貢献しているだろうか。
日本ではリストラの嵐が吹き荒れている。倒産や破産、夜逃げ、心中。サラ金
や商工ローン業者は倒産や破産を目の前にしている人間にたかって保証人から金
を搾り上げる。会社のなかでは労働者同士の連帯や助け合いもなくなったという
報告も聞く。バブル全盛期の頃、人々は人手不足で寝る暇もなく働いた。バブル
がはじけて不景気の極みの中でも(いや、それだからこそ)、職にしがみついて
いる人々はやはり夜も寝ないで働いている。一方では、失業者は増え、学生は就
職難にあえいでいる。そういう社会に対して大学はどういう働きかけをしている
だろうか。・・・
・・・昔聞いた話だが、不況時にドイツの労働組合は首切りに反対し、賃金を下
げても仲間を守る闘いをしたという。労働時間を少なくし、仕事を分け合ったの
である。私が思うに、大学は(知識人はとか、研究者はと言ってもいいのだが)、
仕事がない時代こそ、仕事を分け合って労働時間を短くし、人間らしい生活を送
るべきだと提言すべきではないだろうか。賃金が下がっても生活が苦しくなると
は限らない。物価が下がればいいのだから、大学はそういう政策を提言するべき
だ。また、失業者が少ない社会の安定感・安心感は生活者の精神を落ち着かせる
のに大きな作用をするはずだし、消費が抑えられて環境負荷も少なくなるはずだ
から、研究者は正当にその効果を研究し、広く知らしめるべきだろう。同時に、
自分たちが送り出す若者に人間らしい生活が送れる職と生き甲斐が与えられるよ
う、社会に訴えるべきではないだろうか。・・・
大学存在のキーワードは「思いやり」
では、大学が養成すべき人材とはどのようなものになるだろうか。私の考えで
は一言でいうと教養人の養成である。人は仲良くした方がいい、けんかをしても
仲直りをする方法を考えよう、他人の体や心に傷つけてはいけないよ、もし傷つ
けるようなことがあったら逃げないでちゃんと対応しよう、というようなことが
ちゃんとわかる人間を育てることだ。大学の存在意義のキーワードは「思いや
り」と「コミュニケーション」になると思う。人の命を助ける使命を持ちながら
オーム事件で人を殺す医師のような人間を出さない教育システムを考えて欲しい。
・・・
「思いやり」「コミュニケーション」と言うと、ユートピア的な幼稚な話で、
幼稚園や小学校でやればいい、と言う人もいるかもしれない。しかし、大学にお
いても、そのような思考の範囲を宇宙や地球に広げ、歴史や倫理、思想を学ぶ中
で深化させ、専門領域を包み込むことが重要であり、それが大学の重要な責務で
あると考える。・・・
社会の後追いでない大学改革を望む
・・・思い切った改革というのは既定路線の上を突っ走ることではない。理想を
見据えて確固たる信念の基に現実を変えていくことである。車のない社会、質素
な生活、経済成長がダウンする社会しか人類の未来を保証するものはない、ある
いはそれでもだめかもしれないがそれをめざすしかない、という設定があるとし
たら(この設定は私個人のものなので人によって異なるだろう)、現実がどんな
に困難に見えようとも知恵を結集して提言や実践をすることが大学の社会貢献だ
と思う。
何を子どもじみたことを、という人もいるだろうが、社会のパラダイム転換を
意識し、それに基づく理想を構築し、その理想に向かって現実的な改革を提言す
ることなくして、大学の改革とは言えない、と私は考えるのである。」
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連絡等は以下を Subject 欄に記して(引用符「"」は不要)編集発行人へ
配信停止:"no kd"
(停止まで多少時間がかかる場合がありますがご容赦下さい)
転送等で受信された方の直接配信申込:"sub kd"
配信希望の情報・意見・提言等:"[kd]・・・"(・・・はタイトル等適当に)
匿名希望の場合は明記してください。
マスメディアが取り上げようとしない情報・文書・意見等のご投稿を歓迎します。
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編集発行人:辻下 徹 tjst@ac-net.org
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